『群像2001/09』 投稿者: 管理者 投稿日:11月 4日(火)09時54分38秒
少し前の「群像」なのだが、川西政明氏の「文士と戦争〜徴用作家たちのアジア」というのが面白くて読んだ。別に深い考察があるという類の文章ではなくて、戦争中に徴用されて東南アジアに送られた文士たちの様子を資料をもとに描き出したものだが、これがまた妙に面白い。こういうものを読んでいると思うのだが、当時の時代にとって小説という手段は今と比較して格段に大衆的な「拡声器」でありえた。現代ほど他にメディアが発達していなかったということもあるのだろうけれど、その結果として作家たちに小説を書かせることが国家にとって重要なプロパガンダたりえたのである(掲載されるのは部数の少ない文芸誌などではなく、総合誌であり、一般的な新聞である)。だから、軍としても中に「反軍思想」がある者がいることを重々承知の上で彼らを徴用した。多分、今の時代に仮に日本が戦争をしたとしても、そのプロパガンダのために作家を徴用することはあまりしないのではないか。それよりも、例えばテレビであり、映画であり、あるいは漫画などのほうがよっぽどプロパガンダの力があるはずだ。
ところで、このときに徴用されたかどうかというのは、当然ながらその作家の人生に大きく影響を与えているはずだ。最初から徴用の対象にならなかった保田與重郎(もっとも彼はその後、兵隊として出征するのだが)、身体検査で徴用から免除された太宰治、徴用されたが少しばかり睨まれていた井伏鱒二、等々と考えていくとやはり戦争への関わり方がその後の文筆活動を大きく左右しているように見えて面白い。例えば太宰が徴用されていたとして、一体そのとき、そしてその先の戦後、どのようなものを書いただろうか。果たして「人間失格」などの諸作品はそれでも書かれていたか。徴用という事態は、当然ながら作家の中にある種の開き直りを強要する。この文章の中に、井伏鱒二が山下奉文将軍に「叱られた」という逸話があって、おかしい。シンガポールでの出来事だが、山下将軍をくわえ煙草で出迎えてしまった井伏に対し、将軍は「軍人は礼儀が大事だ。こんなものは内地に追ひ返してしまへ」と一喝する。井伏は「はい、軍人は礼儀が大事であります」と復唱して、将軍に敬礼をしたという。そうして、井伏は戦時下のシンガポールで「花の町」を書き、そして戦後には「黒い雨」や「遥拝隊長」を書いた。そこには、戦争や国家そして組織や人間というものに対する、淡々としてしながら実は冷徹な視点があるように思う。それを、徴用という経験が準備したのだ、と言っては言い過ぎになるだろうか。
--------------------------------------------------------------------------------
小森陽一『〈ゆらぎ〉の日本文学』 投稿者: 管理者 投稿日:10月20日(月)10時24分1秒
近代日本文学もしくは近代日本語には、いつも奇妙な転倒がつきまとっている。その転倒とは、そもそも内実のなかったものをもともとあったものであるかのように仮構するという、その捻れにすべてが起因している。その転倒をベースにさまざまなものが派生的に「発見」されていく。それは独歩が発見したような「自然」の「美」であったり、あるいはそれに対応する形での「文学的個人」であったりもする。当然ながら我々の言語活動もその延長上にあるので、その捻れはもはやほとんどそれと気づかれないまま、今でもさまざまな形で歪みをもたらし続けている。空白でしかなかったものを実体があるものとして想定し、そのような「幻想」を再生産していくという行為は、奇妙なトートロジーによる自閉化を進行させる。過去を参照することなく、どちらかと言えば西洋的な視点からそれを権威づけ、しかし一方でそこになにがしかの伝統と思われるようなものをそそぎ込み、そこに純粋なる何かの実体としての「日本文学」であり、「日本語」であり、「日本」を夢想し続けること。それは、日本的ナショナリズムが辿った奇形的な自閉化とどこかパラレルにも見える。実際、そのようなトートロジーが過度に暴力的で抑圧的で急進的なものになるであろうことは容易に想像できる。
実際、同種の奇怪なトートロジーは、日本の小説や詩をめぐる観念の中にも、いやというほど見ることができる。俳句などより強い「定型感」に縛られているのは、実は小説や詩のほうなのだ、ということを僕は昔から思っているのだけれど、そう考えると俳句のほうが明確なルールとしての「定型」を早々と作ってしまったことによって、逆に身軽になってしまったのだとも言える。少なくとも、俳句の場合は奇妙なトートロジーに悩まされることが比較的少ない。純粋さという夢想の中にがんじがらめにならずにすむ、ある軽さを持った一本の道筋が、俳句の中にははっきりと見えてくる。
--------------------------------------------------------------------------------
『現代詩手帖1972/01 特集・荒地』 投稿者: 管理者 投稿日:10月20日(月)10時22分34秒
特集は「荒地」、副題に「戦後詩の原点」とある。「戦後詩」というのは考えてみれば実に独特な言葉で、その独特な言葉であることを反映するように「戦後詩」という詩のあり方も実に独特だ。名前のように、それはいつも戦争ということの影に生きていた詩であった。実際に作品を読んでみるとわかるのだけれど、それは過度に硬質な陰影にいつも彩られている。「荒地」が原型を造ったのかも知れないその「戦後詩」の彩りは不思議なほど長く広く受け継がれ、そこではいつも「死」であり「孤立」であり(飯島耕一氏)、といったことが歌われていた。およそ、そういったもの以外は「詩」だとは認めないとでも言うかのように。その「死」と「孤立」はいつも1945という数字に送り返され、そしてそこからさまざまなものを汲み取ってきた。驚くべきことに、この単純な環流こそが戦後詩という総体を支える堅牢な構造であったと言ってよい。といって、別にそのような構造自体を貶めようとするつもりでは毛頭ない。ただ、そのようなものがこれほど強く長く戦後の詩の歴史をほぼ独占していたという、その事実に驚くのだ。
となると、さらに興味があるのはこの「戦後詩」というものが一体いつ終わったのか、ということ。というのもおそらく、今の詩を「戦後詩」などと呼ぶ人はいないはずで、でもだとすれば一体どこにその境目があるのか。1945という数字が一体いつからその力を他の何かに譲り、そしてその譲ったものとは一体何だったのか。僕の眼には、「戦後詩」の後には個人的な解きほぐしが幾重にも折り重なっているようにしか見えない。そして、「戦後詩」の重さを乗り越えるには、やはり「ポストモダン」とはあまりにも薄っぺらなものだったと言わざるをえない。いずれにせよ、そのような分水嶺が間違いなくどこかにあるはずなのだけれど、それをどこに置くのか、それは誰が詩に詳しい人が検討してほしいものだ。
--------------------------------------------------------------------------------
岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』 投稿者: 管理者 投稿日:10月 7日(火)09時41分32秒
土俗が持つ怖ろしさというものも確かにあって、岩井氏の作品は自身の故郷である岡山を中心に、そのような土俗の怖さを徹底的に掘り起こしている。迷信、近親相姦、人肉食、奇形、出生の秘密、放火や殺人、そういったテーマを陰に陽にちらつかせながら、全体を彩っているのは勿論、村落共同体が持つなんとも抑圧的で意識や因習である。そして、そのようなものに対して方言やその他地方独特の言葉といったものがさらなる味付けとして用意されている。
勿論、このようなものを「怖い」ものとして意識させる根底にあるのは、ある種の陰湿に共有される共同体意識である。まさしく、「恥の文化」と言われるような、日本的な意識のあり方が、上記のような中では特にいびつに現れてくる。その様がいかにも怖い。そういった意味で、一番印象的だったのが「密告函」という短編。コレラが流行る村を舞台なのだが、村民たちはそれに感染したことを隠そうとするため、村役場には無記名でコレラ感染者を通報できる密告函が設置される。そして、その密告函の管理を任務とされてしまった村役場の役人が主人公なのだけれど、当然のように彼はこの密告函の中に渦巻く村人の陰湿な意識に直面することになる。ちなみに今、我々は例えば2ちゃんねるでも覗けば、この役人の意識を垣間みることができる。あれも、インターネット時代の密告函のようなもので、見ていると実に興味がつきない。
ところで岡山は、周知のようにあの八墓村の舞台となった連続殺人事件があった舞台でもある。勿論、この陰湿な事件の裏にもまた陰湿な村の意識があったのだろう。そのような共同体の記憶は、数十年のときを経ても奇妙な形でぽっと違う形で噴出することがある。岩井氏の小説もまた、そのようなもののひとつなのかも知れない。
--------------------------------------------------------------------------------
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 投稿者: 管理者 投稿日:10月 3日(金)10時30分5秒
村上春樹による、スコットランドとアイルランドの紀行文。単なる旅行記ではなくて、ウィスキーをめぐる旅行記。それで、こんなタイトルの本になっている。
アイルランドには僕も数年前に行った。この本の中で、アイルランドとはその国を離れることによって初めてそこが「美しい国」であったことを実感できるというくだりがある。この指摘には実に共感できる。アイルランドには、特別にスペクタクルな観光名所がそれほどあるわけでもない。だが、その国の美しさは印象的だ。町並や平原の美しさ、そして何にもまして僕の印象に残っているのはアイルランドの森の美しさ。木と草と水と光と、そういったものが淡く繋がりあいながら存在していたアイルランドの森。日本の森ではなかなか味わうことのできない不思議な美しさがあった。そういった旅の残してくれた印象は、きっと人の心の中で成長し、人の中の何かを潤わせるのだろう。少なくともそのように思いたい。旅というもの自体、基本的にはそのときよりも振り返ってからのほうが美しい。どんな旅でもそんなものだ。そんな意味では、アイルランドとはまさしく旅行にうってつけの国なのかも知れない。