今朝の朝日新聞に掲載されていた大江健三郎氏の「定義集」を読んで。ああ、これほどの人でもこのようなことがあるんだなあと、妙な同感をしてしまいました。
氏は学生のころから、読んでいる本に気になる一節があると、カードにうつして正確に引用することを心がけていたそうです。ところが最近、その一節は覚えているのに、どの本から引いたものか忘れてしまっているといいます。
これはぼくも近ごろ気になっていることで、ぼくの場合カードでなくレポートパッドにうつし取っていますが、どの本のどのページから書きうつしたものかわからなくなることがしばしばです。
「書名からページ数、行数まで記録しておかなければならないなあ」とぼう然としてしまいました。
しかし、調べものをしていて、気づいた箇所をうつし取りながら書名やページ数まで書いておくことはめんどうで、つい忘れてしまうものなのです。以前は、一度読んだ本の内容はおおむね覚えていて、「このことについては、どれそれのこのあたりに載っていた」と記憶していたものですが、今はだめです。
大江氏の場合奥さんがすごい。大江氏が出典を失念したのは、シェークスピアの2行ほどを、フランスの小説家が引用していて、記憶では「そのように考えはじめてはいけない」というところ。その引用文を奥さんに話すと、数日たって「フランソワーズ・サガンのペンギン・ブックスの英訳を手渡され」たそうです。
その引用文はたいへん記憶に強く残っていて、私生活で悲観的な想像をしてしまったときなどに、「そのように考え始めてはいけない、うんぬんが口癖に」なっているといいます。
この、「考え始め」はとても重要なことであると、ぼくは思います。人は考え始めでそのあとの思考の方向性が決まってしまうことが多いからです。
最初に考えたことをいかに正当化するか、どう証明していくか、という思考回路にはまってしまうと、解決の糸口が見つからなくなり、出口までずいぶん遠回りをしてしまうことにもなりかねません。
したがって、「考え始め」がきわめて重要であって、「このように考え始めてよいものだろうか」と、常に自問自答していくことが習慣として必要ではないかと思えるのです。
ところで、大江氏が引用したのはシェイクスピアの『マクベス』第2幕第2場の次の台詞であることが書かれています。
「こういうことはそういうふうにお考えになってはだめ。お互い気が変になってしまう」(木下順二訳)
これは、マクベスを夫人がきびしくたしなめるシーンですが、サガンは自身の小説にこれを引用して、優しい口調に直してしめくくられているということです。
ぼくの手元には木下順二訳がなく、三神勲訳で読むと、「そういうことはそんなふうに考えこんでいけないんですのよ。気が変になってしまいますよ」。
いずれにしろ、サガンの引用とはだいぶニュアンスが違うようです。
これはサガンのレトリックなのか、大江氏の機転なのか、どちらでしょう。
ひまわり博士