2009/3/30

鳴き交わしつつ旅立つ鳥たち  雑感

 終わることは、始まること。そんなことを感じながら、一気に融けていくゆく雪を眺め、気の早い小鳥が連れあいを求めて盛んに囀っている歌声に耳を傾けています。このときとばかりに、とっておきのさえずりを始めている小鳥の姿を見ていると、ちょっと早すぎじゃないかな..とは思いますが、可愛いものだな..とも思います。あのなんとも言えな調度いい大きさ?の小鳥たちが嬉しく楽しいです。

 このさえずり、快活で明るく美しいと感じる自分がいます。果して、それを聴きとる小鳥には、どんな感じに聴こえているのでしょう。虫や鳥をはじめとする生き物たちは、自分たち人間が美しい、楽しいと感じるように心をときめかせたり、喜んだり、美しさを感じ取っているのだろうか?

 いかにも心地良さそうに温泉に入っている猿たちを見ていると、妙に自分たちと共通した世界を感じます。ウォークマンを耳にした猿のコマーシャルを見ていると、(古臭いけど..)ちょっと不思議です。何を聴き、何を感じているのだろうか...と。とりわけ、言葉のない音楽の世界に焦点を絞ると、そこで起こっていることは何なのだろうと思ったりします。

 先日、ラブフルートを手にされた方が、フルートを吹き始めると犬たちがそばに来て正座すると話しておられました。森の中でフルートを吹くと、小鳥たちが盛んに囀り始めることは珍しくありませんが、彼らにとってラブフルートの響きは、どんなものなのでしょう。

 やや集中的に、自分たちが笛を吹くことがどんなことなのか、ラブフルートがもたらすメッセージを含めてワークショップを開かせていただきました。ただ笛一本のことで、二日間..。実際は、1週間でも足りないと思っているのですが..。

 文字や言葉を用いない世界。そこに展開される事象から受け取るものが、どんなに豊かなものなのか。
そんなステップに踏み込むときに見えてくる世界。そこへ誘う響きの神秘などなど。自分自身との触れ合い、そして取り囲む世界との接点には、沈黙からのメッセージ、そして響きから生まれる神秘があります...。

 自らの呼吸が生み出す響きと自己以外の世界から届けられる響きの本質的な違いと同一性など..
待ち受けているメッセージは尽きないのですが、生かされている時間の中でどれくらい共有できるのでしょう...。

 近隣の川や沼、畑に降り立った白鳥や雁たちが、長い旅路のために食べ物を探し、僕たちが本能と呼んでいる不思議な力に導かれて飛び立っていく季節。自分自身の中に届けられる呼びかけに応えて、それぞれが新たな旅を始めるのでしょうね..。
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2009/3/25

醤油たれ・焦げ団子  雑感

 事前の準備から始まってある種の集中した時間が気力と体力を伴って継続する。そんな感覚の中で関東のワークショップとライブが終わりました。やがて戻ってくるフルートやドラムたちや梱包のための入れ物たちの処理が残されていますから、終わったという感覚よりも、何かが継続されているという感じではあるのですが..。

 何事かを行うこと以上に大切なのは、その後に始まる時間との繋がりを受け取ることだろうと思っています。ワークショップとライブの時間の中で起こったこと、感じたことを文字にあらわそうとすれば、そこで経過した時間の何倍もの時間を費やすでしょうし、内部に起こった変化や感覚を吟味する必要があるように思います。

 初めて出会った素敵な人々との間に起こった不思議で、必然的な感覚。個として存在するだけでは決して起こり得ない場。渦巻き、湧き起こるもの。内と外..。個と多..。瞬間と永遠性..。全身から生まれる声の響き、ドラムの響き、ラブフルートの響き...。

 その場を通り過ぎた自分に待ち受けている次の何かを感じながら関東を後にしました。最後の日のライブの直前のわずかな時間に立ち寄った団子屋さん。そこで過ごした時間が、次に待ち受ける道や出来事を象徴しているのかも知れません。

 ふと訪ねたおしゃれで人がたくさん並んでいたお団子屋さん。そこで親しげに語りかけてきたご老人。今はどこも機械でこねるから味が違うんだ。ここも機械でこねてる...あそこは今も手でこねて焼いてるからな〜と呟きました。そのお店はどこにあるのですかと、お尋ねし、教えていただきました。

 疲労感の強い3日目のわずかな時間。せっかくの川越ですから出かけてみてはとオーナーのKさんに紹介された町でのひとときでした。体を休めたい気持ちが強く、前日のワークショップの片づけとライブの準備は短時間で集中なければならず、さらには荷造りも必要になる。気力と体力のバランスを保たなければ....。そんな中のわずかな時間に、重い荷物を引きずりながら、モダンな団子屋さんを後に、ややしばらく歩いて辿りついた 成田神社傍のお団子屋さん。

 かなり、へとへとでようやく見つけたものの、待っている方もいて、お待ちくださいと声をかけられました。先に待っている方の分を5〜6分も待てばいいのかな..と思ったのですが、大誤算。ほぼ30分近く待つことになったのです。一串に4個刺してあるお団子を5本お願いしました。簡単に考えていました。ところが、次々と人がやってきて、30本、25本、15本、50本のお団子の焼きあがりを待っていたのでした。

 ゆっくりと次の方のために手でこねたお団子を串にさす奥様。それを受け取ったご主人がたれを付け炭火でパタパタしながら焼く。この作業が、ただただ続きました。こんなに待ったら待ち合わせ場所まで戻ったら昼食抜きになるな〜と思いつつも色んなことを感じました。実際昼食抜きでライブになり、そのまま荷造りという流れになりました。汗だく、へとへとで最後の時を過ごしましたが、このお団子屋さんのちょっと長い待ち時間から学んだことの大きさが印象に残っています。

 何が本当に大切なのかを確かめるために、ここまで荷物を引きずり、貴重な時間を過ごしたのだろうな..。黙々と、忠実に自分に与えられた道を辿ること。素朴で奥深く、心をこめて手足を動かす..。
 
 気がついたら、そのお団子屋さんには、先の店とは違い、たった一種類の醤油タレの団子しかありませんでした。焼け焦げたウチワをひたすらパタパタし続けるご主人。そのお団子を求めて次々とやってくる人々。その中の一人になり、ようやく口にしたその味。絶妙なタレの味と焦げ具合。いつか、この味を求め、それだけのためにこの地を訪れたくなるかもしれない..。そう呟いている自分がいました。
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2009/3/18

関東平野・ラブフルート  ラブフルート

 関東方面のラブフルート・ワークショップとライブは高尾のFさんの呼びかけで始まりました。じっくり、たっぷりラブフルートを巡る時間を過ごせるのは楽しみです。ようやく準備が整い、後は身体を飛行機や電車に運んでもらうだけになりました。

 そこに待ち受けている時と出会いが素敵なプレゼントであることは予感出来るのですが、中身はいつも秘密とサプライズがいっぱいですから、どんなプレゼントがやってくるのかわくわくした子供のころの感覚がよみがえってきます。

 一日目は素朴にラブフルートと繋がる深さと豊かさを分かち合おうと思っています。二日目は、独特の構造から生まれる音色の神秘に触れながら、オリジナリティー豊かなマイフルートの響きと出会う道のりを辿ってみようと思っています。

 通常のレッスンは、時間的な制約もあり十分に一つのプロセスを受け取る余裕が少なく自分の応用力、継続し進展させる過程が個人にゆだねられますが、今回のワークショップでは、ワンステップ5〜6分のお試し体験ではなく、一つの大切な要素をじっくり2〜3倍の時間を掛けて具体的な感覚に触れられるようにと思っています。

 また、ドラムワークもたっぷり体験できるように準備をしています。お試し的な体験から離れて、自己変容のきっかけに繋がるあたりまでガイド出来ればと思っています。

 インディアンビッグドラムのビートが大地の鼓動や自分の鼓動と繋がり、与えられた呼吸が木の響きと一つになる。その瞬間が与えられた命の意味に触れる普遍的な世界と繋がる。そんな時間を関東平野の小さなスペースで過ごしてくる予定です。

 また、ライブでは音楽家の尾崎久美子さんがシウリザクラ・ラブフルートを携えてゲスト出演してくださいます。さらに、二日目のライブの後半では、ラブフルートを吹いておられる方々の参加でフリーセッションが予定されています。

 多分、この動きを周辺の木々たちはとっくに知っている筈ですから当然加わって歌い始めるでしょう。大地は歌い、風は巡り、それぞれの心の思いが深く広く繋がっていることを知らせてくれるでしょう。当日、参加できない方々も、いつかどこかで一緒にフルートを吹き交わす時が来るのを楽しみにしてそれぞれの旅を楽しめますように...。
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2009/3/12

チューナーが壊れた  雑感

チューナーが壊れた...カラマツラブフルート78cmの音程確認作業開始直前のことでした。ここで作業は完全に中断。多分使えるものはないだろうなと思いつつも地元の楽器店に急遽出向きました。そして、やっぱり作業に耐えられるようなものは見つかりませんでした。

チューナーってなんだろう。どうしてこのフルートをこのメカニックな道具で調整するのだろう。一体、自分は何をしているのだろう。そんな自問自答は常にあるのですが、ピアノやギターやそのほかの楽器と合わせられるように、基準音に合わせたフルートを製作する..。それはそれで必要なことだとは思うものの、こういう基準なるもので一致していく社会の怖さも感じます。

 某メーカーのソフトが実質的に世界標準になってしまったり、音楽の価値観もマーケットが優先といった感じで、純粋な天然の水がバイヤーによって高価な水になってるような感覚に似ている感じがします。

 これがとんでもない離れた場所で、ピアノも音叉もなく、チューナーが手に入るのは半年とか一年後だとしたらどうだろう...。いま、製作しているフルートの中にはオリジナル音階のものがあるのですが、きっとそういうフルートばかりを作るようになるのかもしれません。

 何らかの基準が必要だと思われることもあれば、基準があるばっかりに自分をゆがめたり、無理しなければならないこともあるのだと思います。特定の基準によって、少なからず批判、非難が生まれ、はじかれたり、受け入れられたりという分岐点が生まれてくるように思います。

 個としての存在が、そもそも何らかの基準に当てはめたらどうなるのか..そのあたりをじっくり考えずに音の世界に単純に基準音を取り入れるとしたら、それは先住民族のフルートではなく、先住民族の笛の形をした近代楽器になるのかなと...このあたりをちょっと提言しただけでも、ご近所の音楽関係者からははじかれるかも知れません。ラブフルートもディジュリドゥーも、チューナーを使いながら吹き始めると、音そのものが持っていた豊かさが失われるな〜と感じることがあります。美しさや調和の価値観が根底で違っているのでしょう。

 変な音程のフルートが、心に強い印象を残すという現象をライブの中で感じながらも、いま新しいチューナーのオーダーを済ませました。当分は、製作依頼者との対話の中で、ペンタトニックのフルートとオリジナルスケールのフルート作りを並行して続けることになりそうです。
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2009/3/7

宝塚で歌うクルミペア・ラブフルート  ラブフルート

 少し前のブログで30数年ぶりの関西訪問と書いたのですが、それはちょっとした宝塚歌劇団リベンジでもありました。30数年前の自分は、宝塚歌劇の世界にまったく無知でした。それこそ、大阪に足を延ばしたついでに、ひとつ宝塚に立ち寄ってステージを覗いてみようと思い立ったのでした。

 映画館にでも出向くような気持で受付前に向かったのですが、その日にチケットを入手して入場できるような世界ではなかったのでした。それ以来、宝塚はちょっとした失望の象徴の一つになっていました。

 そんな自分が30数年後に宝塚に思いもよらぬ形で足を運ぶことになりました。この3月(東京は5月)に雪組が公演する舞台で、ラブフルートの音色が響くことになったのです。求められているスケールで同じものが2本必要とのことで、巡り巡ってラブフルート工房に連絡が入ったのです。

 注文がたまり作業が遅れ気味のところに飛び込んだ製作依頼にしばし戸惑いましたが、2千人を超える観客の前で歌うラブフルート、しかも時間の余裕が全くない。私が真っ先に考えたのは、そのフルートを皆さんの前で演奏しなければならない歌劇団の方たちのことでした。

 これまでにも、特別な事情でラブフルートを必要とする方たちのために、先に注文された方々に待っていただくことがありましたが、今回も、そのひとつとしてお受けすることにしました。言葉を発することのできない男性が奏でるラブフルートの音色...。物語の断片をお聞きし、その物語とフルートの繋がりから生まれる大切なメッセージのために、この小さな工房に声がかかったのでした。

 男性と女性のそれぞれが、同じスケールのフルートを奏でるため、チューニングやデザインを考えながら最速で間に合わせる作業が始まりました。くるみ・ラブフルートのペアの完成後・納品とレッスンのために宝塚歌劇団の楽屋入口の前に立った時、不思議な、それでいて必然とも思える感覚がありました。

 飛行機が遅れたこともありましたが、到着してすぐに稽古が始まりました。二人の女性と向き合いながら、かなり集中したレッスンになりました。その中心は、舞台を前提としたものになりました。バードとプレートとチューニングのコンビネーションを何度も繰り返し、安定して身につくまで反復すること。水滴がたまって音が出なくなる現象を舞台の上でどのように対処するかなどなど。

 お二人の真剣な表情は、緊張感はあるものの次第にフルートを奏でることの楽しさへと変化し始めていました。舞台での演奏ということ以上に、自分の人生の時間、空間の中で自分らしく自由に羽ばたき奏でる響きがなければ、その音色は心には届かないと思います。このレッスンのポイントは全身が自らの呼吸とひとつになり、その瞬間の中にいることですとお伝えしました。

 既に用意されていた楽曲との関係で、後日ブラックウォルーナットのAスケールフルートをお送りし、結果的に手を慣らすために最初にお送りしたシウリザクラフルートと合わせて4本のラブフルートが宝塚歌劇団のもとに届けられました。

 歌劇団の音楽担当者の方が、正直このフルートのことを軽く考えていたと思います。素朴でとても奥深いフルートなのですねと口にされた言葉が、印象に残っています。はるかに豊かに音楽の専門家として経験を積まれ、歩んでこられた方が、年若き自分の前で謙虚な眼差しを向けてくださったこと。それは、残された道を旅する自分にとってとても大切な出会いとなりました。そして、ラブフルートの持つ豊かで、多様で、奥深い構造と響きを改めて見つめ直すことにもなりました。
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2009/3/7

そこに響いているもの  ラブフルート

 再生音について考え続けています。一般的な環境では生音を直接聴く以外は、何らかの媒体を通した音の響きを感じ取ることがほとんだと思います。いつしか、それが当たり前になっているのですが、録音されたものを聴くことが可能になる以前、ラジオのスピーカーを通したものが中心だったのかとも思います。それ以外の音楽は、生そのものを聴く以外になかったのかもしれません。だとすると、音楽はとても貴重で、特別な意味合いを持っていたのかもしれません。

 学校で音楽を習ったことなどないという高齢の方々のお話をお聞きしながら、ラブフルートのレッスンを続けているのですが、考えてみたらフルートを吹いてみようとしておられるだけでも、凄いな〜と思います。楽譜なんか分からないという方々が、自分なりの音の流れや響きを楽しんでおられる姿を見ていると、自分とは違う感覚で笛を吹いておられるのだろうと思います。自分は、そういう方々の音の響きを聴くのをとても楽しみにしています。

 再生されたり電波を通してスピーカーで再現される音は、明らかに作られたものと言えるでしょう。どんなに素晴らしいアンプやスピーカーがあったとしても、それは再生音であり、響きを作り出す人の価値観の表現になるわけです。個人的には4〜5種類のアンプやスピーカーでCDなどを聴いているのですが、媒体によって、CDなどの響きは全く違った印象になります。一体、どの音響で聴けば良いのだろうかと戸惑うことが多いですし、多様な音の世界を考えればすべてにマッチする媒体はないのでしょう。そこには、実際の音の響きとは別の世界、新たな響きの価値観が生まれているといえるでしょう。音の意味、響きの感じ方、それは音をまとめて再現する方々の感性にゆだねられているともいえるでしょう。

 ライブなどで音響設備を使う時にも同じようなことが起こるわけです。持ち込んだ音響で慣れているライブも、違う音響になると随分違った響きになりますので、少なからず違和感があるものです。さらに言えば、聴いている人と演奏している自分との間にも、当然のように響きの違いが起こってるわけです。ステレオとモノラルによっても、勿論音の意味は変化する訳です。ライブを終えて、生音で聴いてみたいとおっしゃる方も少なからずおられます。

 とはいうものの、自分自身は幼児期から完全に右耳が聞こえないまま旅してきたので、ステレオという感覚を体験できてはいません。もし両方の耳で音の響きを感じたとしたら、どんなだろう...と時折思うこともあります。

 かつて、亡き母にウォークマンをプレゼントしたとき、頭の中心で音が響いていると聞かされ、まったく想像できない自分がいました。音に関する強いコンプレックスがあったのでしょう。音楽に関わることを続けていたのにオーディオもレコードもないまま長く過ごしていました。

 音楽に関わる活動をしているのですが、どういうスタンスで進んでいくのが良いかじっくり考えて残りの人生時間を過ごしてみたいと思っています。いろんな方々に音のことを教えていただきながら、一本のラブフルートを携えてもう少し旅を続けてみようと思っています。
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