2013/11/5

なぜ東北に向かうのか  ラブフルート

( この文章は東北に向かう前に書いていたものです。
時間をさかのぼって読み返し、漠然としてはいるけれど感じている違和感、不思議な感覚が後日そういうことだったのか…という現実との繋がりを感じました。)

なぜ今再び東北に向かうのか…。出発を控えて自分自身に改めて問い掛けていました。

今回は今までとは少し感覚が違う自分を感じています。身の危険を感じているのだろうか、直感的に何かを感じている自分がいました。

僕が知っていることは、直接体験したこと以外は何らかの価値観から捉えられた特定の視点から生まれた情報でしかない。

最低限の知識から生まれる価値観を持ち出して、何かしら方向性は出て来るけれどそれは絶えず浮遊している感じがします。

何にも感じないけど危険なもの。それは実に見事にそれぞれの生き方、捉え方を引き出す触媒のような気がします。確実に危険性を持ちながら、微塵も危険を感知させない。

そんな地域に敢えて足を踏み入れる。その行動自体に否定的だったり、批判的な考えも聞こえてきました。

では、その只中で生きている人たちのことはどうなるのだろう。巨大地震や原発事故は多くの命を死に至らしめ、或いは危険に晒すものですが、何よりも難しいのは人間の反応ではないかと感じます。

事故直後の段階で、放射能汚染に対する姿勢が個々人の繋がりを分断させ、批判や対立を引き起こしていました。それは、今も現況の変化の中で、変わらず起こっていました。

大きな困難や問題が起これば、お互いに助け合うという単純な構図にはならず、個々人の違いが浮き彫りになり、むしろ分裂や対立が生まれる。この事実を直視しながら、より広い視点に立って全体の流れや方向性を知る必要を感じています。

避難者家族、とりわけ子供達の命を守り、相互の協力や情報の共有のターミナルになっている米沢のサロンとの繋がりから感じることをじっくり考えながら次の流れに向かいたいと思っています。
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