2007/6/27

ザッソウ  雑感

 香りが素敵な淡いピンクのバラが次々と咲いています。今までは2〜3個咲いて終わっていたのに、今年はどうしたことか30個以上あります。何かあるな..。そのお隣のカモミールも所狭しと咲いています。そんな彼らを横目に雑草取りをしていたのですが、見たことはあるけど名前のわからない草花がいっぱいあります。

 ところで、自分はなぜ彼らを雑草として取り除き、バラたちを保護しているのか..。とても不思議な気持ちが湧き上がって来ました。これが植物だから?平然と区別して処理しているのだろうか。数が多く、どこにでも芽を出す草たちを雑草と呼び、外来の植物のために優先的に場所を確保する自分。そのことに何の疑問も抱かない。それどころか、自分の行為を正当なものと考えている。

 それがそっくり人間同士の間でも起こるのかもしれません。無自覚、当然、正しいといった思いの中で、不可解な行動が正当化されてしまう。これは、非難したり、批判する問題ではなく、自分自身の中にある性質なのに気づかない...。

 問題無しと思う気持ちそのものが引き起こす危険。それぞれに正しいと信じて行動する生き方。それが知識や経験や論理、思想、権力と結びつく。それが争いを引き起こす...。そんなうねりが波のように繰り返されていく...。こうした歴史の背後にあるものに目を留めることが必要な気がします。

 自分が引き抜いた雑草たちに意思があり行動を起こせるとすれば、私は確実に非難され抹殺されるのではないだろうか。或いは、話し合いの場に呼び出されるのかもしれません。自分の中にある雑草というイメージが変わるまで、この課題への答えは見つからないような気がします。

 池のそばの雑草を敢えて抜かずに置いていたら、とっても可愛らしいピンクの小花が咲きました。派手で豪華なバラもいいけど、こっちの小さな花のほうが好きだな...恵庭はガーデニングが盛んな街なのですが、どこかに雑草ガーデンなどがあってもいいかもしれない...。雑草と共存する庭というものいいかもしれません...。
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2007/6/25

生きてつながる..  雑感

 庭に5種類のテッセンが咲き、ジャーマンアイリスがいつになく大きな花をつけ、カモミールを摘んでお茶を飲み、香りが素敵なピンクのバラのつぼみがたくさん膨らみ、プルーン、ハスカップ、レッドベリー、ブルーベリー、イエローベリー、ブラックベリー、レッドカラント、桃、クランベリーなどが花の時期を終えて実になる準備を始めています。

 リサイクル池には金魚とメダカが戯れています。昨年仲間入りした三色柳が美しく、風知草は涼しげに風にゆれています。その一角にはプルーンの木があります。プルーンには白い花や実の美しさばかりではなく、食べる楽しみもあります。ところが期待して植えたものの、ずっと実がならないまま8〜9年過ぎてしまいました。これは駄目かなとあきらめかけていたのですが、どうした訳か今年は実を付けました。ライトグリーンの小さな実がついているのです。工房脇のプルーンと種類が違いますので、どんな味がするのか楽しみです。

 このプルーンがなかなか実をつけないとあきらめかけていたころに実を付けた。それはプルーンがくれた深い知恵ではないか..。遅れていたとか、あきらめるといった感覚には、自己だけのちっぽけな価値観があるのではないか...。そこにある樹木には、人間には知りえない知恵があって、必要なときに花を咲かせ、実をつける。人間の歩みと深くつながりながら、そこで生きている存在なのではないだろうか。そのことに気づき始めると、人生が豊かな知恵と優しさに包まれていることに驚かされます。自分自身が知らないことを彼らは知ってる..。

 どこからともなくやってくる風と戯れるように木の葉が歌っている。小鳥も虫たちもやってくる。雨の日も風の日も、暑い日ざしも凍てつく寒さの中でも生きてきた。それだけではなく、共に生きている人の心とも繋がっている。多くの人たちからの励ましや助けは分かりやすいのですが、一本の樹木もまた奥深いメッセージと言葉を越えた助けをくれているのだと思います。それは成長するときばかりではなく枯れていく時もまた繋がっているのだと思います。かつて父の死と重なるように枯れたイチイの木のお話を耳にしました。これと似たような出来事がさまざまなところで起こっているのだと思います。

 樹木は沈黙の中で、人の心が開くときを待ち続け、人の心とつながりながら喜びと祝福を携えてくるのではないでしょうか。それは樹木を支える大地や岩や水や光や大気たちを伴う歓喜の歌となって行く。生きていく力と喜びと慰めの源。それはどこにでもある..ラブフルートもそのひとつなのでしょう。作ること奏でること出会うことが許される間その知恵と恩恵のひとつとして旅を続けていくのだと思います。 
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2007/6/13

ライブスナップ  ラブフルート

 先日えにわ市民サロン アイル でのライブのことをスタッフの方がブログに掲載してくださいました。これまでも演奏の様子など画像でお伝えすることはほとんどありませんでしたので、ちょっと息抜きになればと思い紹介させていただきました。

 声がかかるところに出向いていくという流れで、今回は地元の小さなスペースでのライブになりました。小さな種粒が風に吹かれて舞い降りた..そんなライブになりました。

http://slowfoodchitose.blog76.fc2.com/blog-entry-174.html#comment
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2007/6/9

見えないところ..  ラブフルート

 昨年からいただいていた製作を終わらせ、今年はラブフルートの旅立ちがゆっくりしてるなと思っているうちに6月に入ってしまいました。そして工房の壁にかかっていた注文のカードがいつのまにか増えてきて十数本になっていました。

 製作には今までに以上に労力を払っています。それは樹木と音色との関係を学んでいくうちに一層手をかける必要を感じるようになったからです。とりわけ目に見えない部分が重要だと思っています。透明な素材で内部の湿度や音の流れを模索しながら、樹木の特質や切り取られた部分の質、吸水率などを考慮してきましたが、課題は常にあります。接合してしまえば、内部の処理は殆ど出来ませんから、手を加えられるうちに思いつく限りのことをします。内部をくりぬかれた樹木は激しく細胞を破断されますから、張力に変化が起こり形状が変わります。それを矯正するためには、しばらく時間をかけてから、再度接合面を削ります。

 ナチュラルな素材で作られたシールド剤は、工業的に作られたものほど止水性が高くない上にコストが数倍かかります。少しでも耐水性を持たせるためには、数回に分けて作業をしなければなりません。破断面が落ち着いてからのシールド作業。今は作業量がかつての数倍に増えました。シールドによって水分を含んだ素材はさらに形状を変化させますから、ある程度落ち着いたころにを見計らってさらに削り直ししなければなりません。単純に合わせているように見えますが、接合面の微妙な面取りや内管の研磨、数回に分けたシールド、接合面の微妙な修正が地道に繰り返されています。勿論、それでも完璧とはいえませんから、これからも試行錯誤は続くと思います。

 本体の内部は空気の振動を直接受ける部分ですから慎重すぎることはないように思います。但し、どこまでも滑らかにという方向だけが大切なわけではありませんから適度な処理と柔軟な対応が必要かと思います。外管は内部の振動を増幅し周辺の空気を固有の揺らぎに変えます。外管の処理には幾つかの工程がありますが、基本的には柿渋を7〜10回ほど塗布と乾燥を繰り返しながら作業をします。さらに天然オイルを塗りますが、必要に応じて重ね塗りします。最後に蜜蝋を塗り磨き上げます。これらの工程のそれぞれには馴染ませる時間がプラスされます。それは樹種ごとに付き合い方が違ってきますから、絶えず学び続けることになります。

 ここでは音程の調整という難しい要素には触れていませんが、学びの途上で気づいたことをいつか書き留める機会があるかもしれません。今回は少しこみいった内容になりましたが、人がどんなに手をかけようと、自然の中で育まれた樹木そのものの素晴らしさが生かされることが原点にあるのだと思います。
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2007/6/5

自分と壁を繋ぐ響き  ラブフルート

 ゆるやかに、着実に...。ゆっくりと続いているラウンドレッスン。一人の思いが他の方々を呼び寄せ、集う方々が新たな人を招く。そんな風にして、いくつかのラブフルートリングが点在しています。

 その中に比較的ご高齢者が多いリングがあります。その中のお一人が何とかフルートを身につけたいと思い個人レッスンにやってこられます。ご自分の人生で笛を吹くことなど夢にも思わなかったとのこと..。昨年野外最後の恵み野グランドキャニオンでフルートの練習をしていた時、その方が笛の音色を耳にされたことが、新しい旅の始まりでした。

 それからほぼ半年、アスナロの太くて短いフルートとクルミとシウリザクラを合わせた中くらいのフルートと一緒に旅をしておられます。何をどうしたらよいかわからない状態から、少しずつ歩き始め、行きつ戻りつしながら忍耐強く続けておられます。

 そんなある日、なんとか目鼻をつけたいので個人レッスンをしたいということになりました。できる限りのことはやってみましょうということで始まったレッスンは集中的ですから、ラウンドレッスンではゆっくり伝えられないこともお話できます。その分、当人にはやや厳しいものになりますが、熱心にメモを取りながら通って来られる姿から、たくさん学ぶことがあります。

上手くできないという事態に直面した時、あれこれ言い訳をして投げ出さない。別の可能性を探ろうとして、指を動かしやすく、音の出しやすいフルートの製作を依頼されたこと。扱いやすいフルートに慣れてから、最初に希望していたフルートにチャレンジする。何気ない動きの中に個性が現れます。

 果たして自分が同じような年齢になったとき、そんなふうに生きるだろうか..健康で生き生きと過ごしていられる可能性すら怪しい..そうこう考えながら懸命に息を注ぎ、音色に耳を傾け、指を滑らかに動かそうと努めている姿を見つめています。

 個人レッスンの後は自分自身のレッスンです。個性的なフルート一本一本を取り出し、息を吹き込み全身でフルートとの一体感を確かめます。それと同時に最初に問いかけ、確かめることがあります。自分は何処にいて、何をしようとしているのか..。手にした笛はどこから来て、何処へ行こうとしているのか...。その流れる音色は何を意味しているのか..。

地道な積み上げの大切さを確かめつつ、新たな壁に直面する。この繰り返しの中で、なんとか旅を続けてきましたが、壁と向き合うときは自分と直面する貴重な機会です。いかに自分自身が見えていないか嫌というほど思い知らされる機会です。

 自分なりの納得、やっているつもりでいること...それらが視野の狭さや思い込みにつながっている...。音の世界はそれをまざまざと照らし出します。それは辛く厳しい現実と向き合う時間です。それをストレートに感じさせてくれるのが音の響きですし、そこから次にどうすればよいかを暗示し続けるのも音の響きです。

 自らの息を注ぎ込むときに現れる妖精が自分の弱さや安易さや愚かさを照らし出し、それと同時に深い慰めと励ましを告げる。継続するレッスンはそれを新たに確かめる大切な時間になっているようです。
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2007/6/1

ドラム  雑感

 ここのところドラムサークルと繋がりのある方たちとの出会いが続いています。あわせて壺太鼓を巡る出会いも続いています。考えてみると、ラブフルート工房にもジャンベ2個、インディアンビッグドラム2個、ハンドドラム5個、その他のドラムが3個ありました。

 ここでも十分ドラムサークルが出来そうです。というより来訪者たちと自然に音楽を楽しむ時の中心はやはりドラムです。ドラムの違いはどうであれベースになるリズムが勝手にみんなを連れて行ってくれます。唯叩いているだけではつまらないかもしれんませんが、ドラムの響きと一体化することを体験すれば、不思議なエネルギーが生まれてきます。

 鳴り物、弾くものは上手下手が気になったり、上手くできないというプレッシャーが起こりやすいのですが、ドラムのシンプルさはまさにみんなを連れて行ってくれるような気がします。工房に来られる方々の中でドラムに気持ちが惹かれる方は少なくありません。

 ドラムはその人の内奥にある性質と直結する不思議な楽器のようです。あのおとなしい方が、ドラムを叩き始めたらすっかり変身してしまった..そんな意外な姿、エネルギーに触れて圧倒されたことは何度もありました。

 ましてやみんなでドラムを叩き始めたらフルートはあってもなくても同じ状態になってしまいます。ドラムには私たちの本能を呼び起こす強烈な知恵があるようです。気がつけば、この世界は大きなリズムで繋がっている..。それを心に直接語りかけてくれるように思います。

 母体の心音に安らぎを覚える赤子のように、ドラムの響きは私たちの心をあるべきところに連れて行ってくれるのでしょう。難点は叩く場所と時間かもしれません。勿論ドラムは小さく叩いても鳴りますから、人に聞かせるとかストレス発散ではなく、軽く指で叩いて楽しむこともできると思います。

 ドラムの響きがラブフルートの音色を招き、ラブフルートの音色がドラムを刺激する。その相互の掛け合いの時間は楽しいものです。また個性的な壺太鼓は柔らかな独特の響きが心地よく、楽しさや明るさをゆっくりと引き出してくれますから、音量は乏しいけれど十分楽しめるドラムです。今年はどんな響きと音色が大地を駆け巡るのか、新たな楽しみの始まりです。
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