廃校をたずねて A
「秩父事件」の里の廃校
〜秩父郡皆野町立日野沢小学校跡〜
この小学校のある皆野町日野沢地区というのは、隣の秩父郡吉田町と並んで
秩父事件 勃発の地として知られています。
つい最近までは歴史上から黙殺され、地元でも話題にすることをタブー視されてきた事件ですが、その民主性と正義性から近年再びクローズアップされ、郷土の誇りとして語り継がれ始めました。
子供達の祖先の殆どがこの事件に携わった・・・そんな因みの廃校を訪ねてみることにします。
@ 清流が目の前を流れる美しい環境にある。
A 校舎全景。
手前の青い橋をわたって学校に入ります。
まだ子供達の歓声が聞こえてきそう。
B 閉校記念碑。
平成14年3月閉校とありますので、廃校後まだ2年半しか経っていません。
100有余年の歴史を持つ古い学校だったようです。
C 窓越しに寄せ書きが見えました。
「先生方へ いつまでも忘れないでね。」などと書き残されています。
泣けますね。 私だったらこの黒板の字は消せません。
D 物置小屋が開いていたので、中を覗くと、盾やトロフィーなどが放置されていました。
この学校の内部を窓から覗いてみると、廃校後、慌ただしく教員たちが移動していった形跡が見られ、校具や備品などはそのまま放置された状態で荒れています。
こういった記念の品々などは、今後一体どうなってしまうのでしょう?
このまま廃品回収などに出されてしまってはあまりにもかわいそう。
関係各局の考慮を望みたいところです。
E 花壇は誰も手入れしないので雑草で一杯。
でもなぜかホウセンカと巨大なヒマワリが1輪咲いていました。
F 学級花壇用のプランターがまとめて置かれていました。
苗はまだ生きていますが、いずれ雑草に負けてしまうことでしょうね。
余談ですが、左上に小さく見えるのは、つい最近、エンジンより煙をはいて廃車になってしまった旧愛車の「キャロル号」です。
「廃校めぐり」にはずいぶん活躍してくれましたが、まさか自分が「廃車」になってしまうとは・・・。
G 校庭に生す雑草が「廃校」という事実を物語っています。
H 撮影を終えても、未だ立ち去りがたい郷愁があるのは何故でしょうか。
〜秩父郡皆野町立立沢分校跡〜
上述の日野沢小学校跡から、車で林道を溯ること10数分で、突然明るい山上部落が現れます。
皆野町「門平地区」という場所ですが、ここに日野沢小学校の分校である「立沢分校跡」があります。
詳しい閉校年月などは、Aの写真に出てくるオバチャンの記憶にも曖昧で、よくわからないのですが、かなり以前に廃校になってしまったのは確かなようでした。
@ 廃校後は一部改築され、「日野沢山の家」として第2の余生を送っています。
中央の焚き木はキャンプファイヤーの跡でしょう。
夏期のみの開設、自炊が原則ですが、最近は林間学校などの利用はあまりないそうです。
A ひとり「山の家」用のシーツを畳んでいた管理人のオバチャンです。
もう60代になる息子さんが4年生までこの学校に通っていたそうで、
(5年生からは本校に通う。)
「折角編んだワラジをねェ、1日でダメにして帰ってくるんだよー。」と話してくれました。
当時、この学校の「小使いさん」は、子供達の給食(味噌汁とご飯)を運ぶため、毎日何時間もかけて下の母校(日野沢小学校)との間を往復したのだそうです。
徒歩以外に交通手段のなかった昔は大変な労働だったことでしょう。
B 分校の玄関。
立沢の子ども
・よくはたらく子
・いつもやさしくおもいやりのある子
・これだれはだれにもまけないぼくのもの
・・
などの標語が読み取れます。
山間部では子供といえども貴重な労働力だったのでしょうね。
C 初めて訪れた時は桜がもう終わる頃でした。
D スレートの屋根は山の家用として新しく架けられたもののようです。
オバチャンの話によると、この山の家も年々赤字が累積し、開設期間も短くなっているとのこと、
「町村合併になったらねぇ、きっとここも無くなっちゃうだろうねぇー。」とは淋しいかぎりです。
・ 撮影機材 ミノルタSR−T101(SCR三好さんより拝領のもの)
ロッコールMD50mmF1,7
タムロン・アダプトール2 70-210mm