2016/12/3

日本橋川舟遊び3  橋の旅

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隅田川から戻って亀島川へ
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このあたりは江戸時代島のようになっていて、江戸湾沖に大型船が停泊していて底の平たい中型船で荷物を運搬してました
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これは江戸時代の石積みですね、河岸の一部ですね
あと忠臣蔵のあの堀部安兵衛もここに住んでいました 中山安兵衛から婿に入ってすぐの頃ですね
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亀島川は700Mほどしかありませんのですぐに日本橋川に戻ってきます
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はしけは水位の上下に対応するようにローラーで上下します


2016/11/29

日本橋川舟遊び2  橋の旅

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それでは隅田川へ向かって・・・・鎧(よろい)橋を通過
平将門伝説や源義家の前六年後九年の奥州征伐の伝説もありますが、今はマネーゲームの総本山となっております
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鎧状の格子として作られています・・・・訳がなく、ごく普通のラーメン構造でインフラの配管がものすごいです
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漢字で書くと茅場橋、ですね、江戸時代は茅(ススキ)の問屋が並んでいて、茅葺の屋根、と言う感じで屋根や蓑、菅笠(雨具)、の部材として重宝されました。茎の部分は油分を含んでいて耐水性があったためですね。
ま、今は金融の街になっちゃいましたが・・・・
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ずいぶん今風な橋ですね、風情もなにもない感じです、が、その昔は関西からの酒(伏見や灘の酒)の
一大集積地だったわけで、今も酒問屋や日本酒組合事務所があります。
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一旦隅田川に出ます、絵葉書的な清洲橋+スカイツリーの構図
ちょっと前に「清須会議」と言う秀吉が三法師(信長の直径の孫)を引き連れて実質の天下人宣言をした
映画がありましたが、ここは清澄町と洲崎町をつなぐ橋なので愛知の清須とはちょっと違いますね

2016/11/25

日本橋川舟遊び1  橋の旅

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その昔、舟運の中心地の日本橋川を経巡ります
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明治に作られた石橋、玄武岩、花崗岩などの集積が高く、固く、でもしなりがある石を集め
めがね橋的に作られました
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同質の石を目地を整えながら積んでいきます
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関東大震災で痛んだ部分も補修されています
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両岸に市場や荷揚げの河岸があり、舟の集積場だったため震災の時はその舟がポーボーに燃えて・・・今もこげ跡が残っています
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2016/11/23

古城から古墳へ・・・・  中世の城、人

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お城からちょっと寄り道で、古墳もいい感じ・・・・
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昔から将軍様が眠っている墓、と伝説があった古墳 実際に豪族の武人が埋葬されていた
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ここから国宝の剣が発掘されました
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上空から見るとこんなに接近して古墳がたくさんあります
利根川、荒川、渡良瀬川と湿地帯の北側に広がる台地は舟での運搬はもちろん、古墳を作る土木にも便利だったようです
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こんな感じて゜金文字が象嵌されています、最初学芸員さんに「国宝をこんなにやすって金出して加工しちゃってもよいのですか?」聞いてしまいました。
実は弥生時代から輝いていて人口の加工は一切行っていない、とのことです。金の輝きってスゴイですね



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