客席の年齢層の高いのが気になりました。どうもこの手の映画は若い人の受けが良くないらしい。
しかし、こういう映画こそ若い人に見てほしいと思うのですが。
親しみを込め、名前のあとに「べえ」をつけて呼び合うごく普通の家庭が、がんばってもがんばっても、時代に流されて崩壊して行きます。
昭和とは、そういう時代だったのです。
この映画の時代背景は、1940年から1941年。日中戦争が行き詰まり、日本がヒステリーを起こして真珠湾を攻撃する前年からです。
戦争をテーマにした映画では戦場が部隊になっているものが圧倒的に多く、「銃後」といわれる残された家庭の苦労は忘れられがちです。
山田洋次監督は、当時としてもごくごく普通の庶民生活に焦点を当てて描いてくれています。
今では信じられないでしょうけれど、ありふれた何でもない日常が、当たり前のように失われて行く時代だったのです。
このころは何から何まで戦争優先。戦争に反対する意見を押さえ込むために、「治安維持法」を全面改定、特に共産主義運動を抑圧するために、証拠がなくても、ただ疑わしいというだけで、極刑を科した時代でした。
ある日突然、貧しいながらも幸せな生活を送っていた野上家を、特高警察の土足が踏み込んできます。ドイツ文学者の「父(とう)べえ」が戦争に反対するような文章を書いたり発言することが、政府批判につながるというのです。
「父べえ」=野上滋を坂東三津五郎。
「父べえ」が警察に拘束されてから「母べえ」は、心やさしい人々に助けられながら、女手一つで子どもたちを守って行きます。
山田洋次監督が、吉永さんに断られたらこの映画はできなかった、と言いましたが、納得。今いる女優で、この役が演じられる女優さんは他にはまったく思い浮かびません。
「母べえ」に淡い恋心を秘めながら、家族を助けて行く「父べえ」の教え子の青年山崎徹を、浅野忠信が好演。実に「よい」です。
二人の子役、志田未来(しだ みらい:左)と佐藤未来(さとう みく:右)もむずかしい役回りを見事に演じきっていました。
とくに志田未来はテレビの「女王の教室」のときからいい子役だなあと思って注目していました。
野上家の住まいは、僕が子どもの頃すんでいた家と作りがそっくり。引き戸の玄関や竹垣が実によく似ていて、懐かしささえ感じました。
『三丁目の夕日』に負けず劣らず時代考証がすばらしく、山崎がポケットから出す岩波文庫が、今のものよりもサイズがやや縦長な菊判であるところまで似せて作っていたのにはびっくり、というより感激。
最後まできちんと冷静に見ようと思っていましたが、最後のシーンでとうとうこらえきれませんでした。
さすが山田洋次監督、脱帽です。
今年は始まったばかりですが、ぼくの「今年の映画ベスト5」に入ることは間違いなしです。
byひまわり博士