報道などでも伝えられている通り、1977年(昭和52年)11月15日に新潟県新潟市寄居浜から、下校途中に北朝鮮工作員によって拉致された横田めぐみさん(拉致当時13歳・中学1年生)の夫とされる人物が、日本政府のDNA鑑定によって、1978年に韓国の仙遊島で海水浴中にやはり北朝鮮に拉致されたキム・ヨンナムさん(拉致当時16歳)であったことがほぼ確定されました。
いたいけな子供達にまでその魔の手を伸ばしていた北朝鮮金正日一味の残虐非道振りには改めて激しい怒りがこみ上げて来ます。
拉致被害者同士を結婚させることによって、北朝鮮の体制に順応させ(またお互いの配偶者・子供を人質に取るという意味でも)対南工作に利用し続けているのですから、これ程の狡猾な犯罪は他に例がありません。
めぐみさんが拉致された事件は複数の情報筋や「救う会」関係者、警察庁関係者の間でも、「工作員を目撃した為連れ帰った」といういわゆる「遭遇拉致」ではなく、金正日による「日本人教官を獲得せよ」という直接命令による拉致であった可能性が極めて高いと考えられます。
以前に私が元北朝鮮工作員の安明進氏の講演で氏から直接聞いた話なのですが、ほとんどの拉致事件の場合は予め厳密な選定活動(拉致対象者のピックアップ)を行い、それに基づいて日本国内に浸透している協力組織がターゲットをオルグする等して騙して誘拐する場合や、個人名を特定しない(例えば日本人の若い女性…といった様に)形での連れ去りが主であった様です。めぐみさんの事件は最近になってどうやら複数のルートから「選定拉致」であったという指摘もあります。
1970年代の半ば(具体的には1976年?)に、北朝鮮の朝鮮労働党高級幹部の娘(当時小学生位の女児であったという)がバドミントンに興味を持ち、年齢の近い指導コーチを欲していたという話があります。
バドミントン…このキーワードの延長線上には横田めぐみさんが結び付けられます。拉致事件の直前、めぐみさんは所属していた寄居中学校バドミントン部の強化選手に抜擢されており、拉致されていなければ中学体育連盟主催の大会や他校生との強化合宿にも参加していたはずでした。
通常、学生の体育会系や文科系のクラブ活動で成績を修めた生徒さんは都道府県の教育機関のリストにその個人情報が掲載されるのは常識です。
ここからはあくまでも私の推測の域を出ないのですが、もしこの時横田めぐみさんのデータが何らかの形で北朝鮮工作員(若しくはそれに順ずる者達)の手に渡っていたとしたら?
私の推測を裏付けるかどうかは分かりませんが、横田めぐみさん拉致事件の数日前に、警察庁の電波傍受機関(通称「ヤマ」と呼ばれ、現在までその存在は公になっていない)が、北朝鮮の日本海に面した清津連絡所から工作母船が発進し、数日後(めぐみさん拉致事件の当日?)新潟県寄居浜の30km沖で工作母船が清津と連絡をしているのを傍受していたそうです。
警察庁はこの時新潟県警警備部に対し、「コリアン・ボート情報」(1972年の佐渡島の北朝鮮工作員密入国事件以来、監視が強化されたという)を発令し、事実新潟県警は工作船接近の警戒にあたっていたと言われています。
もしそれが本当であれば、横田めぐみさん拉致事件がなぜ未然に防げなかったのかと悔しくてなりません。いずれにせよ、警察も日本政府も北朝鮮による日本人拉致事件はかなり早い段階から把握していたことは間違い無いはずです。
2002年9月17日以降、北朝鮮当局が出してくる情報は嘘の上塗りばかりです。偽遺骨、死亡年月日の誤り(そもそも本当に「死亡」したとは考えにくい!)
日本国民の中には「北朝鮮があれだけ言うのだから本当に亡くなっているのではないか?」という人もいます。しかし、それこそが北朝鮮の狙いなのだということをどうか早く気付いて欲しい。
韓国の国家情報院(旧国家安仝企画部)によれば、2002年9月の日朝首脳会談直前に、10名程の日本人が招待所を移されたといいます。
10名ということは、帰国した5名の他にもまだ拉致被害者が生存していたということになり、それだけに未帰還の拉致被害者の「死亡」宣告を受け入れてしまうことが如何に危険なことかを考えさせられます。
横田めぐみさん達は生きています。
