環境保護団体シー・シェパードの所属船が南極海の公海上で、日本の調査捕鯨船「日新丸」に酪酸入りの薬瓶などを投げ入れて3人がけがをしたことを受け、石破防衛相は「イージス艦あたごを護衛艦として急きょ南極海に差し向けます」と発表。
「あたご」は破壊力に富み、小舟程度なら体当たりで木っ端みじんに打ち砕くパワーを持っていることが実証されているだけに我が国の捕鯨業界から大きな期待を寄せられている。
「あたご」の旗はシー・シェパードが使用しているドクロマークと同じものを掲げることになった。
「これで、反捕鯨グループの運動をストップできるばかりかイージス艦のイメージ・アップになる」と石破大臣はご満悦だ。
ここで捕鯨の歴史について少しばかり触れておこう。
幕末寛永6年(1853年)7月、ペリー提督率いるアメリカ極東艦隊が浦賀に来航して開国を迫った話は有名だが、ペーリー提督に与えられていたミッションの一つが「日本における捕鯨基地の設置」だったことはあまり知られていない。当時、年に1、2回スペインの帆船が往復するだけだった太平洋に大挙してアメリカの捕鯨船が入ってきた。1850年頃には太平洋全域に700隻の捕鯨船が操業しており、そのうち300隻は日本近海で操業をしたと推測されている。
アメリカでは食肉用ではなく鯨油として主に灯油に使われた。多くの捕鯨船が北太平洋で操業すれば当然燃料と食料の補給や、嵐の際の避難港が必要だった。そんなわけでアメリカは日本の開港と薪炭・食料の提供と可能なら一つの島をアメリカに提供してもらい、そこに資材や石炭を貯蔵してアメリカの捕鯨基地としたい、というものだった。これらの要求を日本に突きつけるために開国を迫った。(この続きは次回に)
★ 石破大臣推奨のウェブサイト「鯨ポータルサイト」
http://www.e-kujira.or.jp/
★参考文献「江戸の遺伝子」徳川恒孝(PHP研究所)202ページ「太平洋を埋めるアメリカ捕鯨船隊」
MAD