2011/3/29

大丈夫ではない  雑感

 半径10キロ圏内の遺体が放射能反応が強すぎて運べない。このことは多分現実を良く現しているのだと思います。土壌の汚染はもとより、空気中の汚染も....。

 この半月余りの報道をひとまとめにすると、本当に国を愛し、国民を守るための視点が乏しいように思います。自分たちの土地が、大変な病魔に侵されているのに、見当違いの動きをして、結果的に悲惨なことになるのでは、そんな気がします。

 権力を持つ者たちと民衆との奇妙で愚かな関係は、今に始まった事ではなく、どこの世界にも起こっているのだと思います。

 現在の状況を見て居ると、一つの出来事を思い出します。若い頃何年も闘病生活をしていたのですが、その時の出来事です。18歳の女性が、向かいの病室に緊急入院して来ました。左足の血栓のため止む無く膝から下を切断しなければならなくなり、緊急手術をし、それ以後毎日のように苦痛で呻き叫ぶ声が聞こえて居ました。

 声をかけて慰めや励ましをすることしかできませんでしたが、次第に痛みの少ない時は笑顔を見せてくれるようになっていました。そんな彼女が、どうも容体が良くない感じになって来て、ご両親は主治医に何度も診察をお願いしていました。ところが、大丈夫ですから、心配し過ぎないように、というのが主治医の返答でした。

 この程度の事では、何も問題がない、心配し過ぎですと言い続けていたのです。そういう視点で物事を捕らえ、何も具体的な対応をしないまま時間が過ぎ、ついに彼女は亡くなってしまいました。ご両親は何度となく訴えていたにも拘らず、大丈夫ですといい続けた主治医。

 彼は彼女の死に直面して初めて、自分の傲慢さに気付いたのです。彼の中にあった心の状態、物事の捕らえ方、自己認識といったものと酷似したものが、今回の状況に関わる個々人の中に渦巻いているような気がします。

 かつて高校に勤務していた時、火事騒ぎがありました。この時の校長や教頭の態度は、今も鮮明に記憶しています。この事を外部に知られないように!消防には知らせないように!でした。幸い、数学の教師が火事に気付き、3階から1階に駆け下り、消火器を持って駆け上がり消し止めました。皮肉にも、責任者たちの優先した通報しないようにという願いは、かないませんでした。誰かが、消防に連絡していたのです。

 さて、消防が来た時、責任者たちはこの火事を公表しないようにと頼みこんでいました。もし、火事が問題となれば、山のように処理しなければならない事務手続きもあれば、責任をどうとるのか..自分の立場はどうなるのか..そんな思いが頭を駆け巡っていた事でしょう。

 政治家も電力会社も経済界の人たちも、自己肥大化した自己認識に捕らわれたまま、最悪の状況に向かってるのかもしれません。

 どれほど悲惨で深刻な状況に向かっていても、目の前の自分との折り合いが付けられないまま、それぞれの方向に向かっていく。結果が出て、初めて愚かしさや固執していたものに直面するのかもしれません。

 一人の人間として、どう生きるのか。その基盤を見失えば、人生全体が根底から崩壊する時が来る。それが個人の問題に収まらず、関わるすべての人を巻き込む事になる。認識のずれが悲惨を招く。

 勇気ある、地に足を付けた決断ができる人たちは、彼らがどうであれ、すでに行動を起こしているのだと思います。自分が何をなすべきか、明確にさせているのだと思います。国を支えているのは、そういう人たちなのだと思います。
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2011/3/25

チェルノブイリと福島原発を考える  雑感

 のんびりゆっくりはいいけれど、急いで動かなければいけないこともありますよね。

 北海道では、泊発電所が出来るまでに、随分と反対運動があり、長い間険悪な空気が続いていた記憶があります。

 何が本当に大切なのか、その論点、強調点が異なる人たちがいて、権力や財力と結びつきながら、限られた価値観が正当化され、動き出し、現実になってきたわけです。長所も短所も、しっかり把握して、結論を導き出す必要があるのだけれど、実際はかなり違っています。

 そこには複雑な社会の流れや価値観があるので、単純にあれやこれやと取り上げてみても、糸口は見えて来ないでしょう。誰も自分の手には負えないような、肥大化した社会を生み出してきたのですから、この状況を誰かのせいにするのではなく、自分たち自身の事として受け止めて行く必要があるかと思います。

 今言えることは、少なくとも原発から発生する放射能とどう向き合うのか。放射能がどんな状況を作り出すのか。そして、これからどのように進んで行けばよいのか。そんな事を具体的な体験をもとにして、一緒に考えたり、震災の被害者たちのために必要なことなどをじっくり顔を合わせて話したり、具体的な問題として取り組んでいく必要があるように思います。

 今回は、ラブフルートを手にした旅人の一人で、チェルノブイリ関連のボランティア活動を具体的に実践して来られた野呂さんをお招きして、KOCOMATSUで12時間を過ごそうと思っています。

 一日中参加されるも良し、ご都合のよい時に来られるも良しという企画です。食事も、自前も良し、分け合うもよし、自由に集いたいと思っています。詳細は、下記に掲載していますので、声掛けをよろしくお願いします。人数が増えた時は、自宅の居間のスペースも開放
する予定です。
 

チェルノブイリと福島原発を考える in KOCOMATSU

2011年4月9日(土曜) 午前10時から午後10時まで
出入り自由・楽器持ち込み自由・食べ物持ち込み自由(アルコールは除きます)

チェルノブイリ原発事故の被災者たちのために長年ボランティア活動を続けて来られた野呂美加さんを囲んで 思い思いに語り、歌い、踊り、祈る集いです

参加費 = 自由カンパ & 米一合 (どちらも震災のために使います)
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2011/3/24

お腹中心  雑感

  KOCOMATSUに7名宿泊。声の響きとドラムのリズムのワークショップに参加した方々の宿泊でした。
ワークはたっぷりでしたが、昼食、おやつに夕食。宿泊組は地元の温泉付き。ときおり、顔を出すと、どことなく修学旅行風の雰囲気。何を話題にしていたのかは、まったく知る由もありませんが、楽しそうでした。

 今回のワークは命のベースになる鼓動を自分自身のリズムとして生きることと呼吸から生まれる純粋な響きを全身で感じることが中心でした。そして、ラブフルートを吹くこととの違いを感じ取ることを付加的にお伝えしました。

 ラブフルートのワークは、土台にある呼吸や身体全体との繋がりと密接な関連があるのですが、短時間のワークでは、十分に受け取ることが難しいように感じて来ましたので、今回は思い切ってラブフルートの時間を少なくしました。

 ラブフルートは、単に技術的な要素を身につけて、カッコよく、或いはそれらしい雰囲気で吹きならすことも良いのでしょうが、私自身は「愛の笛」の物語そのものが伝えている事を大切にしたいと思ってきましたので、それらしいテキストを手にして、一通りやってみる演奏スタイルは、あまり重要性を感じていません。

 人が人と接しながら、大切と思われるものを感じ取り、学んでいくプロセスが大切な気がします。大切なのは、巧みに笛を吹く以前に、自分が自分であるというスタンスを明確にして、大地にしっかりと立つこと。全身の中心をしっかり確かめて、首から上が中心になりやすい状態から、お腹中心の生活に変わる事をお伝えしました。

 これは継続し、確認し、いつしか無意識のうちに実践しているという所まで行く事が鍵になります。声の方も、喉で声を出すというところから、喉を忘れて呼吸しているだけの状態から生まれてくる響きを核として響く状態を感じ取ります。全身が小さな声帯から発する響きを受け取り、全身が共鳴する感覚。命の状態そのものを鼓動と合わせて知る時間になりました。

 単純にドラムを叩き続け、素朴に声を響かせる。命の状態そのものをはっきりと確かめるワークが終わりました。そして、フルートを吹くこととの明確な違いも確かめることになりました。

 それはお泊りによって、熟成されました。一晩寝かせることで、味わいは一層豊かで濃いものになりました。また、いつかこんな機会が生まれる時を楽しみにしています。それにしても、ユニゾンで響き合う参加者の歌声の美しかった事!
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2011/3/19

心がギッシリ詰まってる  雑感

  一粒が何百倍にもなる。植物はそんなエネルギーを持っていますが、それは人の心のつながりにも起こるのだと思います。先のブログでお伝えした、小さな夜の小さな集まりの援助は、結果的にコメが700キロ、ジャガイモ300キロ、玉ねぎ200キロ、その他に大根、人参、白菜。さらに繋がった方々の中には、地域で集めて居た10万円を現在必要な紙おむつや、毛布や日用品、その他必要と思われるものに変えて、差し出しました。それらはずべてトラックに積み込みました。

 来週早々に出発日も決まり、1カ月ほど滞在して、さらに必要とするものを確かめて戻ってくる予定とのことでした。今回協力のチャンスを逃した方にも、次に必要な事が待っています。どうぞ、手を伸ばし、声をかけててください。

 語り合ったQさんの親類の方たちは無事との知らせを受けました。また、気になっていた宮城のYさんから、ようやくメールが入りました。無事で、ほんとに良かった...。

 震災後初めて部屋に戻ったらCDと手紙が届いていましたと、連絡がありました。ラブフルートがきっかけで出会い、しばらく離れた居たけれど、フルート盗難事件でCD購入とカンパで励ましをくださったのでした。そして、今回は震災の真っただ中にフルートの音色が届けられました。またしてもラブフルートに助けられましたと記されていました。ご実家は流されたけれど、ご家族の命は助かったとのこと。生きて居れば何とかなるとはいうものの、これからの道のりは厳しいと思います。

 次々とチャリティーライブの話が届いています。食料や日用品のルートは、これからも繋がっていくと思いますから、今度は具体的な動きが必要になってくるのだと思います。いま必死で取り組んでいく方々が、疲れ切り、休み場を求めることになるでしょう。新しく動き出す人たちのためにも様々な助けが必要なのだと思います。

 慌ただしさの中、今夜、3本のラブフルートの梱包を済ませ、明日には旅立ちます。このところ、震災関連の動きで製作が停滞していますが、待っている方のためにも動きたいと思っています。

 同じ日に、ラブフルート達はまだ見つかっていませんかというメールが届きました。別の方からは、大きな荷物が届き、これまでWさんのために作らせていただいた4本のフルート全てが入っていました。時間が流れていく中で、忘れずに心を止めて居てくださる方がおられることにびっくりです。また、新たに音色や響きを求められる方も、ゆっくりとやって来ています。木々の響きに心を寄せる方々が、それぞれの場で自分の心を大切に過ごされること。それが、様々な出来事に関わっていく時の土台の一つのような気がします。

 痛みや悲しみ、命も死も色んな形で人生にやってきますが、人々の心の繋がりは、確実にそれを乗り越えさせてくれるのだと思います。それと同時に、心がすっかり閉ざされてしまった人たちが、どこかで立ちあがるきっかけを見つけられるようにと思います。そのきっかけは、それぞれが自分の命を大切にしながら生きていく姿そのものからやってくるように思います。
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2011/3/16

心のこもった野菜たち  雑感

  小さな集まり、小さな祈りが繋がって、震災の地へ向かいます。先日、光の中へinKOCOMATSUという案内をしましたが、集まったのは、声を掛けてくれたQさんと自分。

 それは、一人以上、二人以内という最小単位の集まりでしたが、そこから生まれた思いが具体的な形になって動き出しました。

 その場には集えなかったけれど、心が繋がっているNさん。何かしたいという思いで、戸惑いもあり、協賛は無理という方もありながら、思い切って声をかけてみましたと、先ほど連絡が入りました。

 米300Kg以上、玉ねぎ120Kg以上、ジャガイモ 200Kg以上。それぞれ自分たちの分を持ち寄ってくださったと知らせてくれました。農家の方ばかりではなく、個人からも持ち寄りがあったとのことでした。協力できる事があって、良かったといいながらの参加でした。

 わずかな量ではあるけれど、誰か一人でも命を繋ぎ元気を出してくれればとの思いを乗せて、小樽から新潟の港へと向かい、仙台方面に入ることになりました。

 たった二人でキャンドルに囲まれて過ごした夜から、コメやイモや玉ねぎが集まりました。こうした動きは、まだまだ続けなければならないのだと思います。自分では現地に行く事は出来ないけれど、しっかり出かけて役割を担ってくださる方がおられました。

 こうした思いは、現地の方々にとって、どれほど励ましや慰めになることでしょう。小さな灯を灯して声をかけてみて、良かった.....。
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2011/3/15

こんな時だからこそ  雑感

  「こんな時だからこそ、KOCOMATSUでキャンドル灯して過ごしたい」Qさんからそんな電話が入りました。それじゃ、格別なイベント的な持ちかけはしないで、来れる人が何となく集まる感じで待ってますと返事をしました。

 電話が入る事が多い日でしたので、1〜2名の方に電話を入れて終わりました。しかも通じたのは一人だけ。MIXIに簡単な案内を書き込んで、そのまま夜を迎えました。

 残りもので作った蕎麦飯とちょっとした楽器を持ってQさんがやってきました。私は、キタアカリというジャガイモを皮つきで輪切りにし、チーズを間に挟んで3層に重ね、タジン鍋で調理して迎えました。

 KOCOMATSUをキャンドルでいっぱいにして、静かに過ごしました。「何ともない感じでいるけれど、実は親戚が宮城に居て、大きな被害に会った隣町に住んでいるんです。情報は流れて居ないし、とても心配なんです」とQさんが口を開きました。Qさんがゆかりのある町の近くにの亘理は、私の父の実家がある町で、連絡も取れず気がかりでした。図らずも、宮城と深いつながりのある二人がKOCOMATSUのキャンドルの中で過ごしたのでした。

 仙台には、ラブフルート繋がりの方が3人。一人だけ連絡がついたのですが、二人の安否は分かりません。

 それぞれが持ち寄った夕食を頂き、その後、三重県の方と携帯電話で1時間ほどフルートのレッスンがありました。レッスンを終えて間もなく、Qさんから話がありました。

 「どこかで新鮮で日持ちのする野菜とか手に入りませんか?」と。知り合いの農家に話しても、いろいろなしがらみがあってスムーズに提供してもらえないというのです。しかも、この時期はほとんど在庫が残っていないとのことでした。

 話を聞いてすぐに、今夜のKOCOMATSUにお誘いしていたNさんに電話を入れ、状況を説明。協力を仰ぎました。日中のお誘いの電話の時、震災のことでしばらく会話をし、これは自分たち自身の事だという思いで繋がっていました。

 電話を入れて15分後、ジャガイモと米の見通しができたと連絡が入り、さらにほかの仲間にも連絡して協力者は増えることになると...。現地に入るために動き始めている方への協力は、たった二人のキャンドルの中の会話から広がり、具体的に動き始めました。

 こういうときにこそKOCOMATSUで過ごしたいという一言にはQさんの色んな思いが詰まっていたのでした。キャンドルに囲まれて交わした会話と思いが小さな光となって、現地の方々と繋がる事が出来そうです。KOCOMATSUには集えなかったけれど、しっかり繋がっていて、全面的に協力してくれる仲間も居ました。

 小さな部屋、静かな時間、心の思い。そんな出来事が、様々なところで生まれているのだと思います。

祈ることしかできない..ではなく、まず祈る事、心を寄せる事が全ての言動の土台になるように思います。
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2011/3/9

人生で2度だけの出会い  雑感

  人生で2度だけお会いした方が、2月に亡くなりました。「ホピの予言」というドキュメンタリー映画の監督をされた宮田雪さんです。奥さまから、是非会って下さいと声をかけていただき、宝塚にラブフルートのレッスンに出向いた後、有馬温泉にある病院を訪ねたのが最初でした。

 お会いする何年か前に、いつかご主人のためにフルートをお作りしたいとお話してきましたが、具体的な動きがないまま時が過ぎました。それは、宮田氏の病状を知らないままの話でしたから、具体的な動きにならなかったのは当然のことでした。とても、笛など吹ける状態ではない..。それが奥さまの率直な思いだった事と思います。

 それが、不思議な流れで宝塚に出向くことになり、その流れのままに有馬記念病院へと繋がりました。具体的な状態をほとんど知らないまま、初めて宮田氏とお会いしました。若い頃に長く闘病生活をしていましたので、宮田氏の状況に驚く事はなかったのですが、そうした経験がなければ、驚きを隠せなかったかもしれません。

 病状が進んでいた事もあったのでしょうが、全く言葉を出す事が出来ず、ほとんど自分の意思で動かせる身体の機能はありませんでした。

 かつての闘病生活の中で、頸椎損傷の青年と1年半ほど病室を一緒にしたことを思い出しました。青年は言葉は使えましたが、とてもか細い声でした。看護師さんの依頼で同室になったのですが、1カ月以上、言葉を交わす事はありませんでした。私は車椅子や松葉杖で歩きながら、沈黙のまま、彼のごみ箱のごみを捨てたり、水を汲んで過ごしました。それ以前、彼は広い病室にたった一人で寝て居ました。患者さんたちが、気持ち悪がって同室を拒んでいたからでした。

 私が決めたのは、とにかく拒まれない限り、出来るだけそばに一緒に居ることでした。やがて決して目を合わせようとしなかった彼と、ふと眼が会いました。そして「こんにちは」と声をかけると、小さな声で返事が返ってきました。やがて彼は笑顔を見せるようになりました。

 初めて宮田氏と顔を合わせた時、どうしても伝えたかった事がありました。そして、それをお伝えしました。「素晴らしい映画を作ってくださってありがとうございます。多くの方が、あの映画を通して新しい旅を始めていますし、感謝しています。」と。

 その時の宮田氏の笑顔と涙は決して忘れる事はないと思います。その後は、許される限りの時間をそばにいて過ごしました。そばにいてくれる、それがどれほど必要で、大切な事か厭と言うほど知っていたからです。

 この時、ラブフルートを宮田さんのためにお作りしましょうか?と声を掛けました。すると、彼はうなづきました。病状からすると、無理のない短めのものにしましょうか?と尋ねると、首を振りました。では、それなりの長さのものが良いのですね?と問いかけると、軽くうなづきました。さらに、どんな樹種が良いかを巡ってやりとりがつづき、蝦夷山桜の木が良いと云うことになりました。

 一年後、奥様にフルートをお送りした時「すっかり忘れてました」と返事が返ってきました。それから半年以上の時が流れ、やがて関西の企画が始まりました。影絵の仲間との繋がり、そして宮田に会ってほしい、その二つが大きな目的でした。

 こうして、2度目の出会いがあり、蝦夷山桜のラブフルートを奏でる事が出来ました。首を持ち上げて、なんとか笛を吹こうとする姿に、とても熱くて力強いエネルギーを感じました。「その姿が、十分あなたの響きとなって伝わってきますよ」とお伝えし、わずかな時間フルートを吹かせていただきました。

 「宮田のこんな表情見た事がない...」それが奥様の感想でした。何を感じられたかは分かりませんが、その後は、彼の動く方の手を握り、親指会話をして過ごしました。驚くほど力強い動きでした。「また、お会いしましょう」これが最後の言葉になりました。

 彼の呼吸では、あの蝦夷山桜のラブフルートは響かなかったはずなのに、不思議な響きが心の中に残っています。彼がしっかりと立ち上がって、遠くを見つめながら堂々とフルートを奏でている姿です。声をなくしているからこそ、その笛を誰よりも心をこめて奏でる事を知っている.....。そんな気がします。

 わずかに残された力で起き上がって笛を吹こうとした彼の姿。それは私の心と繋がって、新しい響きを生み出していくのだろうと思います。お会いできて良かった。心からそう思います。

 *今回の日記に、個人名(宮田雪」を書き残したのは、その存在を知ることで彼の意図した事が深く根付く事を願っての事でした。
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2011/3/7

2月27日に生まれて  雑感

 2月の26日、27日は、今までにない誕生日になりました。26日はキノコ荘。一日早いけど、励ましとお祝い企画。子供の頃、自分の誕生日に近所の友達に声をかけて、集まってもらった記憶があります。準備に気ぜわしい母との間に、ピリピリした空気があって、さっさと行って来なさいと叱られてトボトボ友達のところに出かけて行きました。折角の誕生日が、寂しく悲しい記憶になっていました。

 幼い時から身体的なトラブルがあって、とにかく仲間外れにならないように必死だった母の思いと、自分から行動し誘う事がとにかく出来なかった自分の揺らぎが、そんな状況を作り出していたのだと思います。自分が存在している事自体に、極度の不安と孤独を抱えていたことを鮮明に記憶しています。そんな中ではありましたが、誕生日の定番で作ってもらった「太巻き寿司」は懐かしさを覚えます。

 40歳の誕生日を迎えて、わずか数日後(3月1日・春の大雪が空を埋め尽くした夜)に母が亡くなり、今では誕生日がくると母の死を思い出すと云う心の動きが起こります。我が子の事を思って用意した誕生祝い。それを心から感謝して生きる事を知るまでに、随分と時が流れ、気がつけば母の姿はありません。

 そんな流れの中で、初めてお会いする方がいっぱいの誕生日を二日連続で迎えたことは、とても感慨深いものがあります。笛を吹きながら旅するおじさんのために、イチゴいっぱいのケーキを作って待っていてくれました。暖かい心がいっぱいのケーキでした。最近、何度も感じるのは、食べ物は心で作るものなんだな....ということです。それを象徴するようなやさしく美味しいケーキでした。

 翌日には、重たいものを遠くから背負ってきてプレゼントしてくれたHさんが居ました。この日は、ワタリガラスを象徴するラブフルートを手に、アメイジンググレイスを吹かせていただきました。長く地中に埋もれて居た桂の木が、人の手に渡り、愛の笛に形を変えて、その響きを皆さんに届けてくれました。

 そろそろ、死の準備の時期が始まっている、そういう年齢になってきたことをじわじわと感じています。埋もれ木は蘇ったけれど、今度は自分が土に帰っていく事を思うと、この埋もれ木フルートを吹くことでいろいろな思いが浮かんできそうです。

 旧友たちが、孫の話を嬉しそうに語る姿を見ていると、あれ?もうそんなに時間が過ぎてしまったんだなと思います。家庭も子供ない人生なので、時間の流れにはかなり鈍感だなと感じつつ、人生は確実に終わりが来ることを確かめています。肉体は老いの印を毎年のように増やしながら、最終章を暗示していますから、残された旅の時間をそれなりに味わいたいと思っています。

 こうした思いの影には、今回の盗難事件で感じたことも影響しているのだと思います。無くなる....まさかとは思いつつ、まぎれもない現実であり、そういうことが本当に起こるのだ...と。

 残された時間に、生み出せるフルートが決して多くはないだろうことを再確認し、これまで以上に心を尽くし、自分なりの課題を見つめて大切に作らせていただきたい。そんな思いが静かに浮かび上がる誕生日になりました。

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ベニバナ染め織ったケース・貝紫染め組紐・桂の埋もれ木フルート

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 ワタリガラスを彫り込んだ桂の埋もれ木フルートの先端部
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2011/3/2

2。22春気分  雑感

  この22日にKOCOMATSUで開かれたなんとなく春気分の集まりは小樽のKさんの呼びかけで始まりました。片手であまるほどしか集まりそうもないけど、それなりにということでスタートしました。

 屋根の雪がボタボタ落ちてくる暖かめの一日。美しいステンドの光がゆったりと移り変わっていく中でテーブルを囲んでの昼食。食べ物を広げ始めると、予想を越えてテーブルがいっぱいになりました。年初めの「吹き初め」第二弾といった感じでした。

 人と人が、自分であることに気負いも不安も戸惑いもなく触れ合える。そこに起こることに、静かな信頼と喜びを持っている。そんな時間や空間の中に居ること。それを豊かに感じられる、そこには命を与えられた者たちの見えない饗宴があるのだと思います。

 何をしようか、どうしようかと心をそわそわさせ、気遣いだけでいっぱいになる。そういう迎え方もあるのでしょうが、心の根元に人生に待ち受けている事への信頼がなければ、多分、大変だとか、つまらない、仕方ない、頑張らないと、ということになるのでしょう。

 この日は、ちょっとフルート作りのことを気にしながらも、夜まで参加の方たちのために久しぶりにカレーとデザート作りに集中。生きくらげの卵炒めと煎茶の佃煮も追加となりました。

 苦痛や苦悩や孤独を通る事は、人生に待ち受けているとても貴重なプレゼントなのだと、どこかで本当に気付く。そういう方たちとの出会いには、静かな繋がりが生まれます。命がある、誰かと時間や空間を同じくする。そういうことが生きていく土台だと気づくまでのプロセスは、それぞれに違ってはいるのですが、いつか深いところで繋がるように思います。

 そのプロセスを確かに辿った人は、儀礼的でも社交辞令でもなく、心からその存在を受け止め愛することの大切さを知り、本気でそういう道をたどり始めるでしょう。その存在、命そのものを愛すること。逆にいえば、自分がそういう存在として受け止められていると知ること。これが自分たちの命を繋いでいく力になるのだと思います。

 大切なのは、その振る舞いが純粋で透明なことだと思います。それはそうしようと認識して実現するものではなさそうです。まずは認識と実質のずれに気づく事、ずれを生じさせているものが何なのかを明確にすることから始まるのかもしれません。

 自己矛盾を直視し、誰かや何かを持ち出して自己弁護することの虚しさを知るまで、人はそれぞれに相応しい時を待つことになるのだと思います。

人を知ってわが身を知る、もしくはわが身を知って人を知る。この表現には微妙なニュアンスはあるものの、どこまでが自分そのものと言えるのか見つめてみるのは悪くなさそうです。よくよく考えれば、純粋に自分であると云える要素は少なく、様々な要素が複雑に混じり合った自分が変化しながら生きているような気がします。

 それは、今回の集まりのように、次々と色んな人がやってきて、様々な事を表現し合ったり感じたりしながら、時間が流れていき、それぞれに影響を受けあっているのを見ることで、よーく分かります。自分が相手をどう捕らえるか。それによって、相手が影響を受ける。そう考えると、自分がどのような生き方をするかは、とっても大切だと思います。そんなことを、ふんわりと感じる一日になりました。
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