2011/4/18

調和しながら備える  雑感

 このところ心に浮かんでくる問題意識を、あまり抑制せずに表現してきました。恐らくは、先日KOCOMATSUで開かれたチェルノブイリと福島原発の集まりで交わされたやりとりの刺激もあったかと思います。

 ツイッターなるものに書き込み、MIXIやフェイスブックにも移行され、ブログにも繋がる。この一連の流れは時に有益で、時に煩わしくもなります。一言のつもりが、一気に広がってしまう現象を前提に賢く関わる必要があるかと思います。

 ソフトバンクの孫社長さんは、3日間ツイッターを封印していて、今日復活したと書き込んでいました。私は、封印まではいきませんが、そろそろ通常のブログの流れに戻りたいと思っています。

 情報を無視せず、無関心でもなく、云い過ぎるほどではなく、ほどほどに関わっているのが良いかと思っています。適度に様々な意見や考えに触れるのは、それなりに有益であり、ひとりよがりにならずに生きる助けになるように思っています。

 震災のあった日に、それを知ることもなくヨーロッパに出かけられた方から電話を頂きました。何度も激しい津波が襲う様子をテレビで放映していたそうです。一つの出来事を、どこでどう知るのか。或いは、何を媒体として情報を得るのか。それは、その後の捕らえ方に少なからず影響を与えながら繋がってくのだと思います。

 即座に援助のために動き出す人、情報を発信し続ける人、客観的な視点に立つ人、激しく感情を揺さぶられる人。個人的な違いはあるにしろ、何らかの影響があり、言動の変化が起こっているのだと思います。

 個人的には、この出来事から引き起こされる流れに沿って生きて行こうとしてきました。最初は、KOCOMATSUで集まりたいという方の連絡を受けて場を用意。その中で、緊急援助物資の事が出て来ましたので、その場で心当たりのある方にアプローチをしました。それはやがて大きなうねりになり、現地での食料や物資の供給に繋がりました。いまは、活動の継続に向けての動きが始まっています。

 次は、情報の収集と分析、選択、発信という流れでした。その一つとして、チェルノブイリ&福島原発を考える集まりになりました。そこで引き出された事を、しっかり受け止め、次の段階に向かって準備を始めています。それは放射能に汚染された方々への具体的な助けの実践を視野に置いています。自己防衛の具体的な取り組みをしながら、必要な範囲で発信し行動することになりそうです。

 もうひとつは、メンタルな要素に対する具体的な取り組み。自分たちの命、あらゆる所有物、それが一切自分たちのものではないこと。もしくは、与えられた人生の時間の中で、何が本当に大切なのかを明確にする出来事が起こったと感じています。それはドラムと声のワークの中心的なテーマとして継続してきたことでした。

 人が自己存在の根源に触れる可能性は、必ずしも今回のような激しい揺さぶりを伴う訳ではありませんが、扉を開く一つの要素でもあるかと思います。果たしてそれが必要で、それを用いる機会があるかどうか未知数ですが、少なからず今置かれた場所で自らの鼓動と呼吸の源を感じながら過ごしています。
その可能性を広げるためにネイティブアメリカンたちが輪になって素朴に叩き続けるハンドドラムを11個用意しました。それが現地での動きに必要になる事があれば、いつでも動けるようにと考えて用意しました。

 この他に、時間が許す限りチャリティーライブでの演奏などの動きをしています。考えること、情報を得ること、具体的な行動をすること、繋がりの中で受け止めることなど、バランスをとりながら根気よく進んでいきたいと思っています。

     
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2011/4/10

10時から10時半まで簡単報告  ラブフルート

  昨日のチェルノブイリ&福島原発inKOCOMATSUは、午前10時から午後10時半まで、入れ替わり立ち替わりで30名の方々が集まりました。数は少ないけれど、はっきり聞く耳を持った方々が来てくださいました。

 当日参加できなかった方々の中からもそれぞれの思いや関心の高さが伺え、連絡が入ってきました。この集まりは、ごく自然に、現在起こっている事が何なのかを具体的に知るきっかけになればという素朴な思いで始まり、声を掛けさせていただきました。

 メインゲストの野呂さんから、前日に連絡があり、とても12時間は無理とのことでした。多忙な中、体力を失い過ぎるのは厳しいと..。19年間もチェルノブイリの子供たちが元気になるために尽力し、現地の放射能の影響や現地の人々との交流が豊富な彼女が、12時間では語りきれない貴重な体験と視点を持っておられること。さらに、福島の現地に既に直接出かけて行き、子供たちを避難させなければとの思いを強く持って行動された彼女。

 その生きた体験を聞く事は、今の自分たちにとってとても貴重であり、どうしても聞いておいてほしい事が山積みの筈。実際、放射能に関する基本的な知識すら持ち合わせていない、漠然とした情報や断片的知識しか持ち合わせていない。そんな現実をはっきり知らされたのでした。

 開始当初から、一言も聞き漏らしたくないことが次々と引き出されてきました。真剣に聞き入る皆さんの表情は、より具体的で現実的な放射能との関わりを聞きとろうとしていました。

 途中で交流を兼ねた持ち寄り食事会や全員でインディアンハンドドラムを打ち鳴らし、声を出す時間が2度ほどありましたが、それ以外は熱心なお話と質問、それぞれの考えが出されました。初めて、耳にすること、あまりにも知らない事が多すぎて、聞くことが多くなるのは当然ではありました。

 こういう話こそ、メディアが取り上げて何度も伝え、広げてほしい。こういうことこそ、みんなが知りたい事そのものではないか。そんな思いが何度も浮かんできました。

 この時間と出会いが、次のステップに向かうために、幾つかの事を準備していました。一つは、全体の流れを可能な限り記録し、必要な内容を分かりやすく書き留め、求める方々にお渡しする事。(このために旭川からKさんが駆けつけてくださいました)

 メインゲストの野呂さんに、これまでの経験の中から、どうしても伝えたいことをレポートしていただく事。彼女たちの活動は、実質的に行政的なサイドからは肯定的に捕らえられていないし、メディアもそれをむしろ回避する傾向があります。福島原発の事故があってからは、いっそうそうした傾向が強くなっています。それならば、自分たちに出来る事を実践し、実質的に必要な事が伝わるために動こう。それが私の思いでした。

 これらは、放射能が現実的に何をもたらすかを知らないまま、過剰な警戒や恐怖を抱かない事。同時に、放射能の影響力を安易に捕らえ、傍観しない事。そして、情報や知識でしか放射能の事を知らない現実に気づき、実際的で具体的なことを把握するために必要だと考えています。

 今現在、どれほどの放射能が放射され、内部被ばくの危険があるのか。恐らく、それを知れば具体的で現実的な動きをすることが、どれほど重要かを肌身で感じる事になるでしょう。国家という名の、特定の権力者たちがとる姿勢の是非を云々していられるほどの余裕はなく、現実を知る者たちが自分たちに可能な権利と知恵を使って最善を尽くす。

 この具体的な一歩に向かうための集まりが終わりました。詳細な内容や、関連した動きに真剣に取り組もうとする方がおられましたら声を掛けてください。

 当日は、米一合を持ち寄ってくださる方が沢山いらっしゃいました。沢山の心いっぱいのご馳走もありました。 比布町から来られたTさんご夫妻にはラブフルートのデュエットをしていただきました。

 小さな町、島松の小さなスペースKOCOMATSUに、随分遠くの方たちが集まって下さるようになりました。札幌方面からも色んな方々が来られました。ありがとうございました。

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2011/4/8

靴をそろえ、枕元に衣類を揃える  雑感

 幼い時にしつけられていた事の中に靴をしっかり揃えておきなさいというのがありました。そのしつけを守り続けて来て、時にはきちんとしてるねと褒められたこともありました。

 ところが、ある御宅を訪ねた時、それはそれは見事に靴が蹴散らされ、ばらばらになっているのを目にしました。このショックで、一気に生真面目さから、適当に、柔軟にというスタイルへの転身となりました。

 大半はそろえるパターンで生活しているけれど、時には、それなりもいいじゃないかという風に変化しました。今は、ちょっと自由で、少し気にする範疇で過ごしています。

 もうひとつの躾は、寝るときは枕元に着るものを揃えておきなさいというものでした。靴下、下着、上着などたたんで置いてから寝床についていました。この習慣は、10代後半で長い病院生活に入ってから、自然消滅しました。

 今回の震災を見る時、かつてのしつけの大切さを痛感しました。常に用意された衣類といざという時、たとえ暗闇でもさっと靴を履いて逃げられるようにという姿勢が、多分何らかの形で身を守る事に繋がるのだと思います。

 これは大切な事であり、しっかり実践していなくてはならない。そうと知りながら、実態はお粗末な状態です。それこそ、昔はちゃんとやっていましたなどという言葉は何の意味もない訳です。めったに起こらない危険な状況を、勝手に大丈夫だろうと決めつけて生きていく。

 そんな意識や実態が、結果的に最悪の事態をさらに悪化させるように思います。身勝手に安全を前提に過ごす、或いは勝手に不安を引き起こし、過剰な対応でがんじがらめになる。

 まさかここまでは来ないだろうと、根拠もなく津波の動きを決めつけた結果、命を落とした人が少なくなかったと聞いています。これからも続くであろう余震を含めて、まさか自分に死に至るような地震が襲って来る事はないだろうと踏んでいる人の方が圧倒的に多いだろうという現実。

 いえ、余震どころか、立て続けに大震災が襲ってこないなどと思いこむ愚かしささえあるのだと思います。凄惨な状況のただなかに居る方々を見ながら、まさか自分自身がその只中に立つ事になるとは思わない。しかし、そんな予測もつかない事が自分自身の人生にも起こる。それが、今回の出来ごとの中心的なメッセージの一つのように思います。

 勿論、それは自然災害という形だけではなく、様々な形で起こるのだと思います。突然のように思われながら、必然である何かが待ち受けているのだと思います。予期しない事、信じられない事が起こるというけれど、では一体何を予期し、何を信じているのだろうか....。

 命は誰のものか、この世界は限りある人間たちが誇りとする、あらゆるものをたちどころに呑み尽くす力を持ちつつも、そこに生きる事をよしとする不思議な恩恵で支えられているのではないだろうか。
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2011/4/7

戦士吠える  雑感

 明日演奏に来てもらえますか?そんな電話が入ったのはもう10数年前のある日のことでした。フリーペーパーに掲載されたラブフルート演奏家紹介記事を見つけて、直ぐに連絡をくださったのが、この土曜日に「チェルノブイリと福島原発inKOCOMATSU」のメインゲストでお呼びしている野呂美加さんでした。

 当時は札幌市の豊平川の近くで精進料理のお店のオーナーでした。鉄腕アトムみたいに小柄だけど、中身は鉄人28号よろでっかい。当然だけれど、リモコンで動くわけでもなく、ロボットでもない。自分の行動からつかみ取って培ってきたしっかり者の代表とも云うべき人です。パワーいっぱいの精進料理が出てくるお店では、随分とお世話になったまま、恩返しも出来ないまま惜しくも閉店になってしまいました。彼女の優しさと心遣いはお見事。何度となく感心させられてきました。閉店は残念でしたが、彼女の意志を継ぐ方々が、別の形で活動を続けておられます。

 彼女がチェルノブイリの事で東奔西走されていることは時々伺っていましたが、精々パンフレットやちょっとした報告やHPなどから窺い知る程度でした。まさか、今回のような形で来ていただく事になるとは思いませんでした。

 以下は、彼女のブログからの抜粋です。しっかり吠える宣言をされていますが、こちらもずらり並べたインディアンハンドドラムを用意して、吠え声を狼煙のように天に昇らせようと思っています。

 *道東はどうなのか、ちょうどカウンターの持ち出しがあったので、わからなかったけれど。札幌市の生データを公開しているところがあって、それはいつも、?このカウンター動いているのかなというぐらいワンパターンの数値を示している。北大がごく微量に放射能が札幌に来たというので、その生データのサイトを見てみたら、ちょっとじゃないよ。これをちょっとというようになったんだ!!!
チェルノブイリだってこんな数字は、廃村に行かなきゃでないんですよ。そこに人は住んでいられないということです。東大の先生を連れて行って縛りつけたい衝動にかられるよ。
札幌の普通は0.04マイクロシーベルト以下だったのに、今日の平均は0.5マイクロシーベルト(ひと桁あがっているし)最高値は1.5マイクロシーベルトでした。だんだん落ちてきたみたいですが。
マスクをつけて。帽子をかぶって。
明日雨が降ったら絶対にあたらないで!
これは、本当に日本全体の問題。
誰だ北海道は関係ないという波動を出した輩は。関係ないと思ってい人のところに放射能が来るんです!
関係ないと思っている人をまとめて、正座をさせて説教したいですよ。拷問もしたい!
土曜日、ブルーレイバンのお話会、力、入ってきましたよ〜。みんなでたおやかに笛吹いてられないぐらい吠える!

集まりは、午前10時から午後10時まで。出入り自由。参加費は自由カンパと米一合。お時間が取れる方は、どうぞお出かけください。
参考までに御覧ください。少し長いのでお時間を作ってどうぞhttp://t.co/b6Exp05
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2011/4/2

この先に待っている道  ラブフルート

  この4月9日に予定している、チェルノブイリと福島原発 in KOCOMATSU。地味ではあるけれど、大切な時間になるのだと思います。集まりの中心にはチェルノブイリの子供たちのために尽力して来られた野呂さんに来ていただきます。(野呂さんのブログ
http://www.shoujin.com/wp/)
 放射能の事故を起こしたチェルノブイリを直接訪ね、子供たちを短期間とはいえ北海道にホームステイしてもらって少しでも放射能の影響から回復できるようにと活動してきた彼女は、今回のKOCOMATSUでの集まりの前に、既に福島県に出向いていました。

 彼女の精力的な活動と行動力には何度となく敬意を払ってきました。いつもはライブや展示会の事で協力を頂いてきましたが、今回はより具体的、現実的なことで対話させていただくことになりました。

 今回の集まりは、お米一合を持ち寄っていただく活動と合わせて地道に継続していきたいと思っています。また、つい先日の声とドラムのワークショップで、再確認させられた事があります。一人一人が、自分自身の鼓動を感じ取りながら、深い呼吸の中で全身の響きを感じる。これは命あるものの根源的な要素の確認という形で長くお伝えしてきた事でした。

 状況やメンバーによって柔軟にスタイルを変えてはいますが、基本的な事は変わりません。それは、絶えず響き続ける鼓動そのものが自分自身の原点である事を、全身で確かめ、感じ取ること。呼吸が生み出す全身の響きを感じること。知識や情報や諸々の価値観でいっぱいになった頭を命の根源に直結するエネルギーの循環と言い換えることも出来るでしょう。心と頭と肉体のバランスを取るとも言えると思います。

 あらゆる隔たりを越えて一人一人が一体化する時間、空間の共有。その必要が明確になるなら、動く。素早く、しかし焦らず、知恵深く、静かに、着実に。そんな思いがあります。インディアンたちが、何故サークルをつくり、ハンドドラムを叩きながら声を上げるのか。それを素朴に受け取って輪に加わってみると、大地や空の語りかけを感じ始めます。

 いま、新たなドラムを加えて、静かに準備を始めています。この地にとどまるにしろ、旅に出向くにしろ、必要な時に動けるように...。津波にも耐えて生き延びた木々の生命力を改めて知らされました。もし木々の響きを感じ、命を感じる繋がりが必要ならば、動き出せるように...と思っています。

 今回の震災の全体を見つめる時、ふと根源的な祈りの姿が希薄ではないかと感じました。個々の宗教的な領域での祈りはあると思うのですが、宗教的領域を越えた、形式ではない、人としての素朴な叫びや祈りは乏しいような気がします。

 祈りは命の証、命の要と思いますが、それが良く分からないかもしれません。そんな時、インディアンたちの、素朴なドラムの輪の中にしばらくとどまっていると、魂を祈りへと繋いでくれるかもしれません。思考の優越意識が退けられ、心の本質が動き出すまでには、何度も輪に加わる機会を持つことが必要かもしれませんが、そのきっかけは出来るように思います。

 この大地も空も、一過的で限られた権力が云々し、決めつけてはならない、大切なものであることを知る機会。そういう真摯に謙虚な姿が望ましく思います。現実的な対応策の重要性は否定できませんが、より広い視点から、起こった事を受け止め、国民を導く役割を誰が果たすのでしょう。為政者に依存するだけではなく、自分たちの命は、この大地と空と共に支えられている事をはっきり知る大切さを感じます。

 全てをなげうって、大地にひれ伏し、天に向かって魂を注ぎ出す。そこからのスタートではないだろうか。知的であることも、分析的である事も、客観的であることも、感情を揺さぶられる事も、具体的な必要のために動くことも、それぞれに必要ではあるけれど...。

 個人的には、言葉を羅列し、何事かを語る以前に、そこに起こっている事が何なのか、誰からの言葉でもなく、魂に届けられるそれぞれのメッセージを聴きとりたいと思っています。

 一瞬にして、ありとあらゆるものが失われる。その光景を目にした自分たちは、命あるものにとって、何が本当に大切なのかを問われているように思います。
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