2008/6/30

ちょっぴり、ゆったり深呼吸  ラブフルート

 この6月はラブフルートを展示する機会が3回ありました。ライブも続きました。来客も続きました。必然的にフルートの製作が遅れ気味で、真夜中仕事モードが続いています。どこかで気分転換しなくてはまずい....。そう感じて、近場に足を延ばしてみました。

 一か所は市内のはずれにあるスイートグラスという素敵なレストランのオープンガーデンでした。ずうずうしくも、食事することなく庭の花を眺め、写真を撮りながらゆっくり過ごしました。肉眼で見る花たちと、ファインダーに写る花の両方を楽しみました。可愛らしかったり、美しかったり、珍しかったりの花たち。マクロレンズで背景をぼかしながら覗き込む世界は、別世界ですから、完全に夢見心地でした。花が好きなかたには、お勧めの空間です!

 もう一か所はダム湖の広場。こちらは比較的殺風景でしたが、オープンスペースは心地よいものでした。水位の下がった湖を眺めながらクリスタルボールを鳴らしたり、フルートを吹いたりで、のんびりでした。帰り際に、木立の中を歩いていると、薄く淡い緑色のマツボックリと出会いました。なんとも愛らしく、心地よい色合いに惚れこんで何度もシャッターを切りました。マツボックリといえば、茶色く枯れていて、リースなどに使われるイメージでいっぱいでしたから、感動でした。見た目は、柔らかそうなのに、しっかり硬かったのは、大自然の中で命を繋ぐための知恵なのでしょう...。

 この二つの空間が、ちょっぴり息抜きをさせてくれました。狭い工房で黙々とフルート作りをしている生活がほとんどですから、なかなか外に出向く機会が取れないのですが、少し移動して息継ぎをするのは大切だなと感じました。わずか1〜2時間でしたが、さあ今年の後半のスタートです!
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2008/6/24

ラブフルートと住職さん  ラブフルート

 ケースに隙間なく押し込まれて帰って来たラブフルートたち。旭川から無事帰って来ました。これで6月も終わりだな〜と感じています。この子たちは、一体どんな人たちの目に触れ、手に取られ、あるいは息を注がれたのでしょう。

 ホームページを見て、ギャラリーの近くの病院から来られたという方。会場に入るなり、つかつかとラブフルートのところに向かわれたそうです。あれこれお話しているうちに忘れ物をしてしまい、会場の方がお届けしたところで、その方が住職さんだと分かったとのことでした。

 そこで今回は、住職さんとラブフルートのことを少し書いてみることにします。最初にラブフルートを作ることになったきっかけは、禅宗の住職さんの持っていたインディアンドラムとアメリカから届いたばかりのインディアンクラフトの本でした。後に、その住職さんの所にラブフルートが手渡され、インディアンドラムと永久トレードになりました。

 数年前の路上展示会場に、それこそさーっとやってきて、この笛の音色を聴かせてくださいと申し出られ、お聴かせすると、これ一本くださいと即決して持ち帰られました。申込書を書いていただいた時に、四国の住職さんだと知りました。

 別のお坊さんが耳にしたラブフルートは父の葬儀の時に吹いた短い音の響きでした。それに感銘して、法話と結びつけてお話しされていたことが印象に残っています。この葬儀に参列してくださった方のお一人が、あのような音色が生まれてくる笛を吹けるものなら、吹いてみたいと声を掛けてくださり、ご自分のために2本、ご主人のために1本のラブフルートを手に旅を始めておられます。

 さらに先日のお茶会の時、ご子息が住職をしておられて、是非ラブフルートを贈り物として手渡したいとの申し出がありました。その笛もまた、別の旅を始めることになりそうです。このお母様の思いは、不思議な形で伝わっていくだろうな..と思います。お母様は先日のお茶会で、ちいさなラブフルートを吹いてくださったのですが、その姿も音色もとても印象に残っています。笛の音は消え去り、心に思いを残していく。それを改めて感じるひと時でした。人との出会いもまた、それに似ているような気がします。

 住職さんたちのラブフルートライブなんていうのも、面白そうだな...と勝手に想像し、いつかそんなことになるのかも知れません。それぞれの音色を分かち合う素朴なライブが野に咲く花のように生まれてくるのを楽しみにしています。

 展示されていた旭川の会場のオーナーの方から、9月に演奏会をというお申し出があり、どうやら今回出かけて行ったラブフルートたちはライブ企画を生み出すラブフルート大使だったようです。
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2008/6/18

鏡とラブフルート  ラブフルート

 戻ってきたラブフルートと類似した出来事があります。それは、ラブフルートの音色を届けたいと思われた方が、ある市民会館大ホールに申し出たところ、出演者の条件の中に音大の卒業、もしくは音楽活動で知名度のあるかたでなければ演奏はご遠慮願いますというものでした。

 これはとても面白い反応だなと思いました。この他にも、ただの木の笛とクラシックの楽器が一緒に演奏するなんてお話にならないという話も.....。かつて、演奏者のカルロス・ナカイがヨーロッパにフルートを持ち込もうとした時、あっさりと拒否されたと聞きました。後に、彼の思いは実現したようですが....豪華なバラの傍に、こぼれ種の勿忘草があるのは似合わない、許せないという感じでしょうか。

 音楽の世界にも官僚世界のような現象が様々な形で見られます。勿論、それは政治でも、地域社会でも、宗教の世界でも当然のように見られます。芸術と称される世界もまた、露骨に価値観が主張され、力関係の中で物事が動いているとも言えそうです。

 人はいたるところで、自分を保つための言葉や手段を掲げて生きて行こうとするのでしょう。価値観と権力の結びつきで強制される集団には、当然のように歪みが起こります。自我から生まれた世界を保とうとしても、それは長続きしません。最初から時限爆弾のスイッチを入れてる生き方に似ています。

 この、自我に気づくと、それを処理しなければと感じて様々な道をたどろうとするでしょうし、それを待っている世界もたくさんあるでしょう。それがどんな形、手段であれ、自我はそれを回避するためにありとあらゆる手段を見つけ出していくでしょう。言葉や知識を駆使する人は、とりわけ巧妙に自我を守ろうとしやすいでしょう。

 処理しなければという意識と、崩壊したくないという思いとの葛藤は、予想以上に長く続くことが多いかも知れません。今度こそ、今回は根絶したと叫ぼうとするのは、大抵自我の独り芝居であることが多いように思います。

 一見社会の問題とみなされる事柄も、じっくり見つめれば個々人の状態の現れだと分かってきます。価値観や正当性を主張し、仲間を集めてみても、個々人の内部には先に書いたような内面の状態が潜んでいますから、なかなか歩調が合わず、気がついたら自分たちも力関係で他の人を動かそうとしているという皮肉な状態にはまってしまいやすいものです。

 ラブフルートを巡るちょとした出来事の奥には、自分自身の問題が潜んでいるな....と感じています。肝心なのは、この自分自身とはっきりと向き合うことと、その後の歩み方なのでしょう。そこには知性で受け取ることと現実(自分の実質)とのギャップがあるように思います。

 まずは、思いこんでいる(思いこんできた来た)自分と生(なま)の自分との接点から始まるように思います。それは自分を守ろうとする(正当化する)自分との長い静かな対話から始まるのではないかと感じています。何故、若者はラブフルートを手渡される時に、鏡を見せられたのか......その真意に気づくとき扉は静かに開き始めるかもしれません..。
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2008/6/16

戻ってきたラブフルート  ラブフルート

 ある日のメディアにラブフルートのことが紹介されたとき、クラシックのフルート関係者からラブフルートを見たいと連絡が入りました。来られた方は、高名な先生の所に持って行ってお見せしますと言うことでしたのでしばしフルートをお貸しすることになりました。

 お渡しする時に、吹き方や持ち方を説明したのですが、はいはいという感じで足早に立ち去られました。先生にお渡しすれば、間違いありませんからとのことでした。フルートのプロにとって、ラブフルートを吹きこなすことは全くたやすいことだという雰囲気でしたので、敢えて申し上げることはありませんでした。

 これはということで持ち上げられたラブフルートは案の定見向きもされずに、戻って来ました。音域が狭く音程が不安定な木製のフルートは、クラシックの世界では全く見向きもされない代物だったのでしょう。

クラシックフルート界の重鎮にとって、木製の素朴な笛などいともたやすいものだという感覚があったのでしょう。その構造も、シビアさも意に介さず、手にとって吹いて、これは駄目だな..となる。こういうことは、必ずしも笛の達人ではなくてもみられることです。

 素朴な笛は、素朴で純真な心と一緒に歌います。素朴で純真な心とは無造作ということでもなく、無知ということでもありません。純粋な気持ちで出会ったものと向き合い、その出会いの意味をじっくりと受け止める心の状態のことです。

 さまざまな経験や体験に基づく認識が、そこにあるものの本来の姿を見失う。人はラブフルートを自分の価値観や認識で判断しようとするのですが、むしろそこには自分の生き方が浮かび上がってきます。
素朴で、単純で不安定な木の笛。軽視され、ちゃんとした音楽には役立たない民族楽器とみなされがちです。だからこそ、その笛に接する人の心の姿勢が無防備な形で表面化するとも言えそうです。

 ラブフルートの適切なポジショニングとブレスのバランスを知ること。それはとても繊細で微妙で、落ち着いた状態で感じ取ることになります。そこでは自分の方が変化するというプロセスを辿ることが大切なポイントになるように思います。人生に出会う様々な要素に対して、自分の価値観を提示することも一つの視点でしょう。ですが、様々な出会いは、むしろ自分自身が変化していくための促しのような気がします。

 愛の笛がどのようにして若者の手に手渡されたかというプロセスを知ることなく、単なる楽器の一つとしてラブフルートを吹いても、音は出るでしょうし、メロディーを奏でることもできるでしょう。それは、楽器の一つとして利用されるのだと思います。それもまた一つの選択なのでしょう。

 ただ、もし目の前にあるものの意味を丁寧に、大切に受け取ろうとする心のある人にとっては、とても不思議な響きを心に届けてくれる笛だろうなと思います。
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2008/6/12

旭川から、そして旭川へ  ラブフルート

  出発して3時間と少し、ラブフルート交流で3.5時間、すっかり遅くなった食事で30分、帰り道3時間と少し。トドマツのラブフルートを旭川の展示会場に運んで並べて、お話をして帰って来ました。高速道路を使っているからこの程度ですが、あまりスピードは出さないので一般道路を走ればもっと時間がかかります。

 旭川でラブフルートを持っておられるKさんに連絡を取って、良かったら顔合わせをして、食事でも一緒にとお伝えしました。会場前でマイフルートを肩にかけて待っていてくださったKさん。元気そうで良かった.....。

 ふと思い返すと、Kさんはマイフルートを手にするまでの2年間。何度かレッスンに来られました。車を走らせているうちに、Kさんが工房に足を運んだり、レッスンに来られる時の気持ちを考えていました。貴重な時間とお金を使って、真剣に考えて....そのプロセスの大切さを感じました。

 何度もメールのやり取りをしたり、工房に来られたりしながらじっくりとマイフルートとの出会いを求められる方がおられます。木と人との出会いを大切にされる方々との旅は、とても幸せで、豊かなものだ..としみじみ感じながらの一日でした。

 演奏や展示会の準備で完成が遅れているラブフルートたちが、ゆっくり仕上がりに向かっています。お待たせしている方々にお詫びしながら、じっくりと体と心に馴染むラブフルート作りを続けています。いい季節になってきたので、ちょっと野山に出てみようかな〜と思いつつ小さな工房の中に流れてくる夏の風を感じています。
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2008/6/2

朗読・トドマツの響き  ラブフルート

 朗読とラブフルートという組み合わせの集まりは何度か経験してきましたが、今回もまた新鮮で豊かな展開になりました。それは、単なる朗読ではなく、絵本の作家も同席するという形でした。

 最初に印象に残ったのは、印刷された絵本と原画のギャップでした。原画展が同時に開催されていましたので、今回朗読された「はるふぶき」の原画を見ることができました。原画の持つ力、存在感の豊かさが強く印象に残りました。素朴で奥深い絵の中に、物語が満ちていました。

 もうひとつ印象に残ったのは、人の声、語りかける言葉の流れの豊かさでした。語り手も演奏するものもじっくりと時間を掛け、読み込みすぎず、小さな物語をみんなで自然に感じ取れるといいな...と思って来ました。語り手は、笛の音が生かされることを願い、笛の吹き手は語りが生かされることを願うというバランスで楽しく、豊かな準備をすることができました。

 落ち着いて、静かに深く優しくという心の準備の大切さを改めて感じるプロセスは、そのまま素朴な絵本をゆったりと分かち合う集いへと繋がっていきました。

 今回一番印象に残ったのは、集まってこられた方々の存在でした。わずか数十分、小さな絵本の朗読と笛の音が流れる。たったそれだけの出来事のために、あちこちからやってこられた方々の存在そのものが、とても素敵だな〜としみじみ感じました。

 とどまることなく打ち寄せる波に洗われた小さな貝殻ひとつ....。溢れる情報の中で、大切なひとつを見つめ、感じる心。物語を書きとめた作家、絵を添えた画家、物語を読む語り手、音の響きを添える笛吹き、そこに耳と心を傾ける人々。こうした場を豊かなものにしようと影で支えてくださった方々。みんなでひとつの時間でした。

 この時、物語に登場するナラの木とトドマツの笛の音をお届けできればと思い、必死で作り上げた笛がなんとか間に合い、皆さんにその声を聴いていただくことができました。ミズナラの笛はすでにありましたが、トドマツの笛は初めて作られ、音色が生まれました。

 このトドマツのラブフルートはこの6月8日から開かれる旭川のイベントのために準備してきたのですが、できれば朗読の時に間に合わせたいと願っていたものでした。

 正直、その澄んだ優い音色は、まったく想像を超えていました。初めて吹いたその瞬間、サーっと北国のさわやかな風が吹き抜けるような新鮮な感動を覚えました。全身を包み込んで、何の抵抗もなく天空に引き上げてくれるような響きでした。

 北海道のトドマツは、愛の笛の意味を感じ取った人々の大切な音色のひとつに加えられていくのかもしれません。トドマツラブフルートは、ポプラより軽やかでアスナロより柔らかくという印象でした。
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