2014/8/19

響きと形象の秘密を辿って東京日帰り  ラブフルート

ウォーター・サウンド・イメージという書籍が届いた。音の響きと造形の関係は長い間気になってきた。その類の書籍との出会いは幾つかあった。それと同時に、音の世界を視覚的に表現できる可能性を静かに模索してきた。

様々なアプローチをしている人たちがいることを知ってはいたが、装置が複雑で大掛かり、当然ハイコストのため手を出せる世界では無かった。音の振動と形象の不思議は微生物から天体を包括する根源的な要素であること。

今回入手した書籍は、その本質的な要素を様々な角度からまとめ上げている点で興味を引いた。久しぶりに好奇心と楽しみが湧く書籍に出会った。

監訳者 増川いづみ 氏の序文の中に(p1)「生命の根本原理、宇宙の根本原理として振動(音)により全てが形づくられているという、日本で昔から使われている“形霊”(かただま)という言葉をイメージさせます。」という記述があり、形霊についてゆっくり考察して見たいと思っている。

もう一つは、同じく監訳者序文の中に(p2)「様々な植物のいのちは水によって支えられ、その形は、ある特定の周波数帯を吸収するように長い歴史の中でプログラムされてきているので、それぞれの形は、ある特定の周波数を水に放ったときとほぼ同じような形になります。特に木などは一つ一つの植物の幹や種に、根本のいのちの中心にプログラムされた、「ある特定の周波数を捉えたい」という意思が働いていることをすごく感じます。」と記載されている。この認識に関してもう少し詳細を知りたいと思う。

実は、書籍が手元に届いた一週間間後に、監訳・解説者の増川いづみ氏の発刊記念イベントが開かれるとの告知が印刷されていた。定員70名、東京の中心街での開催となれば、参加は難しいかもしれないと思いつつも、ほぼ直感的に参加申請の申し込みをした。お盆休暇と重なっており、航空券入手のタイミングが怪しかった。

結果的に参加可能となり急遽東京日帰りで出向くことになった。書籍の解説というプランが、「出版契約上のこともあり、それはまた別の形で」ということになっていますという案内文があり、書籍以外のあれこれを知るチャンスに期待している。

科学と哲学と芸術の融合が、音と水と形象の事実から知る楽しみ。音と音楽、呼吸と木の響きの関係を原点から見詰める機会になればと思っている。

「ウォーター・サウンド・イメージ 」生命、物質、意識までもー
宇宙万物を象る《クリエイティブ・ミュージック》のすべて
アレクサンダー・R 著 増川いづみ 監訳・解説
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2014/8/14

北限の石笛  ラブフルート

すべての人に石が必要 というネイティブアメリカンの世界と繋がる絵本がある。北山耕平氏が翻訳されたが、久しく絶版になっていた。それが何年か前に、復刊希望が集まりサイズは異なるものの再版された。

石への好奇心は、かなり前からあった。ラブフルートのことで北アメリカのポートランドでホームステイさせていただいた時、家主のボブと石を巡る会話を楽しんだ。彼は石をコレクションにしており、専用の棚に思いでいっぱいの石を並べていた。カヌーでチンした時、川底に手を伸ばして拾い上げた石を嬉しそうに見せてくれた。

アメリカを発つ時、空港でお別れのハグをしたとき、彼は僕のポケットに何かを入れた。それは、彼が大切にしていた濃い緑の石だった。車の中に置いてあり、いつでも一緒にいた石だった。彼と僕のシンボルアニマルが一緒だった。その石にはスネークがブラストされていた。

今年になって、神道系の皆さんから演奏の依頼があり、打ち合わせに伺った際、神の言葉を読み始める前に石笛を吹くのだと教えていただいた。

古い記憶で、一度手のひらに収まるような小さな石笛を手渡され、吹いたことがあった。初めて口に当てたのだが、不思議とすんなり音が出た。

今回は石笛との繋がりが随分と接近した感じだった。石笛のレプリカを持って打ち合わせに来られた信者さんを見て、試しに僕も探してみようという気になった。

これまでにも、何気なく気に入った石ころを見つけて、机に並べたりして来たので、多分石好きなのだろう。ただし、キラキラした目立つ石は、綺麗だとは思うけれど、僕には似合わない気がしている。

何となく川原を探してみると、ものの15分ほどで3ヶ所穴のある石笛が見つかった。いしぶえ と書いて、いわぶえと呼ぶようだが、何故かは分からない。

初めて見つけた石笛は僕が住んでいる町の中心を流れる川の中流で出会った。そして、2個目の石笛はようやく訪れた利尻の海岸で出会った。石笛が見つかればいい思い出になるな…と思いつつ何気に足元から少し離れたところに目をやった。

すると、まさに目をやった最初のところに「ワタシハ イワブエ デス」と呼びかける石笛がいた。あまりに見事な、それそのものといった感じで、ちょっとびっくりするような石笛が待っていた。神の声を聞くために吹く石笛との印象的な出会いだった。出来過ぎ(笑)

空を切り裂くような鋭い響きにもなれば、小鳥のさえずりのようにも響く石笛。

どうやら僕は、心の思いを自由に現す力をくれるラブフルートと天の声に心を寄せる石笛を手に、与えられた息吹を注ぎながら新たな旅に向かうことになりそうだ。

実は、少し調子に乗って、今度は南の果て沖縄で石笛との出会いが会ったらいいななどと勝手に空想して楽しんでいる。

クリックすると元のサイズで表示します 地元の川の中流で出会った石笛

クリックすると元のサイズで表示します 利尻富士の裾野・海岸で出会った石笛
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2014/8/12

りしり・れぶん  雑感

利尻島 北の果て

玉響の夏も過ぎ去り

冬長い島


この歌は忘れかけたころ 何気なく心を吹き抜けて来た

初めて耳にしてから45年ほどの時が流れ

僕は 初めて 利尻島に会いに行った

20年ほど前 微かに浮かぶ利尻富士を 遥か遠くから眺めた記憶がある

今までに何度も訪れたいと思いながら

いくつもの夏が過ぎ去り

ゆるやかに 訪ねるときを待っていた

ある日 ふと風が吹き抜け 僕は礼文島に向かう船に乗った

利尻島がゆっくり 確実に 近づき くっきりと姿を見せてくれた

利尻富士はなかなかすっきりと姿を見せてくれないんですよ

そんな 島の人の声を聞きながら

利尻富士を見ながら過ごした 3日間

訪れる前日まで雨 戻った翌日から大荒れ

45年待っていた僕を 利尻は惜しげなく迎え入れてくれた

礼文の花たちが 言葉にならない 思いを歌ってくれた


海に浮かぶ山

しずやかに伸びる裾野が 人々を受け入れてくれる

山頂は鋭く険しいけれど 美しい

空と大地と海

天体の動きとひとつになった島

長く思い描いていた利尻は 新たな憧れの地になった

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初めて訪れた利尻を見ながら3000回ほどシャッターを切りましたが、堂々と聳え立つ利尻富士を見上げているうちに、写真に残す行為がつまらなくなりました。

何も記憶にとどめる手段を持たず、そこにある山そのものをそのものとして感じる瞬間の大切さを強く感じたのです。

長く憧れていた利尻は、イメージ以上に豊かでした。父は空 母は大地の朗読音楽ライブから一週間後のことでした。広大な海に浮かぶ山 利尻富士のシンプルさが空と海と大地、月と太陽と星々との一体感を凝縮して浮かび上がらせてくれました。

ありがちな観光地の匂いがほとんどなく 自然そのものの中で 素朴に生きる島の人々の姿も心地よく 何も無いのが嬉しい島でした。

他に見るものは何もない 山があるだけ…
北海道に生まれ育ったけれど、この二つの島に来て北海道に惚れてしまった気がします。

最初に書いた歌詞は、学生時代の先輩が作った曲の断片です。素朴で印象的で今でもメロディーを覚えています。誰も知らない、彼の歌を僕はなんとなく好きでした。

あの時から今日まで、思いがけないことが次々とやって来て、こんな所で生きている。一喜一憂のあれこれを、ことさらに言葉や文字にすることもなく、天空から滴るひとしずくのように落ちて終わるのがいい。大地に浸み込むもよし、海の一部になるのもいい。この世界に降り落ちて 世界とつながるいのちの楽しみ。

絵を描いたり 詩を書いたり 歌を歌ったり 笛を奏でたり ドラムを叩いたり
しばらく そんな風に 利尻で過ごして見たい

宗谷の山火事から必死に逃れたヒグマが泳いで 利尻に渡った…その足跡を見つけた島民達が山狩りをしてヒグマを追い立て海に出たところを船で追いかけて殴り殺したと聞いた。恐怖心からの事だろう。

アイヌの痕跡が至る所にある島だが、今現在はアイヌの血を引くものはいないと言う。ある時 疫病が流行り 医療的な処置の知識が無かったアイヌは次々と亡くなって行ったのだと言う。カムイが起こしていることだからと、受け入れて亡くなって行ったと聞いた。

利尻の事を中心的に書いたが、礼文島は利尻とは対照的で目立った山もなく、おとなしい地形が印象的だった。樹木は あっても背が低く 大半は低木と草原、草花で覆われていた。海風が激しすぎて樹木がそだたないのだという。異国の風情がする礼文。そこから遠くに見える利尻富士。この組み合わせが心憎い。

戻ってすぐに、今度はどんな季節に行こうかと楽しんでいる。出来れば人の少ない時がいいような気がしている。


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