2009/6/30

隣のテント  ラブフルート

 今年も地元の花さんぽ祭りに参加させていただきました。小さな祭りで、決して人通りの良い場所ではありませんが、のんびりこつこつ地味に参加しています。

 これまでにもフルートを知っていただくための展示は何度も経験しているのですが、今回はとびっきり刺激的なスタートになりました。

 というのも、お隣のブースの方がなかなかお目にかかれない強烈な自己主張の持ち主で、足を踏み入れてすぐにまくし立てられる展開になりました。長〜い一日が、一方的で険悪なスタートになりびっくりでした。

 今までは和気あいあいで楽しく助け合いながらというパターンが続いていましたので、最初は何が起こったか分からない状態でした。一方的に文句を言われたり、脅されたりという経験がないわけではありませんが、かなり久しぶりの出来事でした。

 少しでも自分の売り場を確保しようという勢いで、見事に構成された言葉が無秩序に連射されました。急いで組みたてたテントの一面がうまい具合に壁になりはしたものの、そしらぬ顔でこちらの敷地に販売物を並べるという驚きの行動が続きました。

 これはとても興味深い出来事でした。気持ちの良い人、物事を善意に捉えて生きる人と接していると平和で嬉しく喜ばしい旅を続けることができます。でも、そういう人ばかりではないのは、誰しも知っています。やたらと批判的で手厳しい人もいれば、対立的な人も現れます。それぞれに自分なりの正しそうな理由を持って生きていますから、ちょっとやそっとでは静かに話し合うことはできません。誤解されっぱなしということも少なくありません。

 腹を立てることが癖になっていたり、攻撃的になったり、自己確信が強いと自ずと批判的になり問題は常に相手にあると信じて疑わない。これは、いつでも自分自身の問題でもあると思います。人間同士の争いや戦いの根底には、こうした性質が常にあるように思います。

 イデオロギーの違いや宗教的価値観の違いが対立の要因のように思われがちですが、問題は自我を正義感や優越感と混同する内面のトリックのような気がします。正しさの陰に住み着く自我は常に繁殖し続けているように思います。

 何故、若者はラブフルート(愛の調べを奏でる笛)を手渡された時に小さな鏡を突き付けられたのか...。その光を受けて彼は目の前が真っ暗になったのか...。

 自分自身の姿、心のありさまを正面からはっきりと見つめること。このプロセスのために起こる人生の出来事を回避せず生きることと愛の笛が手渡されることには深いつながりがある...。問題を転嫁し、自分を憐れみ、うぬぼれの中に生きる愚かしさに目まいを覚え、その空しさに気づくまで...。

 問題は、誰のものでもなく自分自身の中にあることを知る。争いの愚かしさを批判する己自身の中に同じ資質がある...。旅の途上、並んだテントで起こった出来事は、もう一度わが身を振り返る機会になりました。目の前の鏡に映ったのは、隣のテントの人であり、その背後には自分自身がいる...。

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宝塚歌劇団にお送りした男女それぞれが奏でるラブフルート
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2009/6/24

暗がりの一瞬  雑感

 遠方からの電話を待ちながら急いで工房作業を終わらせ自宅に戻ろうとした瞬間。2本のラブフルートを抱えたまま転倒してしまった。もともとあまり思うように動かない足が紐に引っ掛かって足を取られ、まともに倒れてしまった。体のあちこちをぶつけたと思うが、あまりに一瞬のことで状況がうまくつかめませんでした。

 この出来事はなんなんだろう...。いろんな思いが浮かび上がっては消えて行きました。手も足も投げ出された状態でしたが、幸いに通路にウッドチップを敷いて間もなかったこともあり、衝撃はかなり吸収されていました。肩や首を打ったものの無事立ち上がりました。

 人生は思わぬ形で終わりを迎える..。その不思議さを巡ってこころはグルグル動いていました。これまでに終わりを迎えた様々なことをあれこれ思い出し、いずれはいよいよ最後という時が来るのでしょう。それはとっても不思議なことだなと思います。

 製作依頼をいただいていたミズナラ・ラブフルート。選択できるように2本同時に出手がけていたものを電話口で聴いていただいて選んでいただくための移動でした。丈夫な笛で良かった...。考えたら木の屑のベットと投げ出された2本のフルートと並ぶ形になったのですから、幸せ者です。

 土に帰るということをライブの時に少しお話したばかりでしたから、身を持って確かめることにもなりました。起こったことの意味を咀嚼するためには少し時間が必要でしょうし、何かと繋がっているのだろうという予感もありますが、ひとまずは製作や演奏やレッスンを続けられそうです。

 きっと少し横になって休息する必要があったのでしょう。自分が辿っている道の根元にあるものを再度確かめて立ち上がれということだったような気がします。

 ちなみに、ミズナラフルートは無事選んでいただき仕上げに向かうことになりました。今は同時に5本のミズナララブフルートを手掛けています。部屋には旅立ち直前で乾燥して落ち着いたら出かける色々なフルートたちが13本。この後、さらにイチイ、さくら、アスナロ、クリ、トドマツ、カラマツたちも出番を待っています。お待たせしている皆さん..今少しお待ちください!
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2009/6/23

長い一日  雑感

 夏至の日に午前と夜の二つのライブをさせていただきました。まずは、前日から雨の降り不安を残しながら苫小牧東の森のコミュニティーオープニングライブ会場に向かいました。雨や風とどうかかわるのかあれこれ思いめぐらしながらの道のりでした。

 諦めようというほど降ってはいないし風も激し過ぎるほどではない..。こういう状況の時に人はいろんな考えを持ち寄ってきます。何が心を占めているか。そこから考えが生まれてくる..。価値判断の根元にある自分の中の反応を見つめることから始めて、一つ一つ対処しながら開始時間に備えました。

 結果的に雨は遠慮がちになり、どんよりとしていたもののなんとか無事に終わりました。樹木に関心のある方々の集まりでしたから、いろんな木の響きには関心が高かったように思います。カラマツやトドマツの響きを聴くのは初めてという方がたくさんおられました。

 木道を作ったり、木を切り倒す実演などもあり、なかなか新鮮でした。薪ストーブで熊笹茶を作ってくださり、美味しく頂きました。倒されたニセアカシヤの一部をいただいて車に積み込んできました。この道50年ベテランの方が、見事に切り倒していました。うまくいけば集まっていた小さな子供たちが小学校に入学する頃には、あの時倒された木が笛になったよ..とお話が出来る時がくるかもしれません。

 夕方からはお寺を会場にしたキャンドルナイトの集まりがありました。気がつけば会場はびっしりで立ち見の方も随分おられました。なんだかありがたくなった方や、ありがたすぎて熟睡された方もおられたようでした..。タイトル通りのライブになったのがなんとなく面白く感じました。

 太陽の輝きと暖かさがなければ、自分たちは片時も命を繋ぐことはできない..。何よりも大切な命のために、惜しげもなく注がれているものがあればこその人生なのだと改めて受け止める一日になりました。太陽と月の見事な繋がりを思い起こして、人生の闇にも月を照らす太陽のような恩恵が満ちていることをしみじみと感謝する一日でもありました。
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2009/6/17

寄り道  雑感

  ちょっとした仕事の打ち合わせで車を走らせた午後は、痛みの取れない両腕を休める貴重な時間になりました。予想以上に打ち合わせが長引き、やや焦りはあったけれど次に待っているステンドグラス作家のI氏の展示会場へ足を運びました。

 自分の時間に追われて、お誘いを受けた催事や展示会に思うように出かけられないのですが、今回は何とか通り道のコースに組み込みました。いつか光と色と音の空間を実現したいと話し合いながら、まだその機会は来ていないのですが、出来る限り彼の作品に触れながらイメージを積み重ねています。

 会場を去り、次の打ち合わせ場所に向かいました。陰でそっと私のラブフルート製作の援助をしてくれているIさんとの時間。ふと彼の奥様のラブフルートの音色が浮かんでくる時間でもありました。

 そこからさらに、オーダー名刺(飾って楽しめる特製名刺)の支払いのために出かけたスタジオ。時はすでに夕方5時半を回っていました。足早に行動して、夕方4時には工房作業に取り掛かるはずでしたが、流れはどんどん変化して、気がついたら「チリコンカン食べていきませんか〜」とお誘いを受け、さらには水カンリンバ作りの集まりがあると...。

 始めは戻って作業だっ!と思っていたのですが、休みなく作業を続けている状態に水入りを促されているのかもしれないと感じました。休みなく作業を続けなければ..という病気?になっていたのかもしれないな〜と。そんなことをそっと知らせてくれる時間になりました。

 Tさんの優しいお誘いもあって、気がついたら水カンリンバ作りの輪の中に入り混じり、密かに今度のライブ使用を目論んで製作を楽しみました。真剣に作っている時は、誰しも無口になるものだな..と。でも、それ以外の時間は、それぞれのおしゃべりをのんびり楽しんでいる感じでした。

 完成した頃には、いつの間にか色んな人がやってきていて、不思議な時間の中へと誘われました。
私はここで、身体をケアするKさんとの運命的(?)出会いをしました。このままでは身体が壊れる、なんとかメンテしないと作業を長く続けられないと感じて、どこかでケアしなければと思っていました。でも、時間がない..この堂々めぐりの中にいたのです。

 そして、その求めていた時間が思わぬところからやってきたのでした。技術的なこともさることながら、すーっと必要なところへと流れていくKさんの心の流れが心地よく、気がついたら随分と長い時間身体をほぐしていただきました。

 ここは現実と夢の通り道、今の時間は夢の中なんだ..。そんな感覚で集まっている方の姿を見ていると、それぞれが不思議なキャラクターようで面白かった..。気がついたら明け方の4時近かったのですから、あれは夢の中の出来事なんだと思います。

 作業しながら迎える夜明けもいいけど、時にこんな時間をいただけるのは嬉しいことでした。こんな楽しい寄り道は久々でした。
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2009/6/15

ゴーヤ  雑感

大丈夫かゴーヤ。楽しみに植えた2本のゴーヤは、すぐさま危機的状態に陥り、一本は完全にあきらめることに..。連日の激しい風に揺さぶられた上に気温が上がらず、最悪の事態になってしまいました。

 しばらく見守ったものの、完全にダメになり、再度苗を求めて地元の道の駅に出かけました。支払いの時、レジの女性が一言「あなたももう一度買いに来たのかい。まだ気温が上がらないから外に出さずに、20度を越えるまでまってからにしないとね〜」と。「私が居れば教えられたのに...」とも。同じような状況に陥った人が、他にもおられたのでした。

 たった一言があれば...。一つの命を守れたのに..とも思いましたが、それは違ってるなと気付きました。売られているのだから、畑に植えても大丈夫だろうという勝手な思い込みがありました。
大切な苗の命を感じていれば、自分に出来るだけのことをしただろう。必要な知識も求めただろうに...。

 自分の中にはゴーヤを植えて、収穫を待ち、楽しむという単純な構図があるだけでした。最初の心構えがなかった...。小さな畑の、小さな出来事ではあるけれど、しっかりと考えさせられました。

 では、もう一本のゴーヤは何故ダメにならなかったのか..。それは、突風に負けないようにと結んだビニール紐の細い一本だけがわずかに残っていて、ゴーヤは何とか振り回されずに生き延びたのでした。蜘蛛の糸のように細い紐が支え、守って、耐えさせてくれたのでした。

 人生を振り返る時、レジのおばさんのように必要な声を掛けてくださる方と出会ったり、わずか一本の細い糸のような繋がりに支えられたしてきたのだな..と思います。

 逆に、たった一言で相手との関係や状況を破綻させたり、一本の糸のような繋がりが悲惨な状況に繋がっていることもあるのだと思います。

 既に忘れていることが多いのだけれど、人生に密かに添えられた小さな出来事がどんなに大切なものかをゆっくり確かめ、気づくための静かな時間が必要だと感じています。自分が受けるもの、自分が与えるもの。もう少し、その揺らぎの中で生きていくことになりそうです。
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2009/6/13

3年後  ラブフルート

月2回開かれている工房でのレッスンにまる3年以上通い続けておられるFさんが、先日のレッスンの時にふと口にされた言葉が印象に残りました。80歳を越えてラブフルートを手にされたFさんは、ここに来られるだけでもいい..楽しみにしているんですと時々口にしておられます。

 私は、自分が80歳を越えて、全く手にしたこともなく、楽譜も何も一切分からずに一本の笛を吹くという選択が出来るだろうか..と考えることがあります。年老いていても、安心出来て、無理せずに手にすることができる。さほど難しいことを言われず、自分なりのリズムで歩いて行ける道。そういう場に出会えるだろうか...。

 Fさんが、レッスンの途中で、こんなことを口にされました。「3年以上通って、この頃ようやく、先生の言ってることが分かるようになってきたような気がします。いま、そこにいる、その時の心のままに吹けばいいんだといつも言ってることが、そうなんだな..思えるようになってきました。」と。

 「それと、もうひとつ。いままでは、自分はとても人さまに聞かせられないからと吹かないできたけど、これからは吹くことにした。その時の自分なりの吹き方でいいんだと思えるようになったから」と。

 Fさんがどんな道を辿られて、いま一緒にレッスンの時間を過ごされているのかは分かりません。ですが、私はFさんが笛を吹いておられる姿が好きですし、その音色も素敵だと心底思っています。

 Fさんは熱心にご自分で詠まれた歌に笛のメロディーをつけた可愛らしいノートを持っています。自発的に曲を作って来られては、吹いてみてくださいと...。そのFさんが、もう譜面はいらない。見なくてもいいとおっしゃられたのです。

 譜面があるもよし、ないのもよし。それぞれの道に不思議で楽しい知恵が潜んでいるのですから...。
ふと気が付くと、Fさんは3年前よりはるかに顔が輝いていました。眼を閉じて、そ〜っとマイフルートを奏でる姿、その響きが伝えてくれること。それは言葉にならないけれど、素敵で嬉しい気持ちに繋がる秘密なのだと思っています。
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2009/6/10

大切に削らせていただく  ラブフルート

  肉体的な限界に直面して作業を中断せざるを得なくなる..。どれほど気力があっても、動きが止まってしまう...。激しい痛みが続き、集中力が途切れる..。

 どれだけやらなければならないことがあっても、それを理由に全体のバランスを崩せば、やがてすべてにひずみが出てくる。それを何度となく反復確認してきたのですから、ここは慌てず着実な道を辿らなければと思っています。

 ある人が、この笛はコミュニケーションがあってこそ生まれてくると思うと話していました。作業の大切さは勿論なのですが、それはまず心の触れ合いがあって生まれてきます。一本の笛を何時間も手で削りながら、その人とのそれまでのやりとりを思い起こします。

 一日にたったこれだけしか進まないのか..と思うと、少し弱気になって機械に頼ろうか..と思うこともあります。しかし、自分は単に形を仕上げるために時間を費やしているわけではないのだと確めます。
見えなくてもそこにあった事実、時の中に封じ込められた命の息吹きが笛になるのだと...。その事実は、やがて時を経た時に浮かびあがってくると思うのです。

 息を吹き込む人が、大地に根ざし天に向かって育まれた樹木の響きに触れる瞬間。それは、その恩恵を感じつつ手を動かし、自らの歩みに心を寄せて作り上げた人の生きざまとの触れ合いの時でもあると思うのです。

 この木は、どこに生まれ落ち、どんな風に育まれ、どんな道を辿ってこの小さな笛作りの人間と出会うことになったのか。そして、これから誰の所に旅立ち、息吹きを注がれ、どんな歌を歌うのだろう。その笛は自分の死後も、きっとどこかで歌うのだろう。その響きは、この空と一つになって新しい流れを作る..。

 その時、手にした笛が何を語るかはわかりませんが、笛になるために注いだ労力と思いはどこかに潜んでいるような気がします。人が人を愛し、自然を愛し、喜びの中にいたことが..。

 待たせて申し訳ありません..。何度も心の中でお詫びしながらも、手がつぶれてしまわないようにしなければ、結果的にさらに遅れてしまう..。残された時間に限りはあるものの、機械で作っても構わないから、早く、安くという道に寄り道せずに歩みたいと思っています。

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2009/6/6

カモメが飛んだ  雑感

 根を詰めた作業の息抜きに入口付近の小さな池を覗きこみ、丸太の椅子に腰かけようと工房を出ました。電線にハシボソガラスが一羽止まっていました。かつて、電線に触れて麻痺して飛べなくなったハシボソガラスを保護し,一緒に過ごしたことがあったな...。そんな出来事を思い返したり、小鳥のさえずりに耳を傾けていました。

 すると聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきました。と同時に、一羽のカモメの姿が飛び込んできました。まさかと思っていると、次々に6羽ほどのカモメたちが現れたのです。これはこの町に住んで初めての出来事でした。

 近年、札幌の豊平川を中心に街中にカモメが現れていることは知っていましたが、まさか恵庭の町にまで出没するとは思ってもみませんでした。港や海岸で聴きなれた鳴き声が平野のど真ん中で聴こえて来たのですから、ちょっと混乱しました。

 出来事を逆戻しすれば、多分なるほどと納得できる繋がりがあるのでしょう。カモメたちはそれなりの道を辿っているのでしょう。私が外に出た時間とカモメたちが頭上を飛び交う瞬間。こういうことが自分の人生の起こったこと。それは、まだ起こっていない道のりと繋がっている。

 あのカラスが高い所にいて、かつてカラスを助けたことがあって、カモメたちがやってきて...。そんな風に全てが繋がっている...。

 私たちの出会いもまた絶妙のタイミングで起こっている。そういう感覚を色んな方が、それぞれに感じているのだと思います。良いと思われたことが意外な顛末に繋がっているでしょうし、悪いと感じたこともまた不思議な出来事に繋がっているものです。

 いつどこで立ち止まったり、振り返ったりするか...。強引に向きを変えられる時もあれば、ごく自然に心が動くこともあります。私のフルートのレッスンは、こうした時の流れの中で起こる心の動きと呼吸と響きが一つに繋がることを大切にしながら続いて来ました。

 そういえば、かつて吹奏楽の指導をしていた頃の学生さんが、中学校の教頭先生になっておられ、「おおいえのりこ」さんのライブ会場に来られたとの知らせを頂きました。彼女のCD製作・録音の時に参加させていただいたのですが、一曲だけの参加にも関わらず名前はちゃんと一人前に乗せていただいてました。その名前を見て、もしやということで声を掛けていただいたのでした。

 海辺の町の中学校と平野のど真ん中のラブフルート工房。その二つの場所、二人。30年以上の時を経て起こった間接的な出会いが、どこに繋がっているのか...。カモメの飛来は、何かのメッセージなのかも知れません。

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先日開かれた さぱらホール・ライブショット
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2009/6/3

内管(観)作業  ラブフルート

 今はラブフルートの内管製作の工程を85本ほど一気に進めています。手狭な工房では、連続した作業ができず工程を分割して進めなければなりません。これが、製作時間がかかってしまう大きな要因でもあるのですが...。

 一見単純な作業ですが、ここに至るまでに材料の安定をまたなければなりません。また、慎重に素材を選ぶ必要もあります。極力内部に熱がかからないように、時間をかけ、何度も慎重に内部を削ります。この後、内部のペーパー掛けや面取り、角穴付近の細かな仕上げ、天然防水材を何度も塗り重ね、乾燥させ、さらに仕上げをします。さらに、水分を含んで変形した材料をプレーナー(カンナ)で調整。この接合の調整にしばらくかかります。

 少し専門的な内容ですが、これはあくまでも内部への作業であり、人目には全くと言ってよいほど知られていない世界です。それは、音の響きのためにはとても重要で影響力の大きい部分でもあるわけです。これは、決して後戻りのできない工程になります。

 外管の形状も当然音の響きを左右するのですがある程度手直しが可能です。しかし、一体化したフルートの内部には手をつけることができなくなりますし、呼吸は内管を通るわけですから、内管作業は大切な工程になります。

 内側の響きが外側につたわり、響きが起こる。内管と空気の流れとの関係(接点)が原点になるのです。人の歩みというものは、この内管に似て、手をかけることができない、二度と戻れない要素との関わりの中で生きているような気がします。

 意識の変化や価値観の転換によって、局部的に対応可能な気はするのかもしれませんが、事実として起こったこと自体を変えることはできないでしょう。その内部のことを、知る人が皆無だとしても、事実そのものはかわりません。

 人が内管のような自分を生きて歩むのだとしたら、なぜそのフルートは吹く人によって響きが異なってくるのでしょう。そこには何が起こっているのでしょう。

 内管の事実に対して、どんな息を注ぎ込むのか、どんな心を向けるのか、それが響きの違いとなって現われてくるのかも知れません。その内管との接点から、どんな響きがうまれてくるのか...。自分自身がその響きを通して何を感じるのか...。

 人生が一本の笛のごとく流れていくとしたら、私たちはどんな心、どんな響きの中を歩いて行くのでしょうね。
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