【 今週の巻頭言 】
Happiness. Simple as a glass of chocolate or tortuous as the heart. Bitter. Sweet. Alive.
幸福。グラス一杯のチョコレートのようにシンプルで、人の心のように複雑。苦くて、甘くて、生き生きとして。 「Chocolat ショコラ 」/ジョアン・ハリス
2006/6/12
映画「間宮兄弟」(2006)
(監督・脚本)森田芳光 (原作)江國香織
(出演)佐々木蔵之介、塚地武雅、常盤貴子、沢尻エリカ、中島みゆき
だって間宮兄弟を見てごらんよ。いまだに一緒に遊んでるじゃん。
弟思いの兄、明信(佐々木蔵之介)はビール会社勤務の新製品開発技術者、兄思い弟、徹信(塚地武雅)は小学校の校務員。
二人とも30代で彼女なし歴30年(?)。二人並んで座ってテレビで野球観戦しながらスコアをつけたり、借りてきたビデオを観たり、一緒に紙飛行機を飛ばしたり、寝る時も同じ部屋に布団を並べてぐっすり。
二人だけの生活で充足しているけど、お年頃(!)なので、やはりガールフレンドも欲しいということで、弟がカレーパーティーを企画し、顔なじみのレンタルビデオ店の美少女、直美(沢尻エリカ)と、弟の小学校の葛原依子先生(常盤貴子)を誘うことになった・・・
兄弟で仲良く一緒に遊ぶのは大体小学校くらいまでで、その後は兄と弟それぞれ我が道を行くという感じで徐々に離れていくのが普通で、間宮兄弟のように30を過ぎても一緒に遊んでいるというのは天然記念物的に珍しいのではないかと思います。
恋人ゲットの企画も二人にとっては普段の遊びの延長のようなもの、いわば"刺身のつま"のようなもので、だから恋が成就しなくてもそれほど痛手を受けていないようでした。
この映画(原作)では、直美にしても葛原依子先生にしても思うようにならない恋を抱え、兄の同僚と上司(女性)は不倫中で泥沼の離婚騒ぎの渦中にあり、そんな中で間宮兄弟だけが恋愛の無風地帯で楽しく暮らしているようでした(やがて弟は泥沼に引きずり込まれてしまうけど)。
男女関係の面倒なしがらみがなければ、間宮兄弟のように生活をエンジョイして気楽に暮らせますよというメッセージがこめられているのではとも思えてきます。現代の恋愛小説作家の代表選手といえる江國さんが、こういう作品を書いたということ自体がとても面白い。
中島みゆきが演じた兄弟の母親は、中古のロールスロイスを運転して帰省した息子たちを駅に迎えにきたりの個性的なキャラクターで楽しませてくれました。行動が派手だけど、一方では息子たちを全面的に信頼し、彼らの自主性を尊重し受け入れてくれるという息子にとっては理想の母親像でした。この生活エンジョイ派の母親があってこその間宮兄弟なのではないだろうか。
大人になっても遊び続けることができる柔軟な心を持った二人がこれからもずっと仲良く暮らせたらいいなと思います。
森田さんが家族を描いた作品として、僕にとっては「家族ゲーム」と「阿修羅のごとく」と並んで印象深い映画となりました。
(参考)
・映画「間宮兄弟」公式サイト
・原作「間宮兄弟」/江國香織
2006/4/22
映画「かもめ食堂」(2006)
(監督・脚本)荻上直子 (原作)群ようこ (出演)小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ
サチエさん(小林聡美)が、フィンランドのヘルシンキの街角にオープンした小さな食堂のメインメニューは、おにぎり。開店してもうだいぶ経つのに、街の人は外から中をうかがうだけでまだ誰も店に入ってこない。食器を磨きながら客を待っていたある日、日本おたくの青年トンミ君がガッチャマンの歌詞を教えてとやってきた。そして、旅行でヘルシンキに滞在していたミドリさんとマサコさんと知り合い、二人はかもめ食堂でサチエさんを手伝うようになる。
トンミ君の来店をきっかけに徐々に街の人たちとの交流が深まっていって、やがてお店にお客がいっぱいに、という展開がこういうシチュエーションでの定番でしょうが、たしかにそうでないとも言い切れないけど、それはそれとして全体としてとてもいい雰囲気なので、このままずっとこの世界に浸っていたいなと思いました。
きっと3人の女性たちが自然体で生きている姿と、かもめ食堂の居心地がよさそうなたたずまいやヘルシンキのさわやかな空気にひかれるのだろうな。
サチエさんがわざわざヘルシンキに食堂を開いたのには、何かわけありなのだろうけど、サチエさんはそのあたりのことをあまり話したくない様子でした。原作ではどうなんだろう、こんど読んでみよう。ヘルシンキのみごとな体格の女性たち(この街ではかもめも丸々としてました)、ミドリさん、マサコさんの間に置かれたサチエさんは、少女のように可愛く見えました。
当然のことながら料理のシーンが多くて、おにぎり(具は鮭、梅、おかか)、シナモンロールなど食べたくなることうけあいです。
幻のコーヒーというのも登場しました。これは飲んでみたい。やめておこうか。でも一度くらいは飲んでもいいか。何はともあれ、コーヒーがおいしくなるおまじないは試してみよう。”コピ・ルアック”
サチエさんがプールで泳いでいるときに(だっけ)口ずさんでいたのは、井上陽水の「白いカーネーション」で、ラストにも陽水の「クレイジー・ラブ」が流れていました。
(参考)
・「かもめ食堂」公式サイト
・原作「かもめ食堂」/群ようこ
・幻のコーヒー"コピ・ルアック"
・井上陽水のアルバム紹介 (メインHP)
2006/2/12
映画「博士の愛した数式」(2006)
(監督・脚本)小泉尭史 (原作)「博士の愛した数式」(2003)/小川洋子 (音)加古隆 (演)寺尾聰、深津絵里、吉岡秀隆、浅丘ルリ子、斉藤隆成
交通事故のため記憶が80分しか持続しない博士と、博士の世話のために派遣されたシングルマザーの家政婦さんと、彼女の10歳になる息子ルートが、博士の語る美しい数式の世界を媒介にして次第に本物の家族以上に心の交流を深めていく過程を描いています。
映画では、成人して中学校の数学教師となったルートが導入役となり、学年の最初の授業での自己紹介として、生徒たちに自分や母と博士との関わりあい、そして博士から教わった数式の美しさのエッセンスを説明するという設定となっていました。
監督の小泉さんの造形した博士像は原作に比べ、ずっと情に優ったおだやかな人格となっていて、少年たちに野球を教えるほどの社会性を備えていました。
前監督作品「阿弥陀堂だより」の91歳のおうめ婆さんが語る言葉の重みと、博士が愛する数式を語る言葉とは、深いところで通じ合っているのではないかと感じました。おそらくは、二人のたどった道筋は違っていても、ともにこの世界を支える真理の存在を直観することにより得た周囲に注ぐ優しいまなざしが共通しているのではないかと思いました。
やはり「阿弥陀堂だより」と同様に、信州の自然の美しさと、映像に寄り添うような加古隆さんの音楽も見どころ、聴きどころでした。
映画を見終わった後では、この作品のキャスティングとしてこれ以上のものは考えられません。前2作の小泉監督作品で主演した寺尾聰はもちろんのこと、家政婦さん役の深津絵里、事故以前に博士と深く愛し合っていた未亡人役の浅丘ルリ子も適役でした。
原作を読んだときにも感じたことですが、博士の愛したオイラーの美しい公式、全く起源の異なる2つの定数、円周率(π)とネイピア数(e)を用いた極めてシンプルな数式e(iπ)+1=0が成りたつという不思議さと美しさ。あらためてこの世界を支える"見えない真理(真実)"に思いをはせました。
映画の最後に、ロマン派の詩人ウィリアム・ブレイクの100行以上に及ぶ詩「Auguries of Innocence 無心のまえぶれ」の冒頭4行が呈示されていました。
ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
たなごころ:手のひら
(寿岳文章 訳 映画では小泉監督の訳が示された)
おそらくは直感でしか捉えられない、この世界を支えている真理("永遠"と等価ではないか)が在るという予感をもつことだけでも随分と勇気づけられます。
(参考)
・「博士の愛した数式」公式サイト
・原作「博士の愛した数式」(2003)/小川洋子 と数学用語の紹介 (メインHP)
・ウィリアム・ブレイクの詩「Auguries of Innocence 無心のまえぶれ」 (メインHP)
・加古隆のアルバム紹介 (メインHP)
・映画「阿弥陀堂だより」の紹介 (当ブログ)
2005/12/10
「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005)
(監督)山崎貴 (演)吉岡隆、堤真一、薬師丸ひろ子、小雪、堀北真希
ビッグコミックオリジナルで長期連載されている(1974年から!)西岸良平の原作「夕焼けの詩 三丁目の夕日」は大好きで、20年位前までは愛読していました。だいぶご無沙汰していたけど、この映画に出会い、また初めから読んでみようと思っています。
映画では、建設中の東京タワーが徐々に出来上がる姿が近景としてしばしば画面に現れるので、きれいな夕焼けの見える夕日町三丁目は、昭和33年(1958年)の東京の芝あたりに設定されているようです。
当時を見事に再現した街の様子、暮らしの様子が、当時やはり東京下町の小学校の低学年だった僕の灰色の脳細胞をヴィヴィッドに刺激し、心地よいタイムスリップ感覚を味あわせてくれました。
当時の3種の神器(テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)の我が家への導入時の家族の興奮など、ホント懐かしいです。
映画でも扱われていたけど、テレビが各家庭に普及する前には、家族一同が近所のテレビのある家にお邪魔して、「月光仮面」(実写)や力道山が空手チョップを連発するプロレス番組などに見入っていました。
母親が夕暮れに呼びに来るまで、近所の子供たちと一緒に、上級生のガキ大将が統率する缶けりやら、戦争ごっこに夢中だったこと、10円でいろんなものが買えた駄菓子屋、街中を走るオート三輪、リヤカーに氷を積んで売りに来ていた氷屋さんの売り声などなど、ずっと忘れていたことをスクリーンを見ながら思い起こし、それだけで涙腺が緩みました。
そして、この映画に登場する人々、零細な自動車修理店の鈴木オートの一家、集団就職で鈴木オートにやって来た六ちゃん(原作では男の子)、芽の出ない純文学作家で駄菓子屋を営んでいる茶川(原作では老人)、飲み屋のママ、事情があり母と別れ一人になった小学生の淳之介らの温かい交流がもたらす幸福感や涙は、とても貴重なものに感じられました。
ノスタルジーによる美化が働いているにせよ、映画に描かれているように、程度の差はあれ皆が貧しかったから、困ったときにはお互い助け合うのは当然のことだったのだと思います。それに、映画からも感じられるある種の楽天的なエネルギーは、あのころ、おそらくほとんどの人たちにとって、努力すれば明るい未来を築き上げられることを疑わなかった幸福な時代であったことと無縁ではないのだろう。
(参考)
●「ALWAYS 三丁目の夕日」公式サイト
●「三丁目の夕日 特別篇」/西岸良平
2005/9/29
「メゾン・ド・ヒミコ」(2005)
(監督) 犬童一心 (演)オダギリジョー、柴咲コウ、田中泯
じゃ、言わせてもらうけど、あなたが好きよ
小さな工事会社で働く沙織(柴咲コウ)は、訪ねてきた春彦(オダギリジョー)から、母と自分を捨てた父(田中泯)がガンで死の床にあることを告げられる。沙織の父はゲイの世界でヒミコと呼ばれている著名人で、春彦は父の愛人だった。彼は沙織に、父に会いにゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」に来てくれないかと頼んだ。
犬童監督作品では、前作の「ジョゼと虎と魚たち」がとてもよかったので、この作品も公開を楽しみにしていましたが、その期待を裏切られることはありませんでした。
同性愛と異性愛とで愛の向かう方向が異なり、その表現の形は違っていても、愛を求める人としての在り方に変わりないことは間違いないと思うけど、それにしてもこの国で同性愛者として生きていくのは大変だろうな。そうした意味でも、ヒミコが作ったメゾン・ド・ヒミコのようなゲイ・コミュニティは、きっと有効に機能するでしょう。
この閉じられたコミュニティの中での死や、沙織のような部外者の介入によって生じる波紋を描いたドラマは、「ジョゼと虎と魚たち」での障害者と健常者の出会いのドラマと対比することができて、犬童監督のドラマを捉える視点が興味深かった。
演技人では、ヒミコを演じた田中泯さんの存在感が際立っていました。舞踏で培った表情を含めた身体の表現力の高さによるものだろうと思います。舞踏家としての田中さんをぜひ観てみたい。
オダギリ・ジョーの目線の艶っぽさはなかなかのもので、当初はホームの住人を軽蔑していた中学生が、だんだんと彼に惹かれていくのも無理はないな。柴咲さんはメイクダウンしての役作りだったそうですが、母と自分を捨てた父(しかもゲイ)に抱く愛憎の入り混じった感情とか、母が自分に隠していた事実を知ったの驚きや、春彦やメゾンの住民に対する感情の変化の表出などよかったと思います。
ディスコでのミュージカル仕立ても楽しかったし、メゾンの住民が歌った「母を恋うる歌」(だったかな)、幕切れの爽やかさなども印象に残りました。
(参考)
●「メゾン・ド・ヒミコ」公式サイト