2010/1/30

伝説のホラー映画『シェラ・デ・コブレの幽霊』上映へ  映画

*前回は柘山一郎監督『憑依』を上映してくれた方々が伝説のホラー映画の上映を。東京でも上映して欲しい。

(ニュース)
怖すぎる「シェラ・デ・コブレの幽霊」上映へ
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100128-OYT1T00249.htm

 〈幻のホラー映画〉として映画マニアの語り草となっていた「シェラ・デ・コブレの幽霊」(米国、1964年)が2月6日、神戸市長田区の神戸映画資料館で上映される。

 すでに予約で満席だが、フィルムを所有する映画評論家の添野知生(ちせ)さん(47)は「上映会を機会にDVD化の機運を高め、多くの人にこの恐怖を体感してもらいたい」と話している。

 同映画はテレビ用に米国で制作。副業で「心霊探偵」をしている男性が、母親の幽霊に悩まされているという依頼主を訪ね、そこで起きる過去と現在とを結んだサスペンスホラー。残虐な描写は少ないものの、幽霊の容姿や効果音が不気味といい、怖すぎて米国では放送が見送られた。

 日本では約40年前、「日曜洋画劇場」で一度だけ放送された。また、試写版を見たテレビ局幹部が、あまりの怖さに嘔吐(おうと)したとの逸話も残っている。ビデオ化はされておらず、インターネットや映画ファンの間で“伝説”となっていたという。

 上映は、昨夏、人気テレビ番組で取り上げられたのがきっかけ。企画した映画愛好者でつくる「ホラー映画向上委員会」のメンバーが添野さんに相談し、上映会を計画した。同委員会は「約半世紀前の作品だが、恐怖は色あせていない」とPRしている。

(2010年1月28日18時00分 読売新聞)
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2010/1/24

水俣病、和解協議、始まる  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
コラム > 社説
水俣病和解勧告 「恒久救済」につなげたい
2010年1月23日 10:46 カテゴリー:コラム > 社説
 水俣病の未認定被害者(原告2018人)が国と熊本県、チッソに損害賠償を求めている訴訟で、熊本地裁が22日、和解を勧告した。原告、被告はこれを受け入れ、午後から和解協議に入った。

 国の水俣病救済特別措置法による「政治解決」を拒んでいる最大の訴訟派団体と、特措法による早期解決を目指す国が和解協議に入ったことで、水俣病被害者の救済問題は大きな節目を迎えた。

 今後は原告、被告双方の和解条件などを調整して、裁判所が「和解案」を示すことになる。環境省は訴訟を起こしていない被害者の救済にも「和解内容と同じ条件」を適用する意向を示しており、和解協議の行方は、水俣病救済問題の解決に向けて重要な意味を持つ。

 協議の焦点は、救済対象の要件や判定方法、補償金(一時金)の額などをどうするかだ。これらは特措法では具体的に示されておらず、今回の和解内容が特措法による救済を待つほかの被害者団体との交渉にも影響を与えることになる。

 その意味では、国が目指す水俣病救済の「最終解決」ができるかどうかは、和解の成否にかかっていると言っていい。原告、被告には、すべての水俣病被害者の「恒久救済」につながる内容での和解成立を求めたい。

 とはいえ、現実には原告・被害者と国の主張には被害者の判定方法や一時金などの給付内容で隔たりがある。

 原告側は、未認定患者を「司法救済」した2004年の関西訴訟最高裁判決に沿った和解を求めている。同判決は国と熊本県の被害拡大責任を認め、国の認定基準より幅広い救済基準を示した。

 以後、認定申請や司法救済を求める人が急増した。認定申請者や保健手帳交付者は約3万2千人に達し、国は新たな対応を求められていた。

 国は昨年7月に議員立法で成立した特措法に基づき、現行基準では患者認定が難しい被害者の救済を目指すが、症状や居住地域、発症年など救済対象の具体的要件や、どういう機関で誰が水俣病被害者を判定するのか、一時金の額など肝心の部分は決まっていない。

 当然、裁判所の和解協議でもこれらが論点となるが、そこで欠かしてならないのは「水俣病とは何か」という根源的な視点である。

 水俣病という事件がなぜ起き、どうしてここまで被害が広がったのか。その原因と責任、被害の深刻さ、いま眼前にある「時間や地域を超えた被害の広がり」を直視すれば、救済されるべき対象者はおのずと明らかになろう。

 和解協議を機に、国が水俣病被害救済の最終解決を図るというのなら、今回、救済対象とならない埋もれた被害者の把握と掘り起こしも欠かせない。

 そうした視点を欠けば、最終解決を目指しながら、結果的に水俣病の歴史に新たな混乱を招いた15年前の「政治決着」の二の舞いになる。

=西日本新聞朝刊=
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2010/1/18

政権が民主党で検察が仕事をする・・もしかしたらこれが理想的な状況なのかもしれないという話  時事問題

検察の捜査はちょっと暴走に見える。問題は、虚偽記載とかではなく、ゼネコンが小沢一郎議員に裏献金を渡し、それによってダム建設の便宜をはかってもらったのか?ということであるからである。それなら、本来は、裏献金の容疑で石川議員を捜査、逮捕するべきであって、虚偽記載で逮捕というのは別件逮捕である。別件で逮捕して、追求すれば、本丸の疑惑も自白するだろう・・という捜査のやり方であり、これは暴走と言うしかない。
実際問題として、虚偽記載の件はともかくとして、裏献金の件で検察が小沢を起訴して、裁判の結果、有罪にすることはかなり難しいのではないかと思う。これだけ検察が動いているからにはかなり証拠も得ているのだろうと推測する人もいるけど、もし本当に検察がそれだけの証拠を握っているのであれば、虚偽記載という別件ではなく、ズバリ、裏献金そのもので石川議員を捜査、逮捕していると思う。そうしないのは、現時点では検察は確たる証拠を握っていないのではないか?と疑うほうが理であるように思われる。
もちろん、ゼネコンの幹部が裏献金をしたという証言はたしかにとれているのかもしれない。そういう証言は赤旗の記事にもなっているし、その程度は検察も裏で捜査ずみだろう。しかし、この場合、ゼネコンの幹部の証言だけでは、事件の解明、証明にはならない。なぜなら、それによって岩手県のダム工事をそのゼネコンの会社が受注することが出来たということが証明できていないからだ。そもそも小沢は岩手県知事ではないからである。これがゼネコンが岩手県のダム工事の仕事を欲しくて、岩手県知事に裏献金をして仕事をもらったという話であるならば、話は分かりやすい。県知事への裏献金の事実を明らかにすればそれでいい。しかし、小沢は県知事ではなく、しかも疑われている当時は政権与党ではなく野党の議員でしかなかったわけだから、いかに岩手県の地元で力を持つとは言え、なぜ小沢にお金を渡すと岩手県からダムの仕事をもらえるのか、その点をきちんと立証しないといけないのである。マスコミの報道によると、小沢の「天の声」によってそういうことが成立するという話のようなのであるが、その「天の声」とは具体的にどういうものかを解明して証明しないといけないわけである。つまり、ゼネコンの幹部が小沢に裏献金をしたという証言だけではなく、それによって小沢が岩手県になんらかの圧力をかけてダム工事をその会社に回させるようにしたという点を解明して証明しなければいけないのである。
たとえて言うならば、ある大学に裏口入学するために、あの予備校の教師にお金を渡すと便宜をはかってうちの息子をあの大学に裏口入学させてくれるらしいという噂を聞いて、その予備校教師にお金を渡したというような話なのであるが、この場合、本当にそれが裏口入学であったことを証明するためには、その予備校の教師がどのようにその大学に通じてて裏口入学をさせることが出来たのか?ということまで証明しなければならないわけである。もしかしたら、その予備校の教師はなんにもしていなくて、便宜をはかってくれるらしいと受験生の親が早とちりしてお金を渡しただけで、実力でその受験生は合格したのかもしれないわけだが、もしそうだとしたら、その予備校教師を裏口入学の件で起訴して有罪にすることはなかなか出来ないだろう。(詐欺罪とかにはなるのかもしれないが。)
しかし、検察が小沢と岩手県との具体的なつながりまで全容を解明することは容易ではないのではないだろうか。それは物理的に困難だということもあるけど、あまりそういうことをとことん追求しだすと、今度は自民党の議員が同じようなことをやっていることも発覚してしまいかねないので、小沢の金権ぶりがひどい、ひどいと言うけれども、自民党の議員は同じようなひどいことをもっとやっているではないか・・という話になってくるからである。だから、どこかで手打ちを打とうという話になるのである。
ところが、今回は、小沢があまりに検察嫌いで、手打ちも何も話し合いに応じないという姿勢を見せたので、検察も手打ちを打つことが出来なかったのではないだろうか。言わば、日本人の美徳(?)である、裏の根回し、手打ちに検察は失敗したわけではないか。それで思いきって、舵を切り出してしまったものの、本当にとことん裏金問題を追求して全容解明して裁判なんて出来るのか!? 実は検察の幹部自身が、自らの暴走に、内心、やり過ぎかも、大丈夫なのかな・・と真っ青になっているのかもしれない。
それは自民党の議員の人達も同じで、表面的には国会で小沢を追求すると息巻いているように見せているけど、内心、あまりこういう問題を追求すると自分達にはね返ってくるから、それもまずい・・という気持ちもあるのではないか。本当に元気なのは共産党だけだろう。(共産党はゼネコンからの献金を受け取っていないと思うので。それは別に共産党の人達が仁徳があるからというわけではなくて、そもそも共産党にゼネコンが献金してもなんのメリットもないので企業の側も献金するはずがないと思うのだが・笑。)
国民の側も、いくら「政治とカネ」の問題で自民党が民主党を追求したとしても、自民党こそずっとそうだったじゃんかとみんな、内心、思うので、結局、この件でたしかに民主党の支持率は落ちるかもしれないけど、かといって自民党が吹き返すということにもならないような気がする。
そうすると、検察とマスコミをあげて騒いだ挙げ句、結局、また民主党が選挙で勝ってしまい、小沢が起訴されたとしても裁判の途中でうやむやになってしまう・・という展開になる公算も強い。
このように書いていると、検察の今回の捜査、逮捕を僕が批判的にとらえているように受け取られたかもしれないが、実は、でも検察が強引でもなんでもこういうことをしているのはいい面があるかもしれないなとも僕は思っている。今まで自民党の政権の時代にはすぐ手打ちして追求をうやむやにしていたのに、民主党が政権の場合は手打ちしないで、たとえ政権与党の幹事長であろうと裏献金疑惑を徹底的に追求するというのであれば、それはそれで検察はいつもよりも仕事らしい仕事をしているとも言えるわけで、少なくとも、ゼネコンの側も、うっかり政治家にお金を渡したりしたら後で大変なことになるぞ・・(今までは必ずうやむやになるので大丈夫と思っていたが・笑)と思うようになって、そういうことを控えるようになっていくかもしれないので、それは大変、結構なことではないか。このように考えていくと、なんだかんだ言っても政権の座についているのが民主党で、自民党だったら追求しないけど、民主党だと追求するぞと検察が政治家の金の問題に目を光らせて仕事らしい仕事を少しはする・・という現在の状況は、これはこれで理想的ないい状態なのかもしれないなと僕には思えてくるのである。
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2010/1/14

マヤ・デレン全映画  映画

あまりに伝説的な名前であるが、久しくその名を目にすることがなかった、マヤ・デレン。唐突に、「マヤ・デレン全映画」が映画館で上映され、この伝説的な映画作家の全貌を知ることが出来るという事態に、思わず、おおっと思った人は多いのではないか。
個人的には、その昔、シネフィルっぽいある女性に「好きな映画は?」というお決まりの質問を何気なくしたところ、彼女が即座に「ゴダールとオリヴェイラとマヤ・デレン」と答えたのに、うわっ、これは1本、とられた!と思ったことを思い出す。ゴダールとオリヴェイラだけだったら、ある種の映画ファンのあげそうなものとしてそんなに驚くことはないと思うんだけど、そこにマヤ・デレンが加わっていたことで、「むむ、こいつ、かなり出来るな」と唸らせられ、正直、ゴダールとオリヴェイラはともかくとしてマヤ・デレンについてよく知らない自分は負けたと思ったのだ。(何が、勝ったとか、負けたとかなのか、よく分からないけど・笑)。
それでも僕はその時、『午後の網目』だけは見ていたんだけど、しかし、今回、シアターイメージフォーラムに「マヤ・デレン全映画」を見に行って、『午後の網目』が始まるや、あっと思ったのだが、僕が昔、見ていた『午後の網目』はサイレント版だったのだ。あんなにユニークな音楽(それも日本の音楽なんですね・・。マヤ・デレンが日本文化にどのような関心を持っていたのかも興味深いところ。)がついている作品だったとは知らず、これでは実質的には『午後の網目』を含めてマヤ・デレンの映画を初めて見たと言うしかない。
ところで、『午後の網目』はアレクサンダー・ハミッドとの共作で、この2番目のマヤ・デレンの夫、アレクサンダー・ハミッドはマヤ・デレンに映画作りを教えた人物なのだが、ハミッドはドキュメンタリー作家として知られる人のようで、それに対してデレンはドキュメンタリーというよりアヴァンギャルドな方向にいったので、この2人の作風の違いもあって後にこの2人は別れることになったのかしら・・とか、勝手に僕はイメージして思っていたのであるが、これは僕のただの思い込みだったようだ。今回のパンフレットによると、ハミッドもアヴァンギャルドなものに関心がある人で、むしろ、その影響もあってマヤ・デレンもアヴァンギャルドなものに目覚めていったそうなので、僕の想像とは逆で、その点で2人に芸術的な溝はなかったようだ。
それにしても、『午後の網目』は今、見ても、ちょっと凄いが、2作目の『陸地にて』も、冒頭の海岸で水に濡れた少女が陸にあがり人間界を探訪するという、少女の身体的なイメージは今、見ても新鮮で、かなり影響を与え続けているものではないかと思う(もしかすると、宮崎駿も見てたりして・笑)。たとえば、『おでかけ日記』(小口詩子)や『川底の鳥』(村上なほ)といった、1980年代、90年代の自主映画の傑作の、水に濡れた女性の身体的なイメージにも影響を与えているのかもしれない。
しかし、そうしたその後に与えた影響力から、マヤ・デレンの映画をアンダーグラウンドな映画の祖とか源流とか言うのは納得できるんだけど、「フェミニズムの祖」みたいに言うのはちょっと違うような気がする。たしかに、女流の映画作家を始め、多くの女性に影響を与えたのかもしれないが、基本的にはマヤ・デレンが表現しようとしているものは言語に還元できないようなものではないかと言うのか、これぐらい言葉に還元できないような、純粋に映像そのものを表現しようとしていた人はいないわけで、それに対してフェミニズムというのはやはり言語化されたある種の思想だと思うし、むしろ、言語化、言葉によって意識化することによって女性の解放を図ろうとするものなのではないかと思うから、言語に還元できないような映像を追求しようとしたマヤ・デレンのような人を「フェミニズムの祖」という観点でとらえるのはちょっと違うのではないかと・・。
実際、先に書いたように、小口詩子や村上なほといった近年のアンダーグラウンドな自主映画の源流をマヤ・デレンの映画に見てとることは出来ると思うが、身体性の表現に依存した近年のアンダーグラウンドな自主映画の表現は、別に小口詩子や村上なほのような女流の映画作家によるものだけではなく、園子温、平野勝之、大川戸洋介といった男性映画作家にも見てとれるものではないだろうか?
マヤ・デレンが44歳の若さで亡くなったことは残念なことであるが、『午後の網目』は例外的な大傑作として、今回、見た限りでは、マヤ・デレンが遺した作品の中で最も達成度が高いものは『夜の深み』かもしれない。夜空に白ヌキの人物達のダンスが重ねられるというこの美しい作品は、人物がダンスするだけでなく、カメラが回転したり動き、まさにカメラ自体がダンスすることによって、究極の、「見ること」と「見られること」の邂逅という、映画ならではの表現が達成されている。
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2010/1/12

2009年度キネマ旬報ベストテン  映画

ロメールが亡くなりましたね。僕が特に好きだった作品は『モード家の一夜』『夏物語』『三重スパイ』。一度でいいから、脚本がゴダールで演出がロメールの映画(あるいは、その逆に脚本がロメールで演出がゴダールの映画)を見てみたかった。合掌。

さて、キネマ旬報ベストテン。西川美和作品が1位に。文化映画部門ではこれまで何度か、ありましたが、劇映画部門で女性監督の作品がベストワンになったことはけっこう快挙なのでは? そういう意味では保守的な業界ですから・・。

2009年度キネマ旬報ベストテン
【日本映画】
1『ディア・ドクター』
2『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』
3『劔岳 点の記』
4『愛のむきだし』
5『沈まぬ太陽』
6『空気人形』
7『ウルトラミラクルラブストーリー』
8『サマーウォーズ』
9『誰も守ってくれない』
10『風が強く吹いている』

【外国映画】
1『グラン・トリノ』
2『母なる証明』
3『チェンジリング』
4『チェイサー』
5『レスラー』
6『愛を読むひと』
7『アンナと過ごした4日間』
8『戦場でワルツを』
8『スラムドッグ$ミリオネア』
10『イングロリアス・バスターズ』

【個人賞】
監督賞:木村大作『剱岳 点の記』
脚本賞:西川美和『ディア・ドクター』
主演男優賞:笑福亭鶴瓶『ディア・ドクター』
主演女優賞:松たか子ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』
助演男優賞:三浦友和『沈まぬ太陽』
助演女優賞:満島ひかり『愛のむきだし』『プライド』『クヒオ大佐』
新人男優賞:西島隆弘『愛のむきだし』
新人女優賞:川上未映子『パンドラの匣』
外国映画監督賞:クリント・イーストウッド『グラン・トリノ』『チェンジリング』
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2010/1/6

山口彊さん、亡くなる  原爆・原発問題

「被爆者の声をうけつぐ映画祭」でも上映した記録映画『二重被爆』に出演されている山口彊(つとむ)さんが1月4日、亡くなられた。ギリギリ、最後に訪れたのが、来日したキャメロン監督だった。(山口さんとキャメロン監督の対面は昨年暮の12月22日。)そこで原爆の映画を次は撮りたいと構想を語るキャメロン監督に、「後はあなたに託したい」と山口さんは語られたという。(キャメロン監督が原爆の映画というのは唐突な気がするが、『アビス』『ターミネーター2』に原爆を思わせるシーンがあることはあり、以前から関心を持っていたのかもしれない。しかし、その映画、3Dだとしたらちょっと複雑な気持ちかも。)
山口さんのご冥福をお祈りいたします。
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2010/1/4

『誰がため』  映画

黒沢清監督が絶賛しているということもあって見に行ったのだが、面白かった。まだまだナチスものでもこんな新鮮な切り口があったのか・・。
ある意味、ゴダール的な主題かも・・。レジスタンスという理想に燃え生きる男と現実に生きる女とのズレ。もっともゴダールはあくまで戦後世代の作家という気がするんだけど、戦時中の話として、これをやってみせたところがこの映画の新鮮さなのかも・・。
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