とにかく日々、時間がありません。かの丸山先生はその著作の中で、自身の作品を編んでいる最中には他の作品を読んではならない、自身の想いが漏れ出すからだ、と仰っておられますけれど、僕みたいな偏愛的読み物好きとしては、この論はどだい受けがたい感覚ではあろうかと想われます。
本日も様々、ものを書くという行為に追われているくせに、自室の堆く埋もれた本の中から、いろいろと引っ張り出してきて、読み耽り、ああでもないこうでもない、と想いを巡らしてしまう。日々の想い、だとか評論の類いのものは、さらさらと難なく書き記すのが恒、なのですけれど、空想の世界ともなれば、読み返しては「駄目だ、駄目だ」と舌打ちし、挙句、削除してしまう。また書き込んで・・・この繰り返し。そんな時、僕は傍らに持ち寄った書物をぺらぺらと捲ってはひとりごちる。そのうち、自作の展開が閃いてきて、やおらまた執筆にいざなわれるという次第。僕はもう、在る意味においては、自身の言葉尻なるものは染み付いている方だと想いますので、たとえよしんば他の作品を合間に読んでも、それら文章に影響が出る、ということは、まぁそうそう無いだろうなとは想うのですけれど、
それにしても読みたい書は次から次へと出てきますね。先達ての送られてきた『続・三島由紀夫が死んだ日』、先の芥川賞受賞作掲載文芸春秋、『東京タワー』もいまだ手づかず、直木賞受賞で活き上がる東野圭吾先生のお作も読みたいのになあ・・・と、恨めしく想いつつ自身の作、構築の為にPCに向かう僕ではあるのでした。ああ、時間が欲しい、この時はこの時にしか無いものですものね。年齢を重ねてくると、その意味が重々察せます。