善男子よ、大慈大悲を名けて佛性と為す。何を以ての故に。大慈大悲は常に菩薩に随ふこと、影の形に随ふが如し。一切衆生、必定して當に大慈大悲を得べし。是の故に説いて、一切衆生悉く佛性有りと言ふ。大慈大悲とは名けて佛性と為し、佛性とは名けて如来と為す。
(ぜんなんしよ、だいじだいひを なづけて ぶっしょうと なす。なにを もっての ゆえに。だいじだいひは つねに ぼさつに したがうこと、かげの かたちに したがうが ごとし。いっさいしゅじょう、ひつじょうして まさに だいじだいひを うべし。このゆえに といて、いっさいしゅじょう ことごとく ぶっしょうありと いう。だいじだいひとは なづけて ぶっしょうと なし、ぶっしょうとは なづけて にょらいとなす。)大般涅槃経より
広辞苑によると慈悲は、衆生に楽を与え苦を抜くことなのだそうです。大慈大悲、それがたいへん大きい。その大きい慈悲がこの大地・この世界を動かしている。現実の詳細はともかくなぜか雄大なスケールに気持ちも落ち着きます。

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