・・・最近、新政権(民主党)への《政権揺さぶり》が、報道機関(とりわけ自民党支持と思われる報道機関)で騒がれている・・・
そこで思うのは「民主主義とはなんだろう?」ということだ。
まず、アメリカが「ある国を民主主義国とみる」基準のようなものから、
《その前に、アメリカ合衆国について》
北米大陸発見。
(もちろん大陸名はあとづけだ。また、先住民族問題はさておかなければ話が進まないし、今回のテーマでもない)
欧州から進出し、その後、分離・独立した、比較的新しい国。
(北米大陸のほかの国、「カナダ」については、その後いろいろあったろうが、現在、言語的には英語カナダとフランス語カナダに至っている。「メキシコ」は、カリフォルニア州形成などによって大幅に縮小)
わたしは、「アメリカ」について、建国理念・建国精神を含め、大いなる「実験的国家」だという風に考えている。 (どの国も実験的といえば言えるが、アメリカについては特に、そう考えている。
(※)ソ連邦のような「新しい実験国の連邦」=社会主義《連邦》はあったが、解体した。もちろん継続している社会主義国、その他の体制があるのは事実)
宗教的には、キリスト教プロテスタント派らによって(カトリック系の大統領は、ケネディだけ)、哲学的には、プラグマティズム哲学が”パース”らによって提唱された。プラグマティズムには、失敗を恐れず実験的にという意味が含まれている。
この国の行く先、行く末もわからなければ、善悪なども一口には語れない。当然で、だれにも無理だろう。
【アメリカが他国をみるときの「民主主義国家」の基準のようなもの】
・民主的選挙が行われて「政府」が選ばれる。
・親米的である。(★これが結構、ミソか)
今日の結論:
※つねに気使ってきたことは、「善悪」については、語れるテーマにおいて、言及したいときはそう書く。
■民主主義のいいところは、いろいろなことが書けるところだ。
かと言って、他国の体制や、政治についてとやかくいうのは、どうだろう。内政干渉(他国の体制の善悪判断をするもの)ではないか。
ところが、わが国の一企業に過ぎない新聞社の【社説】で、軽々しく他国の”体制”批判を主張しているのを見かける。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的に、国民をミスリードするものではないか、と感じることがある。
あるいは、国民・大衆を洗脳する体質が、わが国の”マス・メディア”にはあるのかもしれない。(太平洋戦争中の報道ぶりを彷彿とさせるものがある)
自国のことについて、あれこれ言うのはいいだろう。それがなくなれば、民主主義国とはいえない。しかし、公器としての新聞社が、あからさまに偏よるのもいかがなものだろう。
いずれにせよ、最終的には、個々人の判断にゆだねられているのだが。
【民主主義は、民衆が賢いという(危うい)前提に立っている】

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