<長崎市長銃撃>
事件から1年 暴力追放訴え
4月17日13時39分配信 毎日新聞
伊藤一長・前長崎市長(当時61歳)が元暴力団幹部の城尾哲弥被告(60)に銃撃され死亡した事件から、17日で丸1年を迎えた。銃撃現場では小雨の中、前市長をしのんで手を合わせる人たちが時折訪れ、市内の平和公園では暴力追放をアピールする座り込みも実施された。城尾被告は殺人や銃刀法違反などの罪で死刑を求刑され、5月26日に判決を言い渡される。
長崎市役所では、田上富久市長(51)が事件後の1年を振り返り「(事件については)一言では言えない。当時の重い感覚が体に残っていて、それが改めてよみがえってくる気がする。前市長の遺志を継いで、残された私たちで、長崎をいい街にしていかなければならない」と語った。
平和公園での暴力追放と言論の自由を訴える座り込みには約80人が参加した。映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題なども取り上げ、「社会全体に言論を圧殺する風潮がまん延している。銃撃事件を風化させてはならない」と訴えた。
座り込みを呼びかけた一人、元小学校教諭の平野伸人さん(61)=長崎市=は「(本島等・元市長と)2代続けて市長が銃撃されることは平和都市・長崎であってはならないことだった」と語った。
一方、銃撃現場近くでは、テレビで一周忌を知った、山口県岩国市の桑重照子さん(75)とめいの西村真弓さん(59)が、選挙事務所が入っていたビルを訪れ、合掌した。桑重さんは「伊藤さんが殺害されたことにものすごく衝撃を受けた。あんなことは許せない。『一長さん、安らかに眠ってください』と手を合せました」と涙をぬぐいながら話した。西村さんは「平和を愛する気持ちは私たちも変わらないし、私たちが受け継ぎたいと思います」と語った。
事件発生から早いもので1年の歳月が流れました。
(私も含め)長崎市民として過ごした経験のある者ならば、恐らく1年前の今日銃撃事件の一報を聞いた際、「またか!?」という戦慄を覚えたことは間違いないはずです。
管理人の出身地である長崎県五島市からは、1990年(平成2年)に右翼団体構成員に銃撃された本島等元長崎市長と、現在の田上富久長崎市長が産声を上げています。
当時小学生だった私は、夕方のトップニュースで「本島市長銃撃される」の報道を知り、政治家という職務が常に暗殺と隣り合わせであるということを幼いながらも感じ取った記憶があります。
民主主義社会における要人襲撃、言論テロという蛮行は、国家存続の根幹を揺るがしかねない大事件であり、実際に有史上は「暗殺事件」によって歴史が暗転した事例が数限りなくあるのです。
自由民主主義社会とは何か?それは、「あなたと私の意見は異なるが、私はあなたの意見も尊重したい」という一言に尽きると思います。
1960年の安保闘争の最中、注目される左右二人の「国士」がいました。
一人は、日本社会党中央執行委員会委員長の浅沼稲次郎。
もう一人は、大日本愛国党総裁の赤尾敏です。
巨体と張りのあるダミ声、しかしながら飾らないキャラクターで長年に渡り社会党書記長として戦前から戦後の社会主義運動を牽引した浅沼氏は、「人間機関車」としてのバイタリティーから、党派を超えた支持を集めていました。
この時は社会党及び革新運動のリーダーであった浅沼も、戦時中は麻生久のもとで国家社会主義的極右運動に邁進していたとされており、生涯に渡り天皇陛下・皇室を崇拝していたとも伝えられています。(1945年の社会党結党大会では、書記長・西尾末広ら右派指導者と共に「天皇陛下万歳」を三唱。左派の荒畑寒村らの逆鱗に触れます)
面白いことに、一方の赤尾敏氏の場合、戦前は極左社会主義運動の過激派として知られるという点が浅沼と正反対であり、更に奇遇なのは両者共に若い頃に東京都三宅島(ここは浅沼一族の出生地です)で交流があったという点も挙げられます。
日米安保改正反対を巡り、社会党は左右に分裂。右派の西尾末広派と河上丈太郎派の一部は集団離党して、新党「民主社会党」(後に略称「民社党」に党名変更)を樹立する等、政治情勢は混迷を深めて行きます。
この困難な時期に委員長に就任した浅沼氏は、日比谷公会堂での「自民・社会・民社3党首立会演説会」の壇上で、元愛国党員であった右翼少年の凶刃に倒れ息を引き取ります。
会場には、ライバルであった赤尾敏の姿もありました。奇しくも自身の門下生だった少年が浅沼の体に刃を突き立てる瞬間を目撃してしまった赤尾の驚愕は如何ばかりであったでしょうか。
(なお、事件発生時は殺人教唆の疑いがあった為、赤尾自身も当局の取調べを受けています。浅沼死去後、赤尾は享子未亡人に慰めの電話を掛けたと言われています)
日本社会党機関紙局が故・浅沼委員長の追悼本として出版した『驀進』の中には、社会党葬で弔意を述べるかつての同志・西尾末広氏の言葉が掲載されています。
要約すれば、「主義主張の相違から袂を分かち合った浅沼君だが、人から憎まれることはなかった。ましてや殺されるような人では決してなかった…」とあります。
日本人の倫理道徳観で最も気高い点があるとするならば、それは死者への思いやりでしょう。これは唯物史観・無神論者には理解出来ないことかも知れません。
(靖国問題でも英霊の御霊という観点から、それは言えるかも知れません)
言論の封殺は反論の機会を永久に失わせるのみならず、暗殺者の属する勢力にすら打撃を与えるという事実を右も左も今なお悟っていない面が見受けられます。
伊藤前長崎市長に向けられた2発の銃弾は、全議員・政治運動家・並びに全ての有権者に対して行われたテロであったと今は定義付けられ得るはずです。
今日の長崎も昨年の伊藤氏が逝去した時と同じ雨でした。