2018/5/22

軍港2  映画監督

クリックすると元のサイズで表示します
戦艦大和、内海の瀬戸内海の中でも喫水が深い呉が東洋一の軍港で工廠
実は太平洋戦争後半のレイテまで呉に停泊し,たまに外洋にに出る程度だった
クリックすると元のサイズで表示します
呉港全景、空母が2隻 飛鷹と隼鷹、駆逐艦、ドイツから来たUボ一トも見える
クリックすると元のサイズで表示します
一年前の昭和18年6月ニハミッドウェ一で空母中心4隻を失う大敗北
クリックすると元のサイズで表示します
テンアン陥落、レイテ会戦で連合艦隊のほとんどを失う
クリックすると元のサイズで表示します
この艦影はレイテに行くのが揃っている、空母の艦影はない


2018/5/16

軍港  映画監督

クリックすると元のサイズで表示します
焼夷弾、木材が多い日本を広範囲に爆撃するために開発された爆弾
爆薬を爆発させ爆炎と爆風で殺傷するのではなく、大量のタ一ルを引火させ火事を起こさせ火災による延焼と熱風で都市を破壊する爆弾。日露戦争で日本が開発した下瀬火薬が起源。
バルチック艦隊をいかに殲滅するかを研究し、船橋を破壊し、船員を殺傷し航行不可能にするために
開発された火薬を詰め込んだ爆弾。
通常は鉄甲弾で、敵船自体を破壊したり沈めたりするための爆弾を使用するが、東郷平八郎(実作戦は参謀の秋山真之)が採用した。

クリックすると元のサイズで表示します
焼夷弾でもいろいろな種類がある、起爆装置で点火してタ一ルを飛ばすもの、1000度まで一気に高熱を発し瞬時に焼き殺すもの、起爆装置を遅らせて数分後に爆発させる時限装置の付いたもの・・・

クリックすると元のサイズで表示します
海軍の町なので発着雷撃の練習は低空で行われる、田んぼに写る機影、高度100mほどか

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
いじけた顔は滝田ゆうの漫画に似ている、懐かしい感じがするのはこの影響もあるかも

2018/5/5

呉  映画監督

クリックすると元のサイズで表示します
おばあちゃんから嫁入り衣装の着物をもらいます、ピンクに椿の模様
クリックすると元のサイズで表示します
帰り道寒いので羽織っちゃいます、もったいない・・・
水原君と一緒に絵を描いた時の思いでも椿でした

クリックすると元のサイズで表示します
木炭バスは馬力がないので坂を上げれません
木炭バスは、木を燃やした蒸気で機関車のような動力で動くわけではありません
木を燃やすと言うより、くすぶらせて一酸化炭素を発生させ、遠心分離器でガスのみを取り出し
現在のタクシ一のようにガスをエンジン内で燃焼させてピストンを動かします。
ガソリンや軽油ほどオクタン化が高くないのでチカラが出ません

ここは広島なので東洋工業(マツダ)製と思いがちですが、この当時マツダはやっとオ一ト三輪を
作り始めたばかりで、大型のバスはトヨタか日産製です

クリックすると元のサイズで表示します
周作さんは初夜の夜、傘を仮してくれ、の例えを照れて本当に傘を仮り、干し柿を食べます
ストレ一トでないところが良いですね

2018/4/30

オブザワ一ルド  映画監督

クリックすると元のサイズで表示します
この映画は生き物がキ一を持っています、銀ヤンマは海軍のゼロ戦をイメ一ジしているのでしょう
すずは広島から約20キロ離れた呉の町に嫁に来た、軍港の町
クリックすると元のサイズで表示します
おばあちゃんの家で座敷童子に会う、子供にしか見えない、と言われていることなので、すずはいつまでも子供の心を持っている、と言うことでしょうか?

クリックすると元のサイズで表示します
この後同級生の水原君と海を見ながらお話ししますが、彼のお兄さんが海軍の転覆事故で死んだ、と言うことを言いますが昭和13年1月に強風による転覆事故が実際にありました。お兄さんは海軍の水兵さんの見習いの江田島の兵学校に行っていた事がわかります。

クリックすると元のサイズで表示します
この教科は現在の道徳で、当時は教育勅語の小学生用の分かりやすい国体教育です

クリックすると元のサイズで表示します
埋め立ての前の遠浅の海は海苔の養殖が盛んでした、採った海苔はたらいに入れ、包丁の刃が3枚から5枚つながった連刃の包丁で、すくってまな板で細かく刻みます。
それをすだれで漉くって干します。このすくい方で海苔の厚み、良し悪しが決まります。
安い海苔は穴だらけで薄くて贈答には適さず、厚くて黒い紙のような海苔は高級品でした。

クリックすると元のサイズで表示します
竹を挿したようなものが ひび と言うもので、これに海苔の胞子が引っかかり冬場に成長します。
戦後は竹竿を挿して、サッカ一ゴ一ルのネットのような網を張って作りましたが、戦前はまだまだこんな感じでした。
ちなみに家康が来る前の江戸湾は今の日比谷まで入江が入り、遠浅だったので海苔を採っていました、これが日比谷の地名の発祥ですね。

戦前戦後を含め、今でも海苔の生産高日本一は広島県です



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ