街にクリスマスソングが流れるこの頃になると、決まって思い出す人がいます。
クロアチアサッカー協会事務局長のMr.スレブリッチ。イメージがオシムさんによく似ていました。
当時私は2002年日韓W杯組織委員会(JAWOC)の横浜支部で競技運営を担当していました。
韓国の釜山で最終組み合わせ抽選が行なわれ、横浜で試合をする国が確定すると、それぞれ下見にやってきます。
その視察団一行が横浜にいる間中付き添って説明をしたり、そのアレンジをしたりしていました。
12/4、最初にやってきたのがロシア。翌日にエクアドル。その翌日にやってきたのが彼でした。冷たい雨が降る中、横浜国際総合競技場のピッチを入念に確かめていました。
その時はそれで横浜を後にしたのですが、後日入った情報では、国内を転々としてキャンプ地を探し、離日したのは暮れも押し詰まってからということでした。
翌年の2月末、参加国を対象としたワークショプが東京で開催され、終了後にまたしても彼は横浜を視察すると言い出しました。
話の始まりはJAWOC本部からの電話。「クロアチアが茨城を視察したあと横浜に行くので宜しく」。
茨城支部と連絡を取り合い、一向はMr.スレブリッチと通訳兼世話人(リエゾンといいます)のお二人で、ベイシェラトンまで茨城支部がクルマで送るのでそこでバトンタッチ、と決まりました。
すぐに警備担当・宿泊輸送担当・スタジアムと連絡を取り、受け入れ準備万端。休日だというのにみんなに出勤を頼み、支部で昼前から待機していました。
当初の予定では13:00ホテル着。しかし、東京に入るなりMr.スレブリッチが「友人に会いに行く」で2時間のロス。その後歩行者天国の渋滞につかまり1時間のロス。この頃我々はベイシェラトンのロビーでじ〜っとしながら、茨城支部から電話を待っていました。
渋滞を抜けたら「お茶を飲む」でまた2時間のロス。この頃には私は他の皆さんにゴメンナサイをして引き取ってもらいました。
結局なんやかんやで本人がホテルに着いたのは20:00過ぎ。
一人で出迎えると、茨城支部の課長が「ホント申し訳ない!あとは宜しく。頑張って!」と言い、あっという間に逃げるように帰って行きました。
ポカーンとしているとリエゾンの人が、「夕食を一緒にしよう、って誘われるよ」と耳元で囁きます。
「でも、『家族が待っているから』と言えば間違いなくあきらめるから大丈夫」と入れ知恵してくれます。
確かにそうでした。でも断った時に見せた、彼の寂しそうな表情が忘れられません。
翌日は朝からホテルの視察。ベイシェラトンからザ・ホテルヨコハマへ。
ホテルの裏口から入場するため導線チェックで先回り。従業員の皆さんも揃って出迎え準備完了。
するとリエゾンから電話。「近くまで来たら『お茶を飲む』と言うので1時間待ってほしい」。
1時間後にリエゾン。「あと1時間くらいかかりそう」。
昼少し前にようやく登場。視察はほんの30分で昼食抜きで横浜国際総合競技場へ。
当日はマリノス戦が行なわれており、試合観戦と施設の見学をセットで用意しました。
クロアチアのサッカー界ではかなりの要人にもかかわらず、貴賓席を用意することができず、一般席で狭く寒い思いをさせたことを申し訳なく思います。
彼はそんなことは一切気にせず、ハーフタイムに一人でフライドチキンを買ってきて「寒いからこれを食べて暖まれ」と私たちに差し出すのです。
この出来事で彼に対する見方が変わります。「傍若無人の駄々っ子」だけではなく、「義理堅く人情の厚い江戸っ子」の顔も追加されます。
その後練習会場や他のホテルを視察して、本日の宿泊予定の新高輪プリンスホテルに到着。この時点ですでに21:00。
それでも案の定「一緒に食事しよう」と誘われ、その後のやり取りでやっぱり寂しそうな顔をされ・・・。
結局3月上旬まで各地を転々としたのちに帰国しました。
数年後、クロアチア代表がキャンプをした新潟県の十日町市を訪ねました。
その地に建立された記念碑に彼の名前を見つけたとき、思わず手で撫でてしまいました。
そして最近、彼に関する記事を見つけました。
「オシムの言葉」の著者で知られる木村元彦氏があるコラムに掲載した内容。
木村さんは今年5月に欧州選手権に臨むクロアチア代表チームの合宿地を追いかけて取材に行ったらしいのですが、木村さんはクロアチアがあまり好きではなかったといいます。木村さんは当時のクロアチアの政治をあまり感心してはおらず、「クロアチア人は冷淡」というイメージを持っていたそうです。しかし、今回の取材を通じて、木村さんは「私の頑な意識がひっくり返った」と言っています。
取材をしていると、Mr.スレブリッチは日本人記者を見つけると必ず声をかけてくれました。また、記者会見に臨もうというのであれば、こっちに来い、前に座れよと促され、司会をしながら地元記者に「遠路来られた日本の友人だ」と紹介してくれたそうです。最初、木村さん本人もどうしてこんなに良くしてくれるのかわからなかったという事ですが、Mr.スレブリッチが話した理由を聞いて嬉しくなります。
2002年日韓W杯のときにクロアチア代表チームが十日町市でキャンプを張ったときに非常によくしてもらったから。国外なのに何のストレスも感じず、選手たちも試合が終わり、十日町に戻ると「ここは落ち着く。まるで我が家に帰ってきたようだ」と語り合っていたといいます。そして、そのもてなしは素晴らしく、以後、彼は日本のお客さんにはお返しをしようと思っているのだそうです。
クリスマスソングを聴くと、彼の寂しそうな顔を思い出します。後悔もいっぱいあります。でも、彼が日本を良く思ってくれていることで少し安心しました。

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