
まもなくやってくる7月12日は、鹿砦社という出版社にとって特別な日である。今から三年前の2005年7月12日、関西の一角の出版社に突然理不尽な言論弾圧事件が起きた。
鹿砦社の社長である松岡利康氏は、神戸地検特別刑事部に、彼の自宅、本社事務所、東京支社に強制的な家宅捜査を行なわれ、逮捕された。アミューズメント業界の大手「アルゼ」の役員たちや、阪神タイガースの元球団職員を出版物やWebサイトで中傷したという名誉毀損の容疑だ。その結果、鹿砦社の運営機能は壊滅的な状態まで落とされ、
社長の松岡氏はじつに192日も勾留されている。
出版社の社長がこれほどの長期勾留を受ける理由はぜったいに法理的なものではない。仮に、松岡氏の表現活動に名誉毀損を疑える記載があったからと言って、192日間も勾留する必要はまったくない。
ここには、名誉毀損罪という表層に出た「こじ付け」とはまったく別次元の官憲側の内在的論理が強く作動したものと自分は考えている。官憲側が、この無茶苦茶な長期人質司法に踏み切った背景には、
アルゼも阪神タイガース球団も、ともに警察官僚の天下り企業であるということがあり、期せずして松岡氏の追及行為は彼らの逆鱗に触れたということである。
しかし私が強く言いたいのは、鹿砦社弾圧事件の深層には、国民にとって恐ろしい背景が潜んでいることを見抜いて欲しいということだ。
この弾圧事件は、
社会の公器である出版社に対して、露骨な見せしめのメッセージが込められている。ここで絶対に看過して欲しくないことであり強調して置きたいのは、官憲が個人を狙い撃ちしたということだ。
この意味は警察官僚と癒着した企業を批判したり糾弾したりしたら絶対に許さないぞということである。敷衍するなら権力批判はご法度だぞということだ。松岡氏の逮捕・長期勾留、そして、明らかに
公益性のある批判活動に対して、裁判所が有罪の判定を下したことは、日本にある全メディア、または全国民に対する恫喝にほかならない。
植草さんが嵌められた事件を見てもわかるとおり、昨今の時の政権は薄気味悪い統制色を強め、政権の方向性を批判する者をけっして許さない。この具体的な締め付けとして、
政権に批判的な著名人には見せしめ的な国策捜査を行なう。植草一秀さんはその典型である。
彼は無実であり無辜のエコノミストである。
小泉政権が帯びていた万民毀損性を誰よりも早く見抜き、その危険性を経済と金融の両面から告発していた。今、国民は小泉政権の政策上の過ちを否応なく認めざるを得ない段階に来ている。
後期高齢者医療制度も、買弁与党が議席数をたのんで強引に成立させた数々の悪しき政策の一つだ。郵政民営化で万民が益した話は何もない。むしろ広域的にマイナス面が目立ち、事業側と住民側から怨嗟の声が出始めている。
外資に有利な三角合併法案も然りである。小泉政権が敷いた構造改革路線とは、外資と一部の買弁的な特権階級に利益供与を行なうシステム造りだった。その体制を完成させるため、最近特に顕著になった統制的国策は、言論の自由に強い縛りを掛けようとしてしていることだ。その証左はいまさら言うまでもないが、人権擁護法案、共謀罪法案、電子投票法案など、これら危険な法案成立への執拗な動きである。これがネオリベ的翼賛傾向でなくてなんだろうか。私はこれを「夜警国家」化と言っている。
鹿砦社の松岡氏への弾圧は、国家の統制的変貌の過程で起きたできごとだ。表層的には警察官僚の中枢を怒らせたための弾圧だったが、より俯瞰的にこの弾圧を捉えると、これはわが国がネオリベ体制に変貌しつつある過程で必然的に起きていることなのだ。日本は確実に翼賛的な統制国家に変貌しつつある。
つまり、
マスメディアの位相から眺めるならば、この動きはわが国が明らかに言論統制社会に向かっていることを示す。保守の立場から、私は現行日本国憲法の素性には根本的な疑問を持つが、第21条や第25条、すなわち言論の自由や生存権の保証はあらゆる時代を超えて保持すべきものだという思いがある。
特にものを言う自由の確保は最も重要だ。これが担保されなくなったら、世は暗黒社会である。
「言論の自由」よりも、名誉毀損の濫用が優先される社会は不健全だ。司法が公益性の概念を無視し始めたら危険である。鹿砦社弾圧には露骨に公益性概念が除外されており、裁判官の裁定感覚は極端に偏頗である。ここには弁護側言い分を完全に無視した植草裁判と同じ裁定上の極端な不均衡が顕われている。
鹿砦社の言論弾圧事件は国民にとって、けっして他人(ひと)事ではない。今、国民がこの事件を明日のわが身と受け取って、必死に警戒しないと、日本は完全な言論統制社会になり、人々はものを言えなくなる。そうなると何が起こるか。権力を恣意的に操れる者たちによって、何でも好き勝手にことを運ばれてしまう。国民は物を言えない労働奴隷となり、徹底的に搾取されるばかりか、相互監視・密告社会が実現してしまう。ジョージ・オーウェルの「1984」に描かれる超監視社会はけっして夢物語ではない。
今年の7月はあの言論弾圧事件から三周年記念に当たる。現在発売中の鹿砦社発行の基幹的月刊誌「紙の爆弾」6月号には、オーマイニュース社長・元木昌彦氏が「雑誌ジャーナリズムの原点」と題して非常に重要な記事を寄稿されている。
元木氏は、昨今は雑誌ジャーナリズムを萎縮させるできごとが続いており、その際たるものが個人情報保護法であり、その中に雑誌規制を盛り込んだと指摘している。神州の泉の読者さんは是非手にとって読んでいただきたいと思う。
今、権力側は記者クラブに縛られない雑誌とネットに網をかけようと必死である。権力批判を行なうライターを一網打尽にしたいのである。国民は気付かなければならない。植草さんと松岡利康氏への弾圧が、権力批判を徹底的に封じ込めるために行なわれた「みせしめ」であることを・・・。神州の泉