2008/4/9  19:34

ひさびさの楽器店  雑感

 久々に楽器店に足を運んでみると随分様子が違っていました。ピアノやエレクトーンの発表会らしく家族総出で会場に集まる人々でごったがえしていました。音楽・楽器と言えば、ピアノ、バイオリン、いろんな管楽器という構造はいつから始まったのでしょう。

 ピアノは勿論、レコードプレーヤーもない家庭に育った自分は、音大を目指していた先輩の横でピアノを教えてもらい、紙鍵盤で黙々と練習をしていました。経済的に全く可能性はなく、聴力障害もありでしたから音楽の世界は随分遠くにありました。

 必死でアルバイトをし、全力を注ぎこんで手に入れようとしたフルートはあまりにも高価すぎてあきらめました。母が見るに見かねて、父に懇願し、不足分の援助をしてもらい、やっとの思いで手元にやってきました。それは最低価格のスチールフルートでしたが、手にしてからは朝一番の列車に乗って誰もいない音楽教室で毎日吹き続けました。養護教諭の先生が、フルートの音色を楽しみに聞いていたことを卒業の頃に知りました。

 楽器があまりに高価で手に入らない。その経験を、今回楽器店に行って改めて思い出しました。ゼロの数がたくさん並んだ楽器たちを見ていると、どうして音楽をすることがこんなにお金と繋がってしまったのかな〜としみじみ思います。まして、レッスンを受けるとなると、次々とお金がかかってしまいます。それは裕福な人々にとっては、ひとつのステイタスなのかもしれません。

 長く経済的に厳しい旅を続けていますから、音楽といえばお金がかかるという公式が出来上がって、そこから先に進めないという感覚がどこかに残っています。

 ですから、出来れば、音楽という言葉のイメージが、もっと根源的な生きる喜びそのものと繋がって行けたらいいなと思っています。この日は、キタラ大ホールでの交響曲を聴きに行ったのですが(ご厚意でチケットを頂きました...感謝)、金色に輝くフルートの音色を聴きながら一層色んなことを感じました。

 お渡ししているラブフルートを高価だと感じる方もおられるでしょうし、労力を考えると安いと思われる方もおられるでしょう。価値判断はさまざまかと思いますが、作り手としては二つのことを思っています。

 ひとつは、労力に見合った金額を手にすることではなく、求める方々のために労力を払い、心を尽くして生きられる人生を感謝すること。求められた方に喜びや元気や慰めが生まれるようなフルートを作ること。もう一つは、受け取ったお金は次に出会う人たちの喜びのために、出来る限りその出会いのために使わせていただくということです。

 一本のラブフルートと出会ったことが、それぞれの人生を豊かなものに繋げていけるといいなと思っています。店もなく、工房は仮設小屋ですから、せっかく訪ねていただいてもがっかりする方もおられます。なんだ普通の家だ...と。

 実際は、普通よりかなり古い築44年の平屋住宅で床はあちこち沈んでいます。ただ、手の届かない鍵付きガラスケースの中で0がいくつも並ぶフルートはありませんので、安心してお出かけください。



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