2017/12/12

増尾城 3  中世の城、人

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本丸と二の丸の間には窪地がある
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15mほどの標高の小山 登ると砦の見張りがある センチネルですね
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本丸砦の跡
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舌状地の突端、もちろんここに櫓を建てて見張りをした
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裏には土塁が、約400年前の土塁と空堀りが残っている
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周囲をぐるりと土塁が盛ってある(奥の盛り上がっている部分)

2017/12/9

増尾城 2  中世の城、人

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通常の城郭で言う二の丸で居住建築物があったところ、平地が続く、が、現在は雑木林だらけ
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300年400年前の木ではないので公園として整備したときに植林したんでしょう
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台地の傾斜の途中にある獣道が侍の通行の道になり、今は公園の通路となっている
こういうのは大体整備して道にするより昔から使っていた小道を整備するほうが早いし理にかなっている
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なにげなく歩くけど400年前から変わらぬ道
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急激に傾斜し、平地に続く、平地には掘があった、今は小川

2017/12/4

増尾城 1  中世の城、人

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室町末期から戦国初期の土豪の砦、増尾城、城と言っても戦国末期のような優美な天守閣的な建築物はなく、平地にある丘を利用した砦だった
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松戸周辺を治めていた高城(たかぎ)氏の家臣、平川氏の城とのこと、高城氏は北条の勢力内にあり
助力していた、秀吉の小田原攻めにも篭城していたが、その後蒲生の旗下になりこの城は放置された
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戦国末期からそのまま放置されたが、当然城内での戦さがあり数百人の死者が出て、その後お化けの出る城跡と言うことで、地元も不浄の土地として立ち入らなかった
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そのため奇跡的に現代まで中世の縄張りを残す貴重な遺産となった
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この図のように平地に突然飛び出した高地(標高10m程度の微高地)を舌状地(ぜつじょうち)と呼び
ベロのような形状で飛び出ている土地のことを言います

2017/12/1

日本橋川逍遥 と言ってもまったく離れてしまった・・・2  東京の景観

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そして四ツ谷の見附跡の石垣が中央線沿いに続いて、そのまま高台となっています
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さすが四ツ谷、相当な谷になってます
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急斜面には蔦の絡まった木が東京ど真ん中には感じられないほどたくさんあります
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奥には外堀が見えます
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今は市ヶ谷の釣り堀となっています
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スカートで釣りの若者です、釣っても魚触れないだろうなぁ・・・



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