2009/6/27

臓器移植法「改正」をめぐって(新聞案内人 鷲田清一氏)  公害・薬害・環境・医療問題

*以下、「新聞案内人」より

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090626COK00327.html

2009年06月26日
鷲田 清一 大阪大学総長、哲学者
臓器移植法「改正」をめぐって

 臓器移植法の改正が、衆議院で採決された。委員会での議論は9時間にも満たないものだったと聞く。あまりにも大きな問題がここには含まれており、ここで許される紙幅ではその全体について一つ一つ論じることはできないが、現時点でとにかく確認しておかねばならないと思われる点についてのみ記しておきたい。
 今回改正されたのは、11年半前に採択された臓器移植法である。これはその3年後に「見直し」をするとしていたが、じつはその後現在までたなざらしにされてきたものである。その問題性については最後に書く。
 今回の改正点でもっとも重要なことは、まず、「死の定義」が変更されたことである。現行法では、本人と家族の両方の同意があるときにかぎり、脳死となった人を死者とみなし、臓器を摘出できるとしている。これはつまり、移植を前提としたときのみ脳死は人の死とされるとするものである。しかも15歳未満の子どもからは臓器摘出できない。今回それが「改正」された。一律に「脳死を人の死とみなす」とされたのである。
 こうした「改正」を待望する背景には、移植待機患者をどのようにしたら解消できるかという問題がある。小児の場合には、現在のところ海外での渡航移植しか手がないということもその背後にある。臓器提供の条件の緩和ということが、現行法改正の主眼点になっているのには、こうした差し迫った事情がある。
 これに対して「改正」に慎重である人たち、あるいは反対する人たちが深く危惧するのは、技術的な問題と「そもそも」の問題とである。
 技術的な問題というのは、小児にはしばしば長期脳死というケースも見受けられ、じっさいの脳死判定がきわめて難しいということである。これに論理的な問題をもつけ加えるならば、仮にもし小児についても精確な脳死判定の方法が確立したとしても、それはあくまで「脳死状態」の確定にすぎず、それで「死」であるかどうかは別の問題である。
 さらにここからは、技術的な問題を超えて次のような問題も出てくる。昨日まで元気だった小児が、事故や病気で突然、脳死状態になった場合に、はたしてその家族に冷静で沈着な判断ができるのかという、これまた大きな問題である。
 
 「そもそも」の問題というのは、他の患者からの臓器提供を期待する、つまりは他者の「死」を前提とするような医療が、そもそも医療として適切なものかどうかという問題である。じっさい、わが国の難病、心臓病、人工透析患者を救うには、それに見合う怖ろしい数の脳死者が必要となる。が、ほんとうは交通事故の防止対策と、より充実した救急医療体制の確立によって、そうした脳死者の増加を(待望するのではなく)防ぐのも、わたしたちの社会に迫られたもう一つの課題であるはずである。
 このように、一方には、なんとしてもこの人、この子のいのちを救いたいという、待ったなしの切なる要請がある。他方には、なんとしてもこの人、この子の死を、十分納得したうえで認めたいという思いがある。あるいは、納得できないまま、長期脳死状態にいる人の傍らで懸命に生きている家族の姿がある。臓器移植が医療の課題であるとしたら、それはそもそもこうした二律背反に引き裂かれざるをえないものである。
 いいかえると、それらは両立しがたい要請である。それはまず、「時間がない」と「時間が要る」との背反だからである。それはまた、たんなる臓器の問題ではなく、いずれもたがいの要請に反するかたちで「だれ」という名をもったかけがえのない存在を(それぞれ反対方向から)護ろうとしているからである。
 臓器移植という先端医療は、このように二つの生命のどちらかを二者択一しなければならない状況を生みだしている。あるいは、「人としての幸福」への希求と、「人としての尊厳」という倫理的要請とがここでは二者択一という対立関係に入っている、と言い換えてもよい。
 臓器移植法改正の前と後にある二つの重大な問題を、次に指摘しておきたい。
 まず事後の問題として危ぶまれるのは、これにより脳死が一律に人の死とみなされることによって、今後、移植を前提にしない治療でも脳死判定し、死亡宣告できるという事態が起こりうるということである。人の死が法律によって規定されることによって、本来、こうした医療従事者のうちにあるはずのジレンマが解消されてしまわないかということを、わたしは怖れる。
 つまり、「このことで、失われゆくひとつの命が救われるのだからやむをえず」という、脳死者の臓器を待望してしまうまさにその苦渋がしだいに薄まり、「法律に則っているのだから問題はない」というふうに、その苦渋が免除され、「人としての尊厳」に無感覚になってしまいかねないということである。法律化されることによって、もやもやした倫理的な責めの意識が医療従事者からすっきり免除されることのほうを、わたしは怖れる。
 
 次に事前の問題としてわたしが指摘しておきたいのは、今回の衆議院での議論においては、現行法が制定されるまでの賛否両論の長い困難な議論が、十分に検証もしくは参照されなかったことである。これまで10年近く、現行法の「見直し」は放置されてきた。これが決定的な問題であろうと思う。
 この議論には、そもそも先にふれたような二律背反が含まれているかぎり、全員が同意できる「正解」はありえない。ありうるとしたら、それは「納得」と言うしかないものである。
 例としては適切ではないかもしれないが、家裁の調停員をかつてやっていた知人の経験によれば、たとえば離婚の調停において、双方がそれぞれの言い分をとことんぶつけあって、「もう万策尽きた」「もうあきらめた」と観念したとき、まさにそのときにかろうじて話し合いの道が開けるのだという。訴えあいのプロセス、議論のプロセスが尽くされてはじめて開けてくる道がある、と。「正解」がここに下りてくるというのではない。「理解できないけれど納得はできる」「解決にはならないけれど納得はできる」という事態が生まれるということである。
 「納得」ということは、果てしのない議論からどちらも最後まで降りなかった、逃げなかったということの確認のあとにしか、生まれてこない。長くて苦しい議論、譲れない主張の応酬の果てに、そんな苦しいなかで双方が最後まで議論の土俵から下りなかったことにふと思いが及ぶ瞬間に、はじめて相手に歩み寄り、相手の内なる疼きをほんとうに聴くことができるようになる。
 そういう「納得」をもたらすはずの時間、あるいはもたらすことに通じる時間を削除してきた。これがこのたびの「改正」に到るまでの、衆議院議員のみならず、わたしたち全員の、ほんとうの怠慢であったのではないだろうか。
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2009/6/25

『マン・オン・ワイヤー』  映画

山田宏一氏が言うように、この映画の「信じがたい面白さ」はまず「スパイダーマンが本当にいたというおどろき」から来るのかもしれない。つまりは、ドキュメンタリーとしての真実性の凄さ・・ということであるのだけれども、実はこの作品はけっこう再現して作っているシーンも多いし、純粋なドキュメンタリー作品(まあ、厳密には「純粋なドキュメンタリー」なんてあるのか?という議論はひとまず置いておいて)というより事実をベースにしたノンフィクション作品・・とでも言うべきなのかもしれない。と書くと、テレビでよくある世界びっくり映像みたいな類いのものか?と思われる方もいるかもしれないし、実際、あのワールドトレードセンターがまだあった1974年に、なんと高さ400メートル以上あるツインタワーの2つのビルの間にワイヤーを引いて綱渡りで渡ろうとしたフランスの綱渡り芸人の話・・ということを聞けば、よくあるテレビの「びっくり映像」の延長のような映画か?とついイメージしてしまうのはさけられないことなのかもしれない。が、この映画はそうしたテレビの映像とは似て否なるものだと思う。アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を始め、数々の賞に輝いたのは決して題材の面白さだけによるのではなく、何より映像、映画作品としての素晴らしさによるのだと思う。それは実際に残されていた映像だけでなく、再現の映像のつくり方の巧みさにもよる。そう、再現の映像が、テレビによくあるちゃっちなものと違うのだ。かといって莫大な予算をかけているとか、そういうことではなくて、なんていうか、詩的なのだ。たとえば、人物の影・・などでサスペンスを語るシーン。このシーンはモノクロ映像ということもあり、ちょっと昔の映画を、それこそ、ドライヤーの映画(『吸血鬼』とか)でも見ているような感触のもの。ドキュメンタリーでこういう詩的な「再現」映像が味わえるとは映画を見るまで予期していなかった人が多いのではないか? そして、これが、実際に撮りためていた映像、インタビュー映像などの内容ともぴったり合っているのだ。つまり、この突拍子もない綱渡りの芸人、フィリップ・プティとその周囲に集まった人達の人柄や、当時の彼らを写した70年代を思わせる数々の映像や、そしてワールドトレードセンターで綱渡りをした時の記録映像(写真など)が・・詩的な世界にマッチしていて、詩的なおとぎ話のような世界を形造っているのだ。そう、これは詩的なおとぎ話のような夢を抱き続け、詩的なおとぎ話のような人生を生きた男を描いた、詩的なおとぎ話のようなドキュメンタリー。もちろん、ドキュメンタリーならではというのか、その真実性の凄さは衝撃的ではあるのだけれども、衝撃的に真実を暴いている映画というより、まるでおとぎ話のようなドキュメンタリー。(ああ、それにしても、「おとぎ話のようなドキュメンタリー」なんて言い方が出来るようなドキュメンタリーがあるとは・・。)だから、「再現」映像も、まったく「再現」であることが気にもならない、それ以上にその映像にうっとりと見とれてしまう、極上の夢のようなドキュメンタリー映画。だから、山田宏一氏が言うように・・本当に「信じがたい」ほど「面白い」のだ。

追記
なお、一部、引用している山田宏一氏の文章は下記で読める。
『あとのまつり』(瀬田なつき監督)も山田宏一氏が絶賛していますよ。

http://cgrandprix.blog42.fc2.com/

このリンク先は6月30日まで無料公開。(以降は有料になるみたい。)
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2009/6/23

無実の人の多くが「自白」させられている(新聞案内人 田中早苗弁護士)  時事問題

*以下は新聞案内人より
http://allatanys.jp/B001/UGC0200047.html

新聞案内人 田中早苗弁護士
2009年06月22日

○「自白」部分だけでは役に立たない
 栃木県足利市で1990年、4歳の女児が殺害された「足利事件」。逮捕され、17年半ぶりに釈放された菅家利和さんが、佐藤博史弁護士とともに6月11日、日弁連を訪ね、当時の取り調べ状況や菅谷さんの近況を報告した。
 菅谷さんは当面、帰る場所がなく、佐藤弁護士の自宅に身を寄せている。賠償金が支払われる予定はあるものの、当面の生活費がないため、生活保護の受給手続きをとるかなど、喜びもつかの間、生活問題に直面しているという。
 また、菅家さんがトイレに行って手を洗うにしても、ひねる蛇口が見つからず戸惑う(つまり、手をかざせば自動的に水がでる洗面所を見たことがないから)など、まるで浦島太郎と同じだという。本当に17年半の歳月は重く、過酷で、冤罪は絶対あってはならないと改めて感じた日だった。
 今回、菅家さんが釈放となったのは、精度の上がった技術によりDNAの再鑑定が行われ、検察・弁護側双方とも菅家さんのDNA型と犯行現場のそれとは不一致という結果が出たからだ。

○無実の人の多くが「自白」させられている
 アメリカでも、DNA鑑定の精度が高まったことから無実が明らかになった事例がある。その数は、なんと2008年までに計237人。そのうち133人が死刑判決の後に冤罪が明らかになっている。
 そして、さらに驚くことは、これら無実が証明された人々の中には罪を認める自白をしている人たちが多数いるということだ。アメリカの研究者スティーヴン・A・ドリズィン氏らは、そういったケースを分析し、どうして自白をしてしまったのか研究している。研究結果は「なぜ無実の人が自白するのか――DNA鑑定は告発する」という題名で、日本評論社からも翻訳本が出版されている。
 この論文では、捜査官に誘導されて虚偽自白をしてしまったことが判明している125の最近の事例を分析している。興味深いのは、それらの自白の80%以上は重大犯罪である殺人事件に関するものであったことだ。
 つまり、虚偽自白がもっとも重要でかつ重い刑に処される事例に集中する傾向があるというのだ。論文は、重大事件は事件解決に向けた警察に対する圧力が大きいために、虚偽自白――虚偽自白に基づいた誤判も――が生じやすいことを裏づけるものだという。
 足利事件でも、90年5月の遺体発見から、栃木県警は捜査員200人体制で臨んだが、決め手はなく、容疑者を絞り込めなかった。市民から「刑事は寝るな」という手紙が届き、過労から2人が「殉職」した。
 約半年後、巡回中の巡査部長が、週末だけ借家で暮らす菅家さんに不審を抱き、以降、県警は菅家さんをマークし1年間尾行したが、不審な行動はなかったという(5日付け毎日)。
 つまり、当時の警察がどれだけこの事件の解決に執念を燃やして、非常に焦っていて、その圧力が、警察の菅家さんに対する威圧的な取り調べとつながっていったことが推測できる。

○「やってない」の叫びを聞いてもらえない
 実際、菅家さんは髪の毛を引っ張られたり、け飛ばされたりしたそうだ。刑事の取り調べが厳しく、「白状しろ」「早くしゃべって楽になれ」と言われ、どうしようもなくなって自分がやったと言ってしまったと説明している(5日付け朝日)。
 また、上記アメリカの研究は心理的な捜査についても論及している。
 「警察は、不利益な証拠が圧倒的であるためにその運命が(自白しようとしまいと)確定していること、そして自白をすればそれに伴う利益があると信じ込ませることによって、自白するという決定を引き出す。」という。
 足利事件でも、体液のDNA鑑定結果などを示され、取り調べが始まって約13時間たった午後9時頃、菅家さんは「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった。刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」といい、その後、容疑を認めている(8日付け読売)。
 このように警察の取り調べは、菅家さんをして、何を言っても信じてもらえない、有罪という運命は変えられないのだということを認識させ、あきらめの心境にさせている点で効果的な心理的捜査だったといえる。

○「裁判員制度」機に全面可視化急げ
 今まで日本の裁判では、自白の信用性を判断するために取調官らの証人尋問などを長時間かけて行ってきた。しかし、これからの裁判員裁判では、迅速な裁判が求められるので、最近、裁判員の対象事件で、容疑者が自白した部分に限って録音・録画を実施するようになった。
 しかし、自白した部分だけなので、被疑者が否認から自白に転じたとされる場面は、録画されない。つまり、菅家さんのような事件では、まったく役に立たないのだ。
 菅家さんが言うように、取り調べの全過程を録音・録画し、捜査過程を全面可視化するしか、威圧的な取り調べはなくならない。また、迅速な裁判員裁判という要請に応えるためにも、全面可視化は必要だ。
 2008年10月、国連自由権規約委員会は、日本の捜査機関に対して、日本の被疑者取り調べのあり方を抜本的に変えるため、取り調べの最初から最後までを録音・録画することを実現し、取調べ時間の制限を設けよ、という勧告を出している。
 新聞報道も、足利事件を機に、捜査過程の全面可視化の問題について、もっと光を当ててもらいたい。


*以下、kusukusu記
今日の「クローズアップ現代」でも足利事件について放送していたが、「なんでやっていないのに自白してしまったんだろう?」とつい思ってしまうのであるが、アメリカでもDNA鑑定の精度が高まったことによりこれだけ「嘘の自白」が明らかになったのだとすると、やはり自白というものの信憑性についてもっと疑いの目を持たないといけないのかな?と思う。
自分はそういう状況に置かれたことがないから分からないのであって、実際に密室で取り調べを受けている状況になると、とにかくこの状況から逃れるために「嘘の自白」でもしてしまう・・という心理状態になってしまうということがあるようであり、そういったことについてもっと想像力を持たないといけないのかもしれない。
また、刑事が暴力をふるう、つまり拷問のようなこともあるとも聞く。今日の「クローズアップ現代」では足利事件の取り調べでは拷問があったのか?までははっきり描かれていないようだったけれども。そういえば、先日、吉展ちゃん事件を解決に導く刑事の話のドラマをテレビでやっていて、つい途中からだけど見てしまったのだけど、ドラマでは感動的なのだったが、実際にはもっと拷問のようなこともあったのだろうか・・。
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2009/6/23

イラン選挙について続報  イスラエルとパレスチナ、中東

イラン選挙について前記事のように書いていたが、イランの「護憲評議会」が全国366地区のうち50地区で投票数が有権者を上回る不正があったことを認めたとの続報。たしかにそりゃ、めちゃくちゃな話で、それだけの大規模な不正があったのだとするときちんとした選挙だったのかどうか、正当性が疑われるのも仕方がない気がしてきた。それでもアフマディネジャッドが勝っていたのには違いがないので・・ということですむ規模のものではたしかにない。
ううむ、しかし、そうは言っても、このまま再選挙を要求するデモを繰り返したとしても、政府側が再選挙に応じるわけはないし、デモを弾圧してさらに犠牲者数を増やすばかりではないだろうか・・。それがいいやり方だとも思えないし・・。
やっぱり、いったんアフマディネジャッド政権を認めてその後に国会での追及や裁判などで不正の実態を追及していく・・しかないのではないだろうか? なるべく流血を回避したやり方でそういう追及が出来ないものなのか?と思う。
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2009/6/20

イラン、デモ中止の報に少しほっとする  イスラエルとパレスチナ、中東

*イランでデモ中止との報道。イランで内紛にでも発展したらたいへん・・と思っていたので、ひとまずほっとしています。
前にも書いたけど、ある程度、不正があったのだとしても、あれだけの大差でアフマディネジャッドが勝ったのだから、まさか、不正を除いたらひっくり返る結果になる・・とは考えにくいのですが・・。なんだかんだいっても、世界が思っている以上にアフマディネジャッドに対するイラン国民の支持は強いのだということなのではないのでしょうか?(ある意味、世界的に孤立すればするほど、逆に国民の支持が強まっている面があるのかもしれません。)それに対して外国からどうこう言うのはやはり内政干渉ではないでしょうか?
(というか、僕は、今回の騒動は西側の陰謀なんじゃないか!?という思いが頭からやっぱり消せないんですけど・・。)
まあ、そういう「陰謀論」が当たっているのかどうかはともかくとしても・・、不正だって抗議するなら、やはりきちんと証拠を出して追及しなければいけないのではないでしょうか? おかしい、こんなに票に大差がつくわけがない・・という印象だけで言うんだったら説得力がないと思いますよ。物証も示さずに抗議して、それで再選挙なんてしたりしたら、今度はアフマディネジャッドを支持して票を入れた人達がふざけるなって思うのは当然なのではないでしょうか?
いずれにしろ、暴力とか、内紛みたいなことではなくて、両陣営が話し合いをして解決して欲しいものだと思います。

(ニュース)
ハメネイ師の一声で、イラン改革派のデモ中止!?

国営イラン放送によると、大統領選の結果をめぐり混乱が深まっているイランで、20日に無許可の大規模デモを首都テヘランで計画していたハタミ前大統領を支えた改革派の政治組織闘う聖職者たちは、デモを中止すると発表した。

最高指導者ハメネイ師は19日、公式にデモ中止を要求しており、デモを強行した場合には当局側が強制手段による鎮圧を図るとみられ、市内では緊張が高まっていた。
一方で最終的な選挙管理権を持つ護憲評議会が20日、選挙に不正があったと訴える改革派のムサビ元首相ら3候補と協議した。

デモへのハタミ師やムサビ氏の参加が注目されていたが、ムサビ氏の陣営は「本人やハタミ師が参加する予定はない」と言明。
別の改革派候補カルビ元国会議長の陣営は、デモは中止されていないとロイター通信に語っており、一部がデモを行う可能性も残っている。【共同】
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2009/6/20

臓器移植法改正案、石破茂議員の見解(ブログより)  公害・薬害・環境・医療問題

あと、今回、意外な議員が「臓器移植法改正案」のA案に反対票を投じているように思ったのだけど、そのひとり、石破茂議員がブログで書いていることがけっこう読ませます。

http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-c5f8.html

「臓器移植法の一部を改正する法律案は、中山太郎議員提出のA案が予想以上の賛成で可決されました。
 中山先生は私のもっとも尊敬する政治家のお一人ですが、私自身は、これが最善とはいえないもののD案を支持しており(A案の可決により採決には付されませんでしたが)、A案には反対票を投じました。
 理由は以下の通りです。
・ 個人的に、脳死を一律に法律上の人の死とすることには納得できない部分があるため、A案には賛同できませんでした。
・ 脳死認定を含め、臓器移植に対して慎重を期すというC案のスタンスには同意しますが、結果として移植医療が後退してしまっては、このタイミングで法改正をする意味がなくなってしまうため、C案も賛同し得ません。
・ 残る2案のうち、B案の12歳への引き下げは同意できますが、親族への優先事項については機会の平等が与えられないのではないかとの思いがあります。
・ D案は、15歳未満の本人の意思が不明の時に家族の意思で臓器提供を可能とするもので、現行法よりは門戸が広がること、また提供について虐待等の有無等につき医師の適切な関与と確認が義務づけられていること、そして今後3年をメドに見直しを行う規定があることから、今後のさらなる真摯な議論を前提としていること、などにより、最善ではなくても現時点では最良の選択肢ではないかと判断しました。
 私個人としては、今後の課題として、以下のような点につき国民的議論を経た上で方向性と施策を決定すべきと考えています。
・ 移植医療はあくまでも人の善意に基づくものであるので、法律の要件に頼るのではなく、国民の理解を広げる努力を医療界あげて行うべきこと(その意味では、現行法でもドナーが広がる可能性は十二分にあったと考えています)
・ 特にドナーカードについては、そのあり方(現在のものではいかにも安っぽく、公的かつ重要な意思の表明と思えないでしょう)、周知の不足、ドナーカード自体の項目の適否(カード自体は本人の意思確認のためのものであり、そこに家族の同意欄は本当に必要でしょうか)などを含め、徹底的に見直し早期に成案を得るべきこと
・ 医学上の死と法的な死をきちんと整理すること(「脳死」のとらえ方についてもあまりにさまざまであり、また人の死はさまざまな権利義務関係の発生・終焉の契機でもあります)
・ 本人の意思を重要視していくとの方向性の中で、尊厳ある死期の選択ということについてもきちんと議論を進めるべきこと
・ C案には入っていた生体移植についての規定、売買禁止の範囲等についても法制化すべきかにつき議論を進めるべきこと
今後、参議院でも活発な審議がなされ、議論が深まっていくことを期待しています。」

珍しく(?)石破氏の意見にちょっと納得。(全面的に支持するわけではないですが・・。)
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2009/6/20

臓器移植法改正案、参議院有志議員の対案の概要判明  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
15歳未満の臓器提供認めず、参院有志案の概要判明
6月20日18時40分配信
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2009/6/20

パキスタンで数十万人が大虐殺、餓死寸前  ニュース

(ニュース)
パキスタン:スワート地区 大虐殺、餓死寸前、数十万人閉じこめられ−−避難民が証言
 ◇「動くもの、すべて標的」

 【ベシャン(パキスタン北西辺境州)栗田慎一】「撃つな」を示す白旗を掲げた乗用車が、パキスタン北部の山間の町ベシャンに押し寄せている。激しい戦闘が続く北西辺境州スワート地区マタから決死の思いで逃れてきた人たちだ。「数十万人が戦闘地域に閉じ込められている」「市民ばかりが死んでいる」と証言し、「政府軍も武装勢力も市民の命を無視している」と訴えた。和平協定破棄で始まった同地区での戦闘は18日で1カ月半。住民は怒りと絶望感を深めている。

 「スワートではジェノサイド(大虐殺)が起きている」。17日、自宅から約50キロのベシャンに約10時間かけてたどり着いた男性(26)は声を震わせた。

 男性はスワートの主要都市ミンゴラの北にあるマタから来た。政府軍が人口約60万人のマタ全域に外出禁止令を出しているため、15日深夜に村人5人でひそかに徒歩で出発。6時間かけて山を越え、ベシャンへ向かう乗用車に飛び乗った。

 峡谷を縫う悪路の約4時間は、政府軍と武装勢力の双方から攻撃される恐れがある。このため、地域住民たちは乗用車に白旗を掲げているのだ。

 男性は「牛のエサの草を刈るため外に出たいとこが射殺された。隣の家は3日前に爆撃され、6歳と4歳の男の子が死んだ」と訴えた。マタでは戦闘開始から水も電気も電話も止まったままで、「家族7人は餓死寸前」と語り、食料を買い込んで自宅に戻ると言った。

 政府は5月4日に掃討作戦を開始するにあたり、スワート地区住民に避難勧告を出したとしている。しかし、ベシャンに逃れたマタの住民たちは、「戦闘は突然始まった」と口をそろえた。

 大量の食料をワゴン車内に詰め込んでマタに戻る途中の男性4人は、「動くものはすべてが標的にされている。町中には遺体が転がったままで、そのほとんどが市民だ」と憤り、「国際社会はパキスタンの状況をどう見ているのか」と記者に問いかけた。

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 ■ことば
 ◇スワート地区

 南部のミンゴラ、中部のマタ、北部地域の3ブロックに分かれる。マタは現在も戦闘が続いており、政府軍は「住民保護」の観点から外出を禁じているとしている。政府が今月上旬に「制圧した」と発表したミンゴラも戦闘が散発している。北部は戦闘が終息している。
http://mainichi.jp/select/world/news/20090619ddm007030036000c.html


*僕にはこの件について全く何も出来ないわけだが、この記事を見てしまったので、これは大変だと、とりあえずここに載せておく。それしか、出来ることはないので・・。
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2009/6/20

北海道が「アイヌ民族の日」検討  ニュース

(ニュース)
北海道「アイヌ民族の日」検討
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2009/6/19

衆議院A案可決に対する緊急声明(生命倫理会議)  公害・薬害・環境・医療問題

http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/2009/06/blog-post_19.html

生命倫理会議
衆議院A案可決に対する緊急声明
2009年6月18日
生命倫理会議 代表 東京海洋大学教授 小松美彦
 生命倫理会議は、生命倫理の教育・研究に携わっている大学教員の集まりです。去る5月12日に71名(68名+追加3名)の連名を以て「臓器移植法改定に関する緊急声明」を公表し、厚生労働記者クラブにおいて記者会見を行いました。また、6月11日付で「臓器移植法改定に関する徹底審議の要望」(連名者71名)を公表し、基本的に全衆議院議員に送付いたしました。このようにしてこの間、私たちは生命倫理に係わる専門家の立場から、法改定に関して討究すべきと考える諸問題を指摘し、審議の徹底を求めてまいりました(詳細は http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/ )。
 しかるに、衆議院では現行法制定時にも及ばない短時間の議論が行われただけで、主に国会議員諸氏の死生観に委ねるという形で採決がなされ、しかも、A案という最も危険な法案が可決されました。この事態は国民一人ひとりの生死に関わるのみならず、日本の文化・社会の未来をも大きく左右するものでもあり、このままでは日本の将来に多大な禍根を残すことが深く憂慮されます。そこで、満腔の抗議の意を込めて以下の見解を表明し、参議院においてはそれらを踏まえた良識ある徹底審議がなされることを要望いたします。
1) 今回の採決は現行「臓器移植法」の法改定条件を遵守しなかった可能性がある。
現行の「臓器移植法」では、「法律の施行状況を勘案し、その全般について検討が加えられ」ることが法改定の大前提である(附則第二条、下線部引用者)。しかも、これまでの81人の脳死判定と臓器摘出には、法律・ガイドラインなどに対する違反のあった疑いが残る。衆議院はこの点を精査・検討しないまま採決を行った。あまつさえA案では、法的脳死判定後の脳死者は死者となる以上、脳死者の生存権が守られる見込みはなく、そのことは、幼い子供にまで及ぶことになる。
2) WHOの新指針に何が書かれているかが確認されず、虚報を背景にA案が可決された。
巷間で喧伝されているのとは異なり、WHOの新指針には「海外渡航移植の制限」や「移植臓器の自給自足」の方針は謳われていない。それどころかA案は、WHOが求めている「未成年の保護」や「法的に無能力な人の保護」に反する恐れがある。そのうえA案は、臓器提供の際の「本人同意」さえ不要としている。これは現行法の基本理念の改廃であり、もはや「見直し」ではなく「新法制定」と言わざるをえない。
3) そもそも「脳死=人の死」であるとは科学的に立証できていない、という事実が直視されなかった。
近年では移植大国のアメリカにおいてすら、有機的統合性を核とする「脳死=人の死」という論理は破綻したと認めざるをえなくなってきている。この点で、体温を保ち、脈を打ち、滑らかな動き(ラザロ徴候)を見せ、成長し続ける脳死者を「死人」とすることに、少なからぬ人々が違和感を覚えるのは、単なる感情の問題ではなく、非科学的なことでもない。A案を支持された国会議員諸氏は、この事実をいかほどに直視されたのか。
4) このままでは、「人の死」が国会議員だけで多数決で決定されることになる。
従来の日本には、人の死を規定した法律は一切ない。しかも、長期脳死者とその家族の真の姿を知ることもないままに、また臓器移植の延命効果等に関する科学的なデータもないままに、いかにしてドナーを増やすかということばかりを考え、衆議院は「脳死=人の死」と規定したA案を可決した。参議院もこの姿勢を踏襲するなら、全国民の生死が国会議員だけで、多数決で決定されることになる。これは暴挙といわざるをえない。
5) ドナーを増やすことが国民全体への責務に反することにはならないか、という問題を熟慮されたのか。
「臓器不足」とは「脳死者不足」にほかならない。しかも交通事故が減り、救急医療体制が再建・整備されれば、「脳死者」もまた減ることが予想される。国民が安全に、安心して暮らせる社会を実現することは、政府および国会が果たすべき本来の務めであるはずだが、それは「脳死者=ドナー」を増やすこととは両立し難い。だがA案とはまさに、この矛盾を最も露呈したものに他ならない。
6) 移植に代わる医療の存在が調査されず、国によるその援助が審議されなかった。
現在、移植適応とされる拡張型心筋症の乳幼児にペースメーカー治療が始められているという。移植をしなくても助かる道が開かれつつある以上、第一により多くの患者・国民がその恩恵に与れるような施策が講じられるべきであり、この点でも「臓器不足の解消」という目標自体が再考される必要があった。
 そもそも人の生死の問題は、多数決に委ねたり、法律問題にすり替えたりするべきものではありません。このまま参議院でもA案が可決されるなら、上に述べたように、倫理的にはもとより法的・政治的にも、社会的にも、やがて深刻な諸問題が生じるであろうと危惧されます。
 参議院議員諸氏には、国民全体への責務と日本の文化・社会の未来とを見すえ、立法者としての熟慮と、そして徹底的な審議とをなされるよう、重ねて要望する次第です。
「生命倫理会議緊急声明」連名者(71名)
旭 洋一郎(長野大学教授・障害者福祉論)
天田城介(立命館大学大学院准教授・社会学)
綾部広則(早稲田大学准教授・科学技術論)
安藤泰至(鳥取大学准教授・宗教学)
伊古田 理(千葉工業大学准教授・哲学)
石田秀実(元九州国際大学教授・哲学)
石塚正英(東京電機大学教授・史的情報社会論)
市野川容孝(東京大学大学院教授・社会学)
宇城輝人(福井県立大学准教授・社会学)
大澤真幸(京都大学大学院教授・社会学)
大庭 健(専修大学教授・倫理学)
大林雅之(東洋英和女学院大学教授・バイオエシックス)
冲永隆子(帝京大学専任講師・生命倫理学)
荻野美穂(同志社大学大学院教授・歴史学)
重田園江(明治大学准教授・現代思想)
香川知晶(山梨大学大学院教授・哲学)
柿原 泰(東京海洋大学准教授・科学技術史)
加藤茂生(早稲田大学専任講師・科学史科学論)
加藤秀一(明治学院大学教授・社会学)
金森 修(東京大学大学院教授・フランス哲学)
川本隆史(東京大学大学院教授・倫理学)
鬼頭秀一(東京大学大学院教授・科学技術社会論)
木名瀬高嗣(東京理科大学専任講師・文化人類学)
木原英逸(国士舘大学教授・科学技術論)
木村 敏(京都大学名誉教授・精神医学)
空閑厚樹(立教大学准教授・生命倫理学)
蔵田伸雄(北海道大学大学院教授・応用倫理学)
倉持 武(松本歯科大学教授・哲学)
栗原 彬(立命館大学特別招聘教授・政治社会学)
小泉義之(立命館大学教授・哲学)
小松奈美子(武蔵野大学教授・生命倫理学)
小松真理子(帝京大学准教授・科学史科学論)
小松美彦(東京海洋大学教授・科学史科学論)
小柳正弘(琉球大学教授・社会哲学)
最首 悟(和光大学名誉教授・〈いのち〉学)
齋藤純一(早稲田大学学術院教授・政治理論)
斎藤 光(京都精華大学教授・性科学史)
佐藤憲一(千葉工業大学准教授・基礎法学)
篠田真理子(恵泉女学園大学准教授・環境思想史)
篠原睦治(和光大学名誉教授・臨床心理学)
清水哲郎(東京大学大学院特任教授・死生学)
愼 蒼健(東京理科大学准教授・科学史科学論)
鈴木晃仁(慶應義塾大学教授・医学史)
高草木光一(慶應義塾大学経済学部教授・社会思想史)
高田文英(龍谷大学専任講師・真宗学)
竹内章郎(岐阜大学教授・社会哲学)
竹内整一(東京大学大学院教授・倫理学)
武田 徹(恵泉女学園大学教授・メディア論)
高橋文彦(明治学院大学教授・法哲学)
田中智彦(東京医科歯科大学准教授・政治思想)
田村公江(龍谷大学教授・倫理学)
塚原東吾(神戸大学大学院教授・テクノ文明論)
柘植あづみ(明治学院大学教授・医療人類学)
土屋貴志(大阪市立大学大学院准教授・倫理学)
爪田一壽(武蔵野大学専任講師・仏教学)
土井健司(関西学院大学教授・キリスト教神学)
堂前雅史(和光大学教授・科学技術社会論)
徳永哲也(長野大学教授・哲学)
戸田 清(長崎大学教授・環境社会学)
直江清隆(東北大学大学院准教授・哲学)
永澤 哲(京都文教大学准教授・宗教学)
中島隆博(東京大学大学院准教授・中国哲学)
林 真理(工学院大学教授・科学史科学論)
原 塑(東北大学大学院准教授・科学哲学)
廣野喜幸(東京大学大学院准教授・科学史科学論)
細見和之(大阪府立大学教授・ドイツ思想)
森 幸也(山梨学院大学准教授・科学史)
村岡 潔(佛教大学教授・医学概論)
坂野 徹(日本大学准教授・科学史科学論)
森岡正博(大阪府立大学教授・生命倫理学)
吉本秀之(東京外国語大学教授・科学思想史)


*2009年5月12日に出された「臓器移植法改定に関する緊急声明」は以下の通りです。

生命倫理会議 臓器移植法改定に関する緊急声明
2009年5月12日
生命倫理会議 代表 東京海洋大学教授 小松美彦
 生命倫理会議は、生命倫理の教育・研究に携わっている大学教員の集まりです。私たちは、先端医療やバイオテクノロジーが単に医学・医療や科学技術の問題に留まらず、文化・文明・社会の今後を決定づけかねないとの認識のもとに、教育・研究を行ってまいりました。しかるに、マスメディア報道によると、臓器移植法の改定が今国会での重要案件となり、しかも改定法案を厚生労働委員会で審議もせぬまま、本会議で採決する蓋然性が高い、とのことです。そこで、私たちは臓器移植法改定に関しても社会的責任を負った生命倫理に係わる研究者として、象牙の塔にこもることなく、広く社会に対して以下の見解を表明いたします。
1)脳死・臓器移植は、脳死者という他の患者からの臓器提供によってしか成立しないため、十全な医療とは言えない。医療が患者本人で完結せずに、脳死者という他の患者の“死”を前提とする以上、さまざまな問題が生じることは避けられない。
2)その一環として臓器不足が叫ばれて久しいが、「臓器不足」とは「脳死者不足」に他ならない。一体、臓器移植の必要数に見合った脳死者が生じる社会とはいかなる社会なのか。例えば現今の日本の人工透析患者26万人を、仮に脳死・臓器移植で救おうとするなら、最低13万人もの交通事故などによる脳死者が必要になる。
3)臓器不足を解消するのに最善の策とされるA案は、脳死の扱いと臓器の提供条件に関して、米国ですでに22年前から施行されている法律と基本的に同様である。にもかかわらず、米国でも“臓器不足”の解消は果たせず、そのため日本とは逆に、従来は禁忌の対象であった生体移植が増えている。それゆえ、A案に限らずいかなる法規定であっても、“臓器不足”を解消しがたい。
4)またA案もD案も、臓器提供をめぐる「本人同意」さえ不要としているが、それは現行法の基本的理念を改廃することであり、もはや「見直し」ではなく「新法制定」と言っても過言ではない。だが両案では、現行法制定までの議論すら顧みないまま、臓器提供の条件緩和に主眼が置かれている。この点で両案には、人の生死の問題を扱うのに必須の慎重さが欠けていると言わざるをえない。
5)そもそも臓器移植の成績は生着率・生存率で示されるだけで、肝腎な延命効果は、統計分析されていないため、明らかではない。心臓移植をしない方が1年生存率は高い、という米国の研究論文すらある。したがって、まず臓器移植をした場合としなかった場合の生存率を比較調査し、さらに臓器移植の予後について、良好な場合も、そうでない場合も明らかにし、科学的な検証がなされるべきである。
6)近年の米国では多臓器移植に代わる体外腫瘍切除が行われ、日本でも移植適応の拡張型心筋症の乳幼児へのペースメーカー治療が始まっている。政府・国会は本来、臓器移植を待つ患者のためにはそのような代替医療の援助にこそ尽力し、また国民すべてのために、交通事故対策と救急医療体制の再建を通じて、脳死者の数が増えないように努めるべきである。
7)翻って、最も重大なこととして、「脳死=死」が科学的に立証されていない。体温を保ち、脈を打ち、出産も可能で、滑らかな動き(ラザロ徴候)を見せる脳死者が、なぜ死人といえるのか。また、死人ならなぜ臓器摘出時に麻酔や筋弛緩剤を投与するのか。世界的に唯一公認されてきた有機的統合性を核とする科学的論理も、最高21年生存した長期脳死者の存在により破綻したと言える。仮に子供の完璧な脳死判定方法が実現しても、それは「脳死状態」を確定できるだけで、「死」を規定できるわけではない。
8)さらに、臓器移植法が存在しても、「ドナー=脳死者」の人権蹂躙が問題となる。例えば現行法下で行われた81人の脳死判定と臓器摘出では、法律・ガイドラインの違反が多々なされてきた疑いがぬぐいきれない。政府・国会はまずこれらを精査すべきである。精査しない限り、「ドナー=脳死者」の人権が守られる見込みはなく、人権蹂躙は子供にまで拡大しかねない。またD案のように、「ドナー=脳死者」の保護のための「第三者機関」を設けたとしても、その実効性は乏しいことが予想される。
9)そして、「脳死=死」を規定したと読めるA案が成立した場合、少なからず存在する長期脳死者は命を断たれうる。しかしながら、長期脳死者とその家族が必死に生きている姿についてほとんど知られないまま、いかに臓器提供を増やすかの議論ばかりがなされている。臓器移植を人間同士の連帯と見るなら、(長期)脳死者との連帯も考えなければならない。
10)政府・国会およびA〜D案などの各法案の提出者・賛同者は、少なくとも以上について徹底的に審議し、まず国民に納得のゆく見解を提示する責務がある。また、そもそも、人の生死の問題を多数決に委ねたり、法律の問題にすり替えたりするべきではない。
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2009/6/19

臓器移植法改正案についての意見交換ページ  公害・薬害・環境・医療問題

*なお、臓器移植法改正の問題については以下のページが詳しく、情報が集められています。ご参照ください。

臓器移植法改正案についての意見交換ページ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/index.htm
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2009/6/19

臓器移植法「改正」に反対する緊急声明(DPI日本会議)  公害・薬害・環境・医療問題

臓器移植法「改正」に反対する緊急声明/「われら自身の声」を届けます!
DPI(障害者インターナショナル)日本会議

1.「脳死」については世界の色々な実例から見ても明らかなように脳死と診断をされながら十何年も生き続けた事例や、時間が経って意識が戻り周りの人たちの声が聞こえていた等という症例まである。心臓が動き、まだ暖かい体温のある人間を「死」と決めつけ臓器を取り出すことはどうしても納得が出来ない。
 「脳死」状態にある人を「人の死」と定義する時、「回復しても障害が残る」等の障害者の命を軽視する価値観が潜んでいるのではないかとの疑念が生じる。
 生きる可能性を尊重される命と、生きる可能性を全否定される命を選別することは、紛れもない優生思想であり、障害者の人権尊重の立場からは到底認められない。

2.特に今回の改正の動きは、WHOでの外国渡航による臓器移植制限の動きを背景にして、ドナーの年齢引き下げや「脳死」の定義拡大を図るためのものであり、私たちとしては容認できない。
 これまで障害者は「自らの意志をもたない」との偏見のもとに長い間おかれ、その主体的な意志を無視され続けてきた歴史がある。また、重度障害があるために、時には自らの意志を伝達することが、障害のない者の「通常」の方法では困難な状況になることもありうる、そうした立場から、私たちは大きな恐怖すら感じざるを得ない。
 特に、最近の福祉・医療の財政抑制が続いてきている日本の社会状況を前にする時、私たちの命が軽く見られ、何時、治療停止や一方的に「ドナー」にされるか分からない時代が到来する、その予兆として懸念するものである。

3.今求められているのは、「他人の死」を前提にするのではなく、どんなに重度の障害や難病等があっても生き抜いていけるための適切な医療を確保することである。また、「障害=不幸」との差別意識の根深さの背景には、社会的な支援体制の欠如がある。どんな障害があっても、一人の人間として自立して当たり前に地域で暮らせる介護等福祉サービスの充実を進めていくことが必要である。

4.国連では2006年12月に障害者権利条約が採択され、2008年5月に正式発効している。わが国においても、その批准に向けた国内法の整備が火急の課題となってきている。障害者権利条約の基本精神は、「私たち抜きに、私たちのことを決めないで!(Nothing About Us, Without Us!)」である。
 そうした点からも、私たち障害当事者の人間の命の平等性を守る立場からの意見を十分ふまえた上での対応を強く求めるものである。
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2009/6/19

水俣病問題 「個の責任」に立ちかえれ(緒方正人)  公害・薬害・環境・医療問題

*朝日新聞2009年6月18日朝刊「オピニオン」ページより

水俣病問題 「個の責任」に立ちかえれ/
緒方正人 水俣病患者 「本願の会」副代表
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2009/6/19

臓器移植法改正A案衆院通過 でもこの投票方法って???  公害・薬害・環境・医療問題

衆議院通過しましたね。これは前にも書いたけど、ほんとに判断が迷う難しい問題なんですね。

子供の長期脳死と臓器移植法改正
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1556.html

政治家も見事にバラバラに分かれましたね。共産党は棄権だけど、棄権っていうのは共産党の中でも意見がまとまらなくて、他の党みたいにバラバラに投票するっていうのは共産党の場合は考えられないから棄権したってことなんでしょうか・・。
だいたい、医者の間でも意見が割れているようで、医者でさえ分からないのに、政治家やマスコミに判断がつくわけがないですよね・・。

それにしても、今回のこの投票方法っていうのはやっぱりおかしいのではないか?と思ったのですが・・。
だって、4つの案が出ているのに、A案だけを投票して、A案が過半数をこえたからこれで通過で、他の3つの案は自動的に廃案・・って、それでは、なんで4つの案を出して議論してきたのかと思うじゃないですか・・。
本当だったら、この場合、4つの案のどれに賛成か?って投票させるべきなのではないでしょうか? それでは、過半数を獲得する案がなくていずれも不成立になる可能性は高くなるけど、それでも通過する案があったならば誰もが納得できるわけで・・。
せめて、A案のみ投票という風にひとつずつ投票していくのではなく、4つの案、それぞれに○、×をつけて一斉に投票させて、その中でどれとどれが過半数をこえるかを見て、過半数をこえた案が複数あったならそれを参議院に回すとか、するべきだったのではないでしょうか? だって、たとえば、A案とD案とは賛成だけど他の2つの案は反対とか、A案には反対だけどD案には賛成とか、そういう人もいるわけでしょう? そうすると、もしかしたらD案に賛成する人はA案に賛成する人よりも数が多かったかもしれないわけじゃないですか? なのに、A案を投票した時点でA案が過半数をこえたから通過、他の3つの案は廃案としたら、もしかしたらもっと賛成の支持を集めていたかもしれない案が投票されずに廃案になっているかもしれないわけじゃないですか?
法案の内容についても「うーむ、これは難しい問題だ」と思っていたのに、投票方法がそれに輪をかけて「???」になってしまいましたね。
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2009/6/18

『スター・トレック』  映画

なぜこの映画が面白くないのか?と考えたが、ひとつには、ワープというのが映画として処理するのが難しかったのかなと。
だって、誰かが危なかったらワープして助けにいくとか、自分が危ないとワープするとか・・それが出来るんだったら、同じ空間で戦う「活劇」にならないでしょ・・。だいたい、別の時空間に飛んだりすることは映画ではごく普通に出来る(カットとしてただ繋げればいいのだから)ことなのであるから、あるシーンから別の時空間のシーンに飛ぶということ自体には映画で見てもなんの驚きもないのである。(現実にもしそういうことが起こったら、たとえば自分が突然、何十年か後のヨーロッパとかにいたりしたら、そりゃ、驚くだろうけど・・。)だから、映画でワープを描いてもそれほど驚きがない。

ううむ、この映画の作り手の人達は、羽海野チカ『星のオペラ』(『ハチミツとクローバー』第10巻に集録されている18ページの短編マンガ。秀作)とかを読んで、考えたほうがいいのかもしれない・・。
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