
*青年は、この書物と一夜を共にする。B『暗い青春』
安吾を私は嫌いではなかった。むしろ好きな作家のひとりとして準えていた。龍之介の甥であった葛巻義敏なる人物と共に、若き安吾は、自殺した龍之介の一室を借りて同人誌の編集を行っておりました。冒頭、その一文から始まる、安吾の作が『暗い青春』です。10代当時、私はこの簡素なタイトルからして不可思議な磁場を持つ安吾特有の世界観に引き寄せられるままに読んでみました。あの安吾特有とは自虐的高踏観念、すらすらと読み綴っていける文章は、実は緻密な頭脳から形作られたパズルをゆっくりと丹念に紐解いてゆくようなもの、かと。高飛車かと想わせておいて、実は妙にへりくだってみせたりする、ゆえになるほど、彼の描く空想世界は、読み手に様々な謎かけを施してまいります。
『金銭無情』や『散る日本』『破門』、『魔の退屈』といった安吾ならではの文章で綴られた小品も、私の中では、聡明なるその眼で当時の現代をしかと照射した、言わば叙情歌。歌にも浄瑠璃・ポピュラー・フォーク・演歌、全く様々あるように、安吾もまた次々と変幻自在に手を変え品を変え、当時の世相を切り刻んでゆきました、ね。なのに彼は、はっきりと周りの者に言っていた、そうな。「私は私に自信が持てぬ。他人はされど私には満々たる自信に満ち満ちている、かのような印象をうける、などという。冗談じゃ、ない」
暗い観念を判然と、暗いと書ける度胸は、けだし、安吾とかの太宰、くらいでしょう、ね。太宰が、それこそ暗い洞窟を、「怖いよ、怖いよ」と言いながら、けれどなんとかかんとか歩んでいける人物だとするならば、安吾はさしずめ、「こんちくしょう」と石を投げながらでも終いには悠然とさも愉しげに(内心は実は怯えつつも)、けれど歩んでいけるタイプの人物、なのかもしれませんね。
青年は、枕辺に一冊、あの書物を置いて一夜を共にするのが、よろしい、かと。暗い洞窟を、ただ闇雲に走り続けていた、それこそ青春時代の私は、やはり駄目な人物、だったのかもしれません、ね。