jyakeさんに誘われて行ってきました。
世界中から作品が集められ、それらの展示上映が行われているようなのですが、実は、予備知識ほぼなしで行ってきました。
■朝、10時起床。曇り。
メールでjyakeさんから「デジタルアートフェスティバル」のことを聞く。
ふと、二つ返事で行くことを了承。
で、11時から始まる、と。
間に合いませんでした。
■正午。
お台場付近に到着。
ノンストップの講演と聞き、休憩はなしか、と冷や汗。
世界中からの応募作を見て、笑ったり、冷静に観察したり、技術にやられたりしました。
世界は広い。
■午後2時。
1時間の休憩を得て、この時間から再開。
実のところ、食える所がほぼなかったため、jyakeさんに迷惑をかけつつ色々なところを見て回ってました。寒空の中を歩かせたのは、僕のミスです。
で、再開。
WEBで公開されている作品であるとか、2000年ころの新海誠氏の作品や1996年ころのロマノフ比嘉氏の作品などを見る。他にも、WEBで公開されている作品の中から、面白いものを取り上げている。
また、ちょっとした解説が付き、当時の時代背景を知ることが出来た。
――当時、とは平たく言うと相当前なのだが。
CGアニメーションというものが「黎明期」に突入したのが、およそ1986年ということで話が進められた。当時のパソコンのスペックは、おそらくはi8086級だっただろうし、メモリも何kb級だったはず。また、フロッピーディスクが保存媒体だったという話で、320kbぐらいが保存領域だったそうだ。
そこで、1コマずつ描画し(1コマのレンダリングも3分掛かったそうである)8mmフィルムでコマ撮りしていた、とのこと。根気の要る作業だ。
当時は描画ソフトなどなく、全てベクトルなどの計算によって出来上がっていたそうだ。
そして、「黎明期」の終わりを「someday,somegirl」という作品が告げたと。ロマノフ比嘉氏の活躍は大きい。
1995年ころから、現在でも活躍されているクリエイターの名前が見え始める。考えられるのは、マウスによる操作によって、計算だけではなく、感覚的に処理を入力できるようになってきたことだろう。
「卒業研究によって、文系でもパソコンを触る機会が増えてきた」とは解説員の方の言葉だが、パソコンの普及がCGアーティストの登場を促したと考えていいだろう。
時代が進むにつれ、技術は向上していく。
映像の演出面でも、表現可能な幅が飛躍的に広がっていった。
フィルターの登場や、3DCGの容易な導入などで実写合成が可能になっていき、また、複雑な構図を表現するにも容量の制約が無くなってきたことが大きい。
ADSLなどのブロードバンド時代が、WEB公開による動画ファイルのサイズ制限をある程度緩和した。
現在だと、何百MBの動画でも、ダウンロードは可能である(あまりやろうという気は起きないだろうが)。一昔前だと、GIF画像で何十kbでも一苦労だったのだから、このあたりの技術革新は発展に貢献している。
光になっていけば、それこそGB単位の動画でも、気にせず視聴できるようになるだろう。
■最後の危惧
締めくくりで語られていたことの一つに、来年の冒頭から一斉に発売されていく、個人レベルで制作していたアーティストたちの商業作品発売があった。
たとえば、士郎正宗氏原作の“ドミニオン”の映像化にロマノフ比嘉氏が挑む。それだけではない。新海誠氏と同時期に出てきた作家の作品がタイミングを計っていたように登場する。
もしも、これらの作品が一斉にこけたとしたら……。
そうすると、たった一人だけが「たまたま売れた」という評価になってしまうかもしれない。それが危惧されていることである。
どれか一作品、あるいは二作品が売れてさえくれれば、個人製作アーティストはこれからも生きていくことが出来るだろう。
8000本売れれば「よく売れた」部類になるというテレビアニメに対して、個人製作アニメ(あるいは実写?)がどこまで食い下がっていくのか、あるいは超えていくのかが見所である。
日本の映像技術、映像作家の新しい登場シーンが見られるかもしれない。

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