_〜山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう〜
考えのヒントになるもの
【重要な情報は
今やタブーの中にしかない】
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。
金子みすず
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2008/7/4
「○「あの日を忘れないで」」
〜日航機墜落事故 遺族の20年〜
日航機が群馬県の御巣鷹山に墜落してから、この8月で20年を迎えた。墜落現場の御巣鷹山の尾根には、今も遺族の祈る姿がある。見た目には殆ど以前の山と変わらなくなったが、遺族たちは肉親の死を忘れられず、年1回、「茜雲」(あかねぐも)という冊子を作り、みんで悲しみを綴ってきた。そして今年それらが、一冊の本にまとめられた。
20年前のあの日の教訓は、生かされているのか。夕日に染まる「茜雲」に託した、遺族たちの亡くなった家族への思いと問いかけをつづる。
■
日航機が群馬の御巣鷹山に墜落
墜落した日航機を発見
日航機の残骸
遺体発見場所の墓標群
昭和60年8月12日、
「墜落現場を確認しました!
墜落現場を確認しました!
日航機の123便は墜落しました!」
テレビのヘリコからと思われる、驚愕の絶叫が聞こえてきた。
「わが娘の遺体を探し求め、やっとそれらしい真っ黒な両手両足と、頭部の欠損した遺体が、愛するわが子と認められることになりました。あまりの変わり果てた娘の姿に一気に悲しみが胸にこみ上げました。こんな悲惨な惨い姿になってしまったとは…」。
20年たった現在、墜落現場の御巣鷹の尾根には、今も遺族の祈る姿がある。子供に先立たれた親、一家の主を失った妻と子、遺族は401所帯に上る。 標高1560m、群馬県上野村にある御巣鷹の屋根には、うっそうとした森の至る所に、500あまりの墓標が並んでいる。亡き人を偲ぶため、遺体が見つかった場所に立てられている。羽田発大阪行きの便は、ビジネスマンの利用の多い路線だった。遺族の調べでは、520人の犠牲者のうち184人が一家の大黒柱だった。
遺族たちは、肉親の死を受け入れられず、
年に1回
「愛するあなたへの手紙」
という形で
「茜雲」
に悲しみを綴ってきた。
「亡くなった命に対して、できることは何なのか。
同じ思いを誰にもさせたくない。
それが亡くなった方への敬意を表すことになるのではないでしょうか」。
これには事故を風化させてはならないというメッセージが込められている。
今年に入って航空機のトラブルが相次ぎ、空の安全が問われている。20年前の教訓は生かされているのだろうか。夕日に染まる「茜雲」に託した、遺族たちの問いかけと思いを綴る。
■
遺族たちの思い(1) 谷口真知子さん(57才)
機内で書いた谷口さんの遺書
家族3人で御巣鷹に
子どもと夫のお墓の清掃
谷口正勝さん(享年40)は大阪の会社の営業主任、上司の葬儀のため上京し、帰りに事故に会った。谷口さんは、備え付けの紙袋に短い言葉を残した。
「まち子、こどもよろしく」。
墜落までの32分間、激しく揺れる機内で、妻に当てて書いた遺書である。
谷口真知子さんは、遺書を読み返す毎日が続いた。
「パパ、いかがお暮らしですか。昨日、庭の桃の袋掛けをしました。誠は、袋つくり、あつしは脚立に乗って袋掛けです。パパが、自分の家で作った果物を子供たちに食べさせると庭に植えた、柿や桃、さくらんぼです」。
事故時、長男の誠さんは中学1年、次男の篤志さんは小学3年だった。真知子さんは女手一つで育てた。その都度、「茜雲」に投稿してきた。
「パパ、下の篤志は大学生になりましたよ。御巣鷹からパパと一緒に大阪に着いたとき
、「ママ、もう泣くなよ」
といったあの子が。上の誠は、本人の希望どおり、教育の仕事に就職しました。パパに似て子供が好きなんでしょうね」。
谷口さんは夫との約束を果たせたと、肩の荷を降ろしていた。
ところが、篤志さんが、ある日、私は結婚しないと言い出した。
「あのように、父が一瞬にいなくなると、何かゆがんだ死生観というか、人間なんて何時死んでもおかしくないという感覚がしみついて、50歳まで生きたら十分だなあなんて。奥さんも子供もいない方がいいと考えていたのは事実です」。
見合いの話は断り続けている。
真知子さんは、この子の心の傷について、今年はこう書いた。
「篤志は、私の良きパートナー。私が60歳になれば、
私は定年。その時は、お互い良きパートナーを見つけて、
母親業も退職かもしれません」。
まち子さんは、
「まちこ、こどもよろしく」
という夫の最後の言葉を、背負い続けている。
■
遺族たちの思い(2) 美谷島邦子さん(58才)
健君の慰霊碑
慰霊碑の側のお地蔵さん
墜落した123便には、小学校3年生の子どもが一人で乗っていた。健君(享年9)は、憧れのPL学園の野球を応援するため、大阪の親戚に向かう途中、事故にあった。
「あの子と別れた3日目の朝、急斜面を這うように登りました。リュックには、子どもの着替えと山靴、雨合羽を入れていきました。山頂は地獄絵でした。炎上してまだ熱い機体を見て、生きているかもしれないという最後の望みの糸が切れました。遺体が見つかる日の前の晩、夢を見ました。
あの子の体がそのまま空に登り、星になっていく夢でした。遺体が見つかりました。焼けた123便の座席12Kと書いているワッペンと、小さくないイボのある右手だけ、顔も左手も足もありませんでした。でも、やっと会えた。もう一人にはさせないよと心で叫んでいました」。
美谷島さんは、遺族どおしの支えあいが必要だと考え、文集「茜雲」を作った。
「家族たちが書くことと、読むことによって支えあい、あの人もがんばっている、私だけではないんだと思えるんです。お互い前に進めるように」。
美谷島さんは、自宅の屋上に事故の資料や遺族から寄せられた手紙を保管している。その数は、コンテナケース14箱になった。
■
日航機墜落の原因
後部にある圧力隔壁
ダッチロールする飛行機
事故機の圧力隔壁
美谷島さんたちは、事故の原因はまだ解明されていないと思っている。当時の運輸省航空事故調査委員会の資料によると、123便の異変が発生したのは、離陸から12分後。機体の後部にある機体内の気圧を保つ圧力隔壁が大きく壊れた。機内の空気は一気に噴出し、垂直尾翼のおよそ60%が失われ、123便は航行不能となった。機体は大きく左右に揺れ、8の字を描くように蛇行するダッチロール状態になった。32分間、迷走を続け墜落した。
委員会の調査によって、機体は墜落事故の7年前に、大阪空港でしりもち事故を起こしていたことがわかった。報告書では、製造元のアメリカ、ボーイング社によって行なわれた圧力隔壁の修理ミスで、日本航空のその後の点検が不十分だったことが、事故の原因だとしている。しかし、なぜ修理ミスと点検ミスが起きたのかは、明らかにされなかった。
事故から5年後の平成2年7月、修理点検の担当者全員が不起訴処分となった。日本航空が、修理ミスを発見するのは困難、さらに法律の違いから、ボーイング社から事情調査ができなかったのが、その理由とされた。
美谷島さんたちは、その後も国と日本航空に対して、修理ミスと点検ミスがなぜ起きたのか、再調査を要望してきた。
「私達は14年間にわたるこの運動を、日航やボーイング社への復讐や恨みの気持ちでやってきたのではない。身内がなぜ亡くなったのか、その理由を知り再発防止につなげたい。そうしなければ、愛する人の死を納得できないのです」。
今年、空の安全を脅かす事故が相次ぎ、日本航空は国土省から、安全対策を抜本的に見直すよう命令を受けている。美谷島さんは、20年前の事故の教訓が生かされていないのではないかと、危機感を募らせている。
■
遺族たちの思い(3) 武田たかしさん(70才)
登山時の残骸収集
収集された機体の残骸
事故原因を自分の手でも明らかにしようとする遺族がいる。妹をなくした武田たかしさんである。毎年3回、欠かさず御巣鷹の山に登っている。武田さんは、慰霊登山のたびに、事故機の残骸の収集を行なっている。遺族の訴えが認められ、事故原因の再調査が認められたときの、手がかりとなればと考えてのことである。内装の一部やボルトなど、武田さんが集めた残骸は30個を越えた。
「妹の澄ちゃん(享年41)と最後にあったのは事故の1ヶ月前、次に会ったのはあの高校の体育館でした。8月16日、ずらりと並んだ棺、その中からやっと会うことができました。こんな悲しい変わり果てた姿で会うなんて。流れる涙のなか、でもしっかりと見守りました。苦しかったろう。こんな姿に誰がしたのか」。
武田さんは今年の「茜雲」で、
「小さなトラブルの対策を疎かにしてきたことが、
20年前の大惨事につながった。
御巣鷹山の事故を忘れていないだろうか。
ここは航空安全の原点だ」
と指摘した。だが、トラブルと事故の連鎖がまだ続いている。
武田さんは、空の安全の教訓とするため、残骸の保存と展示を求めているが、日航は平成3年、圧力隔壁など一部の残骸を除き、すべて廃棄すると発表した。
■
遺族たちの思い(4) 河瀬周治郎さん(71才)
買い揃えた着物
毎年の慰霊登山
事故から20年、はじめて「茜雲」に文を寄せた人がいた。河瀬周次郎さん。当時24歳だった娘を亡くした。墜落現場で、娘尋美さん(享年24)の写真が見つかった。友人と二人で東京に旅行した帰りに、事故に巻き込まれた。事故の直前、結婚の話があり、妻のイトエさんと共に、着物を買い揃えた。毎年この日、虫干しを欠かしたことがない。
夫婦で8月12日、欠かさず慰霊登山を続けてきた。娘の亡骸の一部がまだ山に眠っていると信じ、少しでも側にいたいと考えるからである。しかし、近頃妻のイトエさんが健康に不安を抱え、年々症状が進んでいる。このままでは、夫婦での登山はできなくなる。河瀬さんは、初めて「茜雲」に書くことにした。
しかし、尋美さんの思い出が頭をよぎり、頭の整理がつかなかった。
「今まで、何度筆を取ろうと思ったことか。思えば思うほど、あせりで筆が取れない。あの便に、なぜ乗らねばならなかったのか。初めての飛行機で、何万回に1度しかないという事故に、何故、遭遇しなければならなかったのか。いまだに悔やまれてなりません。今は、これ以上書けません」。
■
遺族たちの思い(5) 小沢紀美さん(49才)
御巣鷹の山頂での親子
現在の御巣鷹山
小沢さんは、20年前の事故で、夫の孝之さん(享年29)を亡くした。当時小沢さんは結婚2年目、待望の子供が授かり妊娠3ヶ月だった。墜落5ヵ月後、息子秀明君が生まれた。
「男の子、主人の生まれ変わりです。
あの時、この子に命を託したのです。
私を一人ぼっちにさせないように」。
秀明さんが3歳になったとき、友達の家を見て、
どうして家にはお父さんが帰って来ないのと泣いた。
3歳の夏、御巣鷹に登り、そこで空を見上げて、
「僕のお父ちゃんは、飛行機がこのお山にぶつかって、飛行機に乗って天国に行ったんだよ」と教えると、その後、毎日仏壇の前で何か話している。どこまでわかっているのだろうか」。
事故から20年、秀明さんは大学生になり、息子との生活の中で、小沢さんは、事故を人生の一つと考えられるようになった。
「この悲しみを忘れることは、絶対できない。でも生きていかなくてはならない。それなら、この悲しみと同化して生きていこうと思いました。悲しみに負けるのではなく、悲しみに慣れるのではなく、悲しみと同化する。愛する彼と出会い結婚したのも、この忌まわしい事故に遭遇したのも、すべて私の人生なんだと考えよう。もう1年、また1年、そうやって、これからも生きてみようと思います。」
■
日航機墜落事故から20年の今
御巣鷹に供えられた茜雲
茜 雲
今年の7月上旬、美谷島さんのもとに、本になった「茜雲」が届いた。
「茜雲」〜御巣鷹山に消えた520人の命を悼む〜という本である。この本には、今年、寄せられた手紙に加え、これまでの「茜雲」に載せられた文がまとめられている。遺族それぞれの、20年の軌跡が記されている。
日航機墜落事故からちょうど20年たった今日、御巣鷹の山は雨になった。河瀬イトエさんは周次郎さんと二人で、今日も来ることができた。ゆっくりゆっくり娘の墓標をめざす。武田たかしさんは、雨上がりの斜面で、今日も事故機の残骸を見つけた。美谷島さんは、孫の健斗君をつれてきた。できた「茜雲」を供えた。
事故を風化させてはならない。愛する亡き人の命を、決して無駄にはしない。遺族たちの問いかけは続いている
美谷島邦子さん:
「あの日から、空の安全への航空機業界の姿勢が変わったのでしょうか。今も手の中に残る君のぬくもりを握りしめるたびに、空の安全を求める活動に、終わりはないと思っています。これからも、君と一緒に、空の安全への警鐘を鳴らし続けていきたいと願っています」。
所感:
墜落事故から20年たった今でも、8月の命日には、多くの遺族の慰霊登山が行なわれている。完全な遺体が殆どない状態で家族を確認し、慰霊に行く気持ちはどんなだろうか。
美谷島さんのご努力で、毎年発行されていた遺族のみなさんの書かれた文集「茜雲」が、今年、本になった。お互いに家族の死への悲しみを書きあい、読みあって、お互い支えあってきた文集が本になったことは、すばらしいことである。
ジャンボ機墜落という極めてまれな大事故が、ボーイング社の修理ミスと日本航空の点検不十分が原因だが、担当者が全員不起訴に終わったのは、家族を一瞬に失った遺族としては納得できないのは当然なことだ。
遺族の小沢紀美さんの言われる
「悲しみに負けるのでも、慣れるのでもなく、
この悲しみと同化して生きていきたい。
すべて私の人生なんだと考えたい。」
という言葉は、極めて印象深く感じられる。遺族のみなさんも、ご自愛の上、こういう考え方で生きて欲しいと願いたい。
Musasino Rest Gallery
投稿者: 一陣の風
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