4月6日のこと
おしっこがほとんど出なくなりました。尿毒症をおこすとあと一日くらいだそうです。血圧も下がってきて、心拍数も減ってきています。もう話しかけても全然反応はありませんが、聴力だけは最後まであるということなので、一生懸命話しかけています。
ひでゆきさんは、今朝9時過ぎに来てくれました。
そして一日中付き添ってくれました。
ダンナさまは相変わらずタンが喉につまるので、看護婦さんにタンをとってもらいます。
その時には私たちは病室の入り口まで下がりますが、前はタンをとってもらうのが辛いのか、手を動かしたり足を動かしたりしてイヤがっていました。
でも今ではそんな反応も全然ありません。
されるがままにされていました。
泣きたくなりました。
またいつごろからだったか、ダンナさまは目を開きっぱなしになりました。
もちろん寝ていて反応はないのですが、目が開きっぱなしなのです。
まばたきをするわけでもないので、目が乾いてしまうのが心配で、看護婦さんに「目薬か何か頂けますか」と聞いたら、「目を閉じるテープもありますよ」と言われました。
だから言いました。「なんだか、見ていたいって言っているような気がするんですよ、だから閉じるのはイヤです」
そしたら、塗り薬をくれました。
時々、目に薬を塗って、乾かないようにしていました。
昼間はおばあちゃんも来てくれたので、私とゆきこは交代で少し寝ました。
おばあちゃんはまた食事をたくさん作ってきてくれたので、ゆきことひでゆきさんと3人で夕食が食べられました。
ひでゆきさんは「お父さん、また明日来ますからね、待っていて下さいね」とダンナさまに声をかけて帰って行きました。
私とゆきこは、今夜は1時間交代で付き添うことにしました。
最後の日
1時間交代で付き添っていた私は4時半から5時半が最後の付き添いの時間、最後のダンナさまとの二人だけの時間になりました。
付き添っている時は1時間中ずっと、ダンナさまの耳元で話し掛けていました。
おしっこはもう全然出なくなりました。
最後、付き添っている時に、私はダンナさまに言いました。
「お父さん、頑張ってるよね、今までずっと本当に頑張ってきたよね。私は本当はもっともっとずっと頑張って欲しいんだけど、でもお父さん、辛かったらもう頑張らなくてもいいよ」と。
涙がとめどなく流れました、本当はもっともっと頑張って欲しい・・・
交代の5時半の時間になったので、ゆきこを起こしに行きました。
本当は私は寝る番なのですが、なぜかもう今日は起きていようと思いました。
ダンナさまの手首には、酸素濃度を表示する機械がついているのですが、それが徐々に数字が低くなっていっていました。
朝、7時半ごろおばあちゃんに電話をしました。
「酸素濃度がもう77しかないんだよ」
おばあちゃんは「今、おにぎりをたくさん作っているからもう少ししたら持って行くから」と言って電話を切りました。
8時半少し前にひでゆきさんから電話がかかってきました。
これから行くので15分くらいで着きます」
あら、今日はずいぶん早く来てくれるのねと思いましたが、「ありがとう、よろしく」と言って電話を切りました。
その時、ダンナさまの心電図とか酸素濃度とかを管理している、ナースセンターにあるモニターの前に、婦長さんや担当の看護婦さんや主治医の先生が集まっていました。
そしてすぐに部屋に機械が運ばれてきました。
あの、亡くなると線が一本になる機械です。
びっくりした私はすぐおばあちゃんに電話して、「おにぎりなんかいいからすぐ来て」と言って切りました。
婦長さんに「手を握っていてあげて下さい」と言われました。
今日に限ってこんなに早く来てくれると電話をくれたひでゆきさんがもうすぐ到着します。
でも私の目の位置にあるダンナさまの酸素濃度はどんどん低くなっていました。
もう40以下になっています。
呼吸の間隔もだんだん長くなってきました。
私はダンナさまの耳元で「もうすぐひでゆきさんが来るから、それまで待ってえ〜!」と叫びました。
ひでゆきさんは8時45分過ぎに来ました。
「早く、早く」とせかし、ダンナさまの傍に行ってもらいました。
「お父さん」というひでゆきさんの声を聞いて安心したのか、ダンナさまがだんだん呼吸をしなくなりました。
私は片手はダンナさまの手を握り、片手はダンナさまのクビを抱えて、「息をして、息をして!」と叫び続けました。
そして最後、小さい息をして、それ以上、呼吸をすることはありませんでした。
酸素濃度はゼロでした。
そして機械の線は真っ直ぐの一本線になっていました。
主治医の先生が、「心肺機能停止です。8時55分です」とおっしゃり、機械、酸素マスク、点滴がはずされました。
すぐに入れ歯を入れてもらい、着替えで用意してあった浴衣を渡して、私たちは病室の外に出されました。
実に7年間にも及ぶ闘いは、私が会社に電話をもらって早退してきてから1週間、機械を部屋に運び込んでから15分で、その幕を閉じたのです。