2010/4/21

『第9地区』  映画

まさに裏『アバター』というのか、『アバター』の感想で僕は次のように書いたのだけれども・・。

>『スター・ウォーズ』とかを見てていつも思うことは、こんな風に人類が正義で他の星の生物は悪みたいに描くけれども、そもそもタチが悪いのは人類、地球人の方なんじゃないか? 有史以来、戦争ばっかしてて、環境も破壊しまくりで、人類ほど、タチが悪い生命体も珍しいわけで、エイリアンが地球に攻めてくることより、人類が他の星に攻める方がよほど可能性がありそうなことなんじゃないか? なんでSF映画というのはそういう観点で描かないのか? ・・ということだった。子供の頃からずっとそう思ってて、たとえば『エイリアン2』にしても、映画ファンの間ではかなり評判が良かった映画だったけれども、基本的には他の星の悪のエイリアンをやっつけるという勧善懲悪というのか、人類は善、エイリアンは悪という価値観にハマったもので、当時、乗れなかったのだ。なかなか、人類の側が悪、他の星の生命体のほうが善という観点のSF映画には出会えなかったのだけど、ついに、そうした想いを満たす映画が出現した。

もちろん、これは『アバター』をほめるつもりで書いたのだが、ただ以下のようなことも付け加えておいた。

>ただ、この『アバター』は、エイリアンの造型が、かなり人類にそっくりなので、本当はもっとグロテスクというのか、人類からかけ離れた生命体でも良かったのではないか?という気はしたけれども・・。まあ、これは映画として観客に感情移入して見てもらうためには仕方がなかったことなのかもしれないが、もしもっとグロテスクな生命体と思えたエイリアンたちが、いや、彼らこそが森羅万象に通じてて、人類よりもずっとマトモなのだと思えて来て、おかしいのは我々、人類の側なのではないのか?ということが浮かび上がってくるような、そういう映画だったなら、なお、良かったかもしれない・・。

と、まあ、このように僕が書いたのは、もしかしたら、『アバター』の達成を絶賛しながらも、どこかで、でも『アバター』はたしかにあまりにも直球の映画ではあるので、いい歳してこういうものに熱くなってしまう自分はちょっと恥ずかしいのではないだろうか・・という気持ちもあったからなのかもしれないんだけれども、しかし、こういう感想を書いた数か月後に、「もっとグロテスク」なエイリアンを造型した裏『アバター』と言えるような映画、この『第9地区』を見ることになるとは思っていなかった。そして、この『第9地区』はそのようなグロテスクなエイリアンを持って来ながら、観客に感情移入させることにも成功していて、まさに「もっとグロテスクな生命体と思えたエイリアンたちが、いや、彼らこそが森羅万象に通じてて、人類よりもずっとマトモなのだと思えて来て、おかしいのは我々、人類の側なのではないのか?ということが浮かび上がってくるような、そういう映画」だったのだ。

それにしても、この映画、実はSFものとしては、かなりテキトーな気もする。
正直、僕はエイリアンが難民として地球にやってくる話・・と聞いて、お、これはかなり本格的なSFものかな?と期待して、ある種の「社会派」のSF作品なのか?と思ってつい見に行ったクチなんだけど、それは見事に肩透かしを食わされたようで、どう考えてもこれは「社会派」などではない。「社会派」と言うにはそもそもテーマなんか、ないんじゃないか? テーマがない「社会派」などというものはあり得ない。たしかにエイリアンが難民という設定は「社会派」風ではあるけれども、それは単に設定だけで、だからといってそういう「難民問題」を掘り下げて描こうなどとはこの映画はしていないと思う。また軍需産業がいかにひどいものかということが描かれてはいるが、かといって軍需産業を批判している「社会派」作品であるとも思えない。
また、SFとしては、Sのサイエンスの部分があまりにテキトーのように思える。あの液体がなんなのか・・とか、結局、よく分からないし。
というか、そもそもこの映画、出てくる人間達もだけど、エイリアン達も結局、何がしたかったのか、よく分からないのだ。
要するに、これ、結局、ただの相当のマンガ、アニメおたくだと思われる若い監督が生み出した妄想のようなものなのじゃないだろうか。
なんだか、ほめてるのか、貶しているのか、よく分からなくなってきたが、しかし、これはほめているんだと思う、きっと。(ほんとは、自分でも、この映画が素晴らしいと思ったのか、なんて下らない、どうすればここまで下らないものが作れるのか?と思ったのか、よく分からないんだけど・笑)。要するに、なんか、ここまでディテールの細かい設定がいちいちテキトーなようで、出てくる登場人物達、エイリアン達が何をしたいのか、よく分からなくて、つまりヒーローでもアンチヒーローでもなんでもなくて(ここが凄いのだが。普通はこういう話はヒーローなりアンチヒーローなりになってしまいがちなのだから。)、にもかかわらずきちんと作品世界が造型されている・・のだから、一体、この作り手はどういう妄想力なんだよ・・と思うのだ。
凄いのは、この主人公の造型だろう。ほんとに、ヒーローでもアンチヒーローでもない・・。普通はアンチヒーローのほうに目覚めて行きそうな話なんだけど、それもない。要するに、自分に陶酔するようなところが全くない。こんな頼り無い主人公でいいんだろうか・・。
そして、エイリアン達の側もそうなのだ。だって、人類から差別を受けて、ひどい目にあって、それに対して叛旗をひるがえすのかと思ったら、どうもそういうわけでもないのである。
しかし、こうしたキャラクター造型だからこそ、「グロテスクなエイリアンを持って来ながら、観客に感情移入させる」という離れ技にこの映画は成功し得たのではないだろうか? つまり、人類達の側もエイリアン達の側も、どっちもヒーローでもアンチヒーローでもない優柔不断きわまりないような奴がゾロゾロ出てくるので、「あれ、エイリアン達も結局、俺達とおんなじなんじゃないか?」と観客に思わせ、「たしかにグロテスクかもしれないけど、けっこう、かわいいんじゃないか?」(子のエイリアンを出すことで「かわいい」という感情も抱かせるように作っているようである)とまで観客に思わせるようになっているのではないだろうか?
前半の、セミドキュメンタリー風の手法(しかし、これ、一体、誰がなんのために撮影している「ドキュメンタリー」なのか、さっぱり分からないんだけど・笑)は、こういう共感を観客に抱かせるために機能しているように思える。つまり、一歩、引いた感じで見せて行くことで、ヒーローでもアンチヒーローでもないキャラクターが造型され、それが観客に「俺達と同じなのかも・・」と共感を抱かせ、感情移入をさせるようになっていっていると思うのである。この映画の構成が巧いなと思うのはこの点で、普通は一歩、引いたセミドキュメンタリー風の手法は共感とか感情移入とは別方向に機能しそうなものだけど、それを「共感を抱かせ、感情移入をさせる」という方向に持って行くための手法として構成しているようなのである。
たとえば、主人公の側は、セミドキュメンタリー風の映像の中で、軍需産業とは言ってもその中で中間管理職として仕事をしているところ(軍人の大佐に怒られたりしている)や、妻とのささいな愛情の交わしあいみたいな映像を見せて行って、ヒーローでもアンチヒーローでもない人物像を浮かび上がらせて行く。
そして、エイリアンの側は、父と子の姿を描くことで、観客が共感できるように作っている。それにしても、どうして父と子であり、母親はいないのか? 母親は死んだのか、それともこのエイリアン達は単体で父から分離して子供が産まれるのでもともと母親というものは存在しないのか、そこはよく分からないのであるが、これが「母と子」だったらまた別の感情が見ている側に沸いて来そうな気がするので、「母と子」ではなく「父と子」であるというのが絶妙にこの映画のストーリーにマッチしているように思える。このように、この映画のディテールはひとつひとつはテキトーなようなのに、それが絶妙にマッチして世界を形造っているようにも思えるのだ。変な映画である。
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2010/4/13

『コトバのない冬』  映画

俳優の渡部篤郎の初監督作品。
まるで岩館真理子のマンガ世界がスクリーンに出現したかのような、北海道の雪景色を背景に展開される雰囲気はなかなかのものだけど、これで終わりまで行くなら、プロの一流の脚本家(岡田惠和)のものとしては話にヒネリが足りないかも・・とか、途中までは思っていたんだけど、終わりまで見てこういうヒネリだったのかと納得。
つまり、失語(口が聞けない)とか、記憶障害とか、それだけだったら陳腐かもしれないが、その組み合わせ方がヒネリがあり、新鮮な作品になっている。ひとつひとつのアイデアではなくて、その組み合わせ方の巧さがやっぱりプロなんだな・・と思う。
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