2006/10/31

夜空の白鳥と月明かり  雑感

 月明かりを背に鳴き交わしながら美しい編隊を組んで夜空を渡る白鳥。星空に浮かび上がる群れの羽ばたきは驚きと感動を届けてくれました。

 こんな真夜中に、ひたむきに飛び続ける姿は、疲れ気味であいまいになりかけていた思いを引き締めてくれました。はぐれるものが出ないように、ひたすら鳴き交わす...この暗闇の中をどうやってとんでいけるのだろう..

 かつては厳寒の中で何度となく白鳥の写真を撮るために足を運んだ湖や川。独特の羽ばたきの音、息遣いを思い起こします。彼らがいる、生きている。厳しい冬、身をすくめて吹雪に耐えながら生き抜く。その事実を思い起こすだけで不思議な力が湧いてきます。

 その力が形を変え、時を経て、笛の音と繋がる...。愛らしく美しい白鳥の夜の渡りを思い起こすとき、彼らを見つめる思いは明らかに変化していきます。この冬、彼らの姿を写真に撮る機会があったとしたら、今までとは違った瞬間にシャッターを切るような気がします。

 轟音を響かせて猛スピードで飛ぶ飛行機と華麗な姿で鳴き交わしながら飛ぶ白鳥の空。もし自分が飛べたなら、どんな姿で飛ぶのだろう...そういえば風船おじさんとやらがいましたが、どうなってるのかな...飛んでみたかったのでしょうね。
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2006/10/28

新しさの意味  雑感

 古い住宅のリフォームの真っ最中。居間と台所の窓と壁だけなのですが、内部のものは完全に移動しなければなりません。体力勝負の数日が過ぎ、体のあちこちが悲鳴をあげています。外気はすっかり冷たくなり、今朝は霜も降りました。そんな中でベランダの窓は薄っぺらなビニールシートを張っただけ。外と居間はビニールシートで仕切られているだけです。

 この状況は2週間ほどで終わります。その後には、新しい空間が待っています。先が見えている中での忍耐ですから、どこかに納得があります。しかし被災地の方々の場合は、見通しがつかないままの生活ですから、そのストレスは想像を越えていると思います。

 ガスは使えず、水も止まり、暖房は小さな電気ストーブ。荷物に取り囲まれて移動できるのは畳一枚ぎりぎり。炊事ができないので弁当を買い求めるか、外食。なんともいえないストレスがたまってきました。

 電気は使えますから緊迫感はありませんが、10時間以上の停電や断線で丸二日電気が使えなかったときなどは、完全に意識を切り換えないと身動きできませんでした。いわゆるライフラインの重要性を身をもって感じる生活は貴重です。人が肉体を持って生きている。それが支えられるために随分と多くのものを必要とするようになっていることを改めて感じます。

 今回のリフォームを機会に新しい視点で生活全体を見直すことになりそうです。混沌は新しい流れの必然。それを再確認しているような気がします。混乱は人生の根底を自分で操作できないことを知る機会であり、自分たちを支えているものが何かを知るきっかけかもしれません。
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2006/10/28

チャリティーライブ  雑感

 チャリティーライブの記憶は、チェルノブイリ、カトリーナ、モザンビークと繋がっています。これ以外の小さなものもありますが、これからも、そういう機会はあると思います。演奏活動をしていたからこそ知ることができたと思われる世界とのつながりは貴重な体験です。
 
 知らないところで援助を続けておられる方たちの熱心な活動に触れるていると、世界を支えている密かな力が様々なところで繋がっている..その一端に触れたのだと強く感じます。そうした活動に携わっているかたがたのエネルギーはドラムパフォーマンスの時にとてもよく現れました。

 静かに淡々と活動しながら、必要なときには力強い動きをする。魅力的な方々との出会いは、それぞれの人生の持ち場を大切にする思いを促してくれました。残された人生の歩みの中にどんなチャリィティーライブが待っているのか分かりませんが、じっくりとその意味を学んでいきたいと思っています。
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2006/10/15

休息  雑感

 疲れたら休む。この当たり前のことが疲れすぎて思い起こせませんでした。何度かブログの下書きを試みたのですが、どうも書いてはいるけれどポイントが絞りきれません。3度書き起こして全部没でした。敢えて書く必要はないことを、書かなければという思いだけで綴ろうとしているのです。

 そんな状態の中で、先日の秋であい展の関連で数人に電話連絡をしていました。すると、一様になんか声が疲れてて、元気がないようだけどという言葉を口にしたのです。別にそんなこともないけどと答えながら、電話を切ったあとで、どことなく体全体が重だるいな...と感じ始めました。

 エネルギーを目いっぱい注ぎこんだので、当然といえば当然なのですが、気持ちは若いときとあまり変わらないと思っているのに、どうも身体がついてこない..。まあ、徐々に年齢にあわせて行動していこうと呟いてました。

 ところが、年代の若い方たちも、それぞれに疲れた〜。昼寝したら起きられなかった..と言っていました。疲れることも、休みが必要なことも、年齢とは関係ないんですね。ポイントは、疲れていて休息が必要な状態に気づいて、速やかに休息することのようです。

 ブログの原稿を書くことは、いついつまでにどうしてもというものではないので、何度書き直したり没にしても致命的なことにはなりません。でも、これが大切な約束だったり、身に危険を及ぼす機械操作だったり、運転だったらまずいです。慣れいるものほど、危ないと思うのです。慣れているというのは、それなりに自信があるということでもあるわけです。ところが疲れていると、集中力が弱っているので、思いがけない大怪我や事故を招きかねません。

 心身ともに、自分の状況に合った休息をとる知恵が必要ですね。ふわふわと居場所が定まらない心のまま、頭の中、意識だけが空回りし始めたなと感じたら、一服したほうがよさそうです。仕事の能力は、うまい休息の知恵との二人三脚でしょう。勤勉さとはひたすら働いている姿を作り上げることではなく、知恵ある休息との調和を保てることかもしれませんね。

 自分では気づかない自分自身の状態。鏡や水面のように自分を映し出すものが何もなければ、自分がどんな形で生きているのか知ることができない。それと同じように、自分自身の心も自分以外の何かに触れて初めて気がつくように思います。ラブフルートやドラムや歌は、そのアイテムの一つのような気がします。

 そんなつもりはないけれど、どことなく力が入っていたり主張が強すぎたり、巧みさを示そうとしたり、がむしゃらだったり、投げやりだったり、無気力だったり、満たされていたり、感謝の思いがあふれてきたりしながらのラブフルートの時間。吹いてみるまで気づかなかった自分を感じる時間が、ひとつの休息になればいいですね。
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2006/10/7

ほどよく熟す  雑感

 落下寸前のプルーンやブラックベリーは実に甘味と酸味が程よくとても美味です。暖かさと寒さが反復するこの時期に見事に熟していくのです。酸っぱくて顔をゆがめていた人たちには申し訳ないのですが、身体が幸せでやわらかくなるように素敵な甘さのブラックベリーでした。

 プルーンも見事に実って、450ccの保存ビンに20本ほど出来ました。この冬の間、紅茶に入れたり、パンに塗ったり、ヨーグルトと一緒に楽しむ予定です。このプルーンの最高においしいところは、虫たちが先に食べています。人間はそのおこぼれをいただく感じです。木の実は人間たちのためにだけあるんじゃないよ..と自然は歌っています。

 それにしても、落下寸前の成熟した実は、そのプロセスを通して大切なメッセージを伝えているようです。つい先日、今までに届いた手紙の数々を読み返していたのですが、その時なりに熱心に綴られた言葉が、青くて未熟な部分がいっぱいあるものです..。勿論、自分が書いた手紙もかなり青臭いのだと思います。

 いつ落下するかわからない人生ですが、これはなかなか美味だな..と思っていただき、食べていただけるのでしょうか..水分も栄養も太陽の光も空気も適度にあってこそ、調和の取れた味を生み出すのでしょう。せめて、まずくはないな..と思っていただける味になれればいいのですが...そんなこんなを思い巡らしながら、残り少ないブラックベリーを数粒ヨーグルトに入れて楽しむことにします。彼らのように、見事に喜びと楽しみを携えられる実になれるだろうか..
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2006/10/3

石探し  雑感

 なぜその石を選んだのか..山奥から戻って、ふと考えました。赤井川での演奏を終えた翌朝、川原に出て石探しをしました。フルート持って、双眼鏡を持って、散策しながら、辿り着いた川原は、見事な青い空と美しい流れとわずかに染まり始めた木々が取り囲んでいました。

 一瞬夏の記憶がよみがえるような、秋の日差しのなかで、せせらぎに全身を包まれながら石を探して歩きました。銀の採掘場だったことも関係あるのでしょうか..普通の川原では見られないような不思議な石たちが待っていました。

 どれがいいかな..と探すとき、一体自分は何を探しているのだろうという思いがよぎります。何が石を手に取り、持っていたいと思わせるのだろう。色、形、重さ、感触...。5人で石探しをしたのですが、それぞれの楽しみ方、過ごし方もまた、あたかも一つ一つの石のように個性的でした。

 時折、明らかな意思を持って、そういう形になっていると思わせるような石に出会うと不思議な感覚になります。普段の生活では、そのほとんどは人間がなんらかの意志を働かせて形作ったものが溢れています。真ん丸とか長四角とか三角の石を見つけると、つい誰かが作ったのではないか..と考えてしまうのです。

 今回の演奏もそうですが、初めてで会う方たちがたくさんおられました。色んな場所、集まりがあります。そんな中で実際にお会いし、お話をし、接点をもつ方。それは川原で石を見つけて手にすることと似ています。別な視点でいうと、一つ一つの演奏の場もまた、一つの石のようでもあります。

 石のことを専門的に調べたり、分析して成分を並べることもできると思いますが、何よりも興味深いのはそういう塊が存在することです。そして、人はその中のひとつをとても気に入ったり、持っていたいと思うということです。

 明らかに、石は自分よりもはるか昔から存在しているわけですから、自分が石を選んでいるというよりは、石がその出会いのときをずっと待っていたというほうが良いのでしょう。私たちが認識できる時間はとても限られているんだ...素朴にそれを感じます。

 赤井川村には、文字通り、赤い川と白い川があります。帰りに道を間違えて、思わず辿った険しい道はずっと白い川に沿っていました。とても美しい世界でした多分、またいつか行ってみたいと思う場所のような気がします。 

 ちょっとした石探しが、こうした様々な心や思いを動かしていくのですから...また、どこかで石探しをすることになるのでしょうね。
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2006/10/2

赤井川ドラム  ラブフルート

 赤井川で焚き火を囲んで過ごしたいというお話を伺って、出来ればひとつでも多くのドラムがあればと思い、急遽3個のハンドドラムを取り寄せることにしました。エルク、ムース、バイソンの3個です。これに今まで使っていたバッファローなども含めたビッグドラム、ハンドドラムがありますから合わせて7個が響きをあわせたことになります。

 赤井川の地形そのものが、あたかもドラムのように丸くて周囲を山々に囲まれていますから、大小7個のドラムに応えて赤井川全体が鳴り響いているような不思議な時間になりました。激しい雨だったので焚き火はあきらめなければならない..そんな思いもありました。しかし、結果的には雨で大気のチリがなくなり、澄んだ空気の中に浮かび上がる月に見守られながら川辺で火を取り囲んで過ごす事ができました。 

 静かに踊ろうという熊の踊りをしながら、ライブ会場から外まで練り歩き、しばし炎の周りをドラムと踊りで巡りました。最後には駆けまわり静かな輪が、元気一杯の輪になっていました。

 ドラムはいつも不思議なエネルギーの場を作り出します。手にする人のエネルギー、その場のエネルギーが目に見える形で現れる...。そんな感覚があります。それを見たり感じたりしているのはいいものです。

 貴重な動物の皮で作られていますから、大切に扱わなくてはという思いが常にあります。その響きは和太鼓のように皮をパンパンに張ってはいませんから、周囲の気温や湿度でかなり変化します。まるで生き物のように変化していますから、叩く時はいつも何か違うものを感じます。持ち方や叩き方で変化するのは当然ですが、何よりも気持ちを敏感に現しますし、フルートよりも素朴に触れることができます。まさしく人はリズムを持って生きているな〜と感じることができます。

 4個のドラムは、随分と色んな形で響いてきました。これに新しい仲間が加わって、また新しい旅と出会いが待っているのだと思います。淡々と打ち鳴らされるドラムの響きは、存在しているすべてのものと繋がり、共に生き、生かされていることを身をもって感じさせてくれる素敵な知恵なのでしょう。

 ドラムを叩き続けていると、やがて歌が生まれてきます。ドラムの響きは世界のリズムを象徴しています。そのリズムを感じるとき、心は引き出されてきて、題名のない密かな歌を歌い始めるのです。そこでは殊更な言葉は必要ないように思います。言葉を止めて、自らの思いに触れる。そのときラブフルートが届けられるのです。言葉にならない思いを歌うために...。

 激しく打ち叩くドラムではなく、静かで深い知恵に満ちたドラムの響き。そのリズムに引き出されるように笛の音が流れ始める。或いは、笛の音が流れていると、どこからともなくドラムが歌いだす。そんな静かな時間を大切に、次の旅の準備を始まています。
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