爾の時に舎利弗竜女に語りて言はく、汝久しからずして無上道を得たりと謂えり。是の事信じ難し。所以は如何。女身は垢穢にして是れ法器に非ず。云何ぞ能く無上菩提を得ん。仏道は県嚝なり。無量劫を経て謹苦して行を積み具さに諸度を修して然して後に乃ち成ず。
(そのときに しゃりほつ りゅうじょに かたりて いわく、なんじ ひさしからずして むじょうどうを えたりと いえり。このこと しんじがたし。ゆえんは いかん。にょしんは くえにして これ ほうきに あらず。いかんぞ よく むじょうぼだいを えん。ぶつどうは げんこうなり。むりょうこうを へて ごんくして ぎょうを つみ つぶさに しょどを しゅうして しかしてのちに すなわち じょうず。)法華経提婆達多品第十二より
今でこそ私達はいちおう男女平等があたりまえになりつつある社会に住んでいます。と言うのも、もし完璧に男女平等社会だとしたら男女雇用機会均等法など存在理由も無いはず・・・。それは不平等の要素が潜在しているからでしょう。
舎利弗の竜女に対する質問から、釈迦の時代は、男も女もほとんどの人達は男性優位を信じて疑わなかったまったくひどい女性蔑視の時代だったのだと推測します。と言うのも、もし男女平等社会だったとしたら
「女身は垢穢にして是れ法器に非ず。」などはまったく論外の発言だったはず・・・。

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