2008/4/28
「○神風特別攻撃隊」
「特攻作戦の命令系統と戦闘序列」
特攻の全ての始まりは堀栄三参謀(陸士46期)が1944年沖縄航空戦の戦果誤認訂正電報を大本営に打電したとき,その戦果修正電報を握りつぶした男,それが瀬島龍三中佐(大本営作戦参謀・作戦班長補佐)であった。大元帥昭和天皇を悲しませてはならない。当時大元帥のもとには華々しい戦果のみが報告されていた。
終戦間際,デンマーク駐在武官小野寺誠大佐はソ連の参戦が近い事を大本営に打電したが,これも握りつぶされ,中国残留孤児という悲劇を生んだ。しかしなぜか小野寺大佐は終戦間際少将に昇進した。日本では口封じのためこういう摩訶不思議なことが行なわれる。戦後妻が「軍人の妻として」という本を出版している。
第十四方面軍司令官山下奉文大将は特攻は自然発生的に生まれたとし,戦犯として処刑されたが瀬島龍三も同じ考えであった。戦後山崎豊子の不毛地帯のモデルとしても知られ,伊藤忠商事の会長まで昇りつめた。このレイテ戦をきっかけに日本は奈落の底へ落ちてゆく。1944年10月20日米軍はレイテ島に上陸した。日本軍はレイテ沖海戦で航空機による体当たりを,特攻作戦として実施した。
フィリッピンで米軍を迎撃する第一号作戦のため,日本海軍は大西中将を第一航空艦隊の司令長官に任命し,特別攻撃という名のもとに体当たり攻撃を作戦として実施することを決定した。中西の任命は海軍にとって都合のいい息のかかった人間であったためでもある。こうして特攻隊を編成し作戦を遂行することに決まったが,特攻作戦の命令系統,戦闘序列が問題になる。
若し特攻作戦を軍最上部が計画し,実行すれば指揮官の権限を明確にし,訓練も充実できる。しかし特攻という必ず死ぬという作戦を命じたものは,その責任をとるという必要に迫られていた。勝利か死かーその作戦が失敗すれば,部下を無駄死にさせた責任を負わなくてはならない。そして,その責任は最終的には,赤子を死地に送り出すことを命じた大元帥である天皇が負わなければならない。
あるいは大元帥の身代わりとして,将官クラスが死をもってお詫びをしなければならない。命令による特攻によって部下を死地に送り出した責任はとりたくない。司令官が特攻作戦の最終責任を負う事を回避するのは,部下の下級将校,あるいは下士官・兵は自ら発意して,自己犠牲の精神を特攻に発揮してもらうのが一番よい。
第一線の将兵が祖国を守り,国体護持のために自然発生的に特攻という体当たり爆撃を志願してくれるのが一番望ましい。もし僕が第二次世界大戦の論文を書けと言われたらたった一言「責任回避の馬鹿者ども!」で終わり。
大元帥の名のもとに,高級将校などが命令する必要はない。部下の発意に「よし。頼む」と特攻の承諾を与える場合,彼らには特攻に部下を送り出したという表現は馴染まない。
結局,日本軍は特攻は部下,特に第一線の将兵が,自発的な発意として実施を迫ったものであり,尊王殉国の志士の集団が,やむにやまれない心情から,志願して体当たり攻撃を仕掛けた,だから司令官は特攻を命じたわけではなく,特攻の責任もないというのである。(情報源は東海大学鳥飼行博研究室から)

特攻前の水杯を交わす特攻隊員
参考
http://www.nicovideo.jp/watch/sm762885
http://kamikaze-t.tripod.com/

見送りを受けて特攻体当たり攻撃へ。マニラ
燃料は片道だけの死の旅へ

炎上する軽空母プリンストン 死者347名負傷者552名
プリンストンの爆発に巻き込まれた巡洋艦バーミンガム
の乗員死亡230名 負傷408名

体当たりした特攻機

真っ二つに割れる空母フランクリン

空母スワニーに命中

大本営作戦参謀(作戦班長補佐)当時の瀬島龍三中佐
抑留中のソ連から東京裁判に召還された瀬島龍三氏
自ら志願してソ連に抑留された理由は.....小説「不毛地帯」
に書かれた瀬島はあまりに美化されすぎで,腹を切って
もあまりある。大元帥昭和天皇を守るため多くの若者を
死に陥れた責任は大きい。自著で昭和天皇に声をかけられ
たとき全身が硬直し足がふるえたと書いている。
ちなみに陸軍大学主席で卒業。恩賜の刀を陛下より賜る。
戦後あれほどの犠牲者を出した沖縄すら昭和天皇は慰問
していない。日本はポツダム宣言後の無条件降伏を拒否し
その後の特攻で多くの若者の命が失われた。
もし原爆投下があと3週間遅れていたら,ソ連が参戦し
日本は確実に四分割されていたであろう。最後まで竹やり
で本土決戦を鼓舞していたこの国の指導者たちは大元帥
天皇の免罪符として絞首刑になった。一方昭和天皇は
崩御し,大嘗祭という儀式で神になった。by tatsujin
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