拙い哉丈夫、何ぞ衣食の為に乃ち是の如くなるに至る。我昔、汝をして安楽なることを得、五欲を自恣せしめんと欲して某の年月日にて無価の宝珠を以って汝が衣の裏に繋けたり。今故現に在り。而るを汝知らずして勤苦憂悩して以って自活を求む。甚だ為癡なり。汝今此の宝を以って所須に貿易すべし。常に意の如く乏短なる所無かるべし。と言わんがごとく・・・。
(つたないかな じょうふ、なんぞ いしょくの ために すなわち かくの ごとく なるにいたる。われ むかし、なんじを して あんらくなることを え、ごよくを じし せしめんと ほっして それの ねんつきひにて むかの ほうじゅを もって なんじが ころものうらに かけたり。いまなを げんにあり。しかるを なんじ しらずして ごんくうのうしてもって じかつを もとむ。はなはだ これ ち なり。なんじ いまこのたからをもって しょしゅに むやくすべし。つねに いのごとく ぼうたんなるところな かるべし。と言わんがごとく・・・。)法華経五百弟子受記品第八より
「衣裏に縫い付けてある宝を売りなさい。売って換金すれば、生活するのがせいいっぱいの今の生活からたちまち解放されるだろう。」と言わんがごとく・・・。
この衣裏繋珠の譬えの主旨は何かと考えた時「自分の強みは何かを見つけること。」がとりもなおさず「私たちの衣裏の宝を見出すことになるのだろう。」・・・そう思うと・・・なぜかほっとした気分です。

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