2010/1/29

積み上げられること・融け行くこと  雑感

放置しておいてもいつかは溶けてなくなる。それを知りながらも、目の前に降り積もった雪は取り除かなければならない。この不思議な作業のことは、毎年考えてみるけれど、これといったなるほどという答えもないまま、冬が終わってしまいます。そして再び、冬という季節が訪れます。

 これはそっくり人生そのものにも当てはまりそうです。どれほど悲惨な出来事が積み上がっても、時を経れば誰ひとりその大変さを思い起こすことさえなくなります。では、何故そういうことが人生と名付けられた世界に起こるのか...。

 この大地は、いったいどれほどの血を浸透させ、どれほどの涙を受け止めてきたのでしょう。不可解さや矛盾、時に憤りを感じながらも、人は目の前の出来事に対処するために力を尽くしてきました。ハイチの地震の様は、四角い画像を通した、断片的な情報から想像することしかできません。

 それは天変地異という言葉で表現されていますが、悲惨さや残酷さは自然現象ばかりではなく、人間たちが自ら引き起こしている事のほうが多いのかもしれません。それは、戦争といった状況のみならず、言い争いや欺き、ののしりや対立、自己主張から生まれる確執は毎日のように起こっているのだと思います。

 殊更に、国家間や先住民問題を取り上げるまでもなく、人と人が関わるところには、差別や対立が生まれ、権力を求め、自分の正しさを主張し、互いを非難し攻撃することが正当化されます。そして、それらもまた、吹き抜ける風のように消え去ります。

 この日記を書いている時に、メディアは自殺者がこの12年間、3万人を超えていると伝えています。戦争でも災害でもなく、大切な命を自ら断ち切る人がいる..。単純に数えても、一日に100人弱の自殺者がいる。その情報を聞き流しながら、自分の生活の楽しみや満足を求め、守り続ける。そうした状況がやがて、思わぬ形で自らを殺すという滝壺へと繋がってしまうのかもしれません。

 偏った価値観に囚われたり、狭い視点から抜けられなければ、否応なく、孤立し、行き場を失うのは、必然的とも言えるでしょう。それを回避させるのは、心に届く言葉、実質のある言葉と心、心と繋がることのできる心(存在)があることではないだろうか...。

 建築中の小さなスペースに降り積もった重たい雪を運びながら、かつてこの場所にあった小さな物置の中で行き場を失った心が死を選択しようとしていた瞬間を思い起こしました。その時の心は必要なプロセスを経て、今の時間、空間につながっていました...。
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2010/1/25

吹いて奏でる  雑感

  ずーっと休みがなかったから、 今日は気分転換したほうがいいな..と思い、市内で活動している吹奏楽の演奏会に出かけました。中学校と高校の吹奏楽部の演奏を聴いていると、自分が指揮棒を振っていたころを鮮明に思い出しました。当然ですが、生徒の年齢はいつまでたっても当時と変わりません。

 自分だけが勝手に年齢を感じている不思議な時間でした。市民吹奏楽団の演奏もあったのですが、こちらは年齢幅も広く、かつて指導していた生徒が、そろそろ孫もできそうな感じでした。

 いまさらながらに、吹いて奏でる音楽なんだな〜と思うと、今聴いている音楽が全部人間の呼吸から生まれてるんだっ!と新鮮な感動が生まれてきました。

 みんなで作り上げる音楽の楽しみ、難しさ、喜び。それぞれのパートが持つ大切な役割が組み合わされて生まれてくる響き。音楽が持っている世界の広がりを再確認し、同時に新しい視点への刺激も生まれてきました。

 最後の合同演奏は、楽器構成のアンバランスもありましたが、どうしても個々人が力んでしまい、最後にすっきり納得とはならず、ちょっと残念..。それでも先輩後輩合同で演奏する意味は十分あったように思います。

 耳を澄まさないと聞こえないようなラブフルートの響きと、金ぴかの管楽器がずらりと並ぶ吹奏楽。客席にいる自分が、かつて彼らのように過ごしていたことは、誰も知ることはないでしょう..。このままタイムスリップすれば、自分の席にかれらの一人が座っているのかもしれません。

 こうした大きな循環は、原生林の中に踏み込んだ時に感じる世界そのものです。一体この循環は、どこに向かっているのでしょう。いえ、方向性などないのかもしれません。時間という概念や価値観がどうであれ、個人的な感覚の中には時間とは無関係な自分という存在があるようにも思います。

 圧倒的な存在感を持つ巨木。その種は一体誰が運んできたのか分かりません。誰も自分の行為を誇ることなく、誰が何をしたのか尋ねるものもない。人々が、どれほど称賛しようとしまいと巨木は淡々と自分の道を生きています。その巨木もまたやがて大地に横たわり、新しいいのちと繋がっています。

 生きていくことで生まれてくるものもあれば、死が次の命を生み出すこともある...。生きるもよし、死もまたよしですなのですね。
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2010/1/22

ラブフルート作りの難しさ  ラブフルート

 昨年の後半からラブフルート製作の壁を感じてきました。難しさに何度も直面し、注文の製作が遅れてきました。お一人の依頼で製作したフルートに納得ができず、数本の試作をすることも続きました。

 決まった形の物を製作することに困難を感じているわけではありません。それは問題を感じていません。問題は、オーダーで製作する時に起こります。サイズもスタイルも素材も全く違うので、柔軟性(応用性)とじっくり見つめる冷静さと忍耐力のバランスが必要になります。それが多忙な状況の中で十分に保てない..。無理に押し切らずに待つ..。少しずつ手をかけながらも集中できない...製作時間が遅れる。気持ちだけが焦る..この繰り返しでした。

 形作って音を出すことに問題があることもありますが、それ以上に大切なのは、そこに生まれてくる響きそのものを感じ取り、表現すること自体をどうすればよいのか..。そこのところが分岐点になります。バードの形状が生み出す響きの変化をどう受け止めるのか。どこで良しとするのか。

 そこには依頼主との関係も重要になります。自分自身の感性や意識状態も大きく影響します。とりわけ、直接お会いしていない方からの依頼には、随分と試行錯誤が続きます。

 見よう見まねでラブフルートを作ることは、さほど難しいことではないと思います。単に良い響きになることだけ目指せば、それなりにスタイルは出来てくるとも思います。ですが、根底にある自分の中の価値観や意識が形を生み出していることがはっきりしてくれば来るほど、単なる模倣作業ではなく、真剣に取り組まざるを得なくなります。

 90%出来上がっていながら、ふと気付いたことがあれば、ゼロから取り組まざるを得なくなります。吹き込み口のホールのサイズは、製作当初の物からゆっくりと変化してきました。年齢や性別や個性を受け止めながら、創意工夫を続けてきました。

 よく鳴る、よく響く笛は、一見吹きやすく感じますが、密やかに深い響きを表現することは難しくなります。吹き手の側でコントロールしようとする意識が強くなりやすいのです。響きを抑えて内省的な響きを大切にすれば、逆に強い表現が難しくなるという現象が起こります。さらには、そこに樹種による響きの個性が加わります。

 これはもう生き方そのものに直結しているのだと気付き始めます。たかが一本の笛ごときにと思う方が多いと思いますが、それは自分が笛を吹くと思っているからかもしれません。

 ですが、笛の響きがどれほど自分に影響を与え、実質的な変化を生み出すものなのかを知るとき、意識は明らかに変化し始めるでしょう。その変化は、自分というとても限られた存在を肥大化させる流れから、流れ全体に気づき、広いところに出て自分を受け止める生き方との違いともいえそうです。

 自分自身であることと、すべての関わりの中に存在していること。それが意識の中で部分的に強調されたり、説明されたりする段階(この時期は、個々人で随分違いますが数十年かかることも珍しくないような気がします)を終えて、一本の木の笛を吹く瞬間の中に溶け込む...。

 心の思いが笛の形になり、その心が響きとなる。今日はレッスン日ですが、再度この原点を確かめる時間になりそうです。 
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2010/1/21

二面の壁  雑感

  建築中の建物の屋根にトタンを貼り始めています。それと並行して壁が少しずつ張られて来ました。外壁だけですが八面のうち、二面が張り終わりました。

 その状態を見ていて、少し感じることがありました。今までは大きな太い柱と屋根だけでしたから、周囲は見渡せました。ところが壁が出来始めた途端に、不思議な感覚が起こり始めています。

 空間と壁。たった一枚の壁が、建物の感覚をすっかり変え始めたのです。周囲が見えていた時には、天井の高さをさほど高いとは感じていなかったのですが、壁が現われると、やけに天井が高く感じるのです。

 空間を板でふさぐと、壁という存在が大きく現われて、自分との関係がはっきりしてくるようです。自分は、この壁の内側にいる、或いは壁の外側にいる。その違いがはっきりしてくるのです。

 これからさらに壁が出来上がってくると、どんな変化を感じるのだろう..。まだ、六面が開いていますから、なおさら空間と壁の違いを感じているのかもしれません。

 八面全部に壁やドアが付いたとき、自分は何故こんなスペースを建てようとしたのか、新たに感じ始めるのかもしれません。
 
 閉じこもるためなのか..何かを守るためなのか...何かを見つめるためなのか...自分が居住するための建物ではなく、何故フルートを吹き、そこに響くものを感じるためだけのスペースを作ろうとしているのか...。それを静かに問い掛けながら、残りの人生を歩いて行くのだと思います。

 今は、建物が完成に向かう変化の中から、ゆっくりと感じたり気付いたりしています。やがて大地の一部分をお借りして、ひとときの空間を受け取る、その意味がじわじわと浮かび上がってくるのでしょう。

 5枚のステンドグラスをはめ込む枠が現われました。やがてそこに光とガラスと空間が醸し出す世界が現われ、四季の変化、光と風と雲、そして雨や雪が生み出すゆらぎと共に、大切な個々人へのメッセージが届くことになるでしょう。

 壁の中に身を潜めている心が、差し込む光と色の饗宴に誘われ、楽しげに歌い始める..

息吹きから生まれる木々の響きが自らの心の響きであることに気付く....

自分の心は閉じ込められていたのではなく、包み込まれ、支えられていたことに気付く...

人生のターミナル、心の休み場、それぞれの道を密かに確かめる場

そんなちいさな場がゆっくり完成の時を待っています
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2010/1/18

吹雪の吹き初め  ラブフルート

 今年は雪が少ないと思ったのもつかの間、しっかりたっぷり雪が降り積もりました。こうなると、しばらくは雪中心の季節が続きそうです。自動車を使う生活をしていると、とにかく自宅前を除雪車が通らなければ何もできない状態になります。

 昨日は昼前から始めた除雪作業が夕方近くまでかかりました。玄関を開けた時の雪の深さでおよその時間が見えてきますが、あまり大量だと体力の消耗によるロスタイムが加算されます。公共交通機関にも当然のように影響が出ますから、時間の流れ方、生活が大きく変化します。

 東北の豪雪ともなれば、一晩で1m以上積もったりしますから、もう完全に未知の世界です。その雪は、一体どう処理されているのでしょう..。 とはいえ、個人的体験でも玄関先に70cm以上の積雪がある中で、出勤しなければならないことも何度かありました。そんな時は詩人のように雪の様を歌っている余裕などあるはずもなく、ひたすら埋もれた車を掘りだし、まずは道をつけることに専念するわけです。

 なんとか道をつけて出発するときには汗だくで、体力は激しく消耗されています。それに続く渋滞、除雪車の作業とのぶつかりを避けて脇道に入るなど工夫はするものの予定時間など意味がなくなります。やるべきことが著しく減ってきます。そんなところに風が吹きはじめ、一寸先が見えなくなれば、仕事どころではありません、身の安全を確保することが優先です。

 出発地も目的地もそれぞれではあるけれど、少なからずこういうところを通って、降り積もった雪がすっかり消えて、新しい春が来るんですね。今回吹き初めに集われた方々も、吹雪を通り抜けて来られましたが、実際の吹雪もさることながら、人生の吹雪に直面している方やこれから突入するだろう方々もおられました。

 ひとひらの雪、一粒の雨、流れる雲を見ただけで歩みを止めてしまうような時もあれば、暴風雨の中を突き進むようなこともあるのだと思います。一つの出来事から、それぞれの道が生まれてくる...。その一つの場が吹き初めの時間でもあります。

 一つの出来事に対して、同調、反発、疑念、恐怖、猜疑、歓喜、内省、諦念、絶望、奮起、自己弁護など様々な心が浮かび上がってきます。

 出来事とは何か、それを意味づけ、反応する自分とはどんな存在なのか。そして起こってくる出来事と自分とのかかわりはどこに向かっているのでしょう。

 今年の吹き初めサプライズは、クラリネット演奏、琵琶演奏、太極拳体験、手作り料理やお気に入り品の差し入れなどがありました!ご協力いただきありがとうございました。

 ラブフルートを吹くこと、それは自分が表現する者であり、聴き取る者であり、感じる者であり、心めぐらす存在であることに気づくこと..。音の高低、響きの多様性、流れの変化、息吹の変化。それが同時に起こる時間。そこに浮かび上がる自分自身の内側にあるものとの触れ合いの時間のような気がします。

 行き場を失い、自分がどうしてよいか分からなくなった若者が、何故愛の笛を手渡されたのか..。
何故、それが木の笛だったのか..。今年も、じっくり、ゆったりと出会いの中で思いめぐらせてみたいと思っています。

 吹き初めに来られた方、思いはあっても来られなかった方、いつかは参加してみたいと思っている方、今年もよろしくお願いします。
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2010/1/14

心が震えた..  雑感

  森の木陰で見つけた妖精の歌声だろうか、それとも、木立を吹き抜ける風の歌なのか?

 こんなふうに人の心に触れる歌声があるんですね...。

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2010/1/13

どんな小鳥たちがやってくるのかな〜  ラブフルート

  2010年の吹き初めが今週の土曜日16日のAM9時からPM9時まで開かれます。これは特別な組織でも会でもなく、どことなくラブフルートと関係があるかな〜という人から、マイフルート持ってますという人が好きな時間に来たり立ち去ったりする集まりです。

 全然ラブフルートを知らないけれど来てしまったという人もまぜこぜで、一年のスタートに笛を吹いてみたりドラムをたたいたり、踊ったり歌ったり、おしゃべりしたり、絵本を読んだり、自己PRしながら過ごします。

 マイフルートを持ってるけどあんまり吹いてない人が、この日だけはたっぷり吹いて楽しんだり、他の人のフルートに触れてみる機会でもあります。

 あらかじめ用意している軽食など以外は、それぞれ適当に持ち寄ってつまみぐいになるのですが、これが結構楽しいのです。みんなが少しずつ出来ることをするだけで、満腹になっちゃうのです。

 幼児から年配者まで、笛を吹くときの純粋な姿はいいものです。知らない人同士が、笛一本ですーっと繋がるのをみているうちに、今年もどんなことが待ってるか楽しみながら歩いてみるか...という気持ちになります。

 美味しく楽しい餌台に、さーっと飛んできて小腹を満たし、また飛び去る小鳥たち..。また、来年も会えるかな..と思ったりします。お知らせの電話やメールを通して、あちこちで色んな変化があることに気付かされます。転居、進学、就職、離職、病気、結婚、おめでた、死去などなど...。

 今年はどんなところに風が吹いて、誰がやってくるのか...。誰がどんなサプライズを用意しているのか...。何にも打ち合わせたりしていませんが、たのしみです。自由さと楽しさとちょっと真面目さがあって、美味しいものがあって、気楽に過ごせる吹き初めがもうじき始まります。

 予約も必要ありませんので、なんとなく気が向いたらお出かけください!
2010年1月16日 午前9時から午後9時 夢創館(JR島松駅前徒歩1分)
茶菓代など 1000円(中高生500円)・持ち寄り式食事
連絡・問い合わせ先 090−8906−9916(ブルーレイバン オノ)
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2010/1/13

もうすぐ吹き初め  ラブフルート

2010年の吹き初めが今週の土曜日16日のAM9時からPM9時まで開かれます。これは特別な組織でも会でもなく、どことなくラブフルートと関係があるかな〜という人から、マイフルート持ってますという人が好きな時間に来たり立ち去ったりする集まりです。

 全然ラブフルートを知らないけれど来てしまったという人もまぜこぜで、一年のスタートに笛を吹いてみたりドラムをたたいたり、踊ったり歌ったり、おしゃべりしたり、絵本を読んだり、自己PRしながら過ごします。

 マイフルートを持ってるけどあんまり吹いてない人が、この日だけはたっぷり吹いて楽しんだり、他の人のフルートに触れてみる機会でもあります。

 あらかじめ用意している軽食など以外は、それぞれ適当に持ち寄ってつまみぐいになるのですが、これが結構楽しいのです。みんなが少しずつ出来ることをするだけで、満腹になっちゃうのです。

 幼児から年配者まで、笛を吹くときの純粋な姿はいいものです。知らない人同士が、笛一本ですーっと繋がるのをみているうちに、今年もどんなことが待ってるか楽しみながら歩いてみるか...という気持ちになります。

 美味しく楽しい餌台に、さーっと飛んできて小腹を満たし、また飛び去る小鳥たち..。また、来年も会えるかな..と思ったりします。お知らせの電話やメールを通して、あちこちで色んな変化があることに気付かされます。転居、進学、就職、離職、病気、結婚、おめでた、死去などなど...。

 今年はどんなところに風が吹いて、誰がやってくるのか...。誰がどんなサプライズを用意しているのか...。何にも打ち合わせたりしていませんが、たのしみです。自由さと楽しさとちょっと真面目さがあって、美味しいものがあって、気楽に過ごせる吹き初めがもうじき始まります。

 予約も必要ありませんので、なんとなく気が向いたらお出かけください!
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2010/1/8

木々たちにありがとう  雑感

 軽い気持ちで雪かきを始めたある日の朝。予想外に気温が低かったのか、血流が悪かったのか、指先が千切れそうに痛くなり耐えられなくなりました。このままでは数分で凍傷になるという焦りを感じながら、工房のストーブの前にかがみこんで指先を温めました。

 ストーブの温かさが何にもましてありがたく、うれしく、ちょっぴり涙が出そうでした。子供の頃は、季節にかかわらずとにかく外に出て遊んでいました。雪で濡れた手袋の冷たさに耐えられなくなると家に駆け込み、マキストーブの前で温めていた手袋に履き替え、さらに遊び続けたものです。

 家の外に積み上げていたマキは、当然のように凍りついていましたので、それを運び出す作業はなかなか大変でした。それは子供の仕事でしたから、うまく取り出せないとけっこう寒い思いをしました。そのマキが、ストーブを真っ赤にするほど燃えあがり、隙間風だらけの部屋を暖めてくれました。背中は寒くても、顔は温かい...。次は、ストーブに背を向けて背中を温める。それを繰り返しているうちに時間は過ぎ、やがて湯たんぽにやかんのお湯を注ぎ、冷たい布団の中に置いてくることに...。

 布団に入りこむタイミング。冷たいところと温かいところを探りながら、湯たんぽを動かして何とか眠りに就いたものです。朝になると、洗面器の水がガチガチで手動のポンプがなかなか動きません。まずはストーブに火をつけて一日が始まります。熱くなったお湯をポンプに入れて動き出せば朝食の準備が始まるといった具合でした。

 木を燃やして冬を乗り切る。ストーブが家の中心、生活のど真ん中にありました。その身を燃やして自分を温め、命を守ってくれた木。その木に命の息を注ぐとき、そこに生まれる響き、そのとき生まれてくる響きがいろんなことを伝えてくれます。

 激痛を伴う強烈な冷たさから命を守り支えてくれた木々への強い感謝。それが新年のひとこまとなりました。およそ50年になる自分の書斎。いまPCを置いている場所には畳敷きの2段ベットがありました。その木材たちが私の眠りを支え、後に多くの書籍を背負ってくれました。

 建物となって生活の空間を支え、身を燃やして冬に耐える力を与えてくれた木々に改めて感謝です。ふと振り返れば多くの書物もまた紙に姿を変えた木々からのプレゼントでした...。しかも今は、木々の笛を通して豊かな出会いへと招いてくれるのです。

 木々の助け、共存出来ることに心から感謝です。
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2010/1/1

終わること・始まること  雑感

終わること、始まること。年末年始は時の意味を静かに考えて過ごしています。昨年亡くなられた方のことを思い起こしつつ、自分にも確実に訪れる死を見つめています。

 人は誕生とともに、死というゴールに向かって進んでいく。それは何を意味しているのでしょうか...。新しい年を迎えることは、感謝なことですが、同時に死への接近の確認の機会でもあるわけです。

 お正月は血の繋がりのある人々が顔を合わせ、安否を確認し感謝する時とも言えそうです。自分にもそんなお正月がありましたが、両親を亡くしてからは、一人のお正月が続いています。

 楽しく賑やかなお正月を迎える方が大半でしょうが、この年末年始に自殺者が増加するのも現実のようです。繋がりを喜ぶ人々と、何の繋がりもない自分を直視し虚無や孤独を痛感する人々が交錯するのもお正月の一面なのだと思います。

 年の初めに、こんなことを書くのはよろしくないと感じる方もおられるかもしれません。ですが、幸せを受け取りながらも、少し視点を変えて広く全体を見れば困窮したり困惑している方々も少なくありません。そうした現実をそれとなく見過ごしてしまう社会の姿勢に疑念を抱かない生き方を続ければ、さらに死を選択する仲間を増やし続けるような気がします。

 自分の生き方の何かが変わらなければ...そしていま自分にできることは何だろう..。その思いが小さなスペースを作ろうという具体的な動きになりました。大げさに旗を立てて叫ぼうとしているわけではありません。こうして考えていること、心に感じていることを明確にし、それぞれの足元からその人なりに出来ることを続けていく..。その一つに過ぎません。

 この笛が愛の笛と呼ばれていること。それは単なる呼称ではないだろう...。それをじっくり、ゆっくり見つめ、自分自身の心の中にある響きや揺らぎを感じる空間。そこにやってきて、そこから旅立っていく空間。木の笛ラブフルートの響きの中に、自らの心が浮かび上がってくる。それを感じられる場、それが具体的な動き、変化を生み出すきっかけになる空間。

 ただ木の笛に自分の息を吹き込むだけの小さな空間。だれからの言葉でも、促しでもなく、自分自身の中にある命とその流れを受け止めるきっかけになればいい..そんなことが具体化する一年になりそうです。

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