私が
『ゲド戦記』の公開日に緊張しても、なにも始まらないが、
宮崎吾朗氏の心臓はバコバコしてるんだろうなあ。
一つの作品を作り上げ、それを一般の人々に見せるという一連の作業は、私たち一級建築士も日常業務で行っている。ただ建築と映画の大きな違いは、建築はその作品となる建物が建つまでに、ありとあらゆるプレゼンテーションの機会があり、不特定多数の人の目に触れる。ざっと考えただけでも下記のような人の目に触れる。
@事業主(デベロッパー、発注した行政、施主自身のこともある)
A行政(確認を出す特定行政庁(最近は民間指定機関)、建物が建つ土地の行政とインフラ・諸処の関係が絡む行政窓口(消防・教育委員会・下水等々…))
B施主(住宅の場合、施主自ら設計委託受けた場合)
Cその他一般の人(分譲マンションならパンフレット、コンペティションなら審査員や作品公開されたら不特定多数の人)
このように、建築を建てるまでに、ずいぶん多くの人の目に触れるというわけだ。上記以外にもケースバイケースでもっと多くの目に触れることが予想される。2年前に設計した寺院建築は、御住職以外に檀家さんらの目にも触れるし、仕事の内容如何によっては、最初から工務店と協調しながら設計を進めるので、工事関係者の様々な方々の目に触れることになる。
建築はもはや建築設計者と施主だけの秘められた作品製作であることはありえない。その建築に携わり利害が関係する大勢の人の目に触れ、設計に大きな影響を与え、場合によっては設計が頓挫したり、計画が大変更したりすることがある。”ことがある”ではないなあ。実はいつも大変更と頓挫の繰り返しで、最初のデザインポリシーはとっくにどこかに飛んでいってしまうことが多い。ある有名な建築家でさえ、
『自分の描いていた建築の5%も達成したとは言えない』と言っている。
『ゲド戦記』に話を戻すが、映画の世界を全く知らないで適当に書かせてもらうが、映画は少なくてもお客さんの意向を聞いたり、行政から指導を受けて内容が変更されたりすることはない。
(もちろん、特殊な映画ならあるだろうけど…)まして、監督の絵コンテや脚本家のストーリを大きく逸脱して作製されることは少ないと思う。
試写会でささやかに一般の人も交えたお披露目があるが、その時には既に99%完成されているだろうし、もはや作品に手を加えることはない。せいぜい公開される映画館の数や場所が変るだけだろう。
以上のように、作品によって、人の目に広くさらされながら作られるものと、制作関係者だけで作られるものがある。絵画に至っては、極論を言えば、画家本人以外の目に触れることはない。
さて、宮崎吾朗氏は今日から圧倒的大多数の人々の目に触れる作品の評価や感想の渦に巻き込まれ重圧感で逃げ出したくなるだろう。結果が良くも悪くも次の作品作りのばねになればいいですが。
もちろん、うちの家族もこの夏休みに映画館に行きます。前売り券買ったもん・・・(^_^;)