2009/7/31

きょうもいるかな..  雑感

 今日もあいつがいるかな〜。工房に向かう前に入口付近の池のメダカと金魚たちとのご対面。そろそろ池の上のブラックベリーが花から実に変わり始めました。その上では時を待つプルーンたちもいます。

 そこからくるりと方向転換して工房前のレッドベリーに向かい、食べ頃の実をいただきます。気が向くと、その奥にあるレッドカーラントもいただきます。

 その手前あたりに根わさびが茂っているのですが、数週間前に、その葉っぱの上にアマガエルがいました。その姿を見た途端、一気に子供のころに空間が移動したような錯覚に陥りました。当時はちょっと勇気を出して、僕も蛙にさわるのなんて平気さと言いたげな表情をしていたんだと思います。

 水場もないのに、どうしてこんなところに現れたのだろう?!その道のりが謎です。その不思議さが新鮮でした。緑色のあいつは他に仲間もいない感じでした。考えてみたら、蛙一匹一人旅なわけです。この広い世界にたった一匹で葉っぱに乗っかっているのです。そう思うと、こいつはかっこいいし、かわいいやつだな〜と真面目に感動してしまいました。

 最初の出会いから半月、もういないだろうと思いつつも例の葉っぱをのぞきこむと、なんと彼はちょこんと葉っぱの上にいたのです。ものすごく嬉しかった...。生きてたのか、そこにいたのか〜と。何食べてるのかな?ちょっと食べ物のことなども気にしたり..。

 彼からすれば、巨大な存在に見えるだろう僕が、親指の先ぐらいの蛙に感動している。その出会いから、いろんなことが広がっていきます。最近咲いたゴーヤの花だって、朝目を合わせると「おはよ〜」と言ってるような気がします。

 冬には毎日のように食事に来ていた鳥たちは、すっかり姿を見せなくなってますが、自然からいただくごちそうを楽しんでいるのだと思います。出会ったり、別れたりという輪の中で旅を続けているけれど、しっかり大地に繋がっていて、いつかはみんな大地に帰っていく。そういう不思議な世界で命を与えられている自分。さて今日は何をしようかな...。

 明日からはラブフルート・ワークショップ。どんなことになるか..そこから何が生まれて、どこに向かうのか...。自分も、蛙の隣に並んで新しい朝を迎えながら、一人旅を楽しむことにします。

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2009/7/25

大地に一輪の花  雑感

  夏を探しに行かなくては...。そんな気持ちさえ出てくる、ちょっと物足りない北国の夏。何度も何度も雨や風や低温で追い込まれながらも、ゴーヤの花が二つ咲きました。生まれて初めて見るゴーヤの花はこの夏のちっちゃくて可愛らしいプレゼントになりました。小指くらいのゴーヤが出来るかも知れません。

 生まれて初めてといえば、ヤーコンもミョウガも初めての体験です。ヤーコンは順調に育ち、この先がひたすら楽しみです。毎日、どうなってるかな〜と様子を見に行くのが日課になっています。ミョウガも、これまた初めてのご対面になったのですが、へ〜こんな風に成長するんだ..という新鮮で楽しみな時間をいただいています。話によれば、根が張ってどんどん増えるんだとか...まだミョウガらしきものは現れていませんが収穫出来たら楽しいだろうと思います。

 新顔たちとは別の楽しみは工房周辺のレッドベリーやレッドカーラントを作業前にパクリと口に入れることです。なんとなく野生の動物気分で直観的に食べ頃なのを見つけて食べる。その時、一瞬で明らかに大地と繋がったエネルギーを受け取って自分も生かされているという感覚がやってきます。

 それはあれこれ手間を掛けて育んではいないからだと思います。時期外れですみっこで安売りしていてひと株100円ほどのレッドとイエローのベリーたち。なんにもせず、なるように任せていたら、たくましく成長してドンドン実を付け、蜂や蝶がやってくる。その中に自分も混ぜてもらえるのはいいものです。

 たとえ小さな庭でも、それが大地と繋がっているのは確かです。そこから恵みをいただいて命を繋いでいる。この大地を人間様を中心に考え始めた時から軸は狂ってきたような気がします。物質と経済が結束して、それが優先されることを価値観の中心にしてきた結果、人は最も大切なものを見失ってしまったのでしょう。存在する命に畏敬と感謝をしながら生きる。その時、自分の命もまた彼らと一つなんだと心底感じるように思います。

 今の時代は、物事を分断して、それぞれを強調する傾向が顕著な気がします。色、形、香、木、花、食物(動植物)、水、大地、内的世界、太陽、月、宇宙、健康などなど...。個別の価値観の強調が、なかなか全体性に繋がらない...。意識も生活も情報で分断されているような気がします。

 一粒の実が、その全てと繋がっている。それが、実をもぎとってパクリと食べる時に僕の全部と繋がる。それで元気とやる気が生まれて来る。とても単純です。そんなわけで、工房に来られた方は、フルートより先に木の実の方に案内されるのです。この後、ブラックベリー、次いでプルーンたちが待っています。

 そして、自らの呼吸と木の笛の響きもまた、一粒のベリーのように、自分たちの根源にある命と繋がっていることを知らせてくれる...。そんな思いを抱きながら、パクリと実をいただいて工房に向かうことにします。

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2009/7/22

人・木=休  ラブフルート

 この8月1〜2日余市で開かれるラブフルート・ワークショップについて考えていることを少し書いてみます。

 ワークショップの中ではラブフルートに関する断片的な考えなどをじっくり集中的に組み上げていこうと考えています。人が木の笛を手にして、自分の息を吹き込むという素朴な行為がどんな広がりや深さや豊かさを持っているのかを、ゆっくりと辿ってみたいと思っています。

 人は生まれる時息を吸い、最後の時に息を吐く..。呼吸が持っている大切な意味を笛は鮮明にしてくれるように思います。音の変化と意識や心の変化が意味していること...。多様なアプローチにも変わることのなかった心が木々の響きに触れる時、自然に変化し始める秘密。

 愛の笛という伝説の中に隠されている人と世界の繋がりの本質。言葉や知的や認識では触れることのできない領域に隠されている深遠な命の営みを全身で受け取ること。そこから生まれてくる、自分という存在の根源にある力。そのエネルギーが人生に起こる様々な道のりを信頼と喜びへと繋ぐ心の起点に触れるきっかけ...。

 ラブフルートは決してものすごいアイテムではなく、普通の笛です。ただ、ほんの少しですが、独特の構造をしています。この少しの形や構造の違いが、とっても深い知恵に繋がっているのです。笛はみな似たようなもの、どれもただの笛と考えていると大切なことを見落としてしまうかもしれません。

 木の笛・愛の笛を吹く時、私たちは自分の中で鳴り響く心音のドラムと繋がり、命の源にある素朴で豊かな振動の中に生きる自分と出会う瞬間を感じ取れるかも知れません。循環する呼吸と鼓動は大切で素朴で深いメッセージを持っている、それを自分自身の呼吸の中から受け取る時間になると思います。

 ラブフルートをたくさん用意し、たっぷりと吹くことが出来る時間。ラブフルートを吹き交わす時に生まれてくる不思議な出会いと繋がり。言葉のない、木の笛の響きだけの空間から生まれてくるもの。ビッグドラム、ハンドドラム、それぞれの震動と自分の鼓動の繋がりが生み出す生きる力。全身から湧き起こる声の響き。その体験は、自分自身が与えられている命の原点に触れる時間を与えてくれるかもしれません。

 自分の身体も心も、過去も今も未来も..一つの呼吸の中で響き始める..。それはある程度ゆったりとした時間の中で初めて浮かび上がってくるように思います。知識や情報や認識で素早く判断することを習慣にしていると、自分の人生の中に現れた大切なことの意味を見過ごしてしまうかもしれません。ワークショップの時間が、どことなく慌ただしい歩みを休んでゆっくり自分や人生を振り返る時間になればと思っています。

 つい先日、今回の会場である余市でセミナーやコンサートをされた方から、一面に海が広がるとっても素敵な場所ですよとお聞きしました。もし、よろしければ声を掛けてみてください。夜にはライブもあります。木々の素朴な響きに包まれる空間を感じる時間になると思います。ワークの部分参加やライブのみの参加も設定しています。(詳細は、日記の左下の掲示板、もしくはHPのライブ案内などをご覧ください)

 関心があっても、日時の都合や経済的なこともあって参加できない方もおられると思いますが、こんなことをしているのか...と知っていただいて、いつか一緒に過ごせるといいですね。

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          小さな苗木とココペリ
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2009/7/15

ダブルフルート在庫切れ?!  ラブフルート

  下準備をしていたダブルフルート(ドローン・フルートorダブルチェンバー・フルート)が、残り数本になってしまいました。製作に手間がかかるので取り組む時はそれなりの覚悟をしています。一度に2本分のブレスが必要になるので、歌口の調整が微妙です。

 ダブルフルートを最初から希望される方も少なくありませんが、吹くことに慣れている方以外は最初の笛としては少し考えてみるようお伝えしています。こんなことを書くと求める方がいなくなるかもしれないのですが...。

 一度に二つも音が出ると、その音の組み合せに気を取られてしまったり、ハーモニーの美しさだけで満足しがちになる傾向があります。一人と二人の違いととてもよく似ています。本当に調和がとれるのはなかなか難しいと思います。勿論、その難しさが生きる知恵への誘いでもあるのですが..。

 人間関係の場合には、うまくいってると思い込んだまま過ごすことはできますが、フルートには、はっきりとその状態、関係性が浮かび上がってきます。しかも、ラブフルートのバードの特性があるため、生まれてくる響きは幅広く微妙です。これもまた、難しいと捉えるのか、だからこそ必要と考えるのか道が分かれています。

 いつも二つだとちょっとうるさい..。片方だけだと少しさみしい...。さあ、どうする..。ダブルフルートは、そんな語りかけをしてくれます。それと同時に二つの音の重なりの美しさへと誘います。

 そんな笛が残り少なくなってきました。ダブルフルートの仲間がみんな集まって吹き始めたらどんなことになるのだろう...ちょっと想像すると楽しくなります。

 いよいよ新たにダブルフルートの準備を始める必要が出て来たものの、ここしばらくはお待たせしている笛に集中です。
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2009/7/4

あれで何してたのかな..  雑感

長さ20cmほどの細い鳥の骨でできたフルート発見の記事を読みながら、それが3万5000年前のものだと聞いて思考は止まりました。昔というにはあまりにも昔のことで、想像するのは無理です。なのに、フルートと聞くと、急速にその時代と繋がる感じがしてきます。

 形状からすると、かなり高音ではないかと思われます。ネイティブアメリカンにはイーグルボーンフルートと呼ばれる神聖なフルートがあり大切に扱われます。それはピリピリ〜といったちょっと突き刺さるような響きです。その響きを聴くと、天から何かがやってきた..という不思議な感覚が生まれます。そのフルートに酷似しているのが印象的でした。

 いま3歳の男の子のために長さ18cmで細身のラブフルートを製作しているのですが「人は何故笛を吹くのだろう..」という素朴な問いを楽しんでいる自分には妙な繋がりの予感がします。現在手掛けている笛もどんな響きがするのかちょっと楽しみです。

 つい先日も、もっともっと短いラブフルートがペアで旅立ちましたが、自分に与えられた時間を費やして作るフルートへの思いは年ごとに深くなっていきます。そこに響く一つの音色が心の琴線に触れる瞬間を静かに待ちわびながらの製作が続いています。

 今の時代は、笛そのものから受け取るものというよりは、様々なパフォーマンスの手段になっているような気がします。自分自身との繋がりのために吹く笛と何かに向けて吹いたり、聴かせたりする笛とは意味が異なるように思います。

 今回現れた古い古い鳥の骨の笛がどのように人と関わっていたのかを知ることはできないでしょう。出来るのは、あれこれと推測し空想することだけです。だれも正解は分からないことがポイントかな..と思います。

 はっきりしているのは笛という存在がいまも面々と存在し続けているという事実です。それはどういうことなのか、少し立ち止まって今まで踏み込まなかった領域に進んでみると、新しい気付きが生まれるかも知れませんね。
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