
ケニア情勢が悪化している。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/kenya/
キリスト教徒の多いケニアで教会が焼かれるというのは、かなり治安が悪化している証拠だ。
これに関して、最大部族のキクユ優遇を進めるキバキを批判したり、「ルワンダやブルンジみたいにジェノサイドに発展する事は無いと思うよ」などと他人事のように評しているだけのマスコミが多いが、そもそもこの問題の根には英国の植民地政策があったということをまるで採り上げないのはなぜなのだろうか。
まるで、アフリカの黒人同士が勝手に民族抗争をやってる…みたいな表面的な分析にはほとほと呆れ返る。
ケニアの壮絶な歴史を振り返れば、連中の分析の浅はかさが浮かび上がってくるだろう。
ケニアは1895年にイギリス領になってから、1963年にケニヤッタ大統領が独立を勝ち取るまでに長く植民地の時代が続いていた。独立しても完全に独立したと言えず、旧植民地の影響を政治的、経済的に受けてきた。それは、イギリスの議会制を継承し、また憲法もイギリスの影響を受けるなどの政治体制に強く表れている。
ケニア建国の父:ジョモ・ケニヤッタ(Jomo Kenyatta, 1893年10月20日 - 1978年8月22日)を扱ったこのページ『口頭無形の小説の間』“ローカル英雄伝”が、ケニアの歴史を知るにはお勧めである。
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_001.htm
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_002.htm
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_003.htm
http://matsumat.hp.infoseek.co.jp/hero9/hero9_004.htm
彼(ケニヤッタ)は、生前、こんな言葉を残しているそうだ。
「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった」
ウィキペデヂィアの「キクユ族」のページにこんな記述がある。
デンマーク作家カレン・ブリクセンは自分のコーヒー園で雇用したキクユの人々について次のように書いている(『アフリカの日々』より)。
反抗心を持たず、羊のように我慢強い土地の人たちは、権力も保護者もないまま、自分たちの運命に耐えてきた。偉大なあきらめの才能によって、今もなお彼らは耐えている。キクユ族はマサイ族のように隷属に耐えず死を選ぶことはないし、ソマリ族のように、傷つけられ、だまされ、軽んじられた場合、運命に挑戦することもない。異国の神とも親しみ、とらわれの境遇にも耐えてきた
キクユ族はもともと農耕部族であるがゆえに、忍耐強く素直で扱いやすい奴隷だったのでイギリス人の入植者たちはキリスト教で徹底的に洗脳した上で、自分達の傀儡として他の部族を支配させたのだろう。
しかし、あまりにイギリスや植民地政府のやり方がエゲつなかったことから、限界が訪れる。
第二次世界大戦中、多くのアフリカ人が徴兵され、エチオピアやイタリア領ソマリランドでの作戦は勿論、北アフリカ、中東、一部はインドや極東の戦線にまで送られた。そして、彼らアフリカの奴隷兵士達は、植民地の支配者のために強制的に戦わされたのである。
このようなむちゃくちゃなやり方に対して、戦後帰国した兵士たちはついに蜂起する。
1946年頃からは「自由の戦士」を名乗ると、反植民地政府のゲリラ作戦を開始した。いわゆるマウマウ団である。
植民地政府はこれを押さえられず、結局イギリス本国の軍隊を呼び寄せることになる。
このいわゆる「マウマウ戦争」は、1956年にマウマウ団の最高指導者デダン・キマジが逮捕されたのを機に終焉した。この戦争で、ケニア側には1万1千人以上の死者が出たが、イギリス側(白人)の死者はわずか32人であったそうだ。
イギリス軍によるほとんど一方的な虐殺(ジェノサイド)だったと思われる。
その後、ケニアは独立を果たすが、そもそも列強が勝手に引いた国境線で区切られた多くの部族を統合していくのは並大抵のことでは無かった。
イギリスは、ケニアを名目だけは独立したということにしておいて、間接支配するために様々な手段を採っただろう。
連中は、支配する民族の一部にあえて特権を与え、他部族を間接支配し、結果、部族同士を対立させることで自分たちに直接反抗してこないようにしてきた。アフリカの内戦のほとんど全てはそれが原因と言っていい。
ルワンダでもその手が使われた。
『4つの目で世の中を考える』→
http://310inkyo.jugem.jp/?eid=459
それを、まるでアフリカ人が野蛮だからジェノサイドやるかも…だとか、オレたち先進国が指導してやらなきゃ民主主義は定着しないんだとか、そういう欺瞞を撒き散らしている欧米人たちには、ほとほと我慢がならない。
そもそも、ジェノサイドはお前ら欧米人の専売特許だろう、と言いたくなる。
だが、日本のマスコミはすっかり欧米に手なづけられているので、ケニアの現状を、「2003年からの旱魃による食糧不足が背景にあるけど、もともとの部族同士の縄張り争いが激化したのだろうね…」くらいの浅い視点からしか報道しないだろう。
植民地時代の歴史をしっかり踏まえたうえできっちり報道して欲しいものである。
ところで、今日、このエントリーを書いていたら、こんなニュースがあるのに気付いた。
「先住民アボリジニの親子隔離政策、豪政府が公式謝罪へ」
オーストラリアでは先住民に対し、このような事が行われていた。
→
http://www.asyura2.com/0601/social3/msg/428.html
これを認めて謝罪する、という豪政府の動きは、大きな進歩と言っていいだろう(もちろんそれで許されるわけが無いほどエゲつない事をやってきたのであるが)。
これに匹敵するかそれ以上のエゲつない事を繰り返してきたイギリスは、しかし旧植民地に対して公式に「謝罪」など一切やったことは無い(むしろ、オレたちのおかげでお前らは文明化して発展できたんだ、感謝しろ…と思っている節がある)。
過去100年以上にわたって踏みにじられてきたケニアの人々に対し、イギリスは公式に謝罪し補償をするべきだろう。暴動の底流そもそもの原因となってきたイギリスがそのような行動を示せば、暴動なんぞおのずと終息するのではないだろうか。
※地図はこのサイトから
http://www.aquanotes.com/africa/kenya.html
by雅無乱日記