2011/9/7

三世代のラブフルート  ラブフルート

  100歳のフルーティストがKOCOMATSUにやって来ます。70代の娘さんたちお二人も一緒です。電車に乗って駅から歩いて来られるとのことでした。

  御主人が愛用していた碁盤で数本のラブフルートを作らせて頂きましたが、刃物がたちまち切れなくなってしまうほど硬いダケカンバの木で作られていましたので、かなり手こずりましたが、音色はとても澄んでいて忘れられない美しさが印象的でした。

フルートを吹いている姿を写真で見せて頂いた事はあるのですが、お会いするのは初めてです。こちらから車で出掛けてお会いしようと思っていたのですが、ご自分の方から来られるとの事。ちょっとビックリしましたが、楽しみにしています。

毎朝3キロの散歩をしておられるとの事でした。私より遥かに運動量が多いです。フルートも持っているというだけではなく、ちゃんと吹いて楽しんでおられるとの事。最近のテレビ取材の時にご自分からフルートを吹いている所をいれて欲しいと希望されたとのことでした。

娘さんのお話では、随分と上手になって楽しんでいたとのこと。きっとKOCOMATSUの響きが気に入る事でしょう。ご自分の呼吸が樹と触れ合う響き、その美しさに包まれる空間が楽しみです。

大雨や風たちも過ぎ去って、太陽の光が豊かに差し込む時間になりそうです。

自分は100歳という年齢を体験出来る可能性はほとんど無いと思いますが、99歳で初めてマイフルートを手に、レッスンに足を運ぶ気持ちはどんなでしょう。お二人の娘さん達も、それぞれにマイフルートを楽しみ、そのお子さん達もマイフルートを手にしています。

 三世代が、それぞれのラブフルートを手にして旅を続けておられる姿は、理屈抜きに北の大地と共に生きてきた樹々と人の深く豊かなつながりを見せてくれます。

 マイフルートを手にし、その樹々にいのちの息を吹き込む。大地と樹々と空と人の心を繋ぐラブフルートの不思議を感じます。単に好奇心を満たしたり、習い事としての楽器というイメージから、存在する世界と心身を繋ぎ循環する笛として手渡すために心を注いで来ました。

 対話しながら作らせて頂き、演奏を続け、レッスンを続けて来ましたが、今回の出会いは、その思いを再確認させられるような予感がしています。
8

2011/9/2

木のような人  雑感

愛の笛・ラブフルートが、言葉にならない思いを伝えるために若者に手渡された。その物語を様々な形でお伝えして来ました。その深意を伝えるために、機会を得てラブフルートのワークショップを開いてきましたが、いつも時間が限られていて断片的にしかお伝えできず、心残りでした。いつかたっぷりと語り明かすようなワークショップが出来る時を楽しみにしています。

 現実には情報に囲まれて慌ただしく過ごしている方々が、じっくりと向かい合って大切な事に触れるのはたやすい事では無さそうです。一つの情報しか知らなければ、あちこちに気をまわして忙しく動き回ることもないのでしょうが、ちょっとしたデパ地下の試食コーナーを巡るように忙しくしている方が少なくありません。

 新聞もメディアも、これこそすばらしいという呼びかけに苦心し、何とか人の心を自分たちに向けさせようとしています。そんなアプローチに、いいね、いいねと応答する人はいるのでしょうが、気がつけば、あれも知ってる、これも知ってるしやってみたという人が増えるばかりで、地に足のついた人が乏しい感じがします。

 ネームバリューを強調するアプローチには、個人の称賛を好む人たちが集まります。大切なのは、それについて語る人、知っている人ではなく、生き方そのもの、実質そのものを持っている存在であるかどうかかと思います。

 人知れぬ場所に生きる一本の木のような存在。それは、誰しもが感嘆の声を上げ、そびえたつ姿を見上げさせるような巨木ではなく、多くの人が通り過ぎ見過ごすような場所で、黙々と生きている、静かで力強さと愛に満ちた存在。木のような人、人のような木に似ているかもしれません。

 それはどこかに向かう、方向性のある存在ではなく、淡々と巡り続けるいのちの状態と繋がっている存在。そんな生き方をしているお一人が、この10月1日にKOCOMATSUに来られます。詳細KOCOMATSUブログをご覧ください。 http://kocomatsu.exblog.jp/

 殊更に誇張した案内もなく、立派なパンフレットもありません。今この時に、集う事を待っていた人たち、探していた人たちが、不思議な方法でその道を見出してやってくるだろうと思っています。

 このブログ・ラブフルート日記も、読みに来られる方は盗難騒ぎの時がピークで、その後はちょろちょろと灯るロウソクの火のようで、かろうじて灯っている状態です。ですからこそ、このかすかな明かりを見つけ出す貴重な方々と交流ができ、楽しい旅ができるのだと思います。友が多すぎて、憂いが増すようなことにならない、程よく心地よい、深いところで触れ合える旅を続けたいと思っています。

 10月1日、2日のことは、すこしテーマを変えながら、数回に分けて書いてみたいと思っています。

クリックすると元のサイズで表示します
11

2011/9/2

終・始・駅  雑感

 新十津川の小さくてかわいらしい駅舎の前で、素敵な仲間たちが企画したイベントがありました。なぜ、この時期に終着駅まで来るようにと声をかけられたのか、その謎を解く楽しみもあって、出かけてきました。

 屋外でのコンサートということで、多分主催される方たちは準備が大変だろうなと思いつつ出かけました。その駅は、予想を越えて小さく、素朴な建物でした。その駅の前のスペースに幾つかのテントを張り、電源を用意し、椅子を並べ、お弁当を用意し、お客様を待つ。スタッフの皆さんの思いがいっぱい溢れた会場でした。

 お天気は快晴!もう秋が始まってるのに、こんなに暑くていいのかな〜というくらい、良いお天気でした。雨が降らなかっただけでも、良かったと思うのですが、暑過ぎると、これまた大変。風が吹けば、それはそれで厄介。何とも都合のよい言い分ですが、ちょっと人生の旅路に似ているなと思います。

 実際のところ、ラブフルートは木製で気温と音程の関係はなかなか難しく、高温のため、やや曖昧な音程が気になりましたが、ぎりぎりセーフでした。ラブフルートは、野原や山や荒れ地で響きわたるイメージが強いのですが、とてもデリケートな笛なので、野外は素敵だけど、雨風があると、ちょっとつらくなります。

 炎天下にテントはあるとはいえ、2時間近くも、よく聴いていてくださったと思います。初めて音色に触れる方がほとんどでしたから、ちょっと物珍しくもあったのだと思いますが、しっかり音色の美しさに心を傾けておられる方もいらっしゃいました。もう、それで十分、出向いて良かったと思います。

 映画のセットじゃないかと思えるほど、素敵な花たちが小さな駅を囲んでいました。それだけで、十分心が嬉しくなり、楽しくなる空間でした。演奏の中に、皆さんと一緒にドラムを叩いて歌う時間を持ったのですが、その時間が一番素敵でした。じっと聴いていた皆さんに、ちょっと立ち上がってドラムを叩き、歌い踊ってみようと声をかけたのですが、この時間はとても微妙なのです。

 あまりに広すぎる会場では、なかなか皆さんの動きが生まれて来ません。調度良い感じの人数があるのです。声掛けしている私自身は、どちらかというとみんなの様子を眺めて、叩くのは遠慮しますというタイプで、乗りが悪い方なのですが、声をかける側に居るので何とかなっています。

 この時の皆さんは、予想以上にエネルギーがありました。ドラムや歌は、参加しているうちに、何となく楽しくなったり元気が出てきたり、ちょっと自分を感じ、みんなを感じる瞬間が生まれます。思い返せば、あの3.11以後は、随分とドラムと声のリードをする機会が増えています。ああ、あの時も、この時も、あっちでも、こっちでも......。

 フルートは持っている人が限られてしまいますが、歌声はまあ誰でも何とかなるものです。これといった曲を歌うわけではないので、おんちだって気にならない。心を開き、思いを合わせ、身体を動かしてみる。ドラムだけ叩くよりも、声を出した方が面白い。ついでに身体を揺らしてみると、これといったこともないのに元気が出たり勇気が出たり、喜びが湧いてくる。いのちってそういうものなんだろうと思います。

 人生の終着駅ってなんだろう。そんな感覚がずっと残る新十津川でした。この駅には、札幌からやってきた電車が到着して、人が降りたり、乗ったりして、ややしばらく止まったままでいます。それから、やがて出発します。

 なんだ、終着駅じゃなくて、始発駅じゃないかっ!到着と出発がここにある。さて、どこからこの状況を捕らえようか....。心がサイコロのように振り出されて、どんなメッセージが現れるのか、楽しみながら次の旅路に備えたいところです。

      クリックすると元のサイズで表示します
7



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ