2007/2/24

風に吹かれて  ラブフルート

 新年からずっと置いたまま使っていないお気に入りの硯があります。書初めでもと思い立ったものの、結局は書かずに2月も末になってしまいました。とにかく書き始めてみようと思うのですが、なかなか行動に至らないのです。

 何故かなと考えてみると、上手に書けない、書くとは言っても何を書けばよいのか..漠然としているのです。必然性や動機がないといえば、それもあります。それなのに、なぜ書いてみようと思ったのか..。遥か昔にほんのわずか書道を習っていたころの記憶、懐かしさのためだろうか。何かを手にして書いてみるというのは、多分本能的な行動なのでしょう。何かしら、手にとって行動する。この単純な動きから、随分といろんなものが生まれてきたのだと思います。

 ある意味、書くことを想像しているだけで満足しているのかもしれません。きっと書き始めれば楽しさも喜びもあるのだろうと想像しているだけでは勿体無い。こうしてブログに書いたことをきっかけに、とにかく始めてみよう。逆にいえば、いよいよ書いてみようという気持ちになってきたのかもしれません。

 なぜこんな事を書いたのかといえば、多分ラブフルートを手にしようかどうか迷っておられる方、或いは手にされたけれど吹くにはいたっていない方も、似たような状況かもしれないと感じたからです。

 具体的な行動をはじめるまでに、いろんな風が吹きます。いよいよ事を始めようとすると新たな風が起こります。自分が動けば風は起こりますし、動いたことによって別の風が吹き始めます。向かい風や追い風です。せっかくの思いを中断させたり、くじけさせる向かい風は、色んなところから吹いてきます。逆に、追い風が吹くこともあります。心地よい声援や理解があるとスムーズに船出できるわけです。但し、強すぎる追い風は、向かい風以上に厄介かもしれません。

 風がない、いわゆる無風状態ですと、居眠りしたり、だらけたり、無気力になりかねません。むしろ吹いてくる風をどう操りながら進んでいこうかと知恵を使いながら、旅を楽しむのが良いのかもしれません。

 今年も、風に吹かれて工房に足を運ばれたり、電話やインターネットでアプローチされる方がやってきました。新たな気持ちでレッスンを希望される方もおられます。目に見えない風が、まだ見ぬ時の流れとつながって、人々の心に吹きぬけ始めたようです。ラブフルートと出会われた方々が、自分の心の中に吹く風や人生に吹き込む風の流れを感じながら旅を続けておられます。そして、新しい方々もゆっくりと加わり続けています。それぞれの愛の笛の物語を綴る旅。いつか再会することがあれば、きっと不思議な物語を耳にすることになりそうです。
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2007/2/17

プレートの厚み  ラブフルート

 今年になって、ラブフルートに使用している真鍮のプレートの厚さを0.3mm増やしたものを製作しはじめています。変形しにくくと思って選択した素材でした。ところが、この0.3mmが加工の面では苦戦そ強いられるものになりました。数字にすればさしたるものではないようですが、実際に加工するとなると随分と違います。

 厚みのあるものを使用すればしっかりとしたものにはなるのですが、仕上げるまでの時間が予想以上にかかってしまいます。さらに、これまでの厚みとの微妙な違いが音色の変化を生み出し、バードの形状も微妙に変えざるを得なくなりました。様々な側面から、新しい試みをはじめなくてはなりません。

 プレートに厚みがあるということは、吹き込まれるブレスの量が増えることになりますから、ふーっと息を吸い取られるような感覚が出てきます。逆にいえば、プレートが薄いと、少し詰まった感じになるともいえます。厚みが増すと、音色は比較的柔らかく、音量が出ることになります。但し、高音域の切れがなくなり、ぼやけた印象になります。これからは樹種や切り出された樹木の細胞、響き具合に合わせてより木の声を生かせるプレートの選択という要素が加わることになりそうです。

 音程はブレスとバード形状とポジショニングのバランスで生まれてきますから、同じフルートでプレートを付け替えて雰囲気の違う響きを楽しむことはできますが、音程の正確さを保持することは難しくなります。アンサンブルを楽しむ時は、音程の安定したプレートを使用し、個人的に楽しむときは少し柔らかめでシャープさを軽くした印象で吹くという選択が可能です。勿論、その逆も可能です。演奏ではやわらかめで、個人的な時間にはシャープな印象の音色を楽しむのです。

 プレートの厚さを変えることで生まれる変化は微妙です。しかし、それは随分と心理的な部分に影響するともいえます。やや絞り込んで、比較的はっきりした発音になる薄めのプレート。やや開放された感覚で、やわらかめの発音になる厚めのプレート。正確な音程にこだわらなければ、一本のフルートで違った感覚を楽しむことができます。ちょっとおしゃれに、場に合わせたり、音の流れに合わせてプレートを付け替えるという楽しみ方が出来ます。。

 もう少し別なバリエーションとしては、プレートなしで吹くためのバードや響き方の違うバードをオプションで楽しむこともできます。音程の正確さを必要とする場合は、調整に時間がかかることもありますが、正確さを必要としなければ比較的容易に組み合わせることができます。

 フルート製作のポイントは、単に本体の樹種やデザインではなく、どんな音色を良いと感じ響かせるかなのだという点を多少なりともご理解いただければと思ってます。今回の内容が、より緊密に内面とのつながりをもつマイフルートを手にする参考になれば幸いです。
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2007/2/14

タフなラブフルート  ラブフルート

 年が明けてからは、深夜まで製作作業が続くという状況ではなくなりましたので、少しブログに時間が取れてます。曲つくりは小休止。演奏の予定もほとんどないので、このまま衰退してしまうのかもしれない。そう思っていたら、突然ラジオ放送の話やフルートのオーダーが入り始め、演奏の依頼もやってきました。演奏の機会が多くて、製作が少なかったのが一昨年。演奏が少なくて、製作が多かったのが昨年。今年はどんなことになるのだろうか...まずは楽しんでいます。

 今年のちょっとしたテーマは、タフに使えるラブフルートです。磨き上げてピッカピカで、ぶつけて傷でもつけたら大変。工芸品や美しいクラフトといったフルートじゃなくて...。アウトドアに持っていって、傷は勲章だくらいの感覚で使えるようなフルート。

 ナイフで殺ぎ落とし、炎で焼いた、荒削りの短いフルートは富士山にも、海外にも連れて行く愛用のフルートです。傷のあるイチイのフルートも、表面はギザギザで、ひょいと手にとって出かけても平気な仕上げです。これを製作するときは、磨き上げるフルート以上に手間がかかりますが、気楽さが心地よいです。

 これまで製作してきたナチュラル仕上げのフルートは、ちょうど中間的なスタイルになるかもしれません。さらに、昨年から製作してきた、もっともっと短いフルートのナチュラル仕上げは、気軽に持って歩けて、多少タフに使っても気にならない両面を合わせたフルートです。但し、音量と音程には多少制約があります.

 タフというときのもうひとつの側面は、強めのブレスで吹き込むフルートです。音量があって、アグレッシブな演奏を楽しむときのフルートです。トーンホールを大きめにすることで音量が出ますし、指の使い方を工夫することで中間的な音が生まれる楽しみもあります。

 静かに自分と向き合うときに吹くフルート。活発な動きの中で吹くフルート。楽しく遊びの中で吹くフルート。明確に自分の思いを歌い上げるときに吹くフルート。さまざまな要望や願望に出会いながら生まれてきたラブフルート。柔軟に、可能な限り、一人一人の思いに応えたいと思いながら作り続けて来ました。いわば、皆さんと工房の合作ラブフルートです。愛の笛の物語を読み返しながらの旅は、まだ続きそうです..。
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2007/2/14

新しい可能性  ラブフルート

 この3月上旬に札幌の中心街で開かれる展示会に参加してラブフルートに触れていただく計画があります。ご注文のフルート製作が一段落しており、この機会に新しい試みをしてみようと思っています。

 どこまで実現できるかは分からないのですが、その一つは一本で二つのスケールが演奏できるフルートです。古い文献の中で紹介されているラブフルートのチューニングコントロールの仕組みを応用できるかもしれないと思っています。これは、かなり試作をしなければ難しいことなので、展示会には間に合いそうもありませんが、取り組み始めるよい機会になると思っています。とりあえず、地道に手探りしていく中で生まれてくる可能性はあります。

 もうひとつは、シングルで吹いているフルートにドローンのフルートを組み合わせてドローンタイプのダブルフルートとして演奏できる可能性を考え中です。共鳴のことや、扱いやすさなどでかなり検討が必要になるとは思うのですが、まずは自分が欲しいと思うフルートに取り組んでみたいと思っています。ドローンスタイルには、いくつか構造的なアプローチがあるのですが、それぞれに長所と短所があります。妙に大掛かりでだったり、見た目で圧倒するようなものにはしたくない。さりげなく奥深さのあるフルートになればいいと願っています。

 この他にも、製作にあたっていくつか検討し続けなければならない基本的な課題があります。水分がバードのスペースにたまって音が出なくなるという構造をどう取り扱うか。とりわけ冬季は結露状態になりやすく、その傾向が強くなります。上部の空間にかなり大量の暖かい空気を送り込みますのですぐに飽和状態になるのです。金管楽器のように水分を抜く弁のような構造を組み込むことも可能ですし、実際そうした工夫をしたフルートもあります。ただ、そのような対応をし始めると素朴な木のフルートが次々と変化し始め合理的で機能的な楽器になりかねません。というわけで、出来るできないと言うより、そうすべきなのかどうかという問題に直面し続けています。

 出来る出来ないの流れからすると、本体の下部を差し替えてキーを変えて使うフルートもあるのですが、これまたちょっと違和感があるところです。端的に言えば、マウスピース方式にして本体をいくつも作れば良いわけです。そうなると、どこがラブフルートなのか曖昧になってきます。あくまでも、基本的なフルートの構造やスタイルを保ちながらも、多様性を生み出せるというあたりが大切かと思います。原則は、刃物ひとつとヤスリで作る素朴なフルートのラインだろうと思っています。
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2007/2/12

与えられた場の意味  雑感

 それぞれが生かされ、与えられている場があることを改めて考えています。日本といえば東京。あらゆるものが集結している都市。そこでネイティブアメリカンの演奏とパフォーマンスが開かれるというお知らせをいただきました。連絡をいただいたことを感謝しつつ、はてさて自分は行くのがよいのかやめたほうがよいのかしばらく考えていました。

 動いてみようとする気持ちは十分ありましたが、そうすることで自分は何をしようとしているのかが明確にならず、結果的にあきらめることにしました。参加すればたくさんの刺激もあるでしょうし、それなりの収穫もあると思うのです。ですが、もうすこし整理しておきたいことがあると感じたのです。

 それは笛を吹くということそのものを改めてじっくりと見つめてみたいという思いがあったからかもしれません。さらには、ラブフルートを作ること自体への新たな問いかけを感じているからかもしれません。自分はまだまだ、土の中に埋もれて地中の養分をしっかりと吸収しなければならない。自分が生かされ、置かれている場の意味を知りたい。そんな思いがあるような気がします。

 だからこそ、外に向かって動いたほうがよいという考えもあるとは思います。ただ、その動きが自分の人生全体を根底から動かそうとする力と繋がっているのか、自意識を正当化させようとする動きなのかを見極める必要がある..と思うのです。動きを肯定する要素が多いだけに、慎重でありたいと..。

 調度この時期に、深い傷を負ったイチイのフルートが出来上がった意味を微かに感じています。これまでの思考やアプローチではどうにもならないフルートと向き合った時、自分がどんな存在で、どう生きてきたか、何をしようとしているのかを手にとるように感じるのです。思い通りにならない、これまでの経験や方法で吹こうとする、それをそれとして受け止め、息を吹き込むという素朴な状態にならないのです。素朴であろうと意識してしまう自分が鮮明になるだけです。

 これが対人関係だと、ともすれば強引に自分の価値観や経験を正当化するのかもしれません。ところが、フルートはそんなことをしようとすればするほど、どうにもならなくなってしまいます。現れてくる音色はどこから生まれて来るのだろう。自分が吹き込んだ息が笛と繋がって生まれてきているのではないか...だとすれば自分自身が変わるしかない。変わることが必要だと感じる事と変わるエネルギーは何処から来るのか...。たくさんのことが浮かび上がってきます。とても一気に対処することはできません。

 ということで、毎日傷を負ったイチイフルートを吹きながら過ごしています。いま自分がしなければならないこと。それは笛を吹くという素朴な状態と向き合うことであり、音色が意味することをじっくり学ぶことなのだろうと感じています。いつか調度よいタイミングで交流に参加する機会が来るでしょうから、楽しみに待つことにしました。
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2007/2/10

息で楽しむ冬の夜  雑感

  雪の少ない冬のはずが、朝外に出ると一気に50センチ以上積もった雪が迎えてくれました。しかも除雪中も降り続いていましたから、60センチ以上フッタと思います。職業を尋ねられたら除雪業とでもいいたくなるほど先週は雪が降り続き、除雪三昧になりました。運動不足には願ってもないと言いたいところですが、さすがに連日となると疲労が重なり体の動きがゆっくりになってしまいます。

 それでも、自分で体を動かして除雪が出来るのは幸せなことだな〜と思います。どうやら幸せは明日も明後日もやってくるよと天気予報が知らせてくれましたから、気持ちの準備はしておこうと思っています。それと同時に、あまり積もりすぎて窓ガラスが割れてしまわないように、軒下あたりの雪を少しでも取り除いておくのが賢明だろうと思い、夜中に除雪を始めました。

 そのとき見上げた夜空には、美しい星たちが輝いていました。なんてきれいなんだろ〜と呟くと、息が白く見えました。少し強く息を吐くと、思ったより遠くまで息は流れていきました。色んな息の出し方をしてみると、それが全部目に見えるものですから、なんだか楽しくなってしまい、気がついたら20分ほどもハァーハァー、フーフーやってました。

 鼻から息を吸い込み、それを口から吐き出す。この単純な流れが、実に気持ちよく、しかもそれが目に見えるので、次々と色んなことを試してみたくなりました。空気が体の中に吸い込まれ、吐き出されていく..。循環しながら生きているんだ..それがとてもはっきりと感じられました。静かで、風はなく、気温も比較的高く、穏やかな冬空でしたから、いっそう心地よい時間になりました。

 自分たちが、こんな風に呼吸して命を繋いでいるんだ。こういう根源的な部分を見つめると、命あるものはすべて循環しながら存在していることが体で感じられるのでした。たっぷり、じっくり呼吸する。呼吸しながら生きていることを、深く体と心で確かめる。とても不思議で素敵なものを与えられて生きている..そう思うだけで十分満たされました。こんな貴重な息を使って笛を吹く生活。それはなんとも贅沢で、命そのものが、笛を響かせていることを、改めて感じた夜でした。
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2007/2/8

深い傷のある笛  ラブフルート

 深い傷を負ったイチイフルート。とても売り物にはならないけれど、とにかく音色を聴くことができればと思い作ってみました。削りだしているうちに、傷が深すぎてあきらめなければならない可能性が高かったのですが、幸い傷口から息が漏れることはありませんでした。10センチ近い、長い亀裂が痛々しいのですが、何故か傍に置いておきたいと思ったのです。

 レントゲンで見れば、どのくらいの亀裂が本体に入っているか知ることはできるのでしょうが、多分病院に行っても撮ってはくれないでしょう。カルテに困るでしょうから..とりあえず、音を響かせることができたので、傷口が開かなければ大丈夫だと思っています。削り込んだので、やや細めになりましたが、音色は気に入っています。多少ぶつけても、傷ついても気にならないような仕上げ方をしてみました。どこにでもついてきてくれるような笛になってくれればという思いがありましたので。

 この笛は、基本的な指孔の間隔に対して、4mm程度の穴を均一に開けただけのものです。多分、初期のフルートは、あれこれ穴の大きさを調整したものではなく、ほぼ均一の穴を並べただけだったような気がしたからです。そこで生まれてきた音に耳を傾けながら、自分なりの音の流れが生まれてきたのではないかと。勿論、あくまでも推測ですし、キツツキが穴を開けたという伝説からすると、几帳面で正確な穴を均一に開ける固体だったということになりそうですが..

 絶対音感を持っている方にとっては苦痛を生み出す笛なのでしょうが、吹き続けていくうちに独特のニュアンスと流れが生まれてくるのです。それをそれとして受け取り、それが生きて歌い始める時を待つ。そんな感覚で過ごしています。一般受けはしないでしょうが、こういう音の流れの中で過ごしたいなと思う世界がある..そんな感覚があります。

 不思議に思うのは、何故近代のネイティブたちはチューナーを使ってペンタトニックに並べた笛を演奏するのだろうかということです。基準の音に合わせて、美しく調和の取れた世界を作り上げる。そういう流れに準じていくことの良さはあると思うのですが、そうなるとどこか均質的で固定された価値観が前提にある生き方が始まるような気がするのです。このあたりは、慎重に考えていく必要があることなのですが、ひとつ面白い現象を書いて見ます。

 傷を負ったイチイの単純に穴を開けただけのフルートを吹き続けているときに、ペンタトニックのフルートの音が入り込んでくると、ペンタトニックの音の並びが妙に音程の悪い笛だな〜と感じるのです。どうやら、自分に相応しいマイフルートを巡る旅はまだまだ続きそうな気配です。
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2007/2/6

寄り添う万年筆  雑感

 やさしさが寄り添ってくるような万年筆。それは有名ブランドの高級万年筆ではなく、決して知名度も高くない手作り万年筆の工房で作られたものです。デパート催事の最終日に仕事を終えて駆け込み、製作者の方とわずかな時間お話することができました。会場の撤去をしながらの会話でした。

 この時、決して安くない金額でしたが一本の万年筆を購入しました。製作者お勧めの一本でした。その方はすでに亡くなられましたが、今でもその人柄がふと浮かび上がってきます。たった一度の万年筆を介しての出会いですが、未だに当時の雰囲気がよみがえって来ます。

 製作された本人が、万年筆に対する思いを詳しく話してくれた時、人格からにじみ出てくるやわらかい光のようなもの。私は万年筆を通して、むしろ彼自身との出会いが持つ大切なものを身につけたいと直感的に感じました。

一本の筆記具に集約された目に見えない大切なもの。それは生きた人間の本質と密接に繋がった素朴な筆記具です。もし、その万年筆を失うようなことがあったとしても、決して失われないものを受け取ったのだと思います。

 きらびやかだったり、高級な素材を使ったり、豪華さを競うような万年筆。それは、それなりの価値があるのでしょう。しかし、万年筆はどれほど凝って、漆を塗ったり、螺鈿細工を施したり、宝飾品に等しい仕上げの高価なものであったしても、それは本来の用途とは別次元の要素です。

 何よりも、手にして書き始めたときに感じるやさしさ、しなやかさ、包み込んでくれるような感覚で滑るような書き味が、この万年筆の不思議な要素です。デザインはとてもシンプルです。単に書きやすいというだけではない、使い手へのやさしさが感じられるのです。内側に入り込みすぎるのでもなく、離れているのでもなく、心地よく寄り添ってくれるというのが、率直な感想です。

 それは恐らく、彼の人間性と繋がった万年筆なのでしょう。いつかそういうものを作れるだろうか..。その万年筆は、手にするたびに、思い起こすたびに、何事かをそっと語りかけているように思います。ものが、ものであることを越えて自分の内面に触れる。それは、作り手と使い手の繋がりの中に潜む秘密かもしれません。
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2007/2/2

ラブフルートのデザイン  ラブフルート

 ラブフルートのデザインに関して、感じていいることを少し書いてみることにします。無印商品のようにシンプルを極めたようなものから、クラフト的要素の強いもの、手をかけた芸術とも言えそうなものまで、アメリカのサイトを覗くと実にさまざまなフルートがあります。

 ナチュラル志向のものには、樹木に穴をあけてフルートにしたものもありますし、珍しい樹木で製作したもの、造形的に凝ったもの、バードや先端が彫刻と等しいものまで、考え付くことは全部やってみているといいたくなるほどです。

 多民族国家の代表とも言えるアメリカ社会ですから、こういう笛は格好の素材ともいえるでしょう。
どれも良さそうなのですが、個性的とはこのことだ!と主張しているようなフルートを、いざ手にして吹いてみようかとなると、どうも似合わない..。派手なものよりは控えめなほうがいい。かといって、あまりに味気ないものは所有する喜びが乏しい....。奇抜なデザインのフルートを持ち出しただけで、周囲を圧倒したり、違和感を与えるのも望ましいとは思えない。形状や表現方法、色彩感覚はかなり違っているように感じます。

 だったら日本的な雰囲気にすれば良いかとなると、これもまたピンとこない。そんなこんなで、試行錯誤を続けています。求められる方たちの好みはざまざまですから、極力お話を伺って経験を積み上げるしかないのだろうと思います。

 肝心なのは音色だとはいうものの、デザインもまた一つの表現になりますから、軽視することはできません。幸いにも、樹木は素材そのものが機能とデザインが完成された存在ですから。そこから学ぶことが基本だと感じています。

 素朴でどうということもないけれど、どこかに洗練された風合いが潜んでいる笛。音色や吹き手とつながる全体的な感覚が形になることが大切だと思っています。勿論、楽しんだり力を与えられたりする要素も必要です。今年も、また少しデザインが変化しながらの製作が始まりました..。
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