札幌駅そばの大型書店紀伊国屋さんのインナーガーデンでの2ステージ。大きなガラスの壁の向こうは足早に通り過ぎる人々。反対側には大量の書籍に群がる人々。その中間にある空間で素朴な木の笛とインディアンドラムの響く時間を過ごしました。
会場では、予期しない必然的な出会いが幾つかありました。ご夫妻でラブフルートを持っておられるOさんの感想は、森の中で似合うと思ってたラブフルートの音色を都会の真ん中で静かに聴くのもいいものですね〜というものでした。木の音色が響くと、そこに森が生まれてくるんですよ.....と答えながら、音色の植林家気分を楽しみました。
いま、外は雨。最近のライブで、タオスの雨の夜という曲をそ〜っと吹かせていただいているのですが、この音の流れはあまりにも素朴(単調)で、人前で演奏してもパッとしないだろうなと思って、たまあにしか吹くことはありませんでした。
ただ、外で雨が降っている...それだけの時間をゆっくりと感じる。そんなとき、自分の心はどこへ行くのだろう...そっと辿ってみようか。何らかの方向性や価値観を浮かび上がらせるのではなく、ただそれだけの時間の中で心は本来行きたいと思っているところに向かい始めるように思います。
心を何らかの価値観に結び付けようとする仕組みが至る所に待ち受けている空間。何かに依存することで自分を知ろうとする試みは、自己という認識の視点を繁雑にしかねません。大量の書籍のとなりの空間で雨の夜の響き。実に象徴的な空間になりました。
人は何故、こうも急いで本質的なことに接近しようとするのでしょう。分かった、気づいた、知ったという言葉の道を辿り続けるのでしょう。大切なことを探そう、見つけようと気持ちを動かすのでしょう。
それがそれであることを素朴に感じるという心の状態に気づかずに、動きまわると、いつの日かあるはずのものが跡形もなく消え去っているかもしれません。
ライブの後から、一枚のファックスが届きました。「今朝、小野さんの吹いた、雨の日の歌のメロディーが耳の中に聴こえてきてきて、目が覚めました。とても良い目覚めの時をいただいています。じっくりと心を傾けて聴くと、後からも自分の心の中に生きてくるんだな〜と感じました。」と。
雨の降る真夜中に自転車をこいで遠くまで走りながら、いまのこの時に至るまでに、随分いろんな涙を流してきたな....と思い返していました。ひとりひとりの涙と祈りが、心を支え、旅を続けさせてくれる...。雨の夜の音色は、静かにそれを伝えているのかもしれません。