諸の善男子、我と阿難等と空王佛の所に於いて、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤めて精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。而るに阿難は我が法を護持し亦将来の諸佛の法蔵を護りて諸の菩薩衆を教化し成就せん。其の本願是の如し。故に斯の記を獲。
(もろもろの ぜんなんし、われとあなんとうと、くうおうぶつの みもとに おいて、どうじに あのくたらさんみゃくさんぼだいの こころを おこしき。あなんは つねに たもんを ねがい、われは つとめて しょうじんす。このゆえに われは すでに あのくたらさんみゃくさんぼだいを じょうずることを えたり。しかるに あなんは わがほうを ごじし また しょうらいの しょぶつの ほうぞうを まもりて もろもろの ぼさつしゅうを きょうかじょうじゅせん。その ほんがん かくの ごとし。ゆえに この きを うく。)法華経受学無学人記品第九より
広辞苑によると而るに(しかるに)は「それにもかかわらず。それなのに」の意味。
「A」は「X」だった。而るに「B」は「Y」だった。
「X」と「Y」は同質だが微妙に違いがある。つまり「X≒Y」。 「X」「Y」どちらも絶賛されるべきものだが 二人の動機の微妙な違い故に そののち大きな隔たりが発生してしまった。
私 「釈迦が誰かは当然知ってるだろう。」
知人「知っててとうぜん。ばかにしないで!。」
私 「じゃぁ、阿難のことを知っているかい。?」
知人「名前は聞いたことがある。え〜っと誰だったっけ・・?。
・・・釈迦の弟子だったかな・・!?。」

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