2010/8/27

緑の使者  雑感

 風通しのために工房に向かったのですが、突然飛びついてくる人がいてびっくり。美しい緑の天使キリギリスでした。胸のあたりにしっかり着地?して、じーっとしたままです。日差しが強いので移動したい気持ちと、じっと見つめていたい気持ちがゆらゆらしてました。

 彼?にしてみれば、自分がどこに着地したのか理解していないのかもしれません。ですが、こちらにしてみれば、何かとっても嬉しい気持ちになりました。一瞬で、子供の頃に遊んでいた情景が浮かび上がってくるのが面白くて、不思議気分を楽しみました。

 彼は、どこでどんな風にして成長し、今朝ここにやってきたのか..。何かメッセージを携えて来たのかもしれません。それにしても、美しくてカッコいい姿をまじまじと見ることができました。思わずカメラをと思った自分がうかつでしたし、ちょっと残念でした。写真に撮ることより、大切なことがあるだろう..と感じたからです。

 庭の木々が風に揺れ、セキレイがチチッと鳴いて飛び去りました。見上げれば、空の雲は秋の模様に衣替えしています。気温23度。心地よい一日になりそうです。

 この8日にどっとやってきたスズメバチは、それ以来姿を見せません。今頃どうしているのでしょう。クロアゲハもキアゲハも、モンシロたちとも出会いました。トンボたちとも顔を合わせましたし、奇妙な声で鳴き続けるカラスに眠りを妨げられたりもしました。
 
 じっとしているだけで汗が流れおちる夏の盛りも、なんとか切り抜けられました。スイカをいただいたり、メロンもいただきました。お隣からは、トマト、ジャガイモ、そして昨日は丸々太ってピッカピカのサンマを
いただきました。

 どうやらキリギリスは、十分幸せで、良い夏だったろ〜。さて、秋には何が待ってるんだろうね〜。そんなメッセージを届けて飛び去ったようです。わずか数分の、キリギリスとの時間がこの夏の全部を象徴してくれたような気がします。
 
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2010/8/24

2010年秋・序章  雑感

 去年の8月はCD発売に追われて、あっという間に過ぎ去りました。今年は、KOCOMATSUオープンで慌ただしく過ごしました。ふと気がつけば、空はもう秋色になっていて夕焼けが美しかった...。

 太陽が随分低くなったな..床や壁に映るステンドの光の位置が変化し続けています。変化の速さに驚きますが、自分自身の人生もまた同じように終焉に向かっていると思うと、不思議な気持ちです。

 何故生まれて来て、あっと云う間に去ってゆくのか..。様々な生き物たちが、与えられた自分の時間を通り過ぎています。時間というものを、どのあたりで感じるのが良いのでしょう。何十年という年月も一瞬の記憶の中に集約されてしまう不思議さを思うと、何か秘密があるんだろうな..と感じます。

 かつては疑問や不思議さを訪ねて、書物などを読みふけったものですが、知的好奇心を満たすことも悪くはないけれど、もっと違う視点で見つめてみたいことがあるな..と感じています。

 読むことの意味が変化してきたと同時に、書いて表現することにも変化があるように思います。もともと、自分自身を洞察するために感じている事、考えている事を書き続ける生活をしてきましたが、それはあくまでも自分だけが読み返す内面日記のようなものです。

 原稿用紙に万年筆で綴られた文字たちと自分。それらを眺めていると、どこか不思議な気がします。その他に夢日記があり、それを解き明かす日記がある。これもまた奇妙ではあります。

 さらに今は、ブログなるものにも何か書いています。他に何かできること、やれることがあるんじゃないか..と言われれば、そうなのかもしれません。

 書いている自分もいるけれど、さらに話をしている自分というのもいるわけです。口から出る言葉にはほとんど証拠らしいものは残らず、吹き抜ける風のように過ぎ去るのに、時に強い印象を残したりもします。口から出てしまえば、耳にした人たちが勝手に受け取り、解釈を始め、さらにそれを伝達しながら変化していく。これもまた不思議なものです。

 最後は言葉のない世界。ただラブフルートを吹く時間があります。それこそ、何も残らない..。通り過ぎる風のようなことに、貴重な時間を使っていいのだろうか...。

 ですが、よくよく見つめれば、人の行為のすべては、一瞬の風に似ていて、だれもそれを知ることなく過ぎ去るのではないか...。ラブフルートに息を注ぎ始める時、瞬時に時間と関連した行為や概念から自由になって行くような気がします。それはどこかに向けて響くのではなく、自分自身や周囲を包み込むラブフルート独特の響き方と関係がありそうです。

 響きを楽しむ、いわゆる音楽として使われるラブフルートの側面に終始するのもよいのですが、ちょっと違った要素があることに気づくのも悪くないかもしれません。今回の日記は、秋に向けて、ちょっと振り返り時間を楽しんでみました...。


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2010/8/21

お泊りさんたちとドラム  雑感

 お泊りの子供たちが太鼓を叩きたいと言い出したので、タイプの違うドラムを幾つか取り出し、早速叩き始めるのを眺めていました。思い思いに叩きながら、なんとなく合わせた方がいいかもな〜という感じになり始めました。

 それでも自分が力強く叩くことに夢中でした。初期の演奏活動の時、力任せに叩いた子供が、ビッグドラムを破いてしまったことがありましたので、それだけは勘弁してほしいとは思いましたが、楽しんでる様子はグングン伝わってきました。

 とにかく力いっぱい叩くというのも一つの個性ですし、逆にやけにやんわり叩く子もいます。他のリズムに合わせようと気が散り、集中力がなくなるのを見て、好きなように叩くといいよと伝えると、結構好きなように叩き始めました。

 程よく慣れた頃、「みんなでガンガン叩いてたら自分の音も他の人の音も聴こえないよ..叩くことに一生懸命になるのも良いけど、自分が叩いている太鼓の音を良〜く聴いてみるといいよ..そんなことを伝えました。

 太鼓や部屋がガンガンたたきを嫌がってたり、無理してるのに気付かないで自分勝手になるのはどうかな〜。丁度いい感じで叩いて、響いてくる音を感じてご覧、すご〜く素敵な音が聞こえて来て嬉しくなったり気持ち良くなってくるぞ〜と。自分も周りも楽しいなと思えるようなたたきかたしてみたら..と。

 すると彼らは、素直にやってみて、こっちのほうが良い感じだし気持ちいいと感想を伝えてくれました。それからというもの、なんとも心地よリズムがとぎれとぎれながらも響き始めました。

 素朴に自分自身の言動に耳を傾け始めると、誰かにあれこれ言われる世界から、自分で自分を知り、変わっていく流れがゆっくり生まれてくるような気がします。聞く耳があって、素朴に実践してみる、そんな心の土台の上に人生を積み上げられたらいいな...と思います。

 多分子供たちは、大人の私がいなくなると、自分の音を聞くのもいい感じだけど、やっぱり思いっきり叩きたい自分になっている事と思います。いつか、ガンガンたたくことに疲れたり、力んでいる自分をふと顧みる時が来るまで、じっくり待つことになるだろうと思います。

 好奇心に突き動かされて、色んな事に関わり、自分が何かできているような気分になう時期があってもいいのだと思います。やがて、自分が何かをするという場に立てなくなる時が来て、自分自身が本当にそうしたいと思ってきたことが何だったのか、ふと感じる...。自分のやってきたことを数え上げている間は、見えてこないものがあるように思います。

 夏の真っ盛りから、訪れる秋の気配を感じるように...。枯れ葉の中に、熟した木の実が輝くのを見るように..。トゲトゲのイガが割れて栗の実が顔を出すように...。人生の四季を辿れるといいな..。
 
 風の匂いに秋の気配を感じながら、今一度子供たちのドラムを思い返す一日が終わりました。


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                   図書館の傍の池
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2010/8/17

お泊り  雑感

今夜はKOCOMATSUにお泊りさんたちがいます。お母さんと子供たち。急な成り行きではありますが、そうなりました。そういえば夏休みなんですね...。

 どこかいつもと違うところに出かけて行って、お泊り。その新鮮な感覚は遠い記憶の中にかすかに残っているだけです。ちょっとした緊張感とどことなく興奮しているところもあります。いつもと違うところで、人だり食べたり、トイレや台所も違ってる。それだけで、十分新鮮な感覚だったような気がします。

 自分のうちの当たり前が、他では全然違ったりするのが興味深いし、家の良さと、他の家の良さを同時に感じます。

 眠ると云うのは、ある意味とっても無防備な状態ですから。安心して泊まれるというのは、かなり重要なことだと感じます。

 思いがけない小学生のお泊りで、ふと子供のころを思い出したりしました。親戚の家の裏にあった小川や畑のスイカやエンドウ豆、きれいな花々。見るもの触れるものが新鮮で、ちょっとした冒険気分もありました。長いようで、やっぱり短い夏休み。とにかく自由に遊べる感覚と夏の日差しが同時に浮かんでくるのは楽しいものです。

 今回お泊りの4人はどんな夢を見て、どんな朝を迎えるのでしょう..。
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2010/8/9

蜂人間  雑感

 KOCOMATSUの天井にまとまった数のスズメバチが飛来したのはオープンの8日のことです。8月8日をオープンにすればずっと忘れずにいられるだろと思った八角形のスペースでの出来事でした。

 蜂が次々やってきて、8の日を盛り上げた?ちょっと出来過ぎのようですが、翌日は全く姿が見えませんので、やはり特別記念飛来だったのかもしれません。

 来客の中に勇敢とも無謀とも思える捕獲作戦を実行した方がおられて、ついに刺されてしまうと云うハプニングつきのオープンになりました。しかも、この方は帰宅時に駅で1時間待った上に改札の切符が出てこなくて、入れてないんじゃないかと疑われるというおまけ付きだったとのことでした。激しい雨のため線路の点検が長引いて待たされ、さらには疑われたのでした。痛いこと続きの一日になったようです。翌日、まあ色んな事が予測出来ない形で起こるものですよね..とお電話がありましたので一安心です。
 
 蜂に刺されると云えば、小学校低学年の時に親指の先を刺されてびっくりするほど晴れ上がった記憶があります。猛烈な痛みだったことを覚えています。まあ、蜂の方だってびっくりして反撃に出たのでしょうが、どうしてそうなったのか記憶にありません。虫の類を捕まえたり、殺すようなことはしない子供だったので、何故刺されたのかいまも少し不可解ではあります。

 最近では、滝上町の森の学校に立ち寄った時、フルートを吹いている最中にブヨがやってきて目の前でしっかり刺しました。演奏を途中でやめるのはまずいと思ったのが間違い...。丸三日以上激痛が続き真っ赤に腫れあがり熱が出ました。しぶとく、差し込むような痛みで身体の芯を揺さぶられました。

 自分たちが恐竜に挑む、それくらい体格の差があるだろうに..虫たちは随分と強力な毒と針を持っているものです。しかも、飛べちゃうのですから厄介です。

 個人的には彼らのような危険な武器を持つものが存在すること自体が興味深いです。蜂を人間と同じ比率に拡大すれば、持っている針と毒は、かなり強力で大きな割合を占めるのだと思います。

 この国では、かつて腰に刀を差して闊歩した武士たちの時代もあったわけです。随分と長くて鋭い存在感の大きいものを身に着けていたものです。そういう時代がつい最近まであった事を思うと、いろいろ思うことはあります。

 武器を持つ人たちと、何も持っていない人たちの関係性を視点に世界を眺めると、新たな気づきがありそうです。8月になると急激に、戦争や原子爆弾が取り上げられますが、命を持つものには、必ず争いを生じさせる要素がありそうです。腕力同士の争い、腕力と言葉の暴力との争い、言葉と言葉の争いもあります。

 権力や立場の正当化は自己正当化と似通っていて、人が集まるとほとんどが自分たちの正当性を主張し、守ろうとするでしょう。自分たちが正しいとする集団は、気付かないうちに他者を抑圧し、排斥しようとするでしょう。それは政治であれ、宗教であれ、民族であれ、文化の領域でも、医療の領域でも、科学の世界にだってあるでしょうし、隣近所や家庭内にだって常に起こっているのだと思います。

 人が関われば、望むと望まざるとに関わらず争いの可能性はあるのだと思います。だとすれば、それは誰かの問題ではなく自分自身の内側から起こってくるものではないだろうか...。自分自身の中に蜂のごとく毒や鋭い針があるのではないか...。そんなことを思う夏の一日でした。
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2010/8/7

小池の周り  雑感

  8月がこれだけ暑くなると少し嬉しいのは、夏が好きだからなのでしょう。昨日より気温はやや低めだけれど、風が弱いので暑いな〜と感じます。窓から入ってくる風が生暖かいと本州で生活していた頃をふと思い出します。

 ただ、横になっているだけで全身に汗が流れてくる感じ。今はそれに似た感じですが、本州よりはずっと過ごしやすいと思います。熱帯魚の水槽は30度を超え、金魚の水槽も同じく30度を超えてました。

 さて、外の小さな池は大丈夫かと様子を見に行くと、水草がぐんぐん成長して、金魚たちは元気にしていましたし、食欲も旺盛でした。

 ふと良く見ると、池の水草の上に大きな蜂がやってきました。溺れないように慎重に接近し、水を飲んでいました。すると次々に蜂がやってきては池の水を飲んで飛び去って行きました。

 へ〜蜂が水を飲んでる...。ちょっとした発見でした。水を飲むのは当然といえばそうなのですが、蜂がゆっくり水を飲んでる姿は初めて見ました。なんとなく得したような、そうだよな〜この暑さじゃ蜂だって体温の調節が必要だろうと納得しながら、しばし観察していました。

 すると今度は池の縁に黒っぽい虫がやってきました。彼は、ついうっかりしたのか、思わず池に落ちてしまい溺れてしまいました。その瞬間に、色んな思いが湧いてきました。溺れているのを見て助けないわけにはいくまい..。ひょっとして金魚のごちそうになるかもしれない..。溺れている姿を見ているだけの自分に、奇妙な罪悪感が起こっていることに気づきます。周囲を見渡して、小枝で救済しようかと思ったり..。

 これは多分もう駄目だろうな..と思っていましたが、虫は懸命にあがき続け、ついに池の縁にまで辿り着き、慎重にじっくりと濡れた足の水を一本ずつ振り払いながら、ついに難を逃れたのです。命を生き続ける必死な姿に不思議な感動を覚えました。と同時に、傍観し続けた自分への戸惑いも感じました。

 小さな池には、それぞれの命の物語がありました。そして、金魚や蜂や虫と同じように、自分たちにもそれぞれの物語があるのだと思います。

 あすオープンするKOCOMATSUも、オープンに至るまでの物語がありますし、既にさまざまな物語が始まっています。そして、これからも四方八方からやってくる人々、四方八方に向かっていく人々との小さな出会いと別れがあるのだと思います。大好きな夏のスタート。天気予報は雨。ステンドの光は見られないかもしれないけれど、次の楽しみへの序曲になれば、それもまた良さそうです。
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2010/8/4

再び差し込み始めたブルー  雑感

ブルーを基調にしたステンドの光が差し込み始めました。太陽が高過ぎて、屋根のひさしで光が遮られてきたのですが、今日はブルーの光が存在感を見せ始めました。いよいよ、光の乱舞が本格的になりそうです。

 待ち受けていたものがやってくる楽しみ、期待で心がいっぱいになります。時を待ち、待っていたものがやってきて、たちまち過ぎ去る。時の速さは同じですが、感覚は色んな風に揺れ動きます。

 今年の初めに降り注いでいたブルーの光が夏に向けて徐々に少なくなり、しばらく出会う機会がありませんでしたから、どこか寂しさがありました。夏の太陽は好きだけど、あのブルーに合えないのは少し残念に思っていました。

 夏至が過ぎて間もなく、かすかに差し込み始めたブルーを見つけた時は嬉しかった。それと同時に昼の時間が少なくなって行く寂しさもありました。

 喜びや楽しみは、忘れずに悲しみや寂しさも連れてくるものです。コンサートを通じてお会いしたOさんがラブフルートを求められ、お渡しし、再会レッスンの時を楽しみにしていました。初めてお会いした時から、笑顔がとっても爽やかで素敵な方だな..という印象がありました。笑顔を通して、不思議な音楽が溢れているような感覚がありました。

 その方が数週間前に亡くなられたことを知りました。待ちわびて、お会いして、わずかな時を経て亡くなられた...。病の中で、どうしてあの笑顔が生まれてくるのだろう..。その存在は、短いけれど心をとらえて離さない美しい旋律のようです。目を閉じると、浮かび上がってくる一輪の花のようです。

 ラブフルートの響きが出会いの扉を開き、一本のラブフルートが繋がりをくれ、旅立ちの時の支えとなったことを知りました。その知らせを受け取り、KOCOMATSUで弔いの笛を吹こうとした時、ブルーの輝きが差し込み始めました。

 自分の心が恥ずかしく感じるような美しいブルー。その美しさをどう受け止めたらよいのでしょう。輝きながら移ろいゆく光..。美しさが私たちの心を変えて行くのかもしれない、時々そう感じます..。水辺の輝きでも、青空の輝きでもないブルー。太陽の軌跡が届けてくれたブルーと木々の響きが混じり合う瞬間を亡くなられたOさんに届けたいと思います。
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