
*青年は、この書物と一夜を共にする。C『シーシュポスの神話』
アルベール・カミュは太陽の楽園、地中海の畔、アルジェリアに生を得た。そんな大地の恵みに育まれて成長したカミュが唱えた、深遠なる境地とは、この世の意識概念に抗する、不条理という名の概念だった。
『シーシュポスの神話』このギリシャ神話に興を成す、文章群は、20代の私のひとつの拠り所か!?、この世の夢など儚い、ゆえに現実ほど自身の心根を知る手かがりに成り得るものはない。苦難という名の頂のてっぺんに大岩を持ち上げるシーシュポス、なんとか高所まで持ち運んだかと想えば、ガラガラと再び転がり落ちてゆく、大岩。人生に準えて、発表当時の文学青年達は、それを辛苦の文学とも評した。だが、辛苦?、実はこの先にこそ、カミュが訴えたかった真実が、潜んでいると私は見る。
『ペスト』『転落』『誤解』、カミュは現代に生きる私達に、人生の崇高なる意義を問い質してくる。そこから逃げれば楽だが、この楽とは安楽の楽ではなく、死楽の楽か!?、あまりにも有名な『異邦人』、太陽が眩しかったから、人を殺したと語る、かの主人公に、現代社会の暗部を見る、のは果たして私だけだろうか!?私だけではあるまい。
私はカミュの醸し出す作品群が好きだ。何故だろう?、そこにはこの意識の暗部を抉るから。淡々と生きてゆきたくない、私の心根に響くから。
青年は、その枕辺の横に、この書を置いて一夜を過ごすのが、よろしい、かと。まだまだ枯れることのない、私の中の探究心なるものよ、いざ今、また。粛々と稼動、せよ!!。