2011/2/20

吹雪も来れば、春も来る  ラブフルート

 下記のリーフに掲載されている奥井理ギャラリーでのライブ。この打ち合わせのために入った喫茶店の駐車場。そこで愛の笛ラブフルートが奪われてしまいました。それから、およそ2カ月になろうとしています。

 2月の後半は、厳しい寒さや吹雪と春がそこまで来てるよという知らせが行ったり来たりする季節です。春の息吹を感じて、思いがけずラブフルート達も帰って来てくれないものかと待ち焦がれています。

 出来事が新聞に掲載されたことで、今も心配して声をかけてくださるか方が続いています。先日、急遽歯科医に行ったのですが、治療中に歯科助手の方がそっと「フルートどうなりましたか?見つかるといいですね」と話し掛けてくださいました。

 ネット繋がりの強さもありますが、新聞を通した繋がりもまた大きな役割があるのだと思います。

 この22日はKOCOMATSUで、26日は札幌琴似のキノコ荘、27日は、神戸箕面のあおやま あきら アトリエと続き、さらに3月20日〜21日はKOCOMATSUでワークショップが予定されています。このほかにも個人的な援助や応援が続いています。

 自主的なこうした動きにはほんとうにびっくりです。そして、確かに心には感謝と勇気が生まれていますし、フルート製作もゆっくりとペースが戻り始め、新しい旅立ちが始まろうとしています。

 こんなに木々の響き、笛の音に心を動かされる方々がおられて、木々たちが踊りだしそうな人々の繋がりがあり、動きがあり、思いがあふれているのです。こうした心の思い、願い、祈りは確かに天に届いているのだと思います。

 この27日のライブでは、新しく生まれているフルートたちが、皆さんの心と繋がって歌い始めると思います。私の他に3人の個性豊かな演奏家たちがおられて、それぞれの心の響きが繋がる時間、空間が生まれます。お出かけくださるも良し、それぞれの場でご自分の道を歌いつつ歩むのも良し。

 残り少なくなってきた2月。冬に感謝し、春を待ちわびる素敵な時を楽しみたいですね。

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2011/2/15

ワタリガラスとラブフルート  ラブフルート

 この時の流れの中で、どうしてもしなければならないと感じることがあります。それは、ワタリガラスに会うことでした。

 HPのブルーレイバンというユニットが夢との繋がりで始まったと紹介していますが、それは夢の中に現れた大きな黒い鳥と関連しています。夢の内容はラブフルートとワタリガラス(大きなカラス)の繋がりを象徴するものでした。

 夢を見たばかりの時は、それがワタリガラスであるとは知らず、単に黒くて大きな鳥と記述していました。その黒くて大きな鳥が、後におそらくワタリガラスのことだろうと知ることとなります。やがて、アラスカの先住民クリンギット族、ボブ・サム氏のストーリーテーリングと映画ガイアシンフォニーの上映会に引き寄せられるように足を運びました。、最初にワタリガラスの独特の鳴き声から始まる映画に出会い、目の前でボブの語るワタリガラスの神話を耳にしました。

 この事と前後してラブフルートと出会い、間もなくアメリカに渡り、フルート奏者カルロス・ナカイのコンサートを聴きに、翌日はカルロスを交えたフルートサークルに参加し、様々な交流をし、幾つか用意された場所でラブフルートを演奏させていただきました。その後、ワシントンD・Cに足を運び、スミソニアン博物館でワタリガラスのはく製とかなり古いラブフルートのレプリカに出会いました。いつか、アラスカに足を運びワタリガラスに会うことになるかもしれないと思いつつ帰国。

 その後、知床博物館にワタリガラスが居る事を知り、足を運びましたが、出向いた時は既にはく製になっていました。真冬には、渡ってくるのでというお話でしたが、連絡はなく、真冬に知床まで車を走らせる機会もなく、時が流れました。

 旭川方面に居る、釧路方面に居ると耳にしながらも、行けば確実に会える保証はなく、結局出かける機会もなく、時間だけが流れて居ました。

 そんな中で、ラブフルートの盗難騒ぎとなり、T/Kさんから、何か助けになる事をしたいとの申し出がありました。その連絡の中に、住吉神社に今年もワタリガラスが来ていますと書いてありました。T/Kさんが居住しているのは小樽。おそらく、小樽に住吉神社というところがあって、そこに渡ってきていると云うことではないか?催事の打ち合わせの時T/Kさんに尋ねると、鳴き声や大きさから、多分そうだと思うけど、ほんとうにそうかと言われると自信なくなるとのこと。誰しも、明言し断言するとなると不安になるものです。

 来客や諸々の予定、天候、時期などを考えると、とりあえず、いま行ってみるしかない。以前、野鳥写真を撮っていた経験から、行って直ぐに見つかる保証はほとんどないと思いつつも、しばらくご無沙汰の大型レンズを取り出し、急遽高速道路を走り、寒空の下、住吉神社に辿り着き、数時間過ごしました。

 寒さをひしひしと感じながらも、熱意と思いの方が勝る、懐かしい野鳥写真時代を思い起こしつつ過ごしました。じっとしているのが耐えられなくなった頃、やや離れたマツの木の上に、ゆったりと止まっているカラスが見えました。300mmのレンズでは、かなり接近しないと確認できそうもないギリギリのところでシャッターを数回切りました。それと前後して、あの声が聞こえてきました。

 映画を通して初めて聞いたワタリガラスの声を、今度は生で聞くことになりました。映画で聞いた声以外の声も聞くことができました。後日、慎重に写真を分析した結果、映っていたのは、確かにワタリガラスでした。

 いまこのタイミングで、ようやくワタリガラスと出会うことができました。

 関西方面で用意されていたラブフルートのワークショップは「北の国からワタリガラスが届けに来たラブフルート」というテーマでした。関西最後のワークショップは、弓弦羽神社(ゆずるは神社)の斜め向かいの家で開かれました。その神社は大ガラスと繋がっていました。このワークショップの会場でプレゼントされた絵本の題名は「ひっこし ひっこし」そのお話の最後は、カラスからの手紙が届いて、良いところが見つかったから一緒に住みませんか?という内容でした。カラスが実に見事に繋がった一日でした。

 関西から戻った翌日、札幌市資料館でのライブ。その二日後、ラブフルートが盗まれたのでした。

 その盗難の事があって、そのために出来る事をと声をかけてくださった方が、ワタリガラスとの出会いへと繋いでくださったのです。どうやら物語は、さらに続くのだと思います。関西に飛んだワタリガラスが、運んで行ったラブフルートが盗まれ、今度は小樽に飛んで行って本物のワタリガラスと出会った。

 この大切な出会いの時の印として、何年も前から、いつか手を付けるだろうと思っていたワタリガラス・カツラの埋もれ木・ラブフルートを仕上げることにしました。夜なべして、音程を調整し、小樽に持ち込み、住吉神社で吹いてきました。(寒過ぎて、指先の感覚がなくなり、翌日も手のしびれがとれませんでした....)

 今は、真っ黒な桂埋もれ木フルートの最終仕上げをし、オイルを塗り、乾燥を待っています。このフルートのために伊賀の里から新しく織られた貝紫の紐が届きました(伊賀で手渡していただいた貝紫の美しい紐は盗難に会いました。それを知って、再び時間を割いて作ってくださった紐です)。

 さらに、数年前の展示会場でみた艶やかで気品のある赤い織物。それと同じように染められた織物で作られた、このフルートのためのケースが待っています。

 日本の固有種、桂の木が長く土の中で眠り、時を経て地上に現れた。その木で作られたレイバン・フルート。このラブフルート本体の先には、ワタリガラスの姿があります。(乾燥が終わり、完成しましたら写真をアップします)

 時を待って、出会ったワタリガラスは時を待っていたラブフルートに姿を変え、美しい貝紫の紐で結ばれ、美しい赤い織物で作られたケースをねぐらにする事になります。

 新しいマイフルートで新しい旅立ちが始まりそうです。

 この流れからすると、どうやらワタリガラスが旅に出たラブフルート達を呼び戻してくれそうな気がします。
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2011/2/10

背中に一本  ラブフルート

 盗難にあった当日は、札幌市内の喫茶店で3人がライブの打ち合わせをしていました。その時打ち合わせていたライブの練習がありました。じっくり、ゆったりの打ち合わせと音合わせでした。光の美しい一日でした。

 パーカッションとクリスタルボウル、それぞれの演奏者と自由に話し合いながらの時間でした。新しいフルートの感触を何度も確かめながらの時間でした。リズムの面白さ、原点を見つめ直す時間でもありました。

 このライブがなければ、盗難は起こらなかった?そういう視点もありますが、起こったことから逆戻りして考えるのは、起こった事を否定的に捕らえるからでしょう。原因と結果、いわゆる因果関係で物事を捕らえようとするのは、短絡的で一面的な観点でしかない事に気づかされます。原因とみなされることは、あることの結果であり、結果とみなされることは、あることの原因となる。この繰り返しは、果てしなく続くことになるのだと思います。

 このライブの動きの前に、幾つかの動きがあり、ひとつひとつ心を注いで関わっていくことになると思います。まずは、この11日の北海道FMノースウェーブ午前9時50分頃の全道放送。居なくなったラブフルート達が、北海道から連れ去られていなければ、仲間の声に応えてくれるかもしれない。新聞記事掲載の次はラジオ放送。全体のうねりが、ラブフルート達を呼び戻そうとしている、そんな気がします。

 小さなライブが動き始め、ワークショップも始まります。手持ちのフルートはわずかで、ドローンタイプのフルートは一本もなくなりましたので、正直表現の幅の狭さはあります。

 一本のマイフルートさえあれば、なんとか旅は続けられる。背中に一本、手作りマイフルートを背負ってアメリカに旅した体験。そういうシンプルなところから、地道に動き出そうとしています。
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2011/2/8

春よ来い  ラブフルート

 今日はFMノースウェーブのスタジオでの収録があります。演奏用のフルートが数本。彼らが、行方不明のフルート達を呼び戻してくれるかもしれない。そんな思いを携えての収録になります。「LISTEN TO AMERICA」というタイトルで、9:00〜18:00のスペシャル番組と聞いています。

 何をどのように吹けば、インディアン・ラブフルートの音楽なのか、様々な価値観が溢れているアメリカでは、それこそ考え付くであろう演奏スタイルが溢れるほどあります。現地で耳にしたり、CDで聴いた方々は、最初に聞いたものが原点になるのだろうと思います。あの手この手の音楽スタイルは、好奇心をそそりますが、原点は木々の響きそのもののような気がします。

 それは、単に楽器を持って演奏すれば生まれてくる訳ではなく、木という存在と人間の持つ深い内面性が繋がって生まれてくる見えない揺らぎであり、自分たちが気づかない内奥に触れるもののような気がします。

 今回は、幸いにバッグに入れていなかった、アメリカの工房コヨーテオールドマンに特注していたRAVEN FLUTEや新たに生まれて来た屋久杉、ケヤキ、シウリザクラの3本をスタジオに持っていくつもりです。どれを手にして吹くことになるのかは、その場の空気次第だと思います。

 演奏用ラブフルートが盗難にという話が広がって、演奏依頼が激減。並行してラブフルートの製作依頼も減る。この状況が変わるには、少なくとも半年以上はかかるのだと思います。そんな流れを変えていく小さなきっかけになるかもしれないFM放送へのオファー。久々のラジオです。

 なんとなく春の気配も感じさせるような日差しが混じっている北国。まだまだ、雪は降り積もるでしょうが、やがて雪が名残惜しい季節になっていくのだと思います。

 長い忍耐の先に待っている春の歓喜。切なくなるほど待ち遠しい季節に、確実に近付いていることに気づく時、今のこの時もまた感謝に変わっていくように思います。
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2011/2/6

ラブフルートの矢を放つ  ラブフルート

ここしばらくブログが盗難関連一色になってしまい、正直少し疲れ気味。こういうことも、人生の現実だからと思って書いてみるものの、実際盗難被害者日記になって貴重な一年のスタートがバタついてしまいました。

 楽しみながら書き込もうと思っていた、昨年暮れの三重県と大阪、神戸方面に出かけた時のエピソードなどは、時が過ぎ去ると、どことなく鮮度が落ちてしまったような感覚があります。

 ところが、この1月に再度神戸にお伺いする機会があり、新鮮な話題がありました。昨年末の神戸で色々な動きがあり、ラブフルートの事をお伝えしたり、演奏させていただいたり、影絵とのコラボをさせていただいたりしました。

 その中で、小さなイチョウの木で作られたフルートを吹いたのですが、その愛らしさに魅せられて、自分も吹いてみたいという方がおられました。太かったり、長かったり、重たかったりするフルートですとちょっと手を付けるのが難しく感じるものですが、小さいと気軽にできそうな気がするものです。

 翌日に、別の会場でワークショップや演奏がありますので、よろしければお出かけくださいとお伝えしたところ、その場で参加したいとお申し出頂きました。

 翌日、吹いている様子をうかがっていると、少しじっくりお伝えした方がいいと思う事が幾つかありました。沢山の人がいるときは、お一人の方に十分にお伝えすることが難しく、割と全体的な事をお伝えして終わってしまう事があります。

 そのご婦人は、85歳との事。息子さんが、どうぞ母が希望するラブフルートを作ってくださいと話しておられましたので、じっくりどんなフルートが希望なのかお伺いしました。手が小さいので、小さくて、少し細めで握りやすくて、こんな感じが良いと手にしたのは、今回盗難にあったシウリザクラのフルートでした。

 色々と思いがあって、時折ライブでも、このフルートを作るにいたったエピソードをお話ししながら吹かせていただいていたフルートです。4穴で、彫刻刀でコツコツと掘り上げた、わずか18センチの一品モノです。

 かなり手のかかるものでしたが、ご希望に沿うようにと、戻ってからすぐに取り掛かりました。その最中に、このまま仕上げたものを送るだけで良いものだろうか....。とっても楽しみにしていましたから、もし手元に届いても、吹けなくて失望させてしまったら寂しい思いをするだろうと思いました。吹く事に慣れていれば、多少手こずっても何とかなるのだと思います。

 ですが、85歳になって、初めてラブフルートを吹くのですから、戸惑うのが普通です。いままでにも、80歳過ぎて初めて吹こうとされている方々と出会ってきました。皆様、音楽教育など受ける機会もなく、戦争に関わっておられた年代です。楽器を奏でるなど、考えたこともなかった方々が、これなら自分に合うように作ってもらえるし、楽譜を気にすることもないので、やってみようという気持ちになれるのだとおっしゃいます。

 作りながら、自分は何をするべきか、ずっと考え続けました。ご婦人が、てこずって、失望することは目に見えていました。やはり、ラブフルートと一緒に、自分も行きます。日程が決まったら連絡しますとお伝えしたのです。そんな流れの、真っ最中に、盗難騒ぎが起こってしまいました。

 カード盗難もあり、こんな時に無理していかなくてもという声もありました。フルートを届けるための旅費はどうしよう...。カード会社の請求の事もある...。

 そんな中ではありましたが、お届けして、吹き方をじっくりお伝えするという気持ちだけは、はっきりしていました。

ひとりでも本当に、その音色響きを聴きたいと思う方がおられたら、出かけていきますと言い続けて来た演奏活動。

ひとりでも、ここを訪れて、希望や慰めや喜びを感じてもらえるならという思いで建てられたKOCOMATSU。その延長線上に、今回のこともある、それを確かめ、具体的に動きました。

 盗難事件を知って、密かに援助してくださる方がおられました。敢えてお断りはしていませんが、その中から旅費をお借りしました。ご婦人の健康状態が良くないというお話も耳にしていましたが、そのお話を伺っていなかったとしても、神戸には出かけていたと思います。

 嬉しそうにフルートを手にするご婦人の笑顔と姿は、これまでにラブフルートを手にして来られた見えない輪に繋がっているのだと思います。

ご婦人がワークショップで最初に手にされた、イチョウのラブフルートは戻って間もなく、別の方の手に渡って旅する予定になっています。イチョウのフルートは、初めて作らせていただきましたが、削っているとギンナンの匂いがしました。
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2011/2/4

カードの事&節分に刑事課から連絡  雑感

 実務的な事を書き込むもは幾分煩わしいのですが、これもまた人生の現実だと割り切って、今日2度目の書き込みになりました。

 今回のカード会社とのやりとりの中で感じたのは、人生の限られた時間の中で、何が大切なのかということでした。前提を決して変えようとはしないのならば、対話をしても無意味だと云われました。しかし、結果的に前提を変えようとしなかったのはむしろ会社の立場にいる人だったような気もします。

 対話の実質は、提示された規約の主張と反復になりました。契約が強調されるのであれば、契約のプロセスに関する問題性はどうなのでしょう。双方が十分に納得した上で履行されるはずですが、十分な説明、とりわけ問題が生じた時の具体的な対応のあり方など、詳細の説明がないままカードが届きます。そして事が起きた時には会社側の規約だけで動いてしまいます。確かに、書いてはあるのですが、矛盾が潜んでいるし、どこか片手落ちな気がします。

 暗証番号がなければ、引き落としはできない。ならば、盗難の結果、お金が引き出された時はどうなるのか。その対応の結果が、会社によって異なるのです。この違いを考えてみれば、消費者が盗難にあった時のために、保険に加入するのは会社の責任ではないかと思います。盗難保険に入れないのなら、その点を明確にしていく必要があるように思います。消費者は、そういうリスクを契約しする前に十分承知でした上で契約することになるでしょう。

 めったに起こらない、可能性の少ない事が実際に起こった。そんな事例は、決して多くはないと思うのです。多くはないけれど、実際に起こったのです。ありえないという前提から始まれば、その視点は変わらないでしょう。ありえなくはないと考えれば、そういう時のための対処をする。それが会社の姿勢のような気がします。

 いい方を変えれば、万が一盗難にあって、暗証番号で引き出されるような事があれば、消費者が払うべきだというわけです。むしろ、そういう場合もありうるのだから、その時は消費者を保護しますという姿勢が必要なのではないだろうか。仮に、盗難保険に加入して維持する力がないのならば、そうしためったにないことに対する個別の対応をしても良いように思います。

 この会社の場合は、こうした状況に対する補てんの保証がないというのです。それは最初から提示されて注意事項として説明してもらうべき重要な事項だと思います。そうした対処ができない、しないカード会社だと分かればその会社のカードを敢えて所有したいとは思わないでしょう。ふたを開けたら、保証がなかった。自分が払うしかないという構図は、不親切ですし、ちょっと疑問です。

 第一に、この会社に勤務する人は、こうした内情を知りながら、自分の会社のカードを敢えて選択するのでしょうか。親しい仲間や家族に、このカードを勧めるのでしょうか。自分が支払いの当人ではないから、規約を示すけれど、いざ当事者になれば、システムの矛盾に沈黙できるでしょうか。なぜ、消費者に対しては規約の履行が主張されるのでしょう。

 保険に入っていないなら車を運転するなと言われるぐらい、いざというときのための保険は必要でしょうし、高い保険料を払うのは運転者の義務であり責任と言っても良いと思います。

 この会社が盗難保険に入っていないのは、会社の諸事情があるだろうからと百歩譲って受け止めたとしましょう。だとしても、通常起こらない事が起こったから支払いなさいではなく、通常滅多に起こらない事が起こったのだから、そういう場合には消費者の負担にならないように対応しますという姿勢が妥当な気がします。

 ブログの中に、その会社の具体的名前をあげることはしませんとお伝えしました。ですが、あまりに理不尽な対応となれば、風向きは微妙に変化するかもしれません。もし、個人的に問われれば、自分のようになって欲しくないし、仲間を守ろうとするのは自然な事だと思います。

 勿論、現段階では最終的な結論が出ているわけではありませんし、担当者も出来うる限りの事をしようという姿勢を示してくださっていますので、社名をお伝えするつもりはありません。

 今は、ビジネスの中にも、愛を!といった気持ちです......。それは会社自体にとっても有益な気がします。個人的には、このブログも含めて、出来うる限りの事をさせていただいたので、後は流れに沿っていくことになると思います。

 節分の日に、南警察署の刑事課から連絡が入りました。キャッシングの詳細の問い合わせと確認でした。何か動き始めそうな気もします。敏腕刑事の登場はあるのでしょうか...。

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  もっともっと短い屋久杉のラブフルート・バードは屋久島のヒノキ
      取り囲んでいるのは磨かれる前の屋久杉玉
     (詳細はKOCOMATSUブログに書いています)
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2011/2/4

交渉当日は大雪・報告断念  ラブフルート

 翌日のカード会社との経緯を書くつもりでしたが、車を出すために1時間半の除雪。吹雪になり、前方が真っ白けなのに、車を走らせる、無謀とも言える運転時間。通常の倍以上かかって辿り着いた頃には、既にぐったり。

 というわけで、十分に吟味した書き込みは断念。それは帰宅してから、車を入れるまでに3時間の除雪。あきれるほど降り積もった雪を、一人で黙々と取り除き、なんとか車を入れたものの、まだまだ雪は残っていました。空腹と疲労のまま、倒れこむように寝床に入ったのは朝方。

 精神疲労と肉体疲労に経済困窮と三拍子そろった長い一日でした。そして、翌日の朝も、除雪で数時間。いずれ屋根からの雪が落ちて、さらに重労働が待っています。

 休憩で部屋に入ると、障害を装って金をだましとった元道職員の事がラジオから流れて来ました。自分も、元道職員でしたが、障害者手帳は本物です。その手帳も今回一緒に盗まれました。痛みや不自由さを堪えながら生活している自分には、なんとも悲しい事件が聞こえて来ました。今は盗難を理由に手帳を再申請していますが、提示しても疑われることがあるかもしれないと思うと悲しい気分です。

 子供の頃は、手足を失ったり、目が不自由な人が路上に立って、お金を求めている姿がありました。
道を通る人は、それとなく目を合わせないように通り過ぎようとしていました。見てはいけないものを見る。そんな空気を感じた記憶があります。戦争という不条理の中で、肉体の一部を失った彼らは、どこへ行けばよいのでしょう。

 そんな記憶を手繰り寄せながら、再び除雪に戻り、疲れきったところにSさんが盗難事件を知って訪ねてくださいました。黄色いバラとオレンジのガーベラ、優しい色のスイートピーたち。とても素敵なアレンジフラワーを持ってきてくださいました。その花たちと出会って、なんだかようやく呼吸ができたような気がしました。

 疲れたこころとからだ。そこにやってきた励ましと笑顔と美しい花たち。いま、花はPCのそばにあります。今の自分が欲しかった色と輝きだと思いました。Sさんの姿の背後には、ほんとうに沢山の方々のこころある助けが重なって見えて来ます。助けられ、守られ、励まされ、支えられて生きる。それは心の思いが満ち、時が満ちて出会ったラブフルートとの旅路の途上に待っていました。

 ラブフルート達が失われた時に浮かびあがってきた事があります。どれほど心をこめて笛を奏でても、どれほど近くにいても、その思いが届かない人がいる....。逆に、まだお会いしたこともなく、木々の響きに触れた事がないはずなのに、ちゃんと愛を知り、与え、受け取り、響かせている方がおられrるということです。

 愛の笛といつも一緒にいること。それがファーストレッスンであり、ラストレッスンであること。それは、どんな行為や言葉でもなく、愛そのものの中に生きることを意味しているのだと思います。愛は漠然とした感覚や感情的なものではなく、とても具体的で明確なものだと思います。

 愛の笛の物語が教えている事の一つ。それは、愛は自分自身の中にあるものではなく、真摯にそれを求めるものに与えられるギフトだと云うことです。

 愛は、自己への完全な絶望から生まれた祈りに始まり、時を経て与えられる。少なくとも、この物語はそう伝えています。自己に満足し、自分の根底にある問題に気付かなければ、相手の中の問題ばかりが気になるでしょう。愛する価値のある何かを探すのではなく、自分自身の中に欠落している空白に気づくこと。それが最初の扉になるような気がします。
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