2009/12/21

立ち上がり・手を繋ぎ・天を見上げる  雑感

 思いを言葉にし、図を描き、ペーパーで簡単な模型を作りながらおよそ半年。想像と思考が混じり合いながら過ごしてきましたが、昨日切り倒された木々が立ち上がり骨組みが出来上がりました。

 現実にそれが、そこに立ち上がる。事実となる。そこには独特の感覚が生まれます。恐れていたことが現実になる。望んでいたことが事実となる。未だ見えていなかったものが、実在し現実となる。この流れを感じています。勿論、こうした現実もまた夢のように消え去る時が来るのでしょう。

 人の手、人の行動が何ものかを生み出す、その一部始終を寒気の厳しい中で見つめ続けました。豚汁、おむすび、特製野菜スープ、甘酒、ミカン、鳥と野菜をダッチオーブンでローストしたものなどで棟上げの祝いをしました。

 建て始めにハイトーンのラブフルートを吹き、去来する様々な思いを天に向けてのスタートになりました。雪の予報が崩れ、冬空独特の青空に恵まれて作業が進みました。ふと見上げると、大きな鳥たちがゆっくりと頭上を旋回していました。トビたちが10数羽ほど群がっていました。この辺りでは珍しい光景でした。ワタリガラスから伝言を受けてやってきたのかも知れない...。そんな不思議な感覚でした。

 組み合わされた姿を見ていると、あたかもそれは立ち上げられた木の人が手を繋ぎ、天頂で一つに合わされているようにも見えます。それぞれのポジションに立って自立しながらも、手を繋ぎ、一つの方向に向かう。それを象徴する小さな建物が次の流れを待っています。
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2009/12/19

8本の柱が立ち上がる  雑感

明日の朝、車庫の跡地に造られた基礎の上にトドマツの柱が8本立ち上がり屋根の骨組みが組み立てられます。それは面白そうと思われる方々が、気ままにやってきたら豚汁や甘酒でも振舞おうかと思っています。

 隣町の長沼で光を受け、雨風雪と戯れ、時を経たトドマツの木々たちが小さな敷地に用意された土台の上に立ち上がります。狭いけれど、ちょっと背高のっぽの八角形。その真ん中に立つと、切り倒される直前のトドマツ林が浮かび上がってきそうです。

 真冬の作業なので、何から何まで厳しく辛い事が多いのですが、何かに向かって全力で動いているエネルギーがまだ見えぬ建物を浮かび上がらせて来ました。

 今回は、切り倒しから、切り込み、基礎設置作業、設計など、色んなプロセス見たり、一緒に働きながらメッセージを受け取ってきました。それが、いよいよ一気に立ち上がり骨組みが出来あがろうとしています。

 こうした流れが知りうる限りの宇宙にも、個々人の人生にも起こっているのだと思います。与えられた時間の大半は、その極々断片に触れるだけで流れ去ることが多いのかもしれません。じっくりととどまってゆっくりと思いめぐらすことの大切さを感じます。

 多くを得たようで、実は何も本質には触れられず、批判的な意識だけが発達する。そうなれば、貧困な意識で物事をあれこれ選別しながら肝心な自分を失ってしまうような気がします。即物的な反応に終始して流される情報社会の姿が、おのずと個々人の意識にも浸透しているようにも思えます。

 じっくりと眺めたいと思う絵画も、群がる人の波に押され、気が付けば会場の出口が目の前にある。確かに、見て、感じてきたのだろうけれど...。そんな風に人生そのものも流れてしまうかもしれません。次々と生まれる新商品を追いかけ、これこそ新しい、珍しいという物事を追いかける..。それは果てしない作業の反復のようです。

 猫ジャラシで戯れて終わるのか空腹を堪えて獲物をとらえ、獲物を食べて命を繋ぐのか。生きているという点では同じですが、明らかな違いを感じます。それを捕えなければ生きられない、どうしても必要なもの。矢を射るように獲物を見つめ、全力で立ち向かう。慎重さと冷静さを伴って...。

 自分たちの中に潜んでいる、そうした力に触れる空間。笛を吹く、そのためのスペース。そこから生まれる出会いと語らいの場。数を集めるための場ではなく心の種をじっくり育む。そんな場がほしいという思いが自分の中に湧きあがり、さまざまな助けを受けながら、それが現実になり始めています。

 完成後には決して見ることのできない、森の木々たちが作り上げる空間に来られそうな方は、どうぞお出かけください。(2009.12.20午前8時から〜)
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2009/12/13

土台  雑感

 前回のブログには、小さな建物のための掘削工事を見ながら、埋められていたものを巡る思いを書いてみました。表面的には見えていないけれど、紛れもなく存在しているものに気付くとき、色んな事実が自分自身の土台にもなってきたのだと感じます。

 それが、良さそうに思えることであれ、厭だなとか不味いなと思うことも、自分自身のことであり、結局はそういうものの上に立って今があるわけです。

 今は、基礎工事に入りました。ここで作られる土台の上に、建物が建つわけで、その建物に色んなものが入ったり、色んな人との出会いがある。一番目立たなくて、もっとも重要なもの、それを手掛けている基礎工事の職人さんたちにちょっとした休憩時間を見つけてラブフルートの音色を楽しんでいただきました。すると「俺のフルートも作っておいてくれ..」と言い残して作業に戻られました。少し疲れ気味の奥様の為に...とのことでした。造園関連のお仕事もされているとかで、今度庭木を伐採したら、良さそうな木を持ってくるとも言われました。

 基礎工事を目の前にしているうちに、自分の人生の基礎工事はいつ、どこでなされたのだろうという自問が生まれてきました。時間的な流れからすれば、生まれ落ちたところから(前世論にはとりあえず触れずに続けます...)ということになるのでしょう。正確には、胎内での経験も加えてということになるでしょう。

 とにかく生まれ落ちてからというもの、初めてのことばっかりの世界ですから、見聞きしていることすべてが、有無を言わせず次々と自分の中に吸収されていくわけです。呼吸の仕方から、眼球の動かし方、言葉、食べ物、心の動き、感性、感情の起伏...などなど。すべてが、模倣と自己選択によって振り分けられては行くものの、その土台は明確です。

 ここまで親に似ているのか...というのは姿かたちよりも、心の状態かもしれません。自分は自分だと思っていても、やがて人生の土台になっているものが浮かび上がってくるものです。それに気付き、肯定したり否定してみても、もうそれはすでに出来上がっていて、その上に色んなことが次々とやってきている...。どんなに個性的で独自の道を辿っているように見えていても、それは土台の上で起こっている...。それは変えることのできないことであり、だからこそ深い意味を持っているように思います。地球に生きている人間は、誰しもこうした関係の中で生きている...のですね。

 何をどう言葉に置き換えてみても、理性的な視点や価値観が生まれてくる以前に出来上がっているものがある...。その事実を、どこまで掘り返して現実との関わりを受け止めるのか..。その心のプロセスと事実そのものの変化が、目に見えない土台のような気がします。

 その建物が建ちあがる全ての場所を根こそぎ掘り返す作業。その作業から受け取ることは大きい..。新しい生き方というのは、この作業を自分の人生の中で明確に実践するときに初めて実現するのでしょう。中途半端で一時的な掘り返し作業で一喜一憂するパターンから抜け出すためには、予想外の忍耐と心の純粋さが求められているように思います。

 出来上がろうとしている小さな建物は、そのことに触れるきっかけのひとつになるのかもしれません...。
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2009/12/9

埋められたもの  雑感

  古いものが処理されなければ、新しいものは生まれない。新しいものを得たように思ったとしても、必ずや古いものが人生の足元に残っている..。古いものとは何だろう..。新しいとはどういうことなのだろう..。

 単純だけれど、とても奥深いこと。幾度となく語られながら、その実質に辿りつけないことかもしれません。言葉や認識の中では納得できますし、理解できますが、これを実践するとなると、難しい。
 
 相当な労力と精神力と行動力がなければ、新しいものは訪れません。新しいスペースの為に、長年使ってきた車庫(実質物置)を廃棄することになり、その時々に必要と感じ、或いは後で使おうと思っていたものが次々としまいこまれ、結果的に処理しきれないまま目の前に現れました。そして今、あれこれの出来事が重なって、ついにそれらを処理する機会が訪れたのは不思議な感じです。

 精神的な側面、心理的な視点などから言葉を尽くして人生の要素をあれこれ語ることはできますが、物質がもっている要素には独特の重みがあるように思います。意識の中で、それなりに処理できていたはずのことが、一つのもの、過去の事実を歴然と示すようなものが現われた時、何かが揺さぶられるような感覚が生まれてきます。

 自分に都合のよい人生の捉え方をしてみても、根元から処理していないことは確実に現実と関わりを持ち続けている。過ぎ去り、忘れ去られた筈の諸々が掘り返され、自分自身の人生の事実に直面する。そんな感覚が、車庫兼物置の解体、さらに新しいスペースの為に始まった基礎工事を目の前にして一気に引き出されたような気がします。

 埋められていたものが掘り返される。それは決してなくなってはいない..。自分が埋めてしまっていたもの。明確な処理をしてこなかったもの。それが一気に引き出される...。淡々とやってくる時間の流れの中で、中途半端であったり、曖昧にしたままであったりしたこと。それは、そのまま事実としてそこに残っているのです。

 自分自身という感覚や認識をどこから..もしくは、どこで受け止めているのだろう。人生の途上で愛の笛を手にすること。それが何なのか、足元から見つめたい...。いま生かされている大地との繋がりの中で受け止めたい...。どうやら、やがては、自分自身が帰ってゆく大地の意味を受け取る機会が訪れているようです。

 想像や意識の世界が、現実とはっきり繋がる。小さくはあるけれど、建物が生まれてくるプロセスには大切なメッセージがあるように思います。ましてや、住宅建設会社の建物ではなく、目の前で見て、切り倒された木々が一つの目的にために姿かたちを変え、人々が集う空間を生み出そうとしているのです。

 こういうことが自分自身の人生に起こっています。過去と現在と未来を繋ぐ大切なメッセージを読み解きながら年末年始を迎えることになりそうです。
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2009/12/2

一ヵ月のご無沙汰ブログ  ラブフルート

 トラック数台分の書籍の移動。10畳間の書斎には並べきることもできずに段ボールに入れたまま積み上げられた書籍の方が多かったと思います。部屋の窓と壁を改修するため、家具などを含めてすべてを移動する必要があり連日梱包作業が続いていました。

 たった一人の人生の旅路に、これほどの事物が必要だったのだろうか...。そこで読み進めたり調べてきた事柄は、一体どこに行ったのだろう。知識を追い求めても切りがなく、何ごとかを書き綴り、言葉に置き換えてみても果てしがない...。

 病のために突然床に伏したとき、積み上げられたはずの事物が瞬時に消えさり、不思議な孤独の世界に引き込まれてしまう...。そんな体験を何度か繰り返しながら感じてきたことが、走馬灯のように浮かんでは消えていく。書物や日記をさーっと一瞥しながら、いつしか本物の死を迎える時が来るのだろう..と密かな覚悟、準備をしている自分に気付かされました。

 パソコンもノートを残して撤収、保管され、開いてみる余裕もなく、気が付けば一カ月。およそ築50年近い自宅があちこちで悲鳴を上げているただなかで、自宅前の車庫が解体され、中も外も慌ただしく変化し始めています。

 この夏に、ふと心に浮かんだことが、いま着実に現実になり始めています。ラブフルート工房を初めて訪れる方がじっくりと木々の響きを感じてマイフルートとの出会いを始められるように....。既にマイフルートとの旅を始めている方々がゆったりと自分の呼吸と木々の響きの中で過ごせるように...。

 それを実現するための小さなスペース。そこで始まる新しい旅路。その準備が始まっています。色んな形でラブフルートとの旅を始められた方やこれから始めようとしている方々の思いが、様々な形で動き始めています。近隣の山で育まれたトドマツの木を切り倒し、その8本の木々が柱となり、小さな空間を作り出す。

 初めてお金をいただいて手渡したラブフルートを手に旅をしているIさんがステンドグラスの準備をしています。展示会で出会い、フルートをお届けしたもう一人のIさんが、建物を手掛けています。十分な資金がなく、トイレも水場もありません。そんな中で、少しでも役に立てればと密かに届けられる色んな形の援助、カンパ...。それぞれの思いが純粋な一滴となって、小さな泉が生まれてくるのかもしれません。

 まだまだ、準備の為に汗水を流さなければなりませんが、与えられたわずかな息と木々が響きあういのちの喜びと美しさは、人の心の繋がりの豊かさとなって響きあっているようです。

 これから生まれてくる建物は、木々と一緒に心の歌を歌う一人一人のもの、みんなのものなんだ...そう感じながら過ごしています。

 小さなスペースにぴったりのいい名前が浮かんできたら...そっと伝えてくださると楽しそうです...。
 
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