2008/12/31

『アンダーカヴァー』  映画

いまのアメリカ映画界きっての真の実力派監督と言われるジェームズ・グレイ監督の3作め。
まあ、『つぐない』の記事で「アメリカ映画はちょっと苦手」なんて書いてしまった自分にはこの監督の映画について語る資格がないような気もしますが・・(笑)。
そうした僕個人のこととは関係なく、これは文句なしの圧倒的な傑作です。

冒頭から、音響が凄すぎる。明らかに、ドラマ的な兄と弟のキャラクターの対立というのを反映しているものなのだろうけど、効果音と音楽をぶつけるゾクゾク感はちょっとなかなか味わえないもの。万田邦敏監督の『接吻』でも、変な効果音みたいなのを入れることで(それもさりげない入れ方のもので、普通に見ていると気がつかないぐらいの感じで、ある種のバックミュージックみたいに「効果音」を入れるという手法)心理的な怖さを醸し出しているようなところがあったけれども、ジェームズ・グレイ監督は万田監督以上に、もっと細かいことをいろいろ音響に関してたぶんやっているのではないかと思う。

あまりにやっていることがさりげなくて、観客が見逃す(聞き落とす)ところも多いんじゃないかと思えるので、もっとサービスしてもいいんじゃないか・・と思うぐらいなのだけど、あくまでもさりげなく・・というのがこの監督の凄さ・・というのか、渋さなのだろうか?

それにしても、後でパンフレットを読んで知ったのだが、あの雨がCGだとは驚いた。ショーン・ペンの『イントゥ・ザ・ワイルド』もそうだけど、CGでもほんとに見ている側がCGだということすら分からないような、実に凝ったCGの使い方をするようになってきているようだ・・。

話(ストーリー)的には、グレイ監督自身、好きだと広言されているけれども、ジェームズ・グレイ監督の作品はルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』を思い出させる。題材的には警察ものといういかにもアメリカ的なものだけど、ストーリーの基本線はアメリカ映画というよりヴィスコンティだな・・と思うんだけど、どうでしょうか?
しかし、そういう意味では、グレイ監督の前の作品『リトル・オデッサ』『裏切り者』は母親のイメージが強くて、もっとモロに『若者のすべて』のイメージだったんだけど、今度の作品は母親が亡くなっているという話でした。でも、たぶんそこが描かれていないバックストーリーで、兄と弟との葛藤というのか、違いには、生前の母親との関係を巡るものがあったのではないだろうか?と想像します。
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2008/12/23

『つぐない』  映画

『つぐない』。新橋文化で。
なんでこれを今頃、名画座まで見に行ったのかと言うと、ある知人から「絶対、kusukusuさんが好きそうな話だから、見ておいたほうがいいのでは?」と言われたからで、ふーん、僕が好きそうな話(と他人が思う話)というのはどういうものなんだろうか?と思って、見に行ったのだが。
前半、今時、珍しいようなメロドラマの話が続き、こういうメロドラマが僕好みってことなのかなーと思って見ていたのだが、途中から映画の雰囲気が変わり、どうもそれだけではなかったことに気付く。これって、時制の処理の凝り方とか、ちょっと思わせぶりな映像(特に水とか炎、明かりなどに妙にこだわっている感じ)とか、いわばタルコフスキー映画の通俗版みたいな感じじゃないか・・。そう、僕は実は根はアメリカ映画とかはちょっと苦手でタルコフスキーの映画とかが大好きな人間なわけだけど、僕にこの映画をすすめた知人はどうもそういう意味ですすめたようなのだ・・。もっとも、僕の周囲にはアメリカ映画が好きというのか、映画はハリウッドみたいに思っている人が多かったものだから、ほんとはアメリカ映画とかはちょっと苦手でタルコフスキーが好きだなんてことを言ったりしたらお前はスジが悪いとか分かっていないとか罵倒されそうな感じだったからタルコフスキーが好きだなんてことはあまり言わないようになっていって、とりあえずゴダールが好きだと言っておけば間違いないだろうとばかりに好きなのはゴダールと言ってきた次第なのだが(笑)、その知人は僕がほんとはタルコフスキーとかが好きなスジが悪い映画の趣味の人間であることなんかはお見通しだったようだ・・。参ったな。

ちょっと映画そのものの話から脱線しているようだけど、映画そのものはどうだったのかと言うと、中盤のスティディカムを使った戦場のシーンが抜群に面白かった。それまでのメロドラマタッチの展開はそうか、そうかという感じで、ラストのオチもなるほどとは思ったけど「なるほど」以上のものではない気がしたのだけど、中盤のスティディカムを使ったシーンは、ほんとに物語が崩れていく感じでぞくぞくした。これだけでも見て良かった。
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2008/12/17

2008年に見た映画ベストテン  映画

まだ半月、あるけど、発表。

『斑女』中村登監督 1961年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1319.html

『まぶしい日に』パク・クァンス監督 2007年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1338.html

『ハックル』パールフィ・ジョルジ監督 2002年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1362.html

『抱擁』マキノ雅弘監督 1953年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1367.html

『愛する時と死する時』ダグラス・サーク監督 1958年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1410.html

『地球でいちばん幸せな場所』ステファン・ゴーガー監督 2007年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1415.html

『言えない秘密』ジェイ・チョウ監督 2007年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1426.html

『三重スパイ』エリック・ロメール監督 2003年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1434.html

『アンナと過ごした4日間』イエジー・スコリモフスキ監督 2008年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1454.html

『未来を写した子どもたち』ザナ・ブリスキ、ロス・カウフマン監督 2004年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1466.html

今年も、様々な、いい映画をたくさん見れました。
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2008/12/17

『ONCE ダブリンの街角で』  映画

見損ねていた昨年の評判作を今頃、上野スタームービーという名画座で鑑賞。
DVDにもなっているんだろうけど、この映画のファンでDVDを購入したらしい友人が「DVD版は、歌詞に字幕がない」と怒っていたので、名画座で見る機会を待っていたのだ。

面白かった。役名とかもなく、ある「男」とある「女」みたいな感じで、昔の映画の『ジョンとメリー』とか、ちょっと思い出しました。それが「歌」とリンクしているんだな。歌の歌詞って、「彼」とか「お前」とか、名前がなくて匿名性の上に成り立っているものが多いですから。こういう風に歌謡ロック(?)みたいな世界を、ダラダラした撮り方でストリートを撮っていく話とリンクさせていく作り方があったか・・と思いました。痺れる。
(しかし、この映画の「DVD版は、歌詞に字幕がない」というのは本当なんだろうか・・。これ、歌詞がストーリーにリンクしていて極めて重要な作品だと思うんだけど・・。うーむ、これのDVDを作った人は何を考えているの???)

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2008/12/13

『ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢』  映画

本場ブロードウェイのミュージカル「コーラスライン」のオーディションを追いかけたドキュメンタリー・・と聞いただけで、うわ、それは面白そう・・と思うし、実際、面白いものではあるのだけど、その「企画」以上の面白さはなかったような・・。
うーん、こんなにすごく面白い題材なのに何かが足りない。何が足りないんだろう?と考えてしまいました。
結局、企画というか、題材に頼りすぎで、それ以上の掘りさげがないのでは? たとえば、オーディション風景を追うだけでなく、オーディションに参加している人達のひとりひとりの日常生活をもっと追いかけて、そしてどういう人がどうしてこの役を目指しているのか・・というのを掘り下げていっても良かったのでは・・。そこらへんがよく分からないから、なんとなくイメージ的に漠然と「コーラスライン」の舞台と、現実のオーディションとが重なる・・というばかりで、逆にそれならそれこそホントのドラマとしての「コーラスライン」を見ているのと変わらなくなってしまうわけで、ドキュメンタリーとしてこうしたものを見ている意味がなくなってしまうのでは・・。
ドキュメンタリーは、ドラマとは違うことをやれるからこそ意義があるのだと思う。逆に、ドラマはドキュメンタリーとは違うことをやるから意義があるのだとも言えるが・・。ドラマとドキュメンタリーにどっちが優位かということはないんだと思う。ドキュメンタリーはドキュメンタリーだからこそやれることをとことんやり、ドラマはドラマだからこそやれることをとことんやればいいのではないだろうか・・(とりあえずの仮説ですけど・・)。
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2008/12/6

『青い鳥』  映画

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妙に作品のタッチと印象が『山桜』に似ているな・・と思って見ていたら、『山桜』と同じ脚本家(飯田健三郎、長谷川康夫)だった。しかも、監督の中西健二は『山桜』の篠原哲雄監督の『深呼吸の必要』『地下鉄に乗って』の助監督をやった人・・。
それにしても、『山桜』でもラストに歌を延々と流すのに、ええっと思ったが、この『青い鳥』でも冒頭とラストに歌が延々と・・。これ、商業的なタイアップとかのためというのではなくて、作り手の趣味なんだろうか・・。よく分からない趣味だな。はっきり言って、両作品とも、これがなければどれだけ作品の印象があがったことか・・。
この点はマイナスというのか、不可解な気がするぐらいだけど、でもそこを差し引いても十分に興味深い作品ではある。
何より、吃音の教師を演じる阿部寛が、イーストウッドの『許されざる者』ばりに「忘れることを許さない者」としてストレンジャーとしてやってくる・・という点が、これは実は和製西部劇なのでは!?とふと思わせるようなあたりにこれはなんなのだろうかと。つい、イーストウッドなんて書いたけど、実際、ジャケットを身にまとった阿部寛の佇まいはどことなくイーストウッドを思わせる。これが作り手が意識したものなのかどうかは分からない。(いや、実際にこの作り手の人達がイーストウッドのファンで意識していたとしてもちっとも不思議ではないが。しかし、そうすると、『山桜』は『マディソン郡の橋』の時代劇版という意識だったのだろうか?)
そして、このようにイーストウッドを想起させるのは、結局、なぜこの教師が「許さない者」なのか、その理由は一切、示されないということからも来ているのではないだろうか? 教師はただ吃音だということだけが示される。佇まいとか、吃音とか、歩き方とか、そういうものが示されれば「映画」はいいのであって、「理由」などはいらないのだ・・というのが作り手の考えなのだろうか? もしこの僕の見方が、思い違いではなく当たっていたのだとしたら、実は僕はこうした作り方には賛同しないのだけれども・・(ここまで書いておいてこう言うのもなんだけど)。
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2008/12/3

『未来を写した子どもたち』についてもう少し・・  映画

一昨日、書いたものがさすがにちょっと観念的な話みたいで、これでは具体的にどういう映画なのか、全然、分からないかも・・という気がしてきたので、もう少し、書くと・・

この映画って、小さなデジタルビデオカメラでおそらく撮影しているんだと思うんだけど、そういう小さなカメラの親近性というのを最大限に効果的に活用している作品なのではないだろうか?

さらに、作り手自身がしている「運動」自体の記録みたいになっているのも凄いなと・・。
もっとも、あまりに「運動」の映画だから、ある意味、押し付けがましいとも言えるようなことをやってしまっている作品なのかもしれないけど、しかし、2人でつくっているので、その点もひとつ、客観性が保たれているように思う。
というのは、『ミリキタニの猫』という映画があったけど、あれも興味深い内容のものではあったんだけど、やっぱり作り手がひとりで全部、やっているからちょっと押し付けがましいものなのかな?という気がするところがあったので・・。
『未来を写した子どもたち』は、運動している女性カメラマン自身が作り手だけど、もうひとり、共同でつくっている人がいて、2人の共作だから、その点、押し付けがましさから一歩、引いた地点で成立している作品になっているのではないかと・・。「共作」ってうまくいかないこともあるけど、これはうまくいっているケースのような気がする。
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2008/12/1

『未来を写した子どもたち』  映画

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これはまた奇跡のような珠玉作。
ほとんど「作品」というより「運動」みたいなものなのかもしれないが、ドキュメンタリーってそういうものなのでは。いや、ドキュメンタリーに限らず、「映画」ってそういうものなのかも。映画は芸術か?娯楽か?なんていう問いがあるけど、実は映画とは芸術でもなければ娯楽でもないのかもしれない。では、何なのか?というと、世界そのもの、人間の社会活動そのものと言っていいものなのかもしれない。だから、完成度の高い「作品」ではなく、「映画=世界」みたいなものを達成できればいいのだと言えるのではないか?
だから、「作品」至上主義である必要などはなくて、ひたすら「人類」(「人類」というのはちょっと大袈裟なので「人間」と言ったほうがいいのかもしれないが)至上主義でありさえすればいいのではないだろうか?
具体的には、子供たちの笑顔があれば、それでいいのだ・・と思う。
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