チベットで中国支配への反発が暴動に発展した。
コソボやパレスチナ、あるいはイラクで経験からすると、亡命政府は勿論、「人権擁護団体」やメディアの報道も信頼できないので即断はできないが、少なからぬ死者が出ている可能性は高いようだ。
まず、簡単に歴史を振り返ってみる。
20世紀に入るとチベット支配をめぐってロシアとイギリスが対立、1903年から04年にかけてイギリス軍が軍事侵攻している。
中国(清朝)で辛亥革命が起こった1911年になるとチベットは独立を宣言。翌年に清朝が滅んで中華民国の創立宣言が発せられるものの、中国では混乱が続いた。そうした間隙を縫っての宣言だったと言えるだろう。
中華民国で臨時大総統として実権を握った人物が

袁世凱。
その袁に対して日本は1915年に「二十一カ条要求」を突きつけ、27年には「日本人居留民の保護」を口実として山東に出兵、奉天事件で張作霖を爆殺した後、1931年には国民党軍を装って柳条湖事件(南満州鉄道爆破)を引き起こして満州(中国東北部)を占領、
1937年の盧溝橋事件を切っ掛けにして日中戦争に突入して行く。要するに、中国側ではその間、チベット問題どころの話ではなかった。
1949年に中華人民共和国が成立すると状況は変わり、チベットを中国の一部と考える中国政府は軍隊を使って制圧、1959年にラサ市民が蜂起した際には数万人が犠牲になったとされている。この時、

ダライ・ラマ14世はインドへ脱出している。
1960年代に入ると、
ダライ・ラマはCIA(国際ユダヤ金融資本傘下)と結びつき、年間170万ドルを受け取っていたことが明らかになっている。
ダライ・ラマはCIAの手駒のひとつになったわけだが、中国に共産党政権が誕生して以来、アメリカの情報機関は中国侵攻を何度か試みている。
その中心になっていたのが極秘機関だったOPC(政策調整局)。人員も資金もCIAから提供されていたのだが、CIA長官の指揮下にないと言う組織で、1950年代に入るとCIAに吸収され、破壊工作の中核になった。この対中国工作の延長線上にCIAのダライ・ラマ支援はある。
亡命先のインドが核兵器の実験を行ったときにダライ・ラマは実験を支持したと批判する声もあるが、亡命者としての立場上、同情すべき点はある。
CIAのダライ・ラマ支援はアメリカと中国との関係が改善された1972年頃には打ち切られたと言われている。日本との関係で言うと、ダライ・ラマはオウム真理教の麻原彰晃と会談しているが、両者の親密度は今でもはっきりしない。
アメリカ政府は慎重な姿勢を崩していない。
天安門事件(=背後に国際ユダヤ金融資本=分断して支配する)のときも同じ姿勢だった。
1980年頃に
中国政府がミルトン・フリードマン流のレッセフェール的な経済システムを導入、アメリカの巨大資本(国際ユダヤ金融資本)(と手を組んだ
ことと無縁ではないはずだ。
南米チリの独裁者、アウグスト・ピノチェトもフリードマンの弟子だったが、この人物はクーデターで権力を獲得、反対派の殺戮を繰り返してフリードマンの経済システムをチリ国民に押しつけている。
マスコミが報道しない事実