「○二分法は多様な考え方を封殺する」
官と民の対立と言うのも、ウソである。右と左、新自由主義と反新自由主義の対立が存在するというのも、ウソである。少なくとも、多様な考え方をそんな単純な対立軸に無理やり押し込めようとする考え方は、間違っているし、危険でもある。
右か左か、新自由主義か反新自由主義か、改憲か護憲か、フェミニストか反フェミニストか、テロとの戦いに賛成か反対か、郵政民営化に賛成か反対か、と言った、多様な考え方を無理やり二つに分類して、賛成か反対かを迫る、二分法の危険性については、当ブログも、何度も述べてきた。
官と民の対立が存在すると言うのも、やはり、ウソなのである。
反フェミニストのなかには、古い考え方の人がいて、「男は仕事、女は家庭」という大前提で議論をする人がいるが、当ブログは、そのような男女の棲み分けは、戦後の高度成長時代にできたものに過ぎず、高度成長が終わった70年代後半には、すでに維持することが不可能になっていたシステムであることを何度も指摘してきた。
フェミニストの中には、男性にだけ義務や責任を押し付け、権利、利権だけを女がいただく、(つまり、女が甘い汁を吸う)という人が多いのだ。だから、男性だけに兵役が義務付けられている、ノルウェーやスウェーデンのような国を男女平等の国と呼ぶバカもいる。男性だけに兵役を義務付けている国は、男性差別の国である。
義務も責任も男女平等にするというのなら、賛成である。反フェミニストにも、様々な考え方の人がいる。
テロとの戦いではなく、資源争奪戦である。問いかけ自体が、間違っているのだ。丸ばつ式の試験のような単純なものではない。
二分法を利用したものには、マルクス主義と浄土真宗がある。前者は、すべての思想を唯物論と観念論に二分し、唯物論が正しいと最初から、結論付けている。そのうえで、二者択一を迫ると言うものである。浄土真宗は、すべての宗教を他力と自力に二分し、最初から、他力が正しいと結論づけたうえで、二者択一を迫るものである。マルクス主義は、浄土真宗に似た、宗教的性格を持っていた。
すべての思想や宗教を二つに分類できるほど、単純なものではない。
物事を単純化して、二者択一を迫る二分法は、多様な考え方を封殺するものなのである。それ故、ファシズム、全体主義につながる危険なやり方なのである。これらは、過去記事で述べたことでもある。
ただ、日本が、官主主義の国であるというのは、本当である。新自由主義だろうが、反新自由主義だろうが、官主主義なのである。
地声人語日記