2010/2/26

光の伝言  雑感

 長い時間の隔たりを経て、再会した瞬間に生まれてくる感覚。時の移ろい、時間が圧縮されたような奇妙な感覚。過去の記憶と現実が一気に繋がる瞬間が興味深くもあります。

 時計の秒針を眺めていると、随分と時間の流れは速いものだな..という気持ちがやってきます。すーっと溶けていくように、人生の時間が消えていく感覚。あたかも何か乗り物に運ばれているような不思議な感じがします。

 何をしているか、その内容が何であれ、時間は淡々と過ぎていきます。意識しようとしまいと、すべての事柄が時の中に吸い込まれていく..。新しいと云われていたものが、瞬く間に色あせ、次に色あせるだろう新しいものがやってきます。新しいものとは、瞬間の感覚に過ぎず、次々と古いものが集積されていく世界があるだけなのかもしれません。古いものは、新しいという瞬間を示すために存在しているのかもしれません。

 あたかも言葉遊びのようですが、時間の先を見つめるのか、過ぎ去ったことに視点を向けているのかで、現実の受け止め方が随分と違ってくるように思います。時間という乗り物は、自分が怠けていても、真剣に取り組んでいても、一定の速さで動いているようです。人は、目の前の出来事によって、時の流れを早いと感じたり、遅いと感じたりしながら生きているのでしょう。

 色んな出来事がいっぱい詰まっていると思ってきた人生も、ほんの少し瞬きをして、ふと目を開けると、自分の棺が用意されている。時の流れは速いものなのですね。

 青年期にもそういう感覚はありましたが、今は速いという感覚に加えて、確実に終わりに向かっているという意識がとても具体的で、現実的になってきます。終わりというゴールを否定的に考えているわけではありません。ある瞬間から、きっぱりとそれまでかかわってきた事柄のすべてから離れていく、それがとても新鮮であり、不思議さや面白さも感じられます。だったら、今直面している事柄の意味はどこにあるのだろう..。自分が本当にしなければならないことは何なのでしょう。

 仮設置されたステンドグラスに太陽の光が差し込んで、それが壁や床に反射するのですが、美しいさを味わい、楽しんでいるうちに、次々と光が移動し変化していきます。どこに自分の思いを向ければ良いのか定まらないまま、次々と移ろっていきます。音楽もそうだ...そして人の生涯の歩みや、これまでの出会いの流れもそうだな..と。

 流れの中に身を置いている自分の行き着く先は、恐ろしい滝壺なのか、それとも滝壺の奥深くに不思議の世界があるのでしょうか。それとも落下する瞬間に吹きつける上昇気流に乗って別世界に行くのでしょうか。はたまた、単なる闇の世界があるだけなのでしょうか。

 論理的であれ、直観的であれ、体験的であれ、何やら確信的にそれぞれの見解を掲げることはできるのでしょうが、それらもまた一瞬の中に消え去るような気がします。長い伝統や歴史を誇り、知恵と誇り正当性の確信に依存する生き方もまた、同じ道を辿るような気がします。

 にもかかわらず、自分たちは存在している。このあたりが出発点であり、帰結点かもしれません。何事かを得ること、知識や物事に携わる道ではなく、からっぽになる。空っぽな状態が死に近いとすれば生と死が融合する場所はこのあたりかもしれません。

 小さなスペースに現れた移ろいゆく光の伝言をメモしてみました...。
4

2010/2/18

音色と光  雑感

 小さなスペースにステンドグラスの一部が取り付けられました。それは小さな空間のイメージを一気に変えてしまうものになりました。

 かなり昔のことですが、予算が乏しいということで二種類のステンドグラスのデザインを手がけたことがありました。

 ダルドベールという厚みのあるステンドを使ったものでしたが、ガラスと自分との繋がりを考えるための時間を随分費やしました。さらにスケッチのために半年。束になったスケッチノートからの選択が始まり、さらにスケッチを繰り返し、ようやく色彩と配置の全体像がまとまりました。四季を巡る太陽の動きとの関係をじっくり見つめる時間が貴重でした。

 今回は、自分の中にあるイメージを言葉にして伝え、それをステンド作家のI氏http://www.st-glass.jp/の手にゆだねるという形になりました。なんでも自分でやるという時期は終わり、繋がりの中で生み出されるものを受け取り、楽しむ時期に入り、ステンドの感じ方も変化しているように思います。

 音色と光。何故音に色という言葉が使われるのか。そのあたりの秘密めいたものをじっくり見つめていくのは楽しみです。子供の頃、セロハン紙を通して景色を見たときの不思議な感覚。色の持つ不思議さは、そのあたりの体験から始まっていたのかもしれません。

 表面がゆらめいていた昔の板ガラスの窓の記憶に色彩の世界が加わって、それが光の変化とともに心の中に飛び込んでくる...。透明感の不思議さも、楽しいのですが、光を透過しながらも色彩がある世界。そこには、予測できないメッセージがあるように思います。

 音が流れ、二度と再現できない時の中の美しさとの繋がり。そのはかなさと美しさが、人生の本質と繋がっている...。ステンドグラスは、単なる色ガラスではなく、巡りゆく太陽の光、時の流れの中で限りなく変化し続ける世界を見せてくれます。

 ここには音の世界と光の世界の融合があり、いつしか自分自身の本質もまたそれらと繋がっていることに気づかせてくれる。言葉のやりとりではたどり着けない世界。言葉にならない思いの中にこそ輝くものがある。

 一人ひとりの人生のスペースに、どんな色彩と音色と光が届けられているのか..。それを象徴する空間になればいいかな...と思っています。
4

2010/2/16

シメのひとり(一羽)占め  雑感

 シメの一人占めになったバードテーブルを眺めながらブログを書いています。何度もつつきながらヒマワリを食べるカラ類とは違い、一気に割って食べてしまうシメは、なかなか豪快です。

 初めてシメを見たのはバードウォチングを初めて間もないころでした。その時は出会う鳥全部が新鮮でした。イカルやジョウビタキを見つけては感動していたものでした。

 時間を見つけては山に入り、森に入り、林や公園に足しげく通っていました。ヤマセミの番いを見つけてシャッターを切ったのが、ちょうど今頃、寒さの厳しい季節でした。白銀の世界に、白黒のかのこ模様が新鮮でした。胸元まで雪に埋まりながら、重たいカメラを担いで、それなりの写真になるところまで接近するのですが、いまではとても体力が持たない感じです。

 このところ、ヒヨドリが襲われたり、親戚が亡くなったりで、ちょっと暗いイメージが続いていました。そこに飛び込んできたシメという鳥の食事の様子を見ていると素朴ながら逞しいエネルギーを感じました。
昨年末に体調を崩してから、なかなかテンションが上がらず、スローテンポで地味に作業などを続けていましたから、尚更シメの動きが逞しく感じられるのでしょう。

 ブログやMIXIやTwitterを巡ってみると、なかなか順調なスタートを切っている方などの活発な様子がうかがえて喜ばしい限りなのですが、自分はじっくりゆっくりといった感じです。

 昨日、ステンドグラス設置予定の窓枠から光が差し込み始めました。まだステンド自体は組み込まれてはいないのですが、差し込んでくる光の新鮮さが心地よく感じられました。少し見上げるようなところに、小さな光の窓があるのです。

人生のどんなときにも、たとえ小さくても光が感じられれば、まだ生きられる..と感じてきました。そうした光の動きが感じられる空間になっています。基本的に製作者にお任せというスタイルで流れていますが、それは密かに自分が感じている事が実現していくことでもあると思っています。10代後半に見た夢の状態がゆっくりと現実化しているのです。

 それは自分の価値観を具体的に、ああだこうだと云うことなく着実に具体化されていく、そういう風の通り道があることの確認でもあるのです。

 何かが終息し、何かが始まる...そんな気配を感じ始めながら、春の準備が始まっています。
6

2010/2/10

時の使者  雑感

 やっぱり人は死ぬんだ...。世界中のどこを探しても、死んでしまった人には会えない..。そして自分にもその時が来る..。ここで、死後の世界が云々といった言葉をすぐに持ち出すのは無意味かと思います。

 昨日、親類の中で一番心おきなく会話ができた伯父が亡くなったとの知らせを受けました。そこで改めて日常の中に起こる死の現実を見つめることになりました。

 軽妙な会話のやり取りが楽しかった..。かつて衰弱死直前状態に陥った私のところに見舞いに来た伯父は、事あるごとにその時の生々しい状況を口にしていました。「あの時は、ほんとうに酷いものだった..」と。そんな伯父に、ここまで元気になって生き延びている姿をしっかりと見届けてほしかった..。

 幼い時から孤独な状況で育ち、教育を受けることもできず、文字もかけず、読むことも苦手でした。とにかく真面目に体を張って働き続け、65歳を過ぎて文字を習い、資格を取った時は驚きました。アルツハイマーの叔母を10数年忍耐強く看病し続け、その叔母に先立たれ、小さな施設に移り住み、健康のために体を使って周囲の役に立とうとしていました。

 自分の生活状況が落ち着いたら、伯父を誘って昔話を聞きながらゆっくり過ごしたい思ってきました。早くいい嫁さんでも見つけろといわれながらも同年代には孫がいるくらいの年齢になり、伯父もいつしか何にも言わなくなっていました。

 何も言わなくなったということは、どうやら、そろそろ自分にも死ぬ順番が来るぞということかもしれません。確かに確率は高くなっていますから..。伯父のことを思い出し、二度と会えない悲しみや切なさがこみ上げてくる自分がいます。それと同時に、いつ死ぬか分からないのだから自分のやるべきことをしっかりやろうという気持ちもわいてきます。

 いつか死んじゃう..とか、死んでしまった..と思い返すよりも、命を支えられて何事かをなすことができることの凄さの中を進んでいこう。ある種の開き直りのようでもあるけれど、死者からのメッセージをどう受け取るか..大きな分かれ道がありそうです。

 ハヤブサが庭に飛んできたその春から一年後に母が亡くなりました。そしてその兄である伯父がハヤブサを見た数日後に亡くなりました。今度ハヤブサが来る時は、自分が死を迎える時の印になるのかもしれない...。
11

2010/2/8

ハヤブサ  雑感

 ステンドグラスを取り付けるための窓枠を届けてくださったUさんと建築作業をしているIさんと私の3人で現場での打ち合わせを済ませ、市内の蕎麦屋で昼食をしました。お二人は子育てにまつわる話題で話が進んでいました。

 蕎麦を食べ終えて工房に戻った時、それは起こりました。車を看板の前に駐車した時、何かがものすごい速さで横切りました。一瞬、ヒヨドリ同士の争いかなと思いました。最初に車を降りたIさんが、目の前で固まってしまいました。何があったのかと様子を窺うと、すぐそばに鋭いくちばしのハヤブサがいて、いままさに獲物を捕らえたところでした。

 小さいけれど猛禽類独特の嘴がはっきり見えました。両足でヒヨドリを抑え込み、とどめを刺そうとした時に人間たちがやってきたのでした。お互いに身動きできないまま、緊迫した空気が漂いました。Uさんはカメラを取り出してシャッターを切り続けていました。

 この間にヒヨドリは何とか逃れようとバタついていました。鮮血が雪の上に散り、ハヤブサは少し陰のほうに移動しました。もっと大きい猛禽類ならば、軽々と鷲づかみにして飛び去ったでしょうが、ハヤブサには無理でした。

 吹き抜ける風がヒヨドリの羽を運んできました。この現場を見た3人は、それぞれに反応しました。衝撃を受ける人、好奇心もあってか写真を撮り続ける人、その全体を眺めている人。

 これまでに猫に襲われるヒヨドリも何羽かいましたが、ハヤブサに捕らえられ食べられてしまうヒヨドリは初めて目撃しました。知識や情報では知っているものの、目の前でそれを見ることは決して多くはありません。

 餌台にやってくる小鳥たちが、盛んに周辺を見回し、警戒しながら餌に近づく姿は、こうした危険が絶えずあるからなのだと、よくよく分かります。生きるために物を食する瞬間、それは同時に自分の命を狙われ、逆に食べられてしまう瞬間へと繋がる。

 何とも奇妙な連鎖ですが、人間もまたスタイルは違うけれど、似たような道を歩いているのかもしれません。誰かが生かされると、誰かが退けられる..。共存共栄は夢のまた夢なのでしょうか...。弱肉強食が自然の摂理の本質なのでしょうか...。

 キッと振り返ったハヤブサの目には人間たちの煩雑とも思える言葉や価値観のやりとりを黙らせる不思議な力を感じました。
8

2010/2/1

黒猫  雑感

2月になったのを機会にデザイン変更。黒猫と全体の色調がなんとなく気に入りました。黒猫といえば、自宅の周辺を散歩道にしている黒猫がいます。この黒猫は、記憶している限りでも5代目になります。

 このあたりのことなら何でも聞いておくれといった風で、不思議なコミュニケーションが続いています。玄関前に正座して、じっとこちらの様子を窺っている姿は、どこか異次元からの使者のようでもあります。

 幼い時から、動物と呼んでいる存在がずっと気になっていました。彼らが存在していることが不思議でならないのです。広く言えば、動物というより生命体全体...もっと言ってしまえば、この世界が不思議でたまらないのです。

 分かるはずもないけれど、そういうことを思い巡らして居ると退屈することはありません。亡き父は、そういうことを時折考えているお前が変だと結論付けていました。自分にしてみれば、不思議だと思わない方が変だというわけで、今年もおんなじ壁にぶつかりそうです。

 人間は、自分たち中心にこの世界を見て、自分中心に価値観を作り上げて権力や経済と結び付けています。人間たちが熱心に先住民問題を論じている時、猫たちは聞いているのやら、無視しているのやらわかりませんが、仮に動物たちが提言すれば、混乱は必至です。

 これは自分の物だという主張が、争いを起こしますが、兄弟げんかなども、ほとんどこの類のことだったような気がします。生き延びるために自分のものを主張する。生き延びるために分かち合うべきだと主張する。どちらも、固有の権利を主張します。

 人間は言葉巧みに、知恵や知識を持ちだして戦いますが、猫はもっと手っ取り早くて激しい戦いをして凄いことになって、やがて縄張りが決まります。真夜中の猫たちの叫び声は、妖怪たちの戦争もどきです。

 自分は直接戦争に参加したことはないけれど、戦争をした民族の一員です。もし争いという状況が起これば、何らかの形で関わりあうでしょうし、どこかで生きていくのでしょう。どれほど理不尽であっても、力を行使することで、その行動が正当化される世界が当然のように姿を現すでしょう。

 否応なく争いが生じ、ついには追い出されることもあれば死に至ることもある。そういう世界をくぐり抜けて来た、あの黒猫は私に何かを告げようとしているのかもしれない...。今朝も、新雪の上に、あいつの足跡がありました...。
8



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ